吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

鈍感な人に「鈍感力」をすすめる鈍感な人ー小泉前首相。

2007年08月06日 | Weblog
 支持率(低下)なんて気にするなと鈍感力をすすめる小泉前首相、笑顔が消えつつある安倍総理に他人事のようなアドバイス。だからか分かりませんが、与野党を大逆転させる今回の参院選の結果を知っても”基本的な政策方向を否定されたわけではない”と(自己的な鈍感な理解をして)続投するという。別に安倍首相を拒絶するわけではないが、このような”鈍感力”は高めてほしくないのです。

 複雑性を高める現代ストレス社会を生き抜いたり、このような社会で人生を成功に導くためにはある種の鈍感力が必要になるという処方箋を渡辺淳一さんが「鈍感力」(集英社)という単行本にした。ストレスにナーバス傾向を高める社会や格差社会にあって、人々の共感を得てベストセラーになった。これで気を許したのか、小泉前首相や森元首相たちは、安倍首相に”他人やマスコミや世の中のいうこと”をいちいち気にするなとアドバイスしている。

 何という驕りだ、何という鈍感さだ。そして、政府与党自民党は大敗した。大衆や民意の敏感さや感性に負けた自民党や安倍政権が、あまりに世の中や国民の声から遠ざかっていた結果なのだ。政府や政治にかかわる者は、いつの時代にあっても世の中の動きや一般大衆の暮らしや希望に敏感でなければならない。ささいなコトや兆しを見聞きし、社会の人々の不満や期待を感知する感覚を持たねばならない。鈍感であろうとしたり、鈍感力を高めようとしたりする人たちに政府や政治をお願いすることはできないのです。

 そのような審判をした今回(2007年7月29日)の参院選は、長年の政治政府と与党体制の傲慢さや自分本位の横柄な姿勢に対する一徹。いつも自分たち中心だから、自分たちのすること(行政)や自分たちの考えること(立法)は、つねによりよい社会や国民を思ってのことなのだと決めているのだ。多くの一般大衆や人々の願いや心を調査したり、聴取したり、野党や門外漢の人々の意見を聞いたりしてはいない。彼らは”何でも反対するのだから”と自分や自分たちだけを正当化するのだ。

 鈍感力とは、周りが見えなくなったり、周りを無視する力ともいえる。利己的で、自己(防衛)的で世の中のコトや普通の人々のコトや声を考えていないのだ。考えていないのに”考えている”といったり、考えていると思い込んだりしているのだから始末がわるい。武蔵野にいて住民に反対されても赤白ストライブの周りの住宅とは不ぞろいな自宅を建設する感性ゆたかな漫画家さんと同じだ。松岡農相の自殺を鈍感力がなかったからだなどという人々こそ鈍感なのだ。

 政治家とくに一国を預かる首相や政府の方々には、決して鈍感力など高めてほしくないのです。リーダーシップは、他人の意見を聞くなということではないということなど十分認識されているとは思いますが、取材記者の質問にカメラ目線で答える安倍首相にその心配を感じています。自分たちにはささいなことでも、別世界のようなことでも、時にはイヤなことにでも、耳を傾けてください。どうして、そのような政策をとろうとするのか、分かりやすく説明してください。教えてください。安倍首相、くれぐれもお身体を大事にして国政に汗してください。
コメント (1)
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