改めまして因幡屋通信69号をこのblogにて公開いたします。メイン劇評「心のシェアハウス」(鵺的公演『夜会行』より)と5月から8月の観劇のなかから、心に残った舞台を短く記しました。どうかよろしくお願いいたします。
パンデミック収束の出口が見えないまま、オリンピックの報道が賑々しく押し寄せたこの夏。しばしば心身が「もたない」感覚に陥りました。救いは、多くの困難を抱えながら上演された舞台との出会いです。ささやかな観劇の記録を、どうか最後までお楽しみくださいませ。
心のシェアハウス
鵺的 第14回公演
サンモールスタジオ提携公演
高木登(鵺的)作
寺十吾(tsumazuki no ishi)演出『夜会行』
7月1日~7日 サンモールスタジオ
ある夏の夜、マンションの一室が舞台である。この部屋に住む笑里(福永マリカ)の誕生パーティを前に、同居しているみどり(笠島智)がもてなしの準備をするなか、友人たちが訪れる。知的で落ち着いた風情だが、どことなく影がある遼子(奥野亮子/鵺的)がいちばん乗り。来る早々「誕生日おめでとう!」と威勢よくプレゼントを投げてよこす愛(ハマカワフミエ)は、新しい恋人の理子(青山祥子/贅沢貧乏)を紹介するという。彼女たちの恋愛対象が女性であり、お互いの仕事や過去についてもよく知る間柄で、単なる女友だちとは少し色合いの違う交わりであることがさりげなく示される幕開きだ。
劇作家の高木登と演出の寺十吾による鵺的の公演は、『昆虫系【改訂版】』(2011年)、『悪魔を汚せ』(2016年初演、2019年再演)、『奇想の前提』(2017年)、『バロック』(2020年)に次いで五作目となる。
いずれもまことに激烈な内容と描写で、特に『悪魔を汚せ』は、登場人物のほとんどが近親相姦による血と骨の呪縛の物語であった。もはや筆者は爽快感を覚えるほど鵺的の劇世界に浸っているためか、もしかすると、このパーティに集う女性たち全員が何らかの血縁関係にあったり、初お目見得の理子が、実は以前メンバーの誰かの恋人だったりなどの妄想にかられ、修羅場への期待と怖れの入り混じる観劇となった。
本作には「躓き」が2つある。まずは異性愛と同性愛のあいだをさまよう相手との恋愛で、いわゆるバイセクシュアルとは違うらしい。女性の恋人が自分と別れ、男性のもとに去るのは耐えがたい裏切り行為であり、単なる失恋よりも甚く傷つくというのである。
愛はこうした体験を重ねた過去があり、遼子が纏う影も、前の恋人の心変わりによるものらしい。理子は、つい3か月前まで男性と同棲していた上、その彼との子を身籠っている。遼子は愛への友情ゆえに理子への不信感をあらわにし、愛は「おまえを裏切ったあの子とはちがう人」と恋人をかばう。
つぎの「躓き」は、別れた理子へ執拗に電話をかけてくる元彼である。無視していた理子が女性たちに促されて彼と話すが、スピーカーにしたスマホから放たれるのは、女性を支配の対象としてしか捉えない男の罵詈雑言であった(声の出演/橋本恵一郎)。
わからなくなるのはここからだ。理子の新しい恋人が女性と知ってさぞ激高と思いきや、彼の態度は急変する。男なら許せないが、女なら構わない。子どもを認知し、サポートもする。自分は同性愛に理解があるからと。
同性愛から異性愛に戻ることが裏切り行為なら、その逆をされた者はどう感じるのかと身を乗り出したが、彼は傷つくどころか喜んでいる。新しい相手が自分より社会的地位や収入が上の男ではなく、男より価値の低い女だという優越感なのか。恋人の心変わりに彼女たちが傷つくこと、反対に傷つかない元彼の振舞い。いずれもこれまで観たセクシャルマイノリティを扱った作品にはなかった展開で、すんなりとは理解しづらい。
しかしこの2つの躓きは、舞台ぜんたいを味わう妨げにはならなかった。それは、恋愛が始まったばかりの愛と理子を縦軸に、同棲して3年が経ち、いささか危うい笑里とみどりを横軸とした物語の構成の妙であり、とくに後者の俳優の造形にあると思われる。
笑里は絵を描くことが好きだが職業とまでは言えず、料理人のみどりに養われている。無職無収入の引け目があるのか、何かとひねくれた態度をとり、別れ話も出ているらしい。
ここでひときわ期待(心配でもある)したのが、その笑里役の福永マリカであった。前述の『悪魔を汚せ』で福永が演じた役は、作家と演出家から俳優への挑戦状と言ってもよいほど過激なものであった。相手の心を容赦なく抉り、完膚なきまでに打ちのめす。この劇薬のごとき人物を、福永は一歩も引かず、天晴に演じ切った。この若さでこれほどの役を得たのは俳優として幸福と言えるのかどうか。しかし破滅的人格と見せて決して狂人ではなく、数々の蛮行は「生きたい」という焦がれるような望みの表れであることが、最後にわかる人物であった。
その福永は、らまのだ公演『青いプロペラ』(南出謙吾作 森田あや演出 2018年11月 シアタートラム ネクスト・ジェネレーションvol.11)において、大型店に押される地方のスーパーの若手従業員役をつとめた。上役や年配者へも物怖じせず意見を述べるが、かといって才気走ることなく相手の立場を察し、気持ちを尊重する。若いながら、なかなか出来た人物を自然に演じて違和感がなく、気持ちの良い造形であった。
今回福永が演じる笑里は少なくとも『悪魔を汚せ』型ではなく、といって『青いプロペラ』型とも違う。笑里はそもそも台詞が少なく、たまに口を開けば憎まれ口で、みどりにたしなめられる。その上、多くの場面で客席に背を向けているために表情が見えない。しかし仲間たちの会話にうまく乗れない、入れない、自分の存在が浮いているという痛々しい自意識がうしろ姿から透けて見えるのである。福永は「沈黙する背中」によって、笑里が仲間たちのことばをどのように受け止め、どんな思いが沸き起こっているのかを観客に想像させる。たくさんの台詞を話すよりも地味で難しい演技であり、それだけに新鮮であった。その笑里と淡々と向き合うみどり役の笠島の造形も好ましい。迷いのなかにある恋人をまるごと受け止めた上で、柔らかく返す。
エキセントリックな人物が多い鵺的の作品では珍しいといえよう。
愛と理子が導火線として物語に火をつけ、元彼がその火に注がれる油であるとすれば、笑里とみどりは舞台の危険地帯と客席のあいだに横たわる水路の役割を果たしているのである。
終盤、愛は理子の元彼に会おうと持ちかけ、部屋を出ていく。相手を殴り殺す勢いだ。理子もそのあとを追い、「要は見張れってことね」と遼子が続く。
理子には霊感らしきものがあり、仕事に疲れた愛が彼女を恋しく思っていたら部屋の前で待っていたり、初対面の笑里に、彼女が欲しいと思っていた高級クレヨンを贈ったりする。その理子へ「わたしはどんなときのあなたも好き」と、気恥ずかしくなるほどの純情を捧げる愛と、すべて勘違いしている元彼が相対する場に、どんなタイミングで現れるのか。遼子は愛よりも過激な行動をしかねないが、元彼は意外にしたたかだ。逆襲されたり肩透かしだったり、いずれにしても、スカッとする活劇にはなりそうもない。
セクシャルマイノリティを取り上げた演劇や映像を鑑賞するとき、この十数年のあいだに出会った作品から得た知識や情報などを参考に、頭から入る場合が少なくない。だがこの舞台から得たのは、知識や情報を基に理解や納得へたどり着くことではなく、自分の心のなかに彼女たちを迎え入れる場所が生まれたという実感であった。
自分の心のなかのひとところ、いわば「シェアハウス」であろうか。理解には至らないかもしれないが、少なくとも互いに干渉せず、存在を認め合うことができる場所だ。
部屋を出て行った3人が、元彼をどうするのか。そして部屋に残った2人の関係だけでなく、現在恋人の居ない遼子のことも気がかりだ。物語前半、笑里とみどりの危うさを感じ取った遼子が、さりげなく笑里を誘う。みどりよりも早く笑里と知り合っていたと匂わせる台詞もあり、むしろこちらのほうが劇的展開になりそうである。
しかし敢えてそのような期待は抑え、彼女たちの、この一夜の物語を大切にしたい。
『夜会行』は近親相姦の修羅場でも、愛憎の地獄絵図でもなかった。75分の上演時間を超えて、その何倍もの深く豊かな劇世界を観客にもたらす。パンデミックさなかの2021年夏、5人の女性たちの一夜がもたらした手ごたえは、不要不急と退けられた演劇のひそやかな力を確信させたのである。
【春から夏のトピック】
~心に残った舞台覚書~
☆5月☆
*劇団唐組 第67回公演 唐十郎作 久保井研+唐十郎演出
『ビニールの城』新宿/花園神社
2年ぶりにお目見得の紅テントは、客席の左右に葦簀を張って換気は抜群の代り、外からの騒音も容赦ない。俳優たちの熱量はそれを跳ね返すというより包み込み、劇世界は次第に水底に沈み込むように鎮まってゆく。
*朱の会 voL.4『Express-劇的 朗読世界』神由紀子構成・演出
中野/スタジオあくとれ
初演では朗読だった演目を本格的な劇形式にするなど、常連の客演陣に対しても、より高いハードルが課されている。大正時代の横須賀駅構内の雑踏に始まり、現代の人々が佇む情景で締めくくる趣向は、まさに「Express」。年末はシンプルな朗読による小公演が予定されており、こちらは「各駅停車」の味わいか。
☆6月☆
*さくらさろんオンラインライブ vol.45
冬に続いて、パントマイミスト・山本さくらのソロステージをオンライン鑑賞した。創意工夫の凝らされた楽しい衣装「スクエア」、音楽への深い造詣が窺われる「夜の水族館」、最後の演目「ハーメルンの笛吹き男」は謎めいた余韻を残す。わくわくと心躍る感覚と、切ないような寂寥感が交じり合う不思議なひと時。
*六月大歌舞伎
四世鶴屋南北作 郡司正勝補綴 「桜姫東文章」下の巻 歌舞伎座
4月の上の巻に続く片岡仁左衛門と坂東玉三郎夢の共演。受け身だった桜姫が女郎の「風鈴お姫」となって鉄火な振舞をするかと思えば、子まで成した情夫が父と弟の仇と知るや恨みを晴らし、最終的にお家再興を叶える急展開だが、演じた玉三郎は、「精神的な負担のまるでない役」とさらり。
*劇団フライングステージ 第47回公演 関根信一作・演出
子どもと大人のフライングステージ
『アイタクテとナリタクテ』&『お茶と同情』
『アイタクテとナリタクテ』&『お茶と同情』
6月23日~27日 座・高円寺1
毎回本編上演の前に披露される朗読劇「PINK ピンク」は、「ピンクのランドセルがほしい」と願う男の子と戸惑う家族、動物たち、見知らぬ少年が繰り広げる短編である。「ピンクは女の子の色」という無意識な刷り込みへの気づきに始まり、一人ひとりが自分の好きな色を選び、互いにそれを尊重し、喜び合うことの幸せを描く。観客を本編へ自然にいざなうと同時に、より深く確かな理解へと導く佳品である。
☆7月☆
*くちびるの会 山本タカ作・演出
『くちびるの展会2』7月9日~19日
下北沢/OFF・OFFシアター
昨年春の公演の延期から一年を経て、働く男たちを描いた短編3本立てがお披露目となった。世間は確かに激変したが、それでいて本質の部分は変わっていないのでは…という素朴で微妙な感覚を、コロナ禍を反映することなく舞台化した。とくに最後の『ガム・リムーバー』は圧巻で、ぜひ長編戯曲として再会したい。
*宮本研作 千葉哲也演出
『反応工程』7月12日~25日 新国立劇場小劇場
全配役をオーディションで決定する「フルオーディション」企画の第2弾公演。昨年4月の上演予定が開幕直前で中止に。しかし全ての俳優、スタッフが再結集し、2018年11月に始まったオーディションから2年半を経て上演の運びとなった。青春を戦争に翻弄される若者たちを描いた重苦しい内容だが、劇場は公演の実現を祝福する温かな拍手が溢れた。
*秘密結社 UZOUMZOU公演
「別役実メモリアル」参加作品
別役実作 久保井研(唐組)演出『受付』7月27日~8月1日
新宿三丁目/雑遊
どこかの町のビルにある神経科クリニックを訪れた男(こねり翔)と受付の女(金松彩夏)による会話劇。演出家が「言葉の力を信じよ、言葉の機能を楽しめ」と説く一方、俳優は、自分の感情を基本にして演じられないこと、台詞が身体を流れ始めると、言葉の面白味が消えてしまうことなどに悩んだという。別役戯曲の謎と魅力は深まるばかりだ。
☆8月☆
*東京乾電池アトリエ公演 別役実作 柄本明演出 2本立て公演
8月13日~15日 下北沢/劇団アトリエ
1本めの岸田國士『ヂアロオグ・プランタニエ』では、まさかの舞台美術で観客を目くらませつつ、その劇的効果をしたたかに示す。2本めは早稲田大学演劇博物館特別展「別役実のつくりかた―幻の処女戯曲からそよそよ族へ」で公開された別役実処女作の喜劇一幕『ホクロ・ソーセーヂ』の初演。古ぼけたアパートの廊下で右往左往する住人を通して、最後まで登場しない肉屋の源八やアパートを取り巻く町内の人々の存在がいっそう不気味に浮かび上がる。
*八月花形歌舞伎 8月3日~28日 歌舞伎座
第1部「加賀見山再岩藤」に6役早替りで主演予定だった市川猿之助がコロナに感染、波乱の幕開けとなったが、猿之助が復帰する8月後半までの間、坂東巳之助がみごとに代役を務めた。市川海老蔵襲名の折、病の市川團十郎に代わって「勧進帳」の弁慶をつとめ、わずか15分の休憩ののち、魚屋宗五郎を演じた父・坂東八十助の奮闘を思い起こす。第2部「真景塁ヶ淵」では豊志賀に中村七之助、相手役の新吉に中村鶴松が大抜擢。噺家さん蝶役の中村勘九郎は短い出番ながら痛快だ。
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