切り株に梢を挿す

2007-10-13 | 【樹木】ETC
 本年6月7日、このブログに「切り株に榊の枝を挿す」というタイトルで、次のように書いた。

 「木一本首一つ、枝一本腕一つ」とは、江戸期の木曽における山の掟であった。盗伐などには厳罰が科されたのである。このようなこともあって、日本の森は守られてきた。
 また、木を伐ったときには、新たに木を植えるという習わしがあった。
 安田喜憲著の「環境考古学のすすめ」(丸善ライブラリー)に掲載されている一枚の絵が印象深く、気になっていた。「上の図は、江戸時代の樵が、木を一本切ったら山の神に感謝して接木をしているところです」と本文に説明されていた。しかし、その絵図は、大きな切り株の真ん中に、葉の繁った何かの木の枝を挿し立てようとしているように見えた。接木とは違うのでないかと思っていた。
 かつて、特に大きな木を伐ったときには、その切り口がきれいになるようにして、木の霊が荒ぶことがないよう、株に榊か樫の枝を挿すという習慣をもった地方があったという。あの絵図は、それを示しているのでないかとかってに思った次第である。そう、思うことにした。
 いずれにしろ、山の神への畏敬、感謝、木に霊が宿ると信ずる人の心が、そこにある。

 ここにあげた一枚の絵であるが、矢部三雄著「森の力」(講談社+α新書)にも載っていた。絵には、尾張徳川藩の山作業を描いたものとの説明が付いていて、本文に以下のように記されていた。

 ……林業や狩猟に従事する人々の間では、山の神に収穫を感謝し安全を祈願する習慣が普通に見られます。長野県の木曽地方で江戸時代に木材を伐採し、搬出する様子を描いた木曽式伐木運材図絵」という絵があり、その中には、「株祭之図」という、木を伐った人がその梢を切り株に挿し、間の幹を木材としていただくことを山の神に感謝する姿があります。これも、森林には神が住んでいるという意識を端的に表しています。……

 どうもこちらのほうが正しいようだ。「あんな風には、接木はしないよな」とずっと思っていた。やっと、それなりの結論を得た。