風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「哀愁的東京」vol.2

2012-03-02 | 読書
かつての夢はもの書きになることだった。
何もわからない高校時代は
詩でメシを食おうという大それたことを考えていた。
「日本で詩で食っているのは谷川俊太郎だけ。
 自分もそれに続く」・・・と。
何もわかっていないガキの頃の妄想(笑)

大学に入る頃は小説家になりたかった。
高校時代よりほんの少しは現実がわかってきた頃(^^;
童話を書こうと思ったこともある。
大学4年時TV局での仕事を経験した後は
文章よりビジュアルに優る映像の仕事を目指したが
残念ながら受け入れてはもらえなかった(笑)

田舎へ帰り、全く違う仕事についた後も
書くことに抵抗が無かったため、それを武器にしつつ
なお小説や童話の創作を諦めてはいなかった。
売れるものより人の心を動かすものを書きたかった。
きっとそれにはそれなりの評価(対価)がついてくるだろうと。
青かった(笑)

そのうちだんだん
「文章を書くことと創作は違う」ことに気づいた。
文章を書くことは技術、ストーリーテリングは創造力。
残念ながら自分にそういう力が無いことにようやく気づき
創作を諦めた時にはもう40歳近くになっていた。
(地方の小さな文学賞の最終選考で落ちたのが契機)
それでも30歳の頃に転職し、
文章やビジュアルに近い世界でこの20年以上を生きてきた。

今自分がやっていることは
文章書くことを生業としている人たちを使いながら
その文章に朱を入れつつもギャラを叩くこと。
そしてその人達が「書きたいこと」ではなく
こちらが「書かせたいこと」を無理矢理書かせていること。
何やってるんだろう。
あの頃の対極にある世界で今自分は生きている。
そんなジレンマを抱えつつも
結果を出さないと自分の給与すら出て来ない。
もう理想を語る歳ではなくなったことに気づき愕然とする。

いま自分は幸せなのだろう。
仕事があり、家族があり、友人達にも恵まれている。
しかしその生活はそうやって得たお金で築かれたもの。
そういう意味では
不安を感じるほど手放しの幸福ではないのかも知れない。
どんなに笑顔で過ごしても
心のどこかに澱のような疲れや哀しさを感じ
時々ひとりで煙まじりの溜め息をついたりしている。
この先にきっと理想に近い世界があるはずだと
いまだに漠然と信じながら。

「哀愁的東京」を読み、そんなことも改めて思った。
やりたかったことの近くで生きるってのは辛いことなのかも。
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「哀愁的東京」

2012-03-01 | 読書
ぶらぶら坂を下りつつ
地下鉄丸ノ内線の東高円寺の駅から5分ほど歩いた
環七にほど近い古びたアパートだった。
錆びた鉄の階段を昇りきったところが自分の部屋。
木でできた扉を開けるとすぐ右手に流しがあり
キッチンとは呼べない「台所」として3畳間があった。
流しの奥には「便所」。
もちろん和式で、
流す時には上のタンクからの鎖を引っ張る形。
3畳間の奥には横長の6畳間があった。
とはいえそこは古いアパート。
今のような4畳半に毛の生えたような狭苦しさはない。
左の壁に沿ってベッドを置いても、
その足元にビニール製のファンシーケースを置く余裕があった。
サッシですら無い木枠の窓を開けると
1mほど先に隣家の壁が立ちふさがっていた。
コタツ兼雀卓兼テーブルがあり、
右の壁に沿って物置と化した机とカラーボックス。
本類はカラーボックスをはみ出して
安物のカーペットを敷いた畳の上にも積まれていた。
・・・この部屋に学生時代の自分の思いが詰まっている。

数年前、この部屋の夢を見た。
解約を忘れていたことを思い出し
慌てて駆けつけてみたら
当時のままの部屋がひっそり化石のように残っていて、
戸口で呆然と立ちすくんでいた夢だった。
もちろん解約を忘れていたりという事実は無いが、
たぶん自分の懐旧のメタファーとしての部屋だったのだろう。



読んだ本すべてをココで紹介しているわけではない。
特に紹介したい本、ひとこと言いたい本をピックアップしている。
普通は半分以上を読んだあたりで
その本のことを書こうかという気になることが多いのだが、
この本については、もう最初の数ページで書く気になっていた。
というより書かなくちゃ・・・と。
登場人物の学生時代の部屋のシーンを読み、
つい自分の当時の部屋を思い出していた。

学生時代の部屋に残してきた当時の自分の思い。
郊外の遊園地で見せる、幼い女の子のとびきりの笑顔。
悪趣味ながら淫卑さで引きつける風営法改正前のラブホテル。
才能、魅力、熱さ、若さ・・・
それら失ったものへの回顧と哀愁。
回顧によって逆に気付かされる今の自分。
「あぁ遠くまで来てしまった」としばし陥る感慨。
それがこの本だ。
おまけに作者も主人公も自分とほぼ同世代ときたら
こりゃもう自分の思い出とオーバーラップするしかない。
そして思うのだ。
「今オレは何をしようとしているのか」と。

「哀愁的東京」重松清:著 角川文庫
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