梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

カリスマか老害か(その3)

2022年09月10日 05時51分04秒 | Weblog
実はこのテーマは、前回で終わるつもりでした。しかし(その2)の投稿直後、モーター大手の日本電産の永守氏の後継人事で変化があり、今般稲盛和夫氏が逝去されて二人の関連性についても、もう少し書いてみようと思いました。日本電産のその人事については、新聞や雑誌などでは批判的な記事が目立ちました。一方京セラの創業者の稲盛氏については、軌跡を辿り、「経営の神様」と称え、マスコミでは賛美の声が絶えません。

日本電産の永守重信氏(77歳)が、「バトンを渡すのが早すぎた」と言い、21年6月にCEOの座を譲った関潤氏(元日産副COO)を降格させ、22年4月再度CEOに返り咲いた。永守氏は過去にも外部から招いた、一人を副社長に、もう一人を社長に就任させたが、二人は永守氏のお眼鏡にかなわず退社している。関氏について永守氏は、「経営手法も(自分と)似ており、決断力や人格などもCEOの後継者としてふさわしい」と絶賛し、「それぞれの分野で仕事ができる人が集まって会社を成長させていくことが大事」と述べていた。前回、ここまでが日本電産トップ人事の粗筋です。

9月2日その社長兼COOであった関氏(61歳)が辞任し、その後任に古部博志氏(73)副会長が就任しました。古部氏は、日本電産を創業した4人のメンバーの一人。永守氏との付き合いは、職業訓練大学校以来55年に及び、自他共に認める永守氏の「子分」であると報じられています。同社は、23年4月に社内から副社長を5人選抜、その中の1人を24年4月に新社長に起用する。こんな記事が9月3日付けの新聞に載っていました。
 
つまり日本電産は、社外からの後継者登用に行き詰まって、社内から候補を選ぶことにしたのです。同社が4月に発表した22年3月期決算は、売上高、営業利益、純利益がいずれも過去最高でした。しかし関氏が担当する車載事業は、原材料価格の高騰などで業績不振。「経営者は結果。結果を挙げないといけない」、22年4月関氏をCEOからCOOに降格させた理由です。そしてほぼ4ヶ月後の、9月に関氏を退任させたのです。

日本電産は企業買収を繰り返すことで成長を遂げてきました。永守氏は、買収した会社に対しては、自ら工場を回り、従業員と共に食事をするなど、つきっきりで指導しました。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という「永守イズム」を浸透するためです。ある幹部は、「日本電産のスピードは、他社の10倍速い。一般の会社で育った後継者候補やその取り巻きとは、文化やスピード感が全く違う」と明かします。関氏もCOOに事実上降格した今年の4月の会見で、「特徴のある日本電産に社長でポッと入る難しさを感じた」と漏らしていました。

9月2日のオンラインで開催された会見には、永守氏と小部氏のみで関氏の姿はなく、「関氏に経営手法を学んでくれと頼んだが、だめだった」「社員よりもっと良いのが外部にいるんだという思い込みがあった」。永守氏のこの言葉は、耳を疑いたくなるほどです。「外部は私のことを老害というが、ダイキン工業や信越化学工業の会長のように高齢で活躍している人もいる。年齢のことをとやかくいわれる筋合いはない」。この永守氏の発言は、私としては人格を疑いたくなるほどです。

それに引き換え8月24日に死去した稲盛和夫氏は、65歳で京セラの会長を退任しました。73歳まで取締役に残りましたが、社長は数年単位で交代する体制を構築します。いうまでもなく、稲盛氏は京セラやKDDIを創業し、それぞれ1.5兆円、4.9兆円を超える大企業に育成しました。倒産したJALの会長に就任すると、僅か2年8か月で再上場へと導きました。更に中小企業経営者の勉強会「盛和塾」の塾長を務めた他、日本発の国際賞「京都賞」を創設し、人類社会に多大な貢献をもたらした人物です。

永守氏は、「絶えず京セラのような会社にしたい、稲盛さんのような経営者になりたいと頑張ってきた」と語っています。39年前京都銀行の役員が、「永守さん、これから会社を大きくしたいと思うなら、稲盛さんと一度会っておいたほうがいいですよ」といわれ、一席を設けてくれたそうです。京セラは創業20年を越えて大いに驀進していた時、稲盛氏51歳前後、永守氏39歳前後の頃です。会食が終わったのは10時、それぞれ二人は会社に戻って仕事をしたといいます。永守氏にとっての稲盛氏の印象は強烈で、経営者として強く意識するようになったと自身が回顧しています。

二人には共通点が多くあります。京都で創業し、一代で名だたる企業に育て上げ、仕事の鬼で、社員が気を失う程叱り、共に過去米国IBM社からの大量受注で会社が救われています。間違いなく稲盛氏はカリスマですが、しかし老害とはいわれていません。それどころか、高齢に至って新たな分野で名誉・名声を得ています。永守氏に対し辛辣な言葉を使ってしまいましたが、私も老害といわれないように、自分への戒めとして書きました。
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