風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「神」が必要

2008-05-09 | 風屋日記
手前の麦畑は数年前に田圃からの転作。
その向こうの麦畑は去年まで田圃、今年また田圃が減った。
日本における食料自給率はせいぜい4割であり
穀物相場の高騰や原油高による野菜の値上げにより
日本の食料が危機的状況にあると福田総理が言っている。
特に米は世界最大の輸出地方である東南アジアにおいて
囲い込むための輸出制限まで起きているのに、
それならなぜ減反を続ける?
写真の場所は麦畑に転作してあるからまだいいが、
荒れ地のままというところも少なくないのだ。

穀物相場高騰はバイオ燃料の原料となることを見越し、
浮沈の大きい株式相場に嫌気をさした市場が
先物相場に投資先を変えつつあるため。
原油ももちろん同じパターンだ。
市場に振り回され、様々なものの価格上昇に
市井の人々の生活が脅かされつつある中で
値上がり分確実に儲けている人達がいる。
「儲けた者だけが勝ち組」という
自由主義経済における単純なモノサシで計られている今、
その他の多数の人々の生活が犠牲になってきている。
資本主義は爛熟し過ぎたようだ。

日経新聞のリレー連載「私の履歴書」を
今担当しているのは歴史学者の谷川健一氏。
熊本の浜辺近くで育った氏は
かつて狩猟、漁撈をその場にいる人々が平等に分ける
その分け前をタマスと言ったと昨日書いていた。
神からの、自然からの賜り物は
働いたものもそうでない者も平等に分けるということ。
その理念が成り立つためには「神」の存在、
つまり倫理や哲学が必要だと書いている。
「神」「倫理」が存在しない平等主義は崩壊する、
その一番の好例がソ連の共産主義だとも。

人は「資本主義が共産主義に勝った」と言う。
しかし共産主義と同様、資本主義もすでにない。
あるのは金儲けだけに走る金主主義。
アダム・スミスの「神の見えざる手」は
底辺に「神」「倫理」があってこその理念だったが、
それももはやこの世には存在していない。
戦争、紛争の原因すら「金儲け」となっている世界。
経済にも、政治にも、そして教育にも今本当に必要なのは
収穫に感謝し、自然をいただくという
「神への感謝」や「倫理」じゃないのか。
コメント (2)
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