真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「妖女伝説セイレーンXXX 魔性の悦楽」(2010/製作:株式会社竹書房・株式会社クレイ・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画株式会社/監督:芦塚慎太郎/脚本:港岳彦/原作:高島健一/監修:亀井亨/企画:加藤威史・斎藤正明・衣川仲人/プロデューサー:森角威之/ラインプロデューサー:泉知良/音楽プロデューサー:松本アキラ《フーテンキ》/撮影監督:田宮健彦/録音:島津未来介/編集:芦塚慎太郎/ヘアメイク:榎本有里/助監督:内田直之/音楽:近藤将人/音響効果:安原裕人/スチール:眞田謙/アートディレクター:前田朗/劇画制作:能登秀美・村岡洋一/監督助手:躰中洋蔵/撮影助手:河戸浩一郎/制作応援:貝原クリス亮・冨田大策/ロケ協力:石川理容店/協力:佐藤良洋、他 /制作協力:Sunset Village/出演:まりか・櫻井ゆうこ・西本竜樹・岡部尚・戸辺俊介・工藤和馬・ホリケン。)。因みに総尺は六十七分、諸々もう少し力尽きる。
 寂れた港町、「理容店いしかわ」にて店主の石川健次(西本)は新聞を読むでも読まぬでもなくぼんやりする傍ら、健次の幼馴染で魚屋の西島琢也(岡部)が、健次の美人妻(まりか)に髪を当たつて貰つてゐる。店の壁には、元々絵の好きな健次が中学以来執着するモチーフとして描き続けてゐるとかいふ、ギリシア神話に於ける美しい歌声で男を惑はし生命を奪ふ、海の魔物・セイレーンのスケッチが飾られてあつた。和美(櫻井)といふ妻が居ながら美しいまりかに気のなくはない琢也は、ホープと単三電池をコンビニに買つて来いだなどと、気弱な健次を無理を通して店から一旦は追ひ出すが、いざ妖しげな雰囲気になりかけると、二の足を踏んでしまふ。その夜、「理容店いしかわ」の前を通りかかつた宮部啓太(工藤)は、店の中からまりかに微笑みかけられると吸ひ寄せられるかのやうに入店する。髪を切られながらまりかに誘惑された啓太は、俄然発奮して据膳を頂いたのも束の間、騎乗位で跨つたまりかが激しく腰を使ふやみるみる苦悶の表情に転じ、一枚の鳥の羽が店内に舞ふと、全ての精を吸ひ尽くされ絶命する。無邪気な、などと呑気なこともいつてゐられない幼女のやうに、食器の使ひ方どころか、食器を使ふといふことすら知らない風情のまりかに苦労して夕食を摂らせた健次は押入れの中に、まりかが隠した啓太の亡骸を見つける。さして衝撃を受けるでもなく、まるで普段のことのやうに風呂場で死体を処理しようかとした健次は、“淫売”と罵倒する妻には逃げられた、アル中のDV父親・秀雄(ホリケン。)から風呂桶の中に隠れて絵を描きながら怯えてゐた、悲しい少年時代を回想する。カーセックスで櫻井ゆうこ唯一の濡れ場をこなしつつ、琢也は傾(かぶ)いたヘアカタログの写真を握り締め、健次は不在の「理容店いしかわ」を再度訪れる。ひとまづカットを終へ、まりかは台所に琢也を誘ふとビールと乱雑に切つただけの野菜を振る舞ひ、再度アプローチする。終に誘ひに乗つてしまつた琢也は、矢張り一枚の鳥の羽とともに啓太同様悶死する。健次も伴ひ姿を消した亭主を探して、「理容店いしかわ」に鼻息も荒く乗り込んだ和美を一旦は遣り過ごすが、鳥の羽に気付いた健次は、琢也の遺体も発見する。依然まりかを疑ひ奔走する和美は、行方不明になつた弟・啓太を探す宮部啓一(戸部)と出会ふ。ところで、ここで瑣末にツッコミを。啓一が啓太について、髪を切りに行くといつて出て行つたきり帰らない、と和美に語る点に関しては、啓太・ミーツ・セイレーンの件を顧みるに、少々齟齬を覚えぬでもない。偶々その時そこに居た男が、まりかに捕獲されたやうにしか見えないからである。
 据膳を喰らはせた男の生命を喰らひ、常しへに若く美しい姿を保つたまま生き続ける妖女・セイレーン。城定秀夫の「妖女伝説セイレーンX 魔性の誘惑」(主演:麻美ゆま)に続く二年ぶりの新東宝セイレーンは、予想通りといふか期待してゐなかつたやうにといふか、二ヶ月前に封切りられた「新・監禁逃亡 美姉妹・服従の掟」(監督:カワノゴウシ/主演:伊東遥・水元ゆうな)と同様、頭を抱へてしまひたくなるほど情けない画質のキネコ作である。演出の力によるものか主演女優自身の資質によるものなのかは兎も角、台詞の極少といふ逆説的な利点も手にした、妖艶さと無邪気さとを併せ持つ健次の妻もしくはセイレーンの造形にはおとなしく眩惑され、啓太のスカジャン―に、ハイロウズのTシャツを合はせる―や和美のピンクのスウェット等、閉塞気味の田舎町の寂寥を効果的に綴る細部の作り込みには感心しないでもないが、別の意味で無惨な画面を前に、大まかな破綻もない反面平板な物語を、基本的に中盤までは半ば我慢しながら追つてゐたものであつた。ところが、甚だ失礼な話だが、単なるAV嬢に過ぎないものかと勝手に高を括つてゐた櫻井ゆうこが、意外な熱量と強い芝居とで焦燥する田舎女を好演する辺りから、それ未満とすら思へた映画が、猛然と強度を取り戻し走り始める。生命ごと寝取ればいい男は別として、セイレーンが女を殺害しようとした場合、一体如何なる方策を採るのか。といつた変則的なテーマに、感動的に最短距離の解答を提出してから以降が圧巻。元来男といふ生き物は純然たる捕食の対象でしかない筈のセイレーンと、健次との同居生活は何故に成立してゐたのかといふ秘密を鍵に、あくまでゴミ画質さへ差し引けば、正しくセイレーン・シリーズのみが辿り着き得た純愛映画の大傑作へと一息に駆け上がる。父親を始末して呉れたセイレーンと、成長した健次が再会した海辺のあばら家での、二度目にして最初の、そして最期の情交。一旦は勢ひに任せ呆気なく即物的に絡みをこなし、お話を何となくそれなりに畳んでしまふやうに思はせておいて、即座に更なる一歩前へと果敢に踏み込んだ作劇は、一欠片も臆することなく、渾身の鮮烈を文字通り銀幕一杯に撃ち抜いてみせる。それは佐藤吏の慎ましやかな傑作「絶倫・名器三段締め」(2009/主演:佐々木麻由子・愛葉るび)に於ける昇天ショットの必殺を超え、「ギミー・ヘブン」(2004/監督:松浦徹/主演:江口洋介・宮あおい)のラスト五分にも匹敵する、壮絶に美しいエモーション。ある意味力無い映画観からはダサく、もしくは安つぽいギミックといへるのかも知れないが、仮に最もエモーショナルなシークエンスが同時に最もダサくあるならば、私は映画なんて洗練などされてゐなくとも構はないと思ふ。締めの濡れ場が映画的な頂点に直結する構成は、裸映画として百点満点で百兆点。しかも繰り返すがこのクライマックスは、「妖女伝説セイレーン」であればこそ成立し得た展開で、なほかつそこに至るまでに、小道具の伏線を入念に十全に積み重ねた丹念を活かし、文字通り満を持して繰り出されたものであることが、身震ひさせられるまでに素晴らしい。ラスト・ショット自体はいいとして、その直前の逆回転は要らぬ手間にも思へ、編集を違(ちが)へる際には切つてしまふべきではなからうか、と希望しないでもないが、さて措きろくでもないキネコの陰に、とんでもない映画的興奮を包み隠した意地の悪い奇跡のやうな一作。冒頭だけ観て、とりあへず絶望的な画面に匙を投げ途中退席してしまふのは、今作に関しては絶対に禁止だ。


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