梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

改元の本質

2019年04月06日 09時37分08秒 | Weblog
4月1日に政府は「平成」に代わる新しい元号を「令和」に決定しました。4月30日の天皇陛下の退位に伴い、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に、この「令和」に改元されることになります。

改元は現在の元号法によって、皇位の継承(天皇の代替わり)があった場合に限り政令で定めると規定されています。この一世一元は明治期以降からであり、それ以前は、大災害や世の吉凶の兆しなどでも不定期に改元されていました。一世一元を定めた旧皇室典範は、戦後GHQの統制化に置かれると、元号に関する規定がなくなり元号は法的根拠を失います。

法的根拠を失った状態が続けば「昭和」限りで元号がなくなる、との懸念を強めた民間団体の運動が広がり、そして1979年に現在の元号法が成立します。戦前まで元号は天皇の勅定事項でしたが、同法により決定権が政府に移行しました。今終わろうとしている「平成」は、正に初めて政府が定めた元号となりました。

その元号法が成立する34年前に、「昭和」そのものがなくなる一大危機があったことを、現代の人々の認識が薄らいでいるように思います。それは昭和天皇の存在の危機であり、先の大戦で日本がアメリカに負けたことによるものです。

日本が敗戦した年、昭和20年の9月27日昭和天皇はアメリカ大使公邸を訪れ、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと会見します。会談内容については、当事者である昭和天皇は終生語りませんでしたが、一方マッカーサーは後の回顧録で披露しています。

それによると、昭和天皇は「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負うべき唯一の者です。あなたが代表する連合国の裁定に私自身を委ねるため、ここに来ました」と、発言したとあります。それを聞いたマッカーサーは、自らに帰するべきでない責任をも引き受けようとする勇気と誠実な態度に、骨の髄まで感動したと記します。しかしこのマッカーサーの回顧録は、多くの誇張や思い違いや自惚れがあるようで、史料的な価値は低いとの指摘もあります。

マッカーサーの専属通訳者のバワーズ少佐は(会談には同席していない)、マッカーサーから聞いた話として、「巣鴨刑務所にいる人に代わり、私の命を奪って下さい。彼等の戦争中の行為は私の名においてなされた。責任は私にある。彼らを罰しないでほしい。私を罰して下さい」と、昭和天皇が語ったと証言しています。その会談の直前アメリカ議会では、昭和天皇を戦犯として裁く決議案が提出されていました。昭和天皇は極刑をも受ける覚悟でした。

今回の改元は概して明るいニュースとして国民に受け止められています。その明るい話題に水を差すわけではありませんが、元号由来の万葉集の地に観光客が押しかけたり、元号を印字した商品が早速提供されたり、元号を交流や消費の手段として楽しんでしまう、その気軽な受け止め方に私は少し抵抗があります。

元号の変遷には「昭和」のような、天皇の存続すら危ぶまれた時代もありました。この機会に、天皇の存在を再認識して、その昭和の戦争を顧みることも必要かもしれません。現在は天皇があっての元号であり改元です。新元号の公表に沸くだけでなく、その歴史や本質を学ばなくてはなりません。

かくいう私はこれら大半の知識は、最近読んだ本や昨今の新聞を読んでのものです。4月1日から数日経ち、その新聞も普通の記事に戻りました。私にもある、熱しやすく冷めやすい一過性の性質も考えなくてはなりません。
 

 
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