雑遊がオープンした2007年より折に触れ、川村毅作・演出∔小林勝也主演、他のキャストは様々に1時間1幕の芝居が上演され、今回7作めを迎えた。「あまりシャカリキにならず遊ぼうといったコンセプト」(『路上5』当日リーフレット)の通り、作り手の極めて緩くさりげなく、リラックスした姿勢が魅力のシリーズであるが、2011年の東日本大震災をうけた『路上3.11(路上4)』の緊急上演や、コロナ禍が始まった2020年8月の『路上5 東京自粛』、その2年後を描いた『路上6 そして私たちは生きている』のラインナップには、緩さとさりげなさの中に作り手の創作活動への渇望としたたかさが感じられる。
時は20204年夏、パンデミックを「ひらひらと生き延びた」(公演チラシより)村上(小林)は公衆トイレの清掃に励んでいる。相棒の田宮(千葉哲也))はホスト見習いになり、その名も保州人(ほすと)という№2ホスト(佐織迅)を先輩と呼んでかしづいている。先輩ホストは、トー横の少女ハイジ(占部房子)という彼女、三度の離婚を重ねた常連客のマダム(大沼百合子)、さらに鳥取砂丘からホストを追って上京した女装の洋一(山本亨)がおり、用足しやら落書きやらをしに、トイレにやってくる。
公衆トイレの清掃員という設定や、サブタイトルの「インパーフェクト・デイズ」から、ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の映画『PERFECT DAYS』を即座に想起、意識させる作りである。シリーズの過去作品の内容や人物、設定、背景を知らなくとも十分に楽しめる舞台であり、しかし一度嵌ると、どうしても「続きはどうなるのか」、「はて、あの時はどうだったのか」という期待や疑問が湧いてきて、それをなだめながら味わうこともまた『路上』シリーズの楽しさであろう。
2020年8月の『路上5- 東京自粛』公演のときは、『路上』シリーズ初観劇の気負いと、新型コロナウィルス感染爆発という世界的パンデミックの渦中にあるという得体のしれない不安と恐怖のため、不安定な心身の状態での観劇となった。気がつけば、あれからもう4年も経過しているのである。コロナ禍に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻、さらにイスラエルによるガザ地区侵攻の惨状を伝える報道に、少しずつ「慣らされている」感覚がある。しかし今はパリオリンピックの最中であり、特に初日の8月6日は79年目の広島原爆の日であり、翌日から甲子園球場で夏の全国高校野球大会が始まった。日々命の危険に晒され、苦しみ続けている人々がいる一方で、自分は衣食住満たされ、のうのうとしている。いったいこの国は、この世界はどうなっていくのか…と暗い気持ちになった今日の夕刻に、九州・四国地方で大きな地震があり、南海トラフ臨時情報の報道一色で、また新たな不安にかられているありさまだ。
それでも「路上」の村上は飄々と、ひらひらと新宿の路上を彷徨い、したたかに生き抜いていくだろう。次回公演がいつ、どんなタイミングで行われるかはわからないが、気楽に観劇しながら、次第に深い闇に入り込んでしまうこと、しかし同時にそこから微かに見える光があることを村上は教えてくれる。わたしたちの日々は、実に「インパーフェクト・デイズ」、不完全でままならないものであるが、今の季節、すさまじいゲリラ豪雨に呆然としながら、ふと空の明るい一部分を見たときの安堵に似た心持を与えてくれるのが「路上」なのである。洋一が「三選の小池薔薇子に言っとく」と捨て台詞を吐く場面があるが、昨晩の上演からは「剥離骨折した小池薔薇子」になっているかもしれないなどと想像しているが、どうであろう。
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