*谷山浩子原案・音楽 工藤千夏作 所奏(文学座)演出 公式サイトはこちら 川崎市麻生区黒川/劇団民藝稽古場 7日まで
シンガーソングライターの谷山浩子による同名の歌をモチーフに工藤千夏が創作した物語は、2009年のプラチナ・ペーパーズ「ラフカット2009」の初演後、2013年の冬、民藝版として上演され、全国を巡演して86ステージを重ねた。このたび文学座の所奏を演出に迎え、配役を一新して再演の運びとなった(Wikipediaに詳しい記述)。民藝初演版で日色ともゑが演じたハツエ役は、中地美佐子と、てがみ座の石村みかのダブルキャスト。以下は石村が出演したBチームの観劇記である。
シンガーソングライターの谷山浩子による同名の歌をモチーフに工藤千夏が創作した物語は、2009年のプラチナ・ペーパーズ「ラフカット2009」の初演後、2013年の冬、民藝版として上演され、全国を巡演して86ステージを重ねた。このたび文学座の所奏を演出に迎え、配役を一新して再演の運びとなった(Wikipediaに詳しい記述)。民藝初演版で日色ともゑが演じたハツエ役は、中地美佐子と、てがみ座の石村みかのダブルキャスト。以下は石村が出演したBチームの観劇記である。
2013年の民藝版初演の際、「本作は劇団の歴史に確かな足跡を残すものになるのではないか。今夜女生徒を演じた若い方々が成長してハツエや山岸先生を演じ、まだ顔も知らない新しい女生徒たちと支え合って、再演を迎える日が訪れることを」と当ブログに記し(こちら)、それがまさに実現したことがほんとうに感慨深く、再会の幸せを噛みしめている。
太平洋戦争末期、ミッション系の女子校の生徒たちが音楽室で賑やかに集っているところに空襲警報が。防空壕に避難しようとする彼女たちを、必死で止める女生徒がいる。それがハツエ(石村)で、楽譜を取りに音楽室に戻ったために命が助かった。自分だけ生き残った申し訳なさを抱えたまま年を重ねたハツエは、何とか友だちを助けたいと、80年近い年月を隔てて同じ音楽室に戻ってきた。現在のハツエは初演の87歳から97歳にバージョンアップした。戦争を実体験として語る世代がいよいよ少なくなっていることを示す設定である。
ハツエは最初のうち、女生徒たちから見えない存在だが、途中から仲間に加わり、会話したり歌ったりする。拵えは白髪の老女のままである。石村は10代の少女と97歳の老女を演じ分けているわけだが、演じ分けの意識を観る方に感じさせない。声や動作、表情をきっちりと少女に変えるのではなく、老女の肉体と声を残したままなのである。石村の実年齢からすれば、97歳のハツエは大変な老け役になるわけだが、いわゆる若作りや老けの演技と単純に言えない造形だ。無理を感じさせず、少女も老女も自然に見せる。これはすごいことだ。
女生徒たちの演技がいささか元気が良すぎたり、理解のある古典教師山岸タカコ(初演では女生徒のひとりを演じた野田香保里)の役どころは、まだ余白というのか、方向性を探れそうであるし、数学教師小河原和臣(小守航平)には、女生徒たちにただ厳しいだけではない、ほんの少しでいい、この人の心象、陰影を感じさせることも可能ではないだろうか。
…躓きはさまざまにあるのだが、真夏の稽古場で、若い俳優方の力いっぱいの舞台は清々しく、気持ちの良い一日となった。女生徒たちによる「真夜中の太陽」の合唱はほんとうに美しく、歌詞もメロディも心に染み入る。客席では引いてしまったくせに、あれから数時間経った今になって、思い出しては少し泣いている。
稽古場公演は1994年、「地域の皆さまに下駄ばきで気軽においでいただきたい」という滝沢修の発案で始まったとのこと。
視覚障害者の方が観劇前に手に触れて、観劇補助になるように作られた舞台美術の模型。小さな椅子一つひとつに愛情がこもっている。
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