梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

國破れて、、、(その1)

2019年05月11日 09時21分18秒 | Weblog
4月27日に始まった過去に前例がない「10連休」が5月6日で終わりました。多くの人が7日からが、「令和」の仕事始めとなったことと思います。わが社は受注した加工の仕事がありましたので、4月30日と5月1日製造現場は出社となりました。

この連休私は、3日間は家族で過ごしたり友人と集まったりしましたが、7日間は会社に行っていました。だらだらと目的もなく家で休んでしまうと、生活のリズムが崩れそうで、通常と同じ時間に会社に行って帰ることを心掛けました。

実は、この連休を使って或る本を読みたかったこともありました。文庫本サイズですが、約600頁にも及ぶ大作です。その頁数に圧倒されて、だいぶ前に手に入れた本でしたが、読まずに積んどく状態でした。タイトルは“國破れて マッカーサー”、著者は西鋭夫(としお)という方です。3年半前に著者の講演会に参加して、その後会場でこの本を購入させてもらいました。

戦後の米国による日本占領を、克明に著している本です。10連休中には改元もあり憲法記念日もありました。この本には、昭和天皇とマッカーサーのことや日本新憲法施行の経緯も書かれていましたので、とても時宜を得た本となりました。

そもそも西鋭夫はどういう方か、との話から入ります。1941年大阪に生まれ、疎開先の岡山で終戦を迎える。関西学院大学卒業後、ワシントン大学大学院にて学ぶ。その後一旦米国の民間企業に勤めるも、ワシントン大学に戻り博士号を取得。スタンフォード大学フーバー研究所博士研究員等を経て、米国に30年近く滞在して帰国。複数の日本の大学の教授や顧問を歴任して、今日に至っています。

西氏がワシントン大学で学んだのが、日米外交史であり太平洋戦争についてでした。米政府は極秘文書を三十年後ごとに全面公開してきました。西氏が再び同大学に戻り博士号学位論文を書こうとした時が、1945年度の機密文書公開の時期だったのです。つまり昭和20年、GHQによる日本占領が始まった年でした。米国人ですら誰も見ていない文書を徹底的に調べ研究してみることで、論文のテーマは決まりました。

その論文が世界的にも有名なシンク・タンク、フーバー研究所の目に止まり、西氏はそこで働きながら、日本占領について更に調査の枠を広げ、長い時間を費やして米国でも埋もれていた他の重要資料を清査して、その上で数々の研究業績を発表します。

“國破れて マッカーサー”は、これ等の生資料がベースになっていて、西氏がここに重点を置くのは、米国が敗戦日本を独占し好きなように操った事実があるからだと言います。この本は単なる文庫本ではなく、膨大な資料をまとめた学術書です。

本来の「國破れて 山河あり」とは、国は破壊されてしまったが山河は依然としてありつづけ、そこに夢を託し誇りと希望を持とうとの意味です。西氏がこの本のタイトルを付けたのは、米国が「占領劇」の主役で、米国が「戦後日本」の生みの親であり、そこに日本はないとの意味が込められています。

しかしこの本は、米国の悪口を言ったり非難をしたりした本ではなく、占領政策がどのようなものであったかを米政府の極秘資料を使い赤裸々に記述したもので、「戦勝国米国の肩を持たない、敗戦国日本の弁護もしない」と、西氏は言います。

このようなブログを書いている矢先、新聞に興味深いコラムがありました。タイトルは“昭和の教訓、生かす時代に”。令和に入る直前に平成を振返るブームともいえる現象が広がったが、令和への教訓を探すなら、もっとさかのぼって昭和の時代に光を当てるべきだとの内容でした。 ~次回に続く~




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