吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

わたしのイニシャルは、KY-(空気が読めない人)。

2007年08月26日 | Weblog
 世の中を読もう、変化を読もうと努めて40年の私のイニシャルは、KY。若い人たちのケイタイ用語辞典では、”空気が読めない”ということになる。残念!。

 世界的にケイタイ文化のいま。とくに日本の若者たちは、ケイタイが必需品のライフスタイルだ。自分たちの”いまの世界”をつくるケイタイ。ひと昔前の”丸文字文化”の延長文化のようなコード(綱領)世界だ。

 ケイタイの機器や内臓するソフトを供給販売しているメーカーや事業者は、顔文字や絵文字などをやたら作り、発信し、スタンダード化し、携帯ユーザー・シェアを高めようと企てるが、若者や少年少女たちを追いかけるので精一杯だ。いまは、高校や中学の”女の子”が創るコミュニケーション文化だが、現実は小学生の女の子がオリジンだ。

 KYは”仲間”符号。大人世界をまねて育つ少女や少年たちが、自分たちの世界や自分たちの帰属社会を色づけする見えない標識だ。大人の村八分と同じく、子供たちの”いじめ世界”を作っている。

 小学校や中学校なども含め、学校や部活の部屋は表面タテマエの社会だ。タテマエ社会での暮らし方をよく心得ている子供たちの世界だから、ケイタイ・メールでのコミュニケーション文化が効果するのだ。タテマエ社会では、できるだけ仲間や関係を”知られないよう”にする。自分や自分たちの仲間や関係は、ケイタイ・メールでつくり、ケイタイ・メールでコミュニケーションするのだ。自分たちの個人情報保護法が発効しているのだ。先生や親あるいは親世代が”入れない”世界が、子供たちのケイタイやメール世界なのだ。

 実際、同世代や仲間グループにしか通じないPマーク・コード(綱領)や文字世界のケイタイメールは、親や先生たちの視野外の世界なのだ。大人からプレゼントされた便利で、必需で、ポケッタブルなケイタイが、子供たちをして親や先生およびKYな人たちを線引きするツールになっているのだ。

 無理に入ろう、解ろうとすると余計KYコードに引っかかる。大人たちがどのように育児や教育に関与し、先生や社会と連携し、教育や子供たちの成長の成果を上げるかは、自分たちが与えた文化や生活ツールを見直したり、検証したり、反省したりするところからスタートすることが肝要だ。KYな人の一人言。
コメント
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