風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

世界遺産

2008-05-12 | 風屋日記
先日、平泉中尊寺の歴史や思想などの第一人者
佐々木邦世中尊寺仏教文化研究所長のお話を伺う機会があった。
中尊寺寺院群を含む平泉の町は今夏の世界遺産登録を待っているところだ。

邦世氏曰く
「通常の場合、世界遺産は遺跡の貴重さや景観が評価されるので、
 指定に当たっては『あれを動かせ』『これを置いてはダメ』という
 いろいろと厳しい制約がある。
 平泉の町や中尊寺を世界遺産として登録することについて、
 はじめは『当時の町が残っていないから難しい』と言われてきた。
 しかし私たちの主張が昨年来、ようやく理解してもらいつつある」
とのこと。
要は景観や風景を世界遺産として残したいわけではないというのだ。
何しろ現代の平泉の町は、かつて京都と同じ規模の町を有し、
藤原三代の統治の元で栄華を誇った平泉の国の遺跡の上にある。
中尊寺や金色堂、毛通寺は当時のまま残っているにしても
確かに町の景観そのものは特別なものではない。
「金箔で覆われた金色堂を世界遺産にするつもりもない。
 何せタイやミャンマーあたりに行けば金だらけ。
 金でできた建物を残せなんてことは言えないし、言いたくない」
それでは何をもって平泉の町や中尊寺を世界遺産にするというのか。

「恐らく今回の世界遺産登録は『思想』を登録する初めての例になる。
 源義家を大将とする朝廷軍との戦いであった前九年の役、
 周囲の国々から独立を果たした後三年の役のあと、
 勝った藤原清衡は、自らの力を鼓舞し、ひけらかすのではなく、
 犠牲となった敵、味方の魂を鎮めるためにたくさんの寺を立てた。
 その上で『ここに浄土を作る』と町を作った。
 『浄土』とは諍いのない、争いのない、戦いのない国。
 救いを求めてじっと祈りを捧げる仏教の教えだ。
 (だからダライ・ラマも争いを好まないということを私たちは知っている。
  なかなかそれは中国政府に理解してもらえないようだが)
 私たちは平泉や中尊寺などの『形』を世界遺産に登録したいのではなく
 それらに込められた『浄土』の思想を登録したいのだ。
 今この世の中だからこそ」

世界遺産に登録するのが妥当かどうか、
現地へ調査に来たのはインド出身の担当者だったらしい。
佐々木所長の「浄土(Pure Land)」の思想をよく理解してくれ、
その上で宿題をもらったのだという。
「『あなたたちはアジア出身の私以外の、例えばキリスト教徒にも
  浄土について説明できますか? それが大事なポイントです』
 と彼から宿題をもらいました。
 今、私たちはその宿題に全力で取り組んでいるところです。
 平泉や中尊寺のため、岩手県の観光のためではなく、
 現代の世界平和のために」

ここ数年、県内で話題になっていた世界遺産登録について
実は少々他人事と思っていた私だが、
何もできないけど心の底から応援する気に今なっている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする