梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ギブアンドテイク(その3) 

2023年01月07日 06時06分40秒 | Weblog
話し手の話をひたすら聞かなくてはならないと捉えていた、今までの傾聴の姿勢を見直してみたいと思ったのは、東畑開人さんの“聞く技術 聞いてもらう技術”の本を読んだからに他なりません。今までの私の傾聴の姿勢とは、傾聴の認定資格を取った時に受けた二つの講習、その後傾聴に関連する本で知った知識、などに寄って立っていました。
   
去年、日本傾聴能力開発協会が開催している「傾聴サポーター養成講座」を受け、ユーキャンの通信教育で「高齢者傾聴スペシャリスト講座」も受けました。その講座で、ともにカール・ロジャースという人物が登場します。ロジャース(1902~1986年)は、アメリカの臨床心理学者です。彼の革新は、対面する相手を医療の世界ではペイシェント(患者)としたのに対し、カウセリング的な心理療法の観点でクライエント(来談者:自発的な依頼者)としたところにあります。

従来の医学的な心理療法のように病者と決めつけてしまうと、その指示的なやり方はクライエントに不必要な抵抗を生み出し、依存を助長し自分で解決する力を奪ってしまう。本来健常者と病者は区別がつかないと、彼は主張しました。この考え方が日本に伝わり、1970~1990年頃ロジャース信奉期を迎えます。人とつながる傾聴が、心理学として初めて受け入れられた時代です。それは現在まで、傾聴論の基礎となっています。

日本傾聴能力開発協会の代表が、高齢者傾聴スペシャリスト協会の機関誌“傾聴”に、コメントを載せていました。「自分を押し殺す傾聴が窮屈に感じ、傾聴の探求を始めた。至ったのは、『聴く人が楽でなければ傾聴はできない』という結論であった。ロジャースが言わんとしているのは『人とつながる傾聴』、その前提として『まず自分と深くつながることからはじまる傾聴』が最も重要である」。このような主旨でしたが、額面通り私は受け取っていました。

“悪魔の傾聴”という本を読みました。著者はルポライターで、介護や風俗などの現場で、貧困化する日本の現実を可視化するために傾聴・執筆を続けている人です。「悪魔の傾聴とは、『相手に最大限に自己開示をさせ、本音を引きだしまくる聞き方術』のこと。ライターには資格も研修もないので、失敗を繰り返しながら、実践だけから、『聴き手が必要最低限しかしゃべらない』悪魔の傾聴を導いた」と、著者は語っています。

「この悪魔の傾聴は相手に対して『~をしない』不作為の術が中心であり、相手の話を否定しない、自分の意見を言わない、アドバイスをしない、である。資格や研修が役に立たず、実践で、自分の偏見のフィルターを限りなく薄くするしかない」。著者は体験の積み重ねだけといいますが、私が資格を取った時の受講内容と一致する要点が多々ありました。

さて肯定的に捉えてしまっていた、日本傾聴能力開発協会の代表のコメントと、“悪魔の傾聴”の著者の話しに、今一度立ち戻ります。

『聴く人が楽でなければ傾聴はできない』『まず自分と深くつながることからはじまる傾聴』とは、なにか。協会代表のコメントには具体論はありませんでした。聴く人が楽になる、自分と深くつながる、この意味は感覚的には分かります。しかし、自分が楽になれない時、自分と深くつながれない時、人の話が聴けなくなってしまった場合どうすればいいのか。

『相手に最大限に自己開示をさせ本音を引きだしまくる聞き方術』『聴き手が必要最低限しかしゃべらない』は、どうして著者に実践出来たのか。“悪魔の傾聴”の著者はルポライターのプロであり、私達に当てはまるのかどうか。ライターの目的は、取材し徹底して聴き出し書くことです。普通の私達が、人の話を違和感なく聞くにはどうしたらいいのか。

これらの疑問に突破口があるのではないか。そう感じたのも東畑さんの本を読んだからです。“聞く技術 聞いてもらう技術”の本の後半です。

聞く人の側に第三者が必要である。横に立つ第三者です。あなたは、その第三者にあなたの話しを聞いてもらうのです。では、その第三者とは誰か。友人でも誰でもいい。誰でもいい、だから聞いてもらう技術が必要なのである。聞いてもらえたときにのみ、人の話をじっくり聞ける。

その第三者が居なければ、あなたから聞くことを始めなさい。聞く技術と聞いてもらう技術は入れ替わる。聞いてもらってから聞く、聞いてから聞いてもらう。どちらでもいい。あなたの可能な方から入りなさい。しかし、聞くことの力は、聞いてもらったときこそ深く実感する。

聞くことに対して我慢や無理をしなくていい、「自分に寄り添える」具体論が、「傾聴で悪魔になれる」技術論が、その本には明示されていました。傾聴におけるギブアンドテイクの、今回のテーマのまとめです。一対一の握手ではなく、大勢の人が輪になって手を繋いでいる、ギブとテイクが互いに循環していく、そんなイメージを持つことができました。
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