真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「母娘《秘》痴情 快感メロメロ」(2011/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:田山雅也/撮影助手:宇野寛之・秋戸香澄/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/協賛:ウィズコレクション/出演:紗奈・藍山みなみ・那波隆史・真田幹也・西岡秀記・津田篤・美咲レイラ)。クレジット終盤に力尽きる、どうも最近弱い。
 朝の吉武家、母娘二人の食卓。娘で堅実志向のOL・沙月(紗奈)と、夢見がちな保険外交員の母・景子(美咲)。景子は婚前妊娠中に男から捨てられたゆゑ、父親の居ないまゝ産んだ沙月を、女手一つで苦労して育て上げたものだつた。何かといふと髪を触る娘の癖を母が窘める、神を宿した細部を投げつつ、カメラマンを志望するフリーターの彼氏(後々登場)とは別れた沙月が、一流大学出で出世コース、ついでに実家は資産家といふ同じ会社に勤務する新恋人を、しかもいよいよ結婚を見据ゑ紹介したいといふ出し抜けに、景子は打算の匂ひを感じ取り反発する。世間一般的には親と子とで考へ方と対応が逆のやうな気もしないではないが、さて措き俄に勃発した、ポップに食べ物を粗末にする親子喧嘩からタイトル・イン。子供が真似したらどうする、だから大人の映画だアホンダラ。
 景子は、金が引き出せないと判つた途端、文字通り手の平を返した若い美容師のミチル(津田)に。一方沙月も沙月で、件の優良物件・大谷裕太郎(西岡)から、実家が息子の嫁候補の身元調査をしたところが、いはゆる私生児といふ沙月の出自が問題視されたとのことで、情事の事後それぞれ無体に別れを告げられる。濡れ場を介し母娘の置かれた境遇を何気なくも綺麗に誘導してみせる、正しくピンクで映画の名に恥ぢぬ頑丈な論理性については、改めて後述することとしてここは一旦兎も角、兎にも角にも特筆すべきは、公称プロフィールでは十八の歳の差もあるWヒロインの、昭和45年生まれの方。十日市秀悦の不器用な下心、もとい真心が胸を打つ「美咲レイラ 巨乳FUCK」(2001)が今も記憶に鮮やかな、「につぽん淫欲伝 姫狩り」(2002/新東宝/監督・脚本:藤原健一)以来凡そ十年ぶりとなる電撃ピンク復帰を果たした美咲レイラに、腰から下の琴線を激弾きされる。遊びを欠いた役柄も禍(わざはひ)したのか、二ヶ月後工藤雅典のお盆映画「夏の愛人 おいしい男の作り方」では目についた、表情の険しさを別段感じさせることもなく、さうなるとオッパイなどは寧ろ以前より大きくなつてゐるのではとさへ思はせる、極上の熟れやうが堪らない。熟女戦線最終兵器ロールアウトの興奮、未だ醒めやらぬ。ここは明後日な希望に筆を滑らせると、吉行由実と大輪の百合を咲かせる超弩級の激突なんぞを、是非とも観てみたいところではある。話を戻して―豆腐の角に頭ぶつけてデスればいいのにな、俺―その夜、傷心がてらカード占ひに戯れる景子が、大切なものを再び手に入れることを暗示する“新しい世界への扉”の札を引いたタイミングで、既に自棄酒で泥酔状態の沙月が帰宅、二人で呑み直す格好に。次のカットでは、すつかり御陽気で家の中を踊り回る景子と沙月、といふか、美咲レイラと紗奈の所作自体がへべれけであることに関しては、この際御愛嬌の範疇に押し込めてしまへ。家中の酒を飲み干したため、買ひに出ようとする沙月に、景子もついて行く。道すがらのガード下、大き目の犬小屋ほどの奇妙極まりない酒屋を見付けた二人は、酔ひもあつてか渡邊元嗣映画ならではのなだらかさとでもいふべきか、不審がるでもなく四つん這ひになり嬉々と入つて行く。そのまゝ一夜明け、自宅で目覚めた沙月と景子は驚愕する。あらうことか、沙月の意識は景子の肉体に、景子の意識は沙月の肉体にと、母娘が入れ替つてしまつてゐたのだ。加へて、昨晩は綺麗な満月であつた筈の、窓から見える明け方の月は満ち欠けどころか、平べつたい直方体型の四角であつた!
 時期的な兼ね合ひから、撮影時点での決意のほどは不明ながら、今作公開の十日前に活動を完全引退した藍山みなみは、景子の肉体で外出した沙月―以下便宜上沙月景子、逆もまた然り―が目撃する、裕太郎の不倫相手・浅村菜々子。ふ・・・・不倫相手?沙月と結婚するだのしないだの騒いでゐた裕太郎は、何時の間に既婚者になつてたのよ。と、派手に仕出かされたかと慌てかけたのも束の間、景子沙月が出くはしたミチルも、秘かにいはゆる母娘丼を成立してみせたりなんかしてゐた。即ち、流石に月が四角いだけのことはあり、元居た世界とはあちこち様子の異なる並行世界観に、景子と沙月は到達する。といふ展開は、単なるよくある入れ替りものに止まることを潔しとしない意欲的な機軸であるばかりか、最終的には幕引きにも連なる、本作の秀逸かつ充実した特色。因みに藍山みなみはオーラスにも、ゴスなミニスカポリス風の二役で登場、特に思ひ詰めた風情を窺はせるでもなく、常連のナベ組を何時も通りに軽やかに好演する。そんなスマートなラスト・アクトに、惜別も込めた拍手を。
 絶好調にも六月中盤にして渡邊元嗣2011年早くも第三作は、いはゆる、“おれがあいつであいつがおれで”ならぬ、“アタシがお母さんでお母さんがアタシ”となるところから話が拡がる、ハートフルな親子物語。いふまでもなく、沙月の髪を弄る癖は、姿は景子に変れどその人と観客に思はせる用途のギミックである。よくよく振り返つてみるならば美咲レイラは、先述した「巨乳FUCK」に際しては対照的な二つの人格間の行き来。2005年には「痴漢鉄道 ムンムン巨乳号」なる画期的な旧作改題を施された、「痴漢電車 魅せます巨乳」(2002)にあつては矢張り全くタイプの異なる二人の女を演じ分け、標的に接近する謎の女。そして今回は、母の体に戸惑ふ若い娘。選りにも選つてこの人に、さういふ一筋縄では行かぬ役ばかりだなどといふのは、だからいはない約束だ。さうはいへ、斯様な埒の明かぬ難癖など、最早瑣末にさへなるまい。呑めば呑むほど強くなる酔拳よろしく、撮れば撮るほどにナベシネマは面白くなるのか、時世に逆らひすらするかのやうな快調な作品発表ペースをなほも追ひ越さん勢ひで、渡邊元嗣の映画が、まるで物理的な明彩度以上に、キラキラと輝いて見えて輝いて見えて仕方がない。“新しい世界への扉”たる小屋酒屋もそれを司る羽の生えたベアーも、造作は何れも平素通りに開き直つて安つぽいものの、従来のプリミティブ特撮を完全に凌駕するクオリティを誇る異形の月ヴィジュアルが鮮烈に叩き込む、起承転結転部のアクセントは完璧。続けて、再登場させた裕太郎とミチルを通過することにより魅力的なパラレル・システムを敷いた上で、景子沙月と、話には一度出た写真家になりたい沙月元カレ・永井幸平(真田)との。他方沙月景子は、文庫本に挿んで持ち歩くスナップ写真が二度抜かれもする、正直結婚しなかつた理由に説得力を欠かぬでもない、景子の古い友人で貧乏仏師の西島恭造(那波)との。吉武家にて時間差で執り行はれる二つの絡みを通して、景子と沙月が、景子が当初予想したものとは違つてゐた、“再び手に入れる大切なもの”に辿り着くクライマックスが、圧倒的に素晴らしい、猛烈に素晴らしい、超絶に素晴らしい。大意ではあるが、荒木太郎がしばしば口にしながらなかなかモノには出来ない理想、濡れ場をノルマごなしとしてではなく、そこに濡れ場があるからこそ、一層映画として深化するピンク。荒木太郎の理想を持ち出したところで、渡邊元嗣にとつては知つたことではないのかも知れないが、とまれ少なくとも出来栄え上は実に偉ぶらない自然体の仕上がりも込みで、これぞひとつの完成形といはずして何といはう。豊潤なエモーションの照れを隠すが如くの他愛ないオチまで含め、全速前進の正方向にナベシネマ・オブ・ナベシネマ、あるいはザ・ナベシネマとでもいふべき一作。巷説によれば、渡邊元嗣の絶頂期は昭和末期のデビュー数年間と概ね相場は決まつてゐるやうだが、その当時を知りはしないことを憚りもせずにいふが、昨今の渡邊元嗣がナベ・ゴールデン・エイジの第二章を迎へてゐることは、いい加減否定し難いのではなからうか。さうでなければ、言葉を補ふと然様に近作が全く太刀打ち出来ない水準の傑作が過去に於いて連発されてゐたならば、目下の映画の歴史も、ピンクの現況も説明がつかないやうに思はれるのだが。


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