カウボーイ・エコノミーに対して、著者が“来るべき宇宙船地球号時代”に到来するであろうと予言したのが、スペースシップ・エコノミー(直訳で宇宙の経済)。何のこっちゃという事ですが....。(現在のところ)宇宙に行ったら、食糧その他を宇宙空間で調達する事は不可能。また廃棄物を捨てることも不可能。宇宙船内で再利用、ゴミを出さない、リサイクルしないといけない訳です。これ最近どこかで聞いたような言葉。そう“3R”の事でした。3R、すなわち、Reduce(ゴミを減らし)、Reuse(再利用し)、Recycle(リサイクル=新たな利用価値を)であります。この本が世に出たのは1968年、38歳の私が生まれる1年前の話。昭和にすると43年。高度成長の真っ只中にありながら、公害問題や自然破壊が噴出し、しかし経済価値優先。世界的にはローマクラブという団体が、“成長の限界”を唱え、ちょっとおかしいんじゃないの?という疑問提起も、殆ど顧みられなかった時代なのかもしれません。その時に生まれた我々30代は、小中学校の時に、環境だ、温暖化なんて言葉、聞いたことありませんでしたが、“その時”に現在に至る問題のタネが撒かれていたのだと指摘する方は多いです。オーガニックや無農薬、生協活動なんかに身を投じている方々に、何故そういう活動をしている(してきた)のですか?と訊ねた事があります。多くの場合は時代の“反作用”かと。この“反作用”があるから人間社会はかろうじてバランスを保っているのかもしれません。また“沈黙の春”“複合汚染”という書籍を読んで。という方も多い。これまた60年代に著された本であります。両方とも女性が著者。経済価値最優先の世相の中で勇敢にもその問題を指摘し、社会から物笑い、気違い扱いされ、失意のうちにこの世を去る....が、その想いを沢山の方々が継承し、今、その両女性は先駆者として世界中から称えられております。明日から“グローカル”、その中身へ。
今週末あたりから寒くなってくるようですが、11月も半ばであるのに、日中は汗ばむくらいの陽気です。肉体労働しているという事もありますが、半袖で過ごす事が多い...。ススキが揺れている季節なのに暑い。やはり温暖化の影響のようです。この影響で、今まさに水没してしまうかもしれない。というオセアニアの島や南極の氷の融解...。温暖化はTVや書籍の中の話ではなく“今そこにある危機”であります。さて、グローカルという言葉があります。Think globally !Act Locally!(地球規模で考え、地域で行動しよう)という事であります。銚子の田舎に居て、地球規模なんて大言壮語。身の程をわきまえろ...。という意見もあるんですが、温暖化の話を持ち出すまでも無く、この感覚は日本の大都会に住んでいようと、田舎に住んでいようと全く同じ。もっと言うと地球上に暮らしている生きとし生けるもの、草木...すべてに関わってくるものであります。では具体的に何をするんですか?という前に....。私が大学4年時、指導教官から“来るべき宇宙船地球号時代の経済学”なる書籍を読むよう薦められました。1968年、米国で現された環境経済学に関する本です。発刊当初は一顧だにされない。学生時代の92年当時ですら、殆ど読まれていなかったと思います。バブルの終わりかけ、それでも無秩序な開発が全国で行われていた時代。現在にも残る不の遺産、産業廃棄物の不法投棄などが頻発したのもこの時代だったと思います。上記の書籍によれば、従来型の経済学はカウボーイ・エコノミー。牧場に放った牛をカウボーイが捕まえる如く。弱肉強食、力づくの論理。牛を捕まえて肉にして食べる...。この過程で出る家畜の糞尿、肉にならなかった部位の廃棄物、またそもそも肉になる家畜の幸せって何なんだろう....。そんな事は一切お構いなし。家畜と肉の関連なんかどうでも良いし、生きるために、金払って家畜を肉にしたり食ったりする。その何が悪いんだ。という意見は、確かにそうだよな~。という事になって、まあ深く考えるのはやめておこう...。そう思っていたらBSE(狂牛病)が出てきました。続きは明日。写真の風景、これ銚子です。海鹿島(あしかじま)付近の海岸線。最近、風景の方から、この角度で撮ってくれ。と言う声が聞こえてくるような...。そんな気がします。
東京の会社に勤務していた時の同僚(だいぶ後輩ですが)が、結婚を機に銚子へ引っ越して参りました。ご夫妻共に銚子とは全く縁やゆかりもなく、旦那さんが勤務される銚子を(というより日本を)代表する醸造メーカーの転勤に伴ってとの事。全くの偶然...。この東京の会社、実は私以外にも銚子出身者が2名いて、東京で時々“銚子会”なる飲み会を開催しておりました。最初は東京で故郷を想う会。次第に拡大して、何だか良く分からないけれど何故か楽しい飲み会(他の二人はどう思ってたか分かりませんが....)私以外の2名も、それぞれの事情で退職し現在は違う会社に勤務されておりますが....。勤務中によく仕事をサボって?、コーヒー飲みに行っていた薬局のオーナーは銚子の出身者。しかも私の家の近所。一週間に最低一回は行っていた新宿の割烹料理店さんは銚子と非常に縁が深い、その他諸々、東京で銚子出身者との出会い・再会...。、銚子なんて小さな街の出身者が良くもまあこういう高確率で会うもんだ。しかも大都会で。と思っていたら今度は銚子にかつての同僚が。本日話したんですが、銚子の大自然に癒されてます...。との事、引っ越してきたばかりなので社交辞令もあるのんでしょうが、こういう方の意見こそ貴重だとも思います。で、写真は昨日、外川港周辺から見た夕陽。涙は心の汗だ....、なんて懐かしい青春ドラマの主題歌が聞こえてきそうな雰囲気で、しばし見とれておりました。
昨日の700回にあたり、投稿やメールを賜りました。誠に有り難うございます。多くは最近、力み過ぎよ...。と言うものでありました。文章が変わった、お前は単細胞だから分かり易い、無理すんな、飲みに行こうぜ....。そんな内容。もっとリラックスして...。自分では全く気付きませんでしたが、知らず知らずにそんな方向に行っていたんですね。すぐに変えることは無理かもしれませんが、軌道修正して参ります。出来るだけ....。一時停止は見通しが良く、車が全くいなくても停車。これルール。止まったつもりはダメですよ....。ちょっと前、人生初の青キップなるものを頂き、言われたのがこのセリフ。止まってたじゃないですか~。いやいやタイヤは完全に停止してませんでしたよ。見通し良いし、車は一台も通ってないじゃないですか~。そんな感覚ではいずれ重大事故を起します。認識を改めて頂かないと...。これから止まるべきところは完全に止まらねば....。さてこれから、またゆっくりと回数を重ねて参ります。時々立ち止まりながら....。引き続き宜しくお願い致します。
本日、連載700回を迎えました。皆さん有り難うございます。そろそろ2年になります...。お前最近ブログに何時間掛けてんだ。そんな質問を良く受けます。短くて10分、長くても30分くらいですよ...。とお答えするのですが、それウソだね、本当は3時間くらい掛けてんだろ...。いいえ本当です(こんな事でウソついたってしょうがないじゃないですか...)。夜の11時半くらいから書き始め、午前零時に更新するようにしております。最近は少量の芋焼酎と共に。最近、文章が変わってきたな。と開設当初からお付き合い頂いている方々に言われるのですが、多分それは芋焼酎のせいですよ。T酒店さんの芋焼酎、どれもみなパンチが効いており、畜産担当時代を思い出します。どうだ...、という味なんです。もともと文章を書くのは嫌いではありません。むしろ長文を書いていると落ち着く。という妙なストレス発散法が私にはありまして....。。それもウソだね~お前、根はスポ根だろ~。ハア確かにそうなんですが....。ただ、訓練と言うものは恐ろしい。毎日継続すると習慣になる。習慣になると、日常生活の一部。感覚的には歯を磨く、顔を洗うに近い。ミニバスの練習を見ていて、ボールを受け取るのさえ恐がっていた小学生が、シッカリ目を開いてボールを掴み、いつしかドリブル、シュート...、あれ、こんな事出来たっけ...。と、根がスポ根としては、これら姿に感動し、小学生に負けるな。俺も頑張らねば...そんな心境です。自分も往時を思い出しながら....。連載700回という事は写真も700枚。一回に10枚くらい撮っているので、写真のストックは7000枚以上となってます。振り返ってみると、写真は心の投影...。が良く分かります。それにしても銚子周辺はじめ自然の風景は美しい。毎日、毎日関心を持って空や海を眺めていると、何気ない風景なのに、1日として同じ風景は無いことに気付きます。これまた一期一会。千日回峰行の700日目は“堂入り” 9日間、断食、断水、不眠、不臥の行に入ります。私の頭の中はいまだ煩悩で満ちておりますが、とにかく開設から700日となりました。お付き合い頂いている皆様に深く感謝申し上げますと共に、自分の中で何かが弾け、変わっている事を感じております。それが何か分かりませんが、“坂の上の雲”を目指して...。その気概だけは持ち続けて参ります。
この一週間は何と言うのでしょうか、地元の仲間はもちろん、東京時代の仲間からも連絡が来る事、来る事。何かの“啓示”か?と思うくらい..。有り難い事には変わりありませんが....。いまだ気に掛けて頂いております事、感謝、感謝でございます。2年ぶり、3年ぶり、という方からも連絡頂きました。また以前勤務していた会社を退職した事すらご存じない事も....。これは私の非礼。退社から2年半経過しましたが、満足なご挨拶も出来ずに申し訳ない。と思う方々、多数存在しており、心苦しく思っておりました。この場をお借りして深くお詫び申し上げます。ところで、どの方とお話しても違和感が無いのは何故なんでしょうか?知人から、あまり人間関係を濃くすると、自分の時間が無くなる、厄介ごと、揉め事に巻き込まれるぞ..、と忠告を受けておりました。一方で大先輩から“応事一心(目の前の事を懸命に行え)”だ。とも。やはり、小さく、狭く、深く、濃くなんですよ....。食肉とは全く無縁の世界にいながら、会社で配属されたのは食肉担当。全く分からない事だらけなのに、何故か楽しかった。迷惑も沢山掛けましたが....。10年経過すると“天職”だと思ってました。で、今水産業。これまた楽しい...。商品と言うより、それらを取り巻く“人”の存在が大きいと思ってます。達人とね、素人の目線は同じなんだよね~。とは食肉の大先輩に言われた言葉ですが、今水産の現場の大先輩にも全く同様の事を言われております。どんな大企業でも入社式で言われる言葉“初心忘れるべからず”...。今毎日のように車を運転してます。銚子に戻った当初はペーパードライバー。人様に迷惑を掛けてはならないとペーパードライバー講習を受け、さて乗り出したと思ったら仲間から、下手くそ、下手くそ...と罵声の嵐...。下手だと自覚してるから安全運転よ。と思いながら、毎週末の印旛通いで運転にも慣れ、やれば出来るじゃん...と思っていたら事故遭遇。しかも立て続け...。そんなものなんでしょう。気が付けば明日、連載“700回”を迎えます。昨日のススキ、本日の写真はその場から遠くを写したものであります。地元の方ならどこから撮ったか一目瞭然ですね。私、時々ここの温泉に出没しております。
風の強い日が多いです。ススキの穂が揺れながら、しかしそれでも踏ん張っているように見える。疾風に勁草を知る。無風状態では何も分からないけれど、強い風が吹けば本質が見える。強風、逆風も視点を変えれば、そんな発見に満ちております。人の強さ、弱さ、その表裏一体を大いに考える1週間でありました。こんな精神状態で藤沢周平さんあたりの歴史小説を読むと心に染みて参ります。秋(初冬)の夜長、全国の銘酒が揃う銚子のT酒店で購入した芋焼酎を飲みながら、机に向かうと、かつて見たり、聞いたり、感じたりした事が、歴史小説の舞台と勝手にダブって見えてくる。自分の勝手な想像ながら、イメージはどんどん膨らんで、また新たな活力が湧いて参ります。結局人間は、何かを演じながら日常を過ごす....。何処までが演技で、どこまでが本心か。上手く演じようと思ったところが、どこかでボロが出てくるけれど、それが故に人間なのよ。とどこかから声が聞こえて参ります。まあ、柄にも無い事ですが、これまた“秋(暦では初冬ですが)”という季節がそう思わせるんでしょう...。さて、北方水滸伝を全巻読破したのですが、数ヶ月経た後、いまだその余韻から醒めません。志を立て、中国全土から108人の“つわもの”が集って来ます。恐ろしく強い面々なのに、情け無いほど弱い一面を併せ持つ。強さと弱さの表裏一体。そのアンバランスの中に、人間臭さを感じます。故に感情移入が甚だしく、読み始めると止まらなくなる...。現代はむしろ人間性を排除して、パソコンだ、携帯だ、メールだと、人間臭い側面がややもすれば排除されかねないような時代なのかもしれません。大きく、広く、浅く、薄く....生きていた方が賢いのかも。ただその“反作用”が起きていることも事実。小さく、狭く、深く、濃く、...。写真は犬吠埼の崖に群生するススキ...。見渡せば・花も紅葉もなかりけり・浦のとまやの・秋の夕暮れ(藤原定家)。漁師小屋の海岸の風景を眺めると、そこには花も紅葉もないけれど、しみじみと秋を感じる...。ふとそんな詩が頭を過ぎります....。
昨日の子豚の写真、かなりの反響がありました....。本日は親子で。体毛は黒、4本の脚、鼻の頭、尻尾が白のいわゆる六白。家畜の分類上はバークシャー種。原産はイギリス。全国各地に黒豚は存在しますが、鹿児島で、サツマイモなどを食べ、飼育日数その他、厳しい制約をパスしたものだけが“かごしま黒豚”として流通しております。本当に厳しい基準。時にDNA鑑定まで。何故厳しくするかと言うと、それが“地域”のブランドだからであり、ブランドとは単なるモノを指すのではないからであります。生産者やそれらを繋ぐ人、その地域の人々の生き様そのもの。今でこそ鹿児島のブランドとして確固たる地位を築いておりますが、過去には何度も絶滅の危機に瀕したそうです。郷土の誇りを絶滅させてはならないと、地域の方々が幾多の困難にめげず、種を守り抜いてきたからこその今日であります。が、そんな事は殆ど顧みられる事は無く、黒豚=美味しい=人気がある=高く売れる...という連鎖。TVその他で煽られると、食べる方としては是非食べてみたい。という事になり、この販売機会を逃すまいと欲得だけが先立つと魔が差す....。かごしま黒豚の生産者に知人(黒豚生産の先駆者のような方々です)がおりますが、黒豚人気に少々閉口されているようでした。黒豚の価値を認めて頂ける事は本当に嬉しいけれど、黒豚と言うだけで値段が吊り上がって行くことは如何なもんだろうか....。黒豚はバークシャーの純血種。誇り高く、攻撃的。飼うのが難しい。体重が増えるのが遅く、他の豚より1ケ月以上長く飼わねばならない。ロースの芯は小さく、脂の乗りが多い。脂は純白で甘みがあり、くどさは全く無いけれど、一般的に脂身は嫌われる。鹿児島の方々は脂身と言わず、白身と言って、様々な郷土料理に応用されているんですが...。もともと鹿児島には黒豚しかおらず、一般の豚が入ってきたのは昭和30年代以降だと聞いたことがあります。ハイブリッドと呼ばれる一般の豚は雑種強制遺伝(親の能力の50%以上を子供が継承する)、3~5種類の良いとこを掛け合わせ飼いやすくなった。しかし郷土にもともといた種が絶滅の危機に瀕し、長年の苦難の末に、今、全国(世界にも)に冠たる一大ブランドとして地位を築いている。遡れば、もともとそこにいた豚なのに....。食を巡る問題点の特徴が象徴的に出ているような気がします。無論、黒豚は非常に美味しいですし、ブランドを守るための努力にも最大限の敬意を。と思っておりますが。
あら、この豚(の赤ちゃん)可愛い~、癒される~。と若い女性が叫んでいた隣で、何故か私はカメラのシャッターを押しておりました(本日の写真です)、癒される~、何言ってやがんだ。と思いながら、自分の行動も全く同じ。心のどこかから精神のSOS信号が出ていたのかもしれません。強がり言っても所詮は...。友人の忠告もあり、もっと素直な心を。と思う今日この頃であります。先日、光と影、表と裏なんて書いたばかりですが、時に強さと弱さは表裏一体。そう思うに至ります。気付かせてくれた友人には心から感謝、感謝です。このブログもそろそろ700回を迎えます。振り返るにその時々の写真や文章、自らの心の投影かと。貴重な記録であります。銚子生活3年目、大都会に17年間のアカが抜け、所属無き恐怖感が薄れて、自らの目標が鮮明になってきた反面、新しい太陽が昇ってくる直前なんでしょうか。夜明け前の暗さに自らの座標を見失う事があります。先に光は見えるのに、自分の周囲は暗闇で何も見えず...。ただ有り難いことに友人の声は聞こえる。弱みをズバッと指摘されると、不思議に強くなれる気がします....。さて写真の赤ちゃん。家畜分類上ではバークシャー種。俗に言う黒豚であります。赤ちゃんながら黒豚の特徴を表す“六白(ろっぱく:体毛は黒。鼻の頭、尻尾、4本の脚の6ケ所が白)”が見事に出ております。TVや新聞紙上を連日賑わせる偽装問題。高く売れるとか、どうせ分かりゃしねえよ...、という事なんでしょうが、偽って短期的に利益を出したとしてもいずれバレる、絶対バレる訳です。その前に良心の呵責に耐え切れなくなる....。偽装を起した経営者の言葉、売れ始めたら引くに引けなくなって....。強がり言ったところで、それは弱さの裏返し。弱いと認めることも強さだし、弱ってきた時に癒しの場があったら....。写真の赤ちゃん見て、ウソは言えません。また黒豚が辿ってきた道に想いを致すと絶対にウソは付けないはず(詳細は右にある、かごしま黒豚物語を)。何よりも、自分を偽装したらダメだな。自分をさらけ出せる場は大切だ...。本日は何故か、そんなことを強烈に思っております。
無用の心配をすることを杞憂(きゆう)と言います。中国・春秋戦国時代、杞(き)という国の人が、天が崩れてきたらどうしよう。身の置き場が無い、死んでしまう...、と夜も眠れなくなった。から転じて、無用の心配をする事。を指すようになったらしい。ちょうど写真のような風景でしょうか? さて杞憂、無用の心配はしないほうが気が楽であります。ただ、無用の心配をせざるを得ない状況にいる人がいます。会社の経営者、介護問題を抱えている人(これからそうなりそうな人)、相談する相手もおらず、悶々とした日々を過ごしている人、その他たくさん、たくさん。むしろ、無用の心配をしない人の方が少ないかもしれない。先日、ある企業の経営者の方にお話を拝聴させて頂く機会を得ました。社員には言えないけどね。と前置きした上で、会社の業績は順調なんだけど、実は夜眠れないんだよね。寝ようとすると心配事が頭を過ぎる。会社を潰し、社員が給料払えと鬼の形相で追い掛けて来る夢を見る....。取り越し苦労だ、何だと人は言うけれど、経営者としての責任を自覚したら、常に最悪の事態を想定するし、その時の覚悟を持たねば。そうおっしゃっておりました。身近に介護問題を抱える、或いはこれから抱えそうな方々、もう壮絶です。その時になったら俺がやるよ...と言っていた方々は逃げるんだよ。そんなもののようです。前出の経営者、だってそうだろ、経営と同じさ。常に最悪の事態を考えて覚悟をしていたら、口先だけで逃げるヤツなんかすぐ見抜ける....。あらゆる事態を想定し、無用の心配も、取り越し苦労もする。結果としてそれが杞憂に終わればいいんだよ....。そう考えた方が気楽だろ...。第一、普段から経営の事、介護のことなど準備して無いと、その時になって出来る訳ねえだろ...。やはり物事は色々な角度から見るべきもの。と改めて思った次第です。と同時に、常日頃からの準備や覚悟。そして、杞憂に終われば....という心の持ちようかと。
ブログ開設当初の2年前は“朝日”の写真が多かったように思います。慣れない魚市場の仕事の最中に垣間見た風景があまりにも綺麗だったこと。何か不思議と活力が湧いてくるような気がしました。また当時は、病床で伏せていた友人が、病院のベットから投稿や沢山のメールをくれておりました。毎日このブログを読むのが楽しみでね~。という言葉にほだされて、ならば元気が出るような風景を探してやろうと、あちらこちら歩き回っておりました。確かに朝日には、人を元気にするようなパワーがあるような気がします。じゃあ、夕陽は?反対に意気消沈か?と言えばそうでもなく、これまたパワーが漲ってくるように最近は感じております。朝日も夕陽も、地球上どこかの朝と夜のリレー。ここで夕陽を見ているという事は地球の反対側の方々は朝日を見ている訳で...。表があれば裏があり、光があれば影がある。表や光ばかりで世の中は成り立っている訳でなく、裏方や縁の下の力持ちもいる。光が強ければ影も濃く、山高ければ谷深し....。物事は決して一方向のみから見てはいけない。夕陽は一日の終りを告げるだけでなく、月を呼び、星を呼び、静寂を呼び、そして明日を呼ぶ...。夜明け前が最も暗く、そしてまた“まばゆい”ばかりの朝日が顔を出す....。と、柄にもない事を思いながら、夕陽を見るたびに明日の事を考えております。海からの夕陽も見事ですが、最近、田園風景、大地に沈む夕陽の雄大さに心を奪われております。因みに写真は日曜の日没前、香取市山田町周辺の風景であります。本日は更新が1時間半も遅れてしまいました。私はこれから寝ますが、すでに起きて、市場に向かった波君はじめ、早朝(深夜かも)に仕事をされている方々、何卒ご容赦を。
花筏さん11月の作品。今月も心の目でご鑑賞下さい。手抜き記事ではありません....。この作品が展示されている銚子駅近くのホテルS・Rさんですが、作品の搬入するのは午後7時過ぎ、そうするとロビーには背広姿の方々が非常に多い。ビジネスホテルなんで、仕事の方が...、という事なんですが。東京の商社、メーカーの方々、地元の水産会社の社長さん方、知人にもばったり会ったりします。夕方、お客様をご案内していた社長さん方を、早朝の銚子港で見付けます。昨晩は遅くまで商談?してたんだろうな?と思いながら、みなさん、一生懸命に情報収集やら新規商品開発を行っておられます。社長は仕事だとウソ言って、飲んでるだけだろ...、なんていう方々もおりますが、とんでもない思い違いでしょう。わざわざ時間とお金を掛けて銚子まで。まずはそれら方々に御礼を。出来れば銚子と言う町を良く知って頂きたいし、美味しいものを食べて頂きたい。商品を作る事は出来ても、売り先が無いのでみんな苦労してる。破滅的価格競争に意味が全くなかったことが分かりだして来た昨今、特徴商品、物語のある商品、顔の見える商品、しかも国産.....、という商品群に大きな注目が集っております。が、こういう商品群、想いが強ければ強いほど伝わらなくなる傾向が有ります。商品よりも、それらを作っている人、これから販売しようとしている人の“人としての琴線”に触れられるか否か?という根源的な問題に関わっているからです。分かり易くいうと、その特徴や物語が生産者と同じ目線で、最終的なお客様に届くか否か?良く、うちは中間流通を飛ばして産地と直接取引してるから云々。という事をおっしゃる方がおります。本当にそうなんでしょうか?という事であります。中間流通はモノやお金を繋ぐだけでなく、想いを繋ぐところ。特徴、物語、顔が見える....、こういう側面を最終的なお客様にお伝えするには、その想いを生産者と同じ目線で伝えてくれる代弁者が必要だ。そのためには商品だけでなく人やそれらが作られた環境などまで理解する必要が出てくる...。かつて行っていた仕事を、全く反対の視点から現在は見ている訳ですが、ああやはりあの12年間は重要だったと、改めて思っております。
市場で選別作業していたら写真の魚に遭遇。大きなウマズラですね~。と言ったら、お前はバカか、これはウスバハギだ....。というひとコマがありました。先日のヤガラと言い、3年も前浜で作業しているのに、いまだ見たこともない魚が揚がる。銚子港の懐の深さだと思います。年間を通じて500種類とも言われる銚子の魚。黒潮と親潮の交差点、しかも利根川最下流。複雑な潮の流れは、日本三大難所と呼ばれるほど危険極まりない反面、実に豊かな(質・量ともに)水産資源の宝庫。これを自分の目で再確認しているところです。東京の知人からアグロトレード(世界の食糧白書のようなもの)最新版を送って頂きました。これによると日本の人口は全世界の人口に対して2%足らずながら、全世界の水産貿易量の実に27%を占めている...。今後の世界的な資源争奪戦、人口爆発....、諸般の事情を鑑みると、改めて“グローカル”(地球規模で考え地域で行動=いずれ詳細を掲載します)の時代だなあ~。としみじみ思います。さてこのウスバハギ。食べたことはありませんが、なかなか美味しい魚のようですし、築地あたりには時々、まとまって入荷される事があるようです。ウチワなんて別名もあるようで、体長は最大で70㎝以上になることもあるそうです。大型=食べる部分が多い=肝臓も大きい...、という事で飲食店さん等では重宝されていると聞きました。カワハギと言ってウソでは無いようですが...。やはり本名で、ウスバハギの肝和え。こう表示しているお店は親切で信頼のおけるお店という事なのでしょう。食品表示に関する問題噴出の昨今でありますし。
銚子から成田線に乗って千葉方面に。一つ目が松岸駅、二つ目がこの椎柴(しいしば)・無人駅です。ちょっと見ないうちにご覧のように綺麗になってました。無人だからと言って恥じることは無く、この周辺、農村地帯、利根川河口の絶景地にも近く、訪れるたびに沢山の発見があります。野山の野草、雲の形、風の匂い...、自然を身近に感じながら。さて椎柴、地名の由来は定かではありませんが、自分なりに感じている事があります。ここからさらに千葉方面に30分くらい行くと、日向(ひゅうが)という地名があります。日向、そう宮崎の日向と同じです。日向夏の日向。その宮崎に椎葉(しいば)という地名があります。平家伝説はじめ、様々な伝説、伝承を残す歴史の街。大自然に恵まれ、大きな山懐に抱かれたような街であります。畜産担当時代にお世話になった方々が椎葉の出身。私の故郷・銚子にも椎柴という地名がありますよ。その先には日向も...。と言う話をさせて頂いたこと。良く覚えております。そして宮崎はじめ南九州と銚子を繋ぐ、数々の交流の足跡を見たり、聞いたり...。きっとどこかで繋がりがあるのだと思います。宮崎はじめ南九州の方々とは、今も変わらぬ交流があります。初対面の時、初めて会ったのに懐かしい。と感じました。前回お会いしたのは1年前。ながら、何故か遠くにいる気がしない....。自分は人様の事に構っていられる身分じゃないのに、皆さん元気かな?といつも気になる。これまた黒潮交流DNAの賜物でしょうか。東京時代は全国を駆け回ってました。九州の方々だけでなく、全国各地の皆様方、最近は銚子から出ることが殆ど無く、基盤作りに奔走。地域の皆さんのご協力で、何とか生きております。椎柴の無人駅を見ていたら、ふと昔の仲間の事を思い出しました。皆様方、ご壮健で。
写真はある日の夕焼け。銚子警察の下あたりから空を眺めてたら、こんな風景に遭遇しました。遠近感をなくし、空に吸い込まれそうな錯覚に陥るくらいの迫力。全体が丸みを帯びて見えました。電線が邪魔だな~。とか、思いながら、でも電気の無い生活は出来ないし...、地中化してしまえば...、そんな金あるのか....、と訳の分からない事を考えておりました。さて、先日NHK,その時歴史が動いた。を見ていたら、幕末の長州藩で結成された奇兵隊に付いての特集やってました。奇兵隊の生みの親、高杉晋作のカリスマ性ばかりがクローズアップされがちですが、今回は、立ち上がった一般庶民に光を当てた構成。大変興味深く拝見しました。草莽掘起(そうもうくっき)草莽(そうもう:名も無き一般庶民)、掘起(くっき:立ち上がること)晋作の師、吉田松陰の教えのようですが...。身分や肩書きに寄らず、志と力のあるもが参集し、国難に立ち向かえ...。外国艦隊に攻撃を受け、庶民が困窮する中、彼らを守るべき武士はただ逃げる。逃げる。逃げる。領民の生命、財産を守るのが武士。一朝事あらば命を賭して戦う。領民はその代わりに年貢を納める。年貢を税金と置き換えて、現代に当てはめると.....。海からは四カ国連合艦隊の砲撃、東からは長州征伐の大軍...、戦う前に降伏しようとする武士を尻目に、四面悉(ことごとく)敵の状況の中、これから長州男児の肝っ玉をご覧に入れる。と雪の功山寺(山口県のお寺)で決起した高杉に従ったのは奇兵隊はじめ、名も無き一般庶民の諸隊。この僅か70数騎がその後の維新を決定付けたと言い切る歴史家も多い。故郷が蹂躙(じゅうりん)される。何とかせねば...、その想いに突き動かされた一般庶民は、自らの数十倍の敵を前に一歩も怯まず、これを破る。最近、晋作や奇兵隊に関する書籍やTV特集などを良く見掛けます。私の気のせいかもしれません。ただ、そう思えるのは世相のせいでしょうか。