大銀杏の樹のかげに隠れていた別当公暁に殺された鎌倉第三代将軍・源実朝。建保7年正月27日、鶴岡八幡宮拝賀の帰り、白雪のつもる石段の砌にて襲われ、28年の生涯を閉じたと言われる。そして、源氏は滅亡した。
建保7年というと、西暦1219年。787年前である。今、鶴岡八幡宮の社殿にのぼる左手の大銀杏は、推定樹齢は800年。
実朝は歌人でもあった。その金槐和歌集より、秋の一首。
「木の葉ちる秋の山べは憂かりけり堪えでや鹿のひとり鳴らむ」
建保7年というと、西暦1219年。787年前である。今、鶴岡八幡宮の社殿にのぼる左手の大銀杏は、推定樹齢は800年。
実朝は歌人でもあった。その金槐和歌集より、秋の一首。
「木の葉ちる秋の山べは憂かりけり堪えでや鹿のひとり鳴らむ」