吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

あなたは、ユビキタス(監視管理)社会を希望しますか?

2008年02月05日 | Weblog
 管理社会化と情報社会化は、一緒になって進展するようだ。ITや情報化に遅れまいと企業も役所も、そして一人ひとりの市民消費者も情報感性を高め、情報リテラシーを高めようとしている。”情報”とは、そんなに利便なものなのか?

 個人個人や集団でも、対象相手を知りたい、理解したいと思えば、相手の姿や現況や経歴(沿革)および希望することを知りたくなる。そうしなければ一人ひとりにフィットする施策やモノを考えることが出来ない。顧客満足(度)や市民満足を高めるためと、対象相手を丸裸にする。失敬この上ない。秘匿することや自分だけにしか分からないことがあって、自分の世界が作れたり守れたりして”自由”があるのではないか。

 人々の安全や安心を担保することやお店や商店街の犯罪を防ぐことは、いつもどこでも錦の御旗だ。銀行やコンビニやビルおよび街のいたる所に監視カメラがある。人に内緒に行こうと思ったり、ここを歩いていることは誰にも知られたくないと思っても、四六時中監視されている。窮屈で気味の悪いイヤな世の中だと思わないのだろうか。安全安心は、監視やひとを裸にしなければ得られないのだろうか。

 IT化や情報化が進む一方で、個人や情報の保護や情報の信頼性や正確性を保障することが求められる。インフォメーション・ネットワークや情報(文書)管理システムなどの整備が情報信頼性の担保だということで、日本版SOX法がこの4月に適用される。東証などへのIR,財務報告などの正確性や信頼性を高めることは、投資家や消費者を守り、社会的信用性を高める最低限のことだという。

 企業も個人も、世の中や市場から四六時中監視される社会になることがユビキタス社会化のような気がして”イヤ”なのだ。自分の日々の行動や仕草や考えや思いなどが常時監視され、開示されるのだ。自由や秘匿が制約されるのがユビキタスなら、とにかく便利だというユビキタス社会でも歓迎する気にはなれない。

 なんでも”トコトン知ろう”などという知識欲も、野次馬や岡目的な人や対象をただ”裸にする”興味が体制や権力側に見えたときなど、本当にイヤな世の中だ。
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