吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

小は小を。大を思いつづけた日本の不幸。

2008年09月01日 | Weblog
 古くは第二次世界大戦。実際小さな国の日本は、”大”を求め太平洋戦争に突入した。大きな国、欧米やロシア(ソ連)の前に敗戦した日本でしたが、やはり"大”を求める姿がつづいた。工業立国を目指し、大きいことはいいことだと大を求め、産業発展と経済発展に邁進した。

 一時は世界第2位のGDPになるまでに経済大国化した。企業は身の丈を超える融資を受け工場や自社ビル建設に設備投資をし、国は高速道や公共インフラの建設に邁進し、国の組織を肥大化させ、多額の国債を発行しつづけた。

 国際比較的にみても、世界の国の中では突出した債務超過国になった日本。昭和が終わる頃の昭和62~3年約150兆円だった国債発行残高(年度末)はこの20年で3倍に膨れ上がり、550兆円になっている。国債を含めた国の借金は、850兆円から900兆円にも上るという。

 このお金、誰から借入(国債の購入者)しているのかをみると、この国の危うさや不確かや情況がわかる。海外も含む金融機関35~40%、国関係の機関や運用先が約60%なのだ。自分(国)が自分(国)から借金しているのだが、その自分は大きな債務超過国なのだ。

 国の歳入歳出や収支のバランスやプライマリーバランスなどと呑気なことを言っている場合ではない。平成徳政令でも出して、世界の他の国々に実情を話し、伏して謝罪し、ご協力を要請するのが順当なところだが、ここまでバーチャルな"大”をイメージさせては、それも叶わぬところだろう。

 国の姿を変えなければならない。大の代表アメリカやロシア、それに中国やインドなどの国の面積(国土)や膨大な人口に比べれば、僅少な日本なのは自明のこと。小さな国の日本は、自らの”小”を自覚し、小の特徴や小の質を考えた国づくりに、国の舵取り方向を変えることが必要なのではないか。

 小さな私のいまの悩みです。政治家や官僚の皆さんにご検討をお願いしたい。
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