銚子・角巳之・三代目

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杞憂(きゆう)

2007年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1967 無用の心配をすることを杞憂(きゆう)と言います。中国・春秋戦国時代、杞(き)という国の人が、天が崩れてきたらどうしよう。身の置き場が無い、死んでしまう...、と夜も眠れなくなった。から転じて、無用の心配をする事。を指すようになったらしい。ちょうど写真のような風景でしょうか? さて杞憂、無用の心配はしないほうが気が楽であります。ただ、無用の心配をせざるを得ない状況にいる人がいます。会社の経営者、介護問題を抱えている人(これからそうなりそうな人)、相談する相手もおらず、悶々とした日々を過ごしている人、その他たくさん、たくさん。むしろ、無用の心配をしない人の方が少ないかもしれない。先日、ある企業の経営者の方にお話を拝聴させて頂く機会を得ました。社員には言えないけどね。と前置きした上で、会社の業績は順調なんだけど、実は夜眠れないんだよね。寝ようとすると心配事が頭を過ぎる。会社を潰し、社員が給料払えと鬼の形相で追い掛けて来る夢を見る....。取り越し苦労だ、何だと人は言うけれど、経営者としての責任を自覚したら、常に最悪の事態を想定するし、その時の覚悟を持たねば。そうおっしゃっておりました。身近に介護問題を抱える、或いはこれから抱えそうな方々、もう壮絶です。その時になったら俺がやるよ...と言っていた方々は逃げるんだよ。そんなもののようです。前出の経営者、だってそうだろ、経営と同じさ。常に最悪の事態を考えて覚悟をしていたら、口先だけで逃げるヤツなんかすぐ見抜ける....。あらゆる事態を想定し、無用の心配も、取り越し苦労もする。結果としてそれが杞憂に終わればいいんだよ....。そう考えた方が気楽だろ...。第一、普段から経営の事、介護のことなど準備して無いと、その時になって出来る訳ねえだろ...。やはり物事は色々な角度から見るべきもの。と改めて思った次第です。と同時に、常日頃からの準備や覚悟。そして、杞憂に終われば....という心の持ちようかと。