「SEX捜査局 くはへこみFILE」(2006/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介・関将史/助監督:横江宏樹・安達守/応援:伊藤祐太/音楽:中空龍/キャスティング協力:株式会社スタジオビコロール/出演:北川明花・風間今日子・佐々木基子・平川直大・荒木太郎・なかみつせいじ)。
西暦2015年、依然続いてゐれば平成27年。日本は少子化対策として、セックスの免許制を採用してゐた。法整備として二つの新法を制定、性交管理法によりセックスの免許制を採用し、生殖法により生殖目的以外のセックスを禁止してゐた。何れも逮捕は現行犯のみ―凄い刑事法規だ―とされる為、ライセンス捜査官が肉弾の囮捜査と、時には盗聴の類すら認められる苛烈な取締りとを敢行してゐた。けふもライセンス捜査官の弥生(北川)は、無免許の為偽造免許所持の五十男・即天(荒木太郎・・・・が五十男?)を、巧みに連れ込んだラブホテルにて逮捕する。
何処までかは兎も角新体操の心得が一応以上はあるらしい、北川明花のダイナミックにも程があるド迫力の悩殺大開脚で開巻。怒涛の浜野佐知の馬力が早くも炸裂したかと思つたのも束の間、男女の性交に免許制が布かれた高度、あるいは硬度管理社会といふ、度外れた大胆な世界観が開陳される。
毎度毎度の繰り返しにもなるが、浜野佐知(あるいは的場ちせ)はピンク最強、あるいは日本最強、すら通り越した、世界最強の女流監督である。その作品テーマは終始一貫、ピンク映画といふ基本的には品性下劣な男相手に女の性を商品化したプログラム・ピクチャーの一ジャンルの中にあつて、“女の側からの、女が気持ちよくなる為のセックスを描く”ことにある。それでゐてその映画は、決してフェミ臭が憤懣やるかたなくなつてしまふやうな説教臭い駄ピンクに堕することはなく、公言される女性美への偏愛は女優の艶姿を生半可な男の監督には到底太刀打ち出来ないいやらしさで銀幕に刻み込み、映画監督としての十全な体力は、決して軸足を商業娯楽映画の枠内から失ひはしない。
そんな浜野佐知。フェミニズムといふ思想が、如何なる場合にもいはゆるリベラルの類に相似を見せなければならない訳では必ずしもなからうが。それにしても管理社会の片棒を担いだ、いはば官憲の犬を主人公に据ゑるとはこれ如何に。と、思ひながらも観てゐたところ。度外れた世界観の更なる大胆な展開を、重量感溢れる芝居で見事に牽引せしめる競演陣の登場により、バジェットのことなんぞ瑣末と物語の分厚さで忘れさせて呉れる超絶が、堂々と繰り広げられる。結論から先にいふと、近年の浜野佐知作の中でも屈指のマスターピースである。
登場順は前後して佐々木基子と平川直大は、コンビを組み活動する売春婦・売春夫コンビの佐々木落花と白井玉条。囮捜査中の弥生から受けた注文に、玉条は久し振りに若くて綺麗なお姉さんからだと脊髄反射で鼻の下を伸ばす。対して寄る年波からか段々と稼業がキツくなりつつもある落花は、長年の勘から弥生を警戒する。落花と弥生との対峙が、まづ第一の見せ場。セックス免許制の採用された劇中の近未来日本は、どういふ訳だか現行の一夫一妻の結婚制度も放棄してしまつてゐるらしい。女は、ライセンスさへあれば誰とでもセックスして、誰の子供でも産めるのだ。売春婦と売春夫ながらに玉条との結び付きに偏つた視点からいへば固執する―やうに厳密にいへば装ふ―落花を、弥生は新時代の勝手な高みから嘲笑する。落花と弥生、立場を違へた二人の女の対決に、二つの時代の衝突が集約される。管理社会が片面からは更なる自由社会、山邦紀は一体どうしたのだ。尺の都合からか仕上げを怠つたのか落とし処付近を主に、物語の中に飛躍の大きな箇所や未整理の穴もそこかしこにありはするのだが、浜野佐知の作家性からの要請は例によつてキチンとクリアすると同時に、思想の魔性あるいは歴史の狡猾をも力強く描き込んだ、恐ろしくすらある充実を見せる。表層的な変幻怪異の陰に隠された、堅固で時には冷徹ですらある強靭な論理性、山邦紀の主砲が轟音を轟かせ火を噴く。その射程は、プログラム・ピクチャーの枠内を遙かに超えよう。
なかみつせいじは、性交管理法と生殖法のPR番組を担当する人気TVキャスター・東風浩介。鏡月(直後に後述)との絡みも含めて、東風の他愛ない傀儡ぶりは如何にも浜野佐知らしく、求められる役所(やくどころ)を、求められるまま十全に応へ得るなかみつせいじの達者は逞しい。東風の対弥生戦では、殆ど煽情性すら通り越さんばかりの、思ひきつたアクロバティックが披露される。風間今日子は、さういふ東風の名声を目当てに接近したレジスタンス・鏡月。生殖目的以外のセックスが禁止された社会にあつて禁制品のバイブを振り回し、国家によるセックス管理の打倒と、セックスを個人の手に取り戻す闘争とを高らかに宣言する。かういふ豪快な大風呂敷を、鮮やかに定着せしめる風間今日子の頑丈な迫力、全く文句無く素晴らしい。
免許を得られぬ五十男―といふ設定―の即天と意外な落花の素顔に、社会から見捨てられた者の悲哀も盛り込みながら、弥生は落花や鏡月との出会ひから、喪つてゐた人間性を取り戻す。肝心要での北川明花の演技力の心許なさは流石に痛いが、六十分三百万のレギュレーションなんぞ軽やかにレティクルの彼方まで蹴散らす大ロマン。旦々舎の底力が壮絶に炸裂する必殺の傑作である。これがあるから、ピンクから足を洗へないんだよな。
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