因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

tsumazuki no ishi×i鵺的合同公演『死旗』

2018-09-16 | 舞台

*高木登/鵺的作1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)寺十吾/tsumazuki no ishi演出 公式サイトはこちら ザ・スズナリ 18日終了
 観劇直後の「いったいこれは何?!」と言葉がフガフガしたまま、その感覚をぶつけるように書けばよいのか、時間を置いて熱を冷ましてからのほうがよいのか、迷っているうちに公演が終了してしまった。なので「ネタばれ」を気にしなくてもよいのだが、この場に物語の内容や流れを
記すのも、もはや間が抜けているようで、さてどうしよう?

 とはいえ、備忘のためにも少しだけ書いておくと、日本のどことも、いつの時代ともわからぬ山深い集落が舞台である。男たちは若い女を次々に捕らえ、慰みものにした揚句、その肉を喰らう。その営みを良しとせず、秘かに抵抗する者もあり、女たちもまた武器を取り、敢然と立ち向かおうとする。妖術を操る長(おさ)、ある目的のために、敢えて男たちの餌食になる女などがくんずほぐれつ、凄まじい闘いを繰り広げる一幕である。

 これまでの高木登の作品とは大きく異なるものであり、全編汗と血と体液が絡み合い、アングラ芝居顔負けに水飛沫が客席を襲う。ほぼ全公演満員札止めで追加公演も行い、当日券の観客は通路に座布団を敷き、スズナリは身動きできないほどの盛況であった。

 舞台は鬱蒼とした森の中を思わせて終始薄暗く、最後まで顔がよく見えない人物もあり、また内容が内容だけに、舞台美術の仕込みはもちろん、俳優にかかる負荷は大変なものがあったと想像する。

 しかし面白いのは、あまりに猟奇的で陰惨な内容のために、人物のなかにはコメディリリーフと化したキャラもあり、最初は「いったいどんな目に遭うのか」と戦々恐々と怯えていたのが、次第に「どうにでもしてくれ」とリラックスしてしまうのが不思議である。

 さらに自分が観劇した回では、終盤の緊張感、高揚感ともに最高潮になりかけたそのとき、音響のアクシデントがあり、袖から演出の寺十吾(出演もしている)が登場して状況を説明し、上演が中断するという場面があった。過去にこんなこともあったが、まさかこの芝居でこうなるとは誰一人想像していなかったであろう。しかし演劇はまことに不思議である。そのときその場で起こったことは、受けとめる以外ないのである。寺十氏の必死の様相に、客席からは激励の拍手すら湧き、やがて再開したならば、もう一瞬で劇世界に没入できてしまったのだから。あのような場での俳優の心身はどのような状態であるのか、ほんとうにもう天晴れであった。アクシデントはあってはならないことだが、あっても大丈夫なのだと自信がつき、むしろめったにない貴重な体験ができたと、喜びたいほどであった。

 暗黒ファンタジーというのか、非常に極端な設定に見せて、これは実のところ、相手を暴力で支配する側と、心身が傷ついてもそれに抗い、諦めずに生き抜こうとするもののすがたを描いたものだ。これは現在のわたしたちにも実感できることではないか。社会に起こるいじめ、ハラスメント、自分の微々たる力ではどうしようもないと諦めている自分に強烈な往復びんたを喰らわせるごとく、女たちと男たちの列は正面を向き、歩き続けるのである。

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