吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

雑誌の休刊、廃刊が示す情報社会の情報媒体

2008年09月13日 | Weblog
 世は、情報時代。日々の関心情報は、インターネットで簡単検索。音楽や好きな落語などもケイタイにダウンロード。通勤電車の乗降時に手にするフリーマガジン。マンションのポストには、DMやチラシなどに混じってポストインのフリーペーパー。朝晩の新聞やテレビなどに加えてこれだけの情報メディアに接している。どのような情報をインプットし、どのような情報を取捨するかなどの基準を考えている暇もない。本能的に取捨が出来ているのだ。その本能的基準がそんなに間違っていないと思えるから不思議だ。

 いま、月刊誌の休刊、廃刊が相次いでいるという(朝日新聞、2008.9.13.文化欄)。明らかな時代錯誤もの、難解もの、ミーハーもの、ターゲットやコンセプトが不確かなものなど、「本」そのものの企画理念やデザインに問題があったようなものが大半だが、休刊、廃刊せざるを得なくなった理由は、ビジネス採算がとれなくなったことだ。広告メディアが多様化したり、広告費全体が伸び悩んだりして、雑誌の広告収入が減ったことや売り上げ部数そのものが採算目標に届かなくなったことが、直接の理由だ。

 情報化の速度が速く、人々のライフスタイルの変化が大きく、月刊誌や週刊誌のあり方やビジネスモデルが大きく変わってきていることに対応できなくなったことが大きな理由なのだ。人口(数)が減り、競合する雑誌が増え、ターゲット・セグメントする市場の単位が年々小さくなっていることに加え、人々のライフスタイルや情報に対する態度が変化していることについて行けなくなったことが原因なのだ。

 雑誌社や企業側が、知らないうちに醸成、成長している人々の媒体リテラシーや女性や若者の情報識別力を察知できなかったのだ。情報端末の多様化、増えつづけるインターネットやウェブマガジン情報、雑誌や本の買い方や触れ方の変化などを出版社自身がよく認識していなかったのだ。闇雲にすき間すき間をネライ、考えたつもりで雑誌づくりをつづけてきた反動なのだ。

 月刊誌のつぎは、週刊誌の休刊や廃刊になるのだろうが、雑誌出版社はもっと人々の生活や価値基準に耳を研ぎ澄ましてほしい。ただ、そのときそのときの思いつきや話題性ネライでライフスタイルやファッションなどを虚飾せず、人々の価値基準の動きを調査分析し、品質の高い記事を伝えてほしい。レジャーや娯楽や趣味や生活にクォリティを注ぎ込んでほしい。
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