吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

”こわすこと”が目的化する改革。

2007年08月19日 | Weblog
 小泉前首相の執念で実った郵政改革が、この10月1日民営化スタートする。”いままでと同じだから安心して・・・”とテレビCMが予告する。窓口会社、配送(郵便事業)会社、ゆうちょ会社、かんぽ会社などに分割、民営化されるのだが、日本郵政株式会社という(政府系)持ち株会社が(郵政)グループ全体の経営を担当する。いままでと異なる体制に”改革”して、いままでと同じと告知広告する。こうすることが、”壊して再生する”改革なのだと再認識した。

 民営化したからといって郵貯や簡保などの商品が変わるわけでもなく、普通封書郵便が80円から70円になるわけでもない。クロネコヤマトの80円メール便が変わるわけでもない。何がどう変わって、どう効率化され、どのような利便が高まるのか分からない。国家公務員が民間(契約)社員になることで、国の財政負担や債務の低減にどのように貢献するのか分からない。

 国鉄が民営化(JR)されたり、専売公社が日本たばこ産業(JT)になって、鉄道運賃がどの程度安くなったり、タバコがどの程度安くなったのか知らない。むしろ、高くなったような実感なのだ。インターネットやケイタイ電話などでわかるように近年の通信ネットワーク革新社会化もあって電信電話公社がNTTとして民間化したことの貢献は理解しても、住宅公団や道路公団などの解体がどのように国の財政再建や住宅道路などの安全安定に貢献したのかわからない。

 国立大学や国立病院の独立法人化なども含め”民営化”という改革の多くが、制度や体制の改革そのものが政治的に目的化してしまうことを知っている。それが、財政再建のためだったのか、所得再分配のためだったのか、あるいは政治体制再編のためだったのかを忘れたり、確認できなくなっても、改革そのものが目的化して改革は行われるのだ。

 つねに自由資本主義や自由競争が、社会的な公正を達成する原理でもないと思うのだが、社会主義諸国にも採用せれた市場原理はいまやグローバルスタンダードなのだ。汗しない人や知恵を働かせない人が”貧しく”あることは仕方なく、知恵を働かせたり、汗したりする人に相対して”公正”だという。疑問に思っている。民営化や自由競争化だけが、社会的公平確保の錦の御旗ではないということを考えてほしい。真剣に公務員の数を減らしたり、議員の数をへらしたり、使う税金の額(歳出)を減らすことを考え、立法化してほしい。

 国や政治が、”生まれた地域や暮らす地域および家や帰属集団がもたらす”格差の解消と社会的公正の確保のために予算を効率的に使うことは、どなたも反対しないと思います。
コメント (1)
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