真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「囚はれの淫獣」(2011/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:安達守・福田光夫/撮影助手:宇野寛之・玉田詠空/メイク:江田友理子/制作:池田勝/応援:石川二郎・山口通平/協力:OUTSIDE/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/出演:柚本紗希・倖田李梨・若林美保・津田篤・藤田浩・如春・米本奈津希・宮本真友美・前田勝弘・廣田篤記・八木華・矢樹広弓紀・長谷川清久・梅ちゃん・SHIN・いとうたかし・りさっぺ・臭男・東京JOE・深谷智博・はるな・中江大助・木村真也・吉田恭一郎・松原富貴子・マザー根上・岡本幸代・雄馬・よこゆき)。出演者中、米本奈津希以降は本篇クレジットのみ。
 少なくとも個人的に、ピンクでは初見の幻想配給社カンパニー・ロゴに続いて、声色も同一のミスターXのアニマトロニクスが狂言回しとして登場。ここは便宜上、以降に際してもミスターXと仮称するものとする。チューリップの「虹とスニーカーの頃」やゴダイゴ「ガンダーラ」の愉快で卑猥な替へ歌を繰り出しつつ、成人映画館場内での喫煙や猥褻行為まで黙認する強烈過ぎる先制パンチを放つミスターXは、まるでゲームかバトルロワイアルかのやうに、ピンク映画が始まる旨をおどろおどろしく高らかに宣告する。挑発的も通り越し最早ムチャクチャではあるが、何てカッコいい開巻なんだ。飛ばし過ぎだぜ、友松直之。
 そんなこんなで、タイトル不明の劇中ピンク映画。執拗に個別的具体性を回避した男優部に抱かれるサオリ(柚本)が、ピー修正も潔く厭はぬ怒涛の淫語プレイを大展開する。ストレートにアイドル級の美少女を擁した一連の件のポップでキュート、しかも濃厚な煽情性は、霧散してしまはぬやう今作の商品性を頑強に補完する。因みにポスターを飾る、柚本紗希がX字型に拘束される類のシークエンスは、本篇中には一切全く一欠片たりとて見当たらない。ある意味ここまで来ると、看板の偽り具合がグルッと一周して寧ろ清々しい。五人の男女が薄暗い空間に倒れるカットを一拍挿み、もう一頻り柚本紗希の可愛らしさと裸とをタップリ堪能させた上で、再度女二名・男三名が、新館建設に伴なひ―公開年2011年の―前年八月一日に閉館した、上野オークラ旧館のロビーにて意識を取り戻す。五人の内訳は、女性ピンク映画ファンのユリコ(倖田)と、上野オークラ新館のモギリ嬢・アケミ(若林)。ユリコの連れ、より直截には女が小屋の敷居を跨ぐ際のナイト役・スズキ(如春)に、一人客で、ワイシャツの上から作業着のジャンパー姿の会社員・ヤマダ(藤田)。そしてネルシャツ×チノパン×ダンロップ系の、ナイーブなオタク青年・タナカ(津田)。五人は上野オークラ新館にゐた筈で、現に旧館はといふと、内側からも閉鎖されてゐた。何れもが事態を呑み込めぬまゝ、ブチ切れたヤマダはロビーに置かれた円筒形の灰皿を抱へ上げると、封鎖を突破すべく打ちつけられた角材とベニヤ板を壊し始める。恫喝気味に促され、スズキとタナカも加はり男三人の力で閉ざされた出口を遂に抉じ開けた、かに思へた次の瞬間。ヤマダ達は恐々見守るユリコとアケミの後方に、小屋出入り口と反対側の劇場ドアからメビウスの輪の如く転がり込んで来る。加へて、今しがた壊した封鎖も元に戻つてゐる。再度突破を試みたものの、結果は矢張り同じ。即ち、放り込まれた因縁から理解不能な旧館から、五人は脱出することが出来ないのだ。ヤマダ一人の三度目の試行も同様の水泡に帰したところで、不意に上映の開始を告げるブザー音が鳴り、一堂は吸ひ寄せられるかのやうに劇場内に足を踏み入れる。スクリーンに現れたミスターXは、銘々がピンク映画に何を求めてゐるのか、関り合ひについて個別に面談する。ヤマダはピンクと一般、映画を区割りする自体のナンセンスを訴へ、スズキはピンク映画のAVに対する優位性を主張する。ユリコはテレビドラマや一般映画が軽んじる、濡れ場を感情移入の観点から重視した。対してアケミはドライに、木戸銭さへ落とせば客は客、映画を観ても観なくとも、劇場内で何をしようが基本的には問はなかつた。ここで、アケミの態度は決して、フィクションの中だからこそ成立し得るフリーダムな視座では別にない。単なる、日常的なリアリズムに過ぎまい。話を戻すと、ミスターXは難なく四人を個別撃破、乃至は具体的かつ羽目と箍を外したアクションへと背中を無理押しする。一方タナカは、サオリ役の謎の女優の姿を常に追ひ求めてゐた。不思議なことに、監督も兎も角製作時期を問はず、タナカがピンクを観てゐると必ず、主要キャストではなくとも映画の何処かしらに何かしらで見切れてゐるその女優を、スズキやユリコも、タナカよりピンク映画に詳しいと思しきヤマダでさへ、誰一人として知らなかつた。
 俗にいふ正月第二弾の前作、「絶対痴女 奥出し調教」(主演:あいかわ優衣)から四ヶ月後といふ順調なペースで公開されたものの、以来現在に至るまでピンク次作の話も聞こえて来ない辺りは正直何気に気懸りでなくもない友松直之の、ひとまづ2011年第二作。端的に筆を滑らせるならば、友松直之を遊ばせておくほどのタレントが果たして揃つてゐるのか、といふ話でしかないやうにも思へるのだが。重複の誹りも省みず改めて踏まへておくと、第一弾「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」(2010/監督・脚本・出演:荒木太郎/主演:早乙女ルイ)、第二弾「奴隷飼育 変態しやぶり牝」(2011/脚本・監督:山﨑邦紀/主演:浅井千尋)、第三弾「いんび快楽園 感じて」(2011/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/主演:琥珀うた)に続く、上野オークラ旧館ピンクの第四弾である。2010年に加藤義一による薔薇族が更に一本あるらしいが、当方のんけにつきその件に関しては潔く通り過ぎる方向で。小倉にも、来てゐるのか未だなのか知らん。閑話休題、舞台が閉館した旧館である点を明確に盛り込んだのも最も鮮やかなストーリーは、廃映画館に幽閉された、四人の観客と一人の従業員。映画の神かはたまた悪魔に、五人は翻弄される、といふミステリアス且つロマンティックなもの。その上で、といふかさりとてといふべきか、友松直之は、古き良き小屋を懐かしむセンチメンタリズムになんぞ一瞥を呉れるでなく、苛烈に咆哮する。自身のオルター・エゴと解してまづ間違ひあるまいミスターXの器を借り、あくまで語り口は軽妙ながら、そもそもフィルムによる撮影・映写から易々と否定。時流に即し得なかつたピンク映画の劣等性を憚りもせずに断じ、男の聖域と看做した成人映画上映館からの、女性客の排斥をも主張してみせる。挙句に、揶揄してゐるやうにしか見えない、小人物設定のオーピー映画社員を登場させるに至つては、不用意に銀幕の向かう側に思ひを馳せハラハラさせられる。ただ然し、だが然し。今作が、議論の提起どころでは最早納まらずに争ひの種を撒き散らす一種の露悪のみを主眼とした、いはゆる問題作であるとする態度に、当方は決して与さない。極限にまで純化させられた美しさに、胸揺さぶられる激越な感動作である。醸し倒した物議に、ヤマダV.S.ユリコのハード・レイプ、アケミV.Sスズキの劇場内座席プレイと、鋭角の濡れ場も絡めた末に撃ち抜かれるのは、同好のヤマダやスズキらからすら理解されぬタナカの、タナカだけのエモーション。ヤマダのやうに図太くも、タナカほど繊細にもなれない、スズキ役に如春が群を抜いてフィットする、配役の超絶も唸るクライマックス。孤独なピンクスの、優しくも貧しき魂に手向けられた柚本紗希の微笑みこそが、たとへ魔女の嘲笑に過ぎなくとも、少なくとも極私的にはこの映画の全てだ。もしも仮に万が一、あるいは酷く平板に、それは在り来りに茶を濁す、お定まりの商業的なテクニックであるのやも知れないが、それでも構はない。謹んで騙されればよからう、それも愚かな観客の特権ではないか。
 最終的に、“現し世は夢であり、夜ならぬ小屋の暗がりの中の夢こそ誠”。さうとでもいふと、詰まるところは映画を処世の糧としてしか捉へなかつた、「いんび快楽園」には難渋にかぶりを振らざるを得なかつた首を、水飲み鳥のやうに諾々と上下移動する小生の底の浅さが、あはよくば御理解頂けようか。

 出演者中米本奈津希は、上野オークラ旧館には連れ去られなかつた、十二分に美人のもう一人のモギリ嬢か。残りの大勢は新館に於ける潤沢な観客要員は確定として、オーピー映画社員役の扱ひがよく判らない。


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