*千頭和直輝脚本・演出 公式サイトはこちら 荻窪小劇場 9月1日終了
5月の朱の会Vol.7公演 愛の三重奏より、「愛は不思議なもの」のステージにおいて、澄んだ美しい声が記憶に新しい木村優希のホームグラウンドの公演を初観劇。台風10号の接近が案じられながら、夜になると思いのほか雨風弱まり、落ち着いた気持ちで客席に身を置くことができた。
このたびの作品の第一のモチーフは「箱庭」である。公演チラシ裏面に「人工的に作られたある程度のまとまりを持った仮想空間。地球規模での天変地異により地上での生活は著しく制限されたため、人々は一生のほとんどを箱庭の中で過ごす様になっている。箱庭同士は道でつながっており、オープンなものもあれば閉鎖的なものもある」と、用語解説が掲載されている。そしてその「箱庭」で生活する人の姿をしたものが「人型」であり、こちらは、「箱庭で生活する為の仮の姿。アバター。汎用的に作られた人型が一般的だが、一点物の人型を作成する人型師と呼ばれる職業が存在する。一流の人型師が作り上げたそれには、何者かの意志が宿るという」(同じく公演チラシ裏面)とのこと。「箱庭」、「人型」いずれの言葉も既成の意味ではなく、作り手による、本作独自の意味を持つ言葉であるということだ。
さらに当日リーフレット掲載の主宰・千頭和直輝の挨拶文には、公演タイトルの「ギ・ジギ」ついての説明がある。「義」には義手や義足など、本来あるものの代用品の意味がひとつあり、そこからさらに仁義、意義など正しさや本質を表す言葉もあって、それが代用品、ニセモノ、仮の姿という文字と同じであることの面白さを指摘している。
長い引用になったが、観劇前の短い時間に用語解説を読んだ限りではイメージが思い浮かばなかったこともあって、開幕してから目の前で展開していることに少なからず困惑したこと、観劇後、解説を読み直して舞台の記憶をたどってもなお、作り手の意図をなかなか掴みきれないためである。
ときに俳優の台詞の発し方が非常に激しく、声が大きい場面が散見することにも困惑した。この場面において、その人物がどのような声の大きさ、高さ、速さ、色合いで台詞を発するか、からだの動きはどうあるのか等々、ト書きに書かれていればむろんそのように、たとえ書かれていなくとも演技の方向性を決めるものが戯曲にはあり、それにふさわしい演出が施されるはずだ。
むろん観客が舞台上のすべてを理解、把握する必要はなく、「わかった」と思った瞬間、作り手の意図とは違うイメージが観客に生まれてしまうこともあり、互いの意識がすれ違い、食い違うことが案外妨げにならず、劇場の空気を活性化する場合もある。しかしながら、今回の舞台は情報、意味、意図が多く、物語の構造や人物の相互関係を理解することが自分には困難であった。俳優の演技は稽古が入念に行われたことが察せられるものであっただけに、残念である。
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