因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

鵺的 第15回公演 『バロック』[再演]

2022-06-13 | 舞台
*高木登作 寺十吾(tsumazuki no ishi)演出 公式サイトはこちら ザ・スズナリ 19日まで 過去記事→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21α,22
 一族のほとんどが近親相関関係にあり、そこから逃れるには互いに殺し合うしかない血と骨の壮絶憎悪劇『悪魔を汚せ』(初演再演)は、鵺的の傑作である。ここまで来るともう天晴、爽快ですらあるという稀有な観劇体験であった。『バロック』はその後日譚だが、登場人物の名前や関係性は少しずつ変えてあり、『悪魔を汚せ』体験がなくとも十分に楽しめる。

 いや「楽しめる」といっても、一般的なコメディや人情喜劇とは異なる劇世界なので、もしかすると「楽しめる」と言ってしまう自分は、もはや感覚のどこかが変容しているのかもしれない。

 かつて姉は一族を抹殺せんと家に火を放った。生き残った妹は同じ場所に家を再建し、婿を迎えて4人の子をもうけ、さらに誰かに置き去りにされた子まで育て上げた。今は重い病で死を待つ身となり、解体が決まった館へ家族を呼び寄せる。すると次々に不気味な現象が起こり、家族は混乱に陥る。

 そもそもが血に呪われた一族に加え、「家」という建造物までもが命を持って彼らを翻弄するというオカルト風の物語だが、一方で淋しい子どもたちの逃げ場でもあり、最後には微かな再生の希望も感じさせる。

 このたびも圧巻は福永マリカであった。妹を支配する姉と、妹の息子が恋人だと連れてくる女性の二役を演じるのだが、その振り幅の凄まじいこと。本作は人物の顔がほとんど見えないほど暗いため、俳優の表情の変化がわかりにくい。とすると、声の表現がより重要になる。姉役のときは激しく狂おしく、家を愛撫するような異様な動作も相まって火花が散るようだ。それに対して後半に登場する恋人役のときの台詞の自然なこと。椅子に座ろうとして「バネが出ている」と飛びのくところ、運命の人だと喜んでいた恋人の一族が尋常でないこと、恋人がそれまで見たことのない挙動を見せたことに驚いて、「別れます」と迷わず言うところなど、「彼女はまともだ」と確信できる好ましさだ。

 終幕はまた姉として登場し、妹の笹野鈴々音と激しく応酬する。もしこれが大竹しのぶなら食傷しただろうが、福永は「もっとやれ、もっと!」をぞくぞくするから不思議である。姉は非日常空間の存在であり、恋人はその歪な空間に日常のままやってくる。振り幅の大きさや演技力を見せるにはもってこいの配役は、ともすれば演りすぎの嫌味になる可能性もある。そこを軽やかに超え、技巧を前面に出さないのが福永マリカという俳優の貴重な芸質であると思う。『悪魔を汚せ』の劇薬、危険物的な人物だけでなく、『夜会行』のように、日常を細やかに描いた舞台いずれも魅力的である。

 本作の初演は2020年3月上旬であった。新型コロナウィルスについてはまだ不明なところが多く手探り状態で、こわごわとした心持であったことを思い出す。ある意味で2022年6月の今より不安であり、しかしもっと楽観的であった。このあと感染は拡大し、演劇公演は雪崩を打つように延期、中止が相次ぐことになる。今やコロナ禍が日常となり、少々のことでは希望を抱かなくなった。さらにロシアによるウクライナ侵攻である。2年前よりある意味で図太く鈍感になると同時に、矛盾するようだが心身は確実に脆くなった。

 そんな自分の心身に、再演の『バロック』は初演より迫力を増したところ、微妙な色合いが混じったところ、怯えつつどうしても笑ってしまうところ(家と交信できる心性を持つ解体業者が、姉役の福永マリカに「盛り上がっているところすみませんが」とやってくる場面。白坂英晃の平熱の演技も好ましい)など、重苦しさと旨みを心地よく与えてくれた。子どもたちは再び館に火を放つ。どうにか生き抜いてほしいのだが、この館には死んでも死なない死人たちがいよいよ活力を得ており、また違う設定で会えそうな予感がするのである。
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