真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「いくつになつてもやりたい男と女」(2007/製作配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vパラダイス/監督:いまおかしんじ/脚本:谷口晃/原題:『たそがれ』/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/音楽:ピト/撮影:前井一作/助監督:大西一平/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/撮影助手:吉田明義・佐藤光・倉本光佑/監督助手:清水雅美・飯田佳秀/タイミング:安斎公一/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/協力:富岡邦彦・西尾孔志・石川二郎・柳田しゆ・小柳直美・プラザアンジェログループ/ロケ地協力:ホテルアンジェロベーゼ・九条OS劇場/出演:並木橋靖子、速水今日子、山田雅史、ブルー・エンジェル、高槻ゆみ、秋元えり、吉岡研治、小谷可南子、谷口勝彦、黒川愛、横田直寿、河村宏正、前川和夫、玉置稔、谷進一、デカルコ・マリィ、白水杏、横田雅則、二宮瑠美、西山未来、山下真由子、大橋基伸、平沢里菜子、福田善晴、高見国一、多賀勝一)。出演者中、秋元えりと黒川愛に白水杏、横田雅則から平沢里菜子までは本篇クレジットのみ。逆に森川信久と今岡洋子が、ポスターにのみ名前が載る。
 新東宝カンパニー・ロゴに続いて、“第3回月刊シナリオ ピンク映画シナリオ募集入選作品”である旨を謳ふクレジット。成程、さういふ塩梅か。手短に通り過ぎるが第二回入選作が「SEXマシン 卑猥な季節」(2005/監督:田尻裕司/脚本:守屋文男)、いまおかしんじ前作「絶倫絶女」(2006)も、脚本は守屋文雄。第二回の準入選は、「色情団地妻 ダブル失神」(2006/監督:堀禎一)の尾上史高。入選作「不倫団地 かなしいイロやねん」(2005/監督:堀禎一)は未見、「淫情 ~義母と三兄妹~」(2007/監督:坂本礼)のことは最早すつかり忘れてゐた。
 左官職人の鮒吉(多賀)は六十五歳、妻・智子(不明/纏めて後述)が全身を蝕む病に病床に就く一方、鮒吉は中学生のやうな、といふか中学の頃から変らない無邪気な性欲を保ち続ける。けふも買ひ物してゐるスーパーに居合はせた肉感的な女(不明)のスカートを、戯れに捲り大目玉を喰らふ。世間体を慮る娘(不明)から家に帰つて更に小言を貰ふも、孫のリョータ(不明)はそんな祖父に、自分もスカート捲りをすると理解を寄せる。鮒吉は、馴染みのスナックのママ・貴子(速水)とも男女の仲にあつた。鮒吉は中学の同窓会に出席、悪友の孝太郎(福田)・忠二(高見)らと石屋の夫婦のセックスを覗きに行つた昔話に花を咲かせる。そこへ遅れて、鮒吉の初恋の相手・和子(並木橋)が現れる。今も美しい和子に鮒吉は心をときめかせ、連絡先を渡す。鮒吉が智子を見舞ふと、智子は初めて隠語を口にし、夫に性器の愛撫を求める。戸惑ひを禁じ得ない鮒吉に対し、智子は穏やかな悦びの表情を浮かべる。ほどなく、智子は死ぬ。そんな折、鮒吉に和子から連絡が入る。夫と老親をともに喪つた和子は、息子夫婦に引き取られるやうな形で東京に越して行くとのこと。和子は鮒吉に、離れる前に伝へておきたいことがあるといふ。
 老いてなほ失はれぬ、あるいは甦つた心のときめきと、そしてそれを綺麗事だけで片付けない性の悦び。自身の闘病体験も作品中に盛り込んだといふ谷口晃は、新人ながら御歳何と六十六。実のところ当人にとつてしてみては正しく直面するリアルタイムの主題を、新人らしい愚直さすら以て描き抜いた姿勢はこの上なく明確で、尾上史高や守屋文男のやうに、徹頭徹尾何がしたいのだかさつぱり判らん、などといふ虚無は全くない、脚本のみを拾ひ上げれば実に清々しい一作である。一方逆にいふと展開の中に遊びがないゆゑ、飄々としつつもイマジネーションの翼を大らかに羽ばたかせる何時もの今岡調は、今回は申し訳程度散発的に見られるくらゐで概ね不発。
 その上で今作が真の傑作たり得るのを阻むのは、直截にいへば正しく文字通り最短距離での役不足。鮒吉役の多賀勝一は、芸暦だけ見ると四十年を超える大ベテランとはいへ、脇に置いておくには兎も角、佇まひ演技力とも、一本の映画を支へさせるにはどうにも弱い。一方和子役の並木橋靖子は、調べてみたところ主演作も数本見られるバリバリの現役五十代AV嬢。嬢、といふ歳でもなからうが。量産型八千草薫のレプリカの中華コピー、といつた程度の容姿は具へガッチガチの濡れ場もこなせる辺りは買ふべきなのかも知れないが、お芝居の方はこちらも世辞にも達者とはいひ難い。駒不足の上でどうにかかうにか戦ひ抜くだけの熟練は、少なくとも未だ今岡真治にはない。五十年前の回想パートに堂々と年寄りに学生服を着させ突入してのけるのは、よしんばユーモアのつもりであつたにせよ、真つ直ぐな脚本にはもつと真つ直ぐに、正攻法で取り組むべきではなかつたのかとも思はせる。わざわざ別の少年少女を連れて来る余裕などあるものか、といふならば。そもそもピンク映画のシナリオである以上、不可避のバジェット上の制約は当然に織り込んでおくべきであるまいか、ともいへる。そして正攻法に際して兎にも角にもまづ肝要とされるのは、逃げ場のない技術論である。
 タイトルを軽く検索に曝してみたところ、世評は総じて高いやうである。例によつて明けて二月からは、原題によるミニシアターでの公開も決まつてゐる。話を戻すと並木橋靖子の代りは確かに難しいが、多賀勝一のところは、たとへば野上正義で何故いけなかつたのか。意図的にさういふ線は外してゐるのであらうが、「たそがれ」として公開された今作が、ピンク映画のアイコンの如く取り扱はれることに対しては大いなる違和感も禁じ得ない。いつそのこと開き直つて仮にピンク監督の一般映画としてみても、同じく老いらくの性を主題とする作品としては、吉行和子とミッキー・カーチスが組んず解れつの大濡れ場を展開してみせる訳では別にないにしても、浜野佐知の一般映画殴り込み第二作「百合祭」(2001)の方が出来は数段上であらう。更に加へて、ピンクの小屋の中でも悪い方の部類に入る駅前ロマンの上映環境を差し引いた上でも台詞が小さい、所々で殆ど全く聞こえない。単館での上映であれば問題ない音響設計であるとするならば、それこそ何をかいはんやといはざるを得ない。ここで年末のドサクサに紛れ筆を滑らす、当サイトが「たそがれ」に「をぢさん天国」(『絶倫絶女』原題)に感じる違和感は、たとへそれがためにする錯誤に対してのものであつたとて、我々はその錯誤の果てに、福岡オークラを喪つたのではなかつたらうか。いふまでもなくその違和感は、荒木太郎に対しても向けられる。

 主に関西方面の小劇団、自主映画勢を中心に、出演者は徒に多数。間違つても大きくはないスクリーン、加へてプロジェク太上映の劣悪な上映環境にも火に油を注がれ、確認あるいは特定出来ない部分が多い。「たそがれ」公式サイト内にある配役と照らし合はせて確認出来たのは、谷口勝彦が和子の息子・康介、康介の不細工な配偶者は不明。河村宏正は冒頭で鮒吉がスカート捲りを仕出かすスーパーの店長、前川和夫は、鮒吉が籍を置く工務店の専務、多分。玉置稔は鮒吉らの同級生・藤田、横田直寿は石屋の夫婦のセックスを覗きに行つた三馬鹿の下に後から合流すると、蚊帳を倒してその場を台無しにする出歯亀老人、もしかしてこの人のこと?谷進一は智子の担当医師、小谷可南子・吉岡研治・山田雅史・デカルコ・マリィがそれぞれ配役には勝子・孝夫・俊夫・親方とあるが、特定不能。
 意図的に最後に持つて来た高槻ゆみは、中学時代の鮒吉らが覗きに行く石屋の妻。この人は、関西ローカルのAVメーカーで仕事をしてゐる人のやうである。検索して出て来たパッケージ画像とは比べ物にならないほどに、引き気味の蚊帳越しから入る薄暗い画面とはいへ、匂ひたつ官能といひ少年らの心を撃ち抜いたにさうゐない美しさといひ正しく超絶。ここの撮影は、非常に威力のある仕事をしてゐる。対して鮒吉と和子が終に体を重ねる件は動きに欠け、展開的には積み上げられた末のシークエンスにしては、映画の最頂点としての決定力には欠ける。といふか要は、多賀勝一に絡みが全然出来ない以上仕方もない。だからガミさんを連れて来いとかいふおためごかしはさて措き、その淡々としたところが却つて良いのかも知れないが、ここは思ひ詰めたときめきを思ひ切つた映画的虚構で飛翔させて欲しかつたやうな思ひも、個人的には残すものである。
 ロケ地協力の九条OS劇場には、鮒吉の忌中祓ひに三人で女の裸を観に行く。


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