吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「都会や近代化」の環境保全改善にしか目が向いていない環境省(行政)。

2007年08月29日 | Weblog
 東京都内や周りの幹線道路あたりの排気ガスや空気の汚染は、ひどい。北京や台北などがどうのと言っていられない。だからかもしれないが、地球環境問題などを所管する環境省や大臣は、いつも”都会出身”の代議士か”田舎知らず”の方だ。

 エコやリサイクル、排気ガス汚染、都会のヒートアイランド現象、Co2排出による地球温暖化問題など、確かに現代都会化がもたらす環境問題だ。昔の木造建築が鉄筋コンクリートのビルになり、土や砂利の道路がコンクリート、アスファルトの道路になり、平地や中山間地が大型開発で住宅団地や工場団地などになり、農山村の”緑”の面積シェアを減らし、プラスチックや鉄筋コンクリートの建造物やアスファルトで覆う面積シェアを増やしてきた。自然や地球環境の汚染や破壊の主な原因が”緑の破壊減少”にあることは、誰の目にも明らかなのだ。

 緑を守るということは、地球やわれわれの住環境を守ることに直接関与する。何も”緑”の担当は農水省と決めているわけではないでしょうに、環境省はどうもプラスチックやコンクリートや再生紙や白物家電のように”緑より白もの”指向のようだ。リサイクルや古紙(再生紙)使用率を高めようとすることに異存はないが、古紙に”間伐材”を入れること(規格)に反対する環境省だ。地方山林家や林野庁からの要請に”古紙(廃材)でないから”反対だという。何という狭い料簡なのだ。森林や緑の田畑があって、都会の水や洪水災害が守られているというのに、その”緑”の保全を考えようとも、支援しようともしないのだ。

 "緑や林業”を維持しようとするのは大変なことだ。一本の杉や檜が成木になるには50年から100年かかる。親子孫二代三代がかりで、成木になったからといってもビジネスになることは稀だ。その間の植え木、下刈り、間伐、枝切りなどは、ただ山や樹木を育てる”守り”のようなものだ。莫大な費用(労賃)ばかり掛かり、これを回収したりできないのだ。農業もそうだが、林業などを指向する若者がいなくなるのは当然なのだ。

 自然や樹木をまもるため”割り箸を使うな”といったり、間伐材を古紙に入れるなという環境省の方々や政府は、この間伐材を”せめて間伐に携わる人の労賃”ぐらい回収できる処方を政策化してあげてほしい。下刈りや間伐ができなくなって雑草雑木の原野化した山面積が年々増えているのは、耕しや耕作する人がいなくなり雑草が蔦やブッシュ化した田畑同様、自然を壊す緑の野放しをしているのだ。山を守り、田畑を守っている人たちへの感謝を彼らの収入にして示してほしい。
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