真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「女子学生SEXレポート 実地研究」(昭和51/製作・企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム株式会社/監督:中村幻児/脚本:荒井青・才賀忍/撮影:小水一男/照明:磯貝一/編集:田中一/音楽:山崎箱夫/助監督:草間宏之/撮影助手:遠藤正夫/効果:秋山効果団/記録:岩崎宏子/演出助手:旦雄二/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボセンター/協力:ホテル シャンティ赤坂/出演したひと:小川恵、北洋子、仁科鳩美、安田清美、青山涼子、笹木ルミ、野口美沙、峰瀨里加、夏陽子、岡田良、深野達夫、大島𧙗二、三重街竜、林光男、山根一男、草間宏司、石田大介、渋谷凡太郎、ガイラ・チャン、矢野口健、団十郎、堺勝朗、竜谷誠)。俳優部のみならず、小水一男から始まるスタッフ陣も“創つたひと”で括られる。二人がかり脚本の荒井青と才賀忍は、それぞれ荒井晴彦と中村幻児の変名。
 「たとへばフリーセックス時代といはれてる一方で」云々、ビリング頭が終始いふほどの意味もない、能書の口火を切る。曰く許すふりして相手の舌を噛めだ睾丸を両手で思ひきり引つ張れだのと、欧州の性教育本に書いてあるとの実戦的な強姦対策法を開陳した上で、繁華街を闊歩するホットパンツの御々尻にタイトル・イン。寡聞にしてそんな小ネタ聞いたこともないが、音楽の山崎箱夫といふのはすは山崎ハコの変名かと脊髄で折り返しかけた、ものの。どうにも裏が取れないのと、普通にズンチャカ鳴らしてみたり、聴き覚えのある在物劇伴を耳にするに、どうやら単なる紛らはしいか人の悪い変名に過ぎない模様。前年世界中で大ヒットを飛ばした、ヴァン・マッコイの「ハッスル」も無断拝借してみせる。ついでといつては何だが、jmdbとnfaj検索にグーグル先生の助太刀を仰いでも、今作以外で山箱名義が使用されてゐる形跡は今のところ見当たらない。山崎箱夫、割とコロンブスの卵みある、二番煎じで石川芹男とか。三番煎じで荒井弓雄、キリがねえ。
 閑話休題、原つぱを逃げる野口美沙を、アテレコ臭いガイラ・チャン(=小水一男)が追ひ駆け、犯す。「イメージの中の婦女暴行に登場する男と女は」、「突如として狼と化した男と、やをら不条理の世界に巻き込まれた可愛い女であります」。肩に提げたテレコからマイクを向ける小川恵に、荒井晴彦がどうでもいゝ講釈を垂れる。大学名不詳の文学部心理学科所属、『強姦されないために』なる散文的な題目のレポート―まさか卒論!?―に取りかゝる広瀨ユカ(小川)の女子寮七号室に、ルームメイトのヨーコ(仁科)がまづ帰宅。夜道で謎のグラサンに襲はれながらも、金的で撃退したルミ(北洋子/a.k.a.中野リエ)もからがら帰還。何気にこの部屋、住人三人全員馬面、瓜実といへ。
 辿り着ける限りの、配役残り。集団強姦の取り調べを受ける、きれいな岡村隆史みたいな一応色男は、馬鹿に髪を短くした深野達夫、暫し判らなんだ。友人のタカシ・コーイチ(何れも不明)と深達が輪姦に及ぶ、タカシの知人・ケイコは青山涼子、のちの“塾長”愛染恭子である。安田清美は、未遂含め四十数回の犯行に及んだ超ベテラン・ある暴行魔(三重街)に自宅で暴行される小塚美沙子(仮名)、職業はインテリアデザイナー。乳よりも尻よりも、ミニスカから伸びる足の美しさが際立つ笹木ルミは、バカボンのパパみたいな酔つ払ひ(だから不明)に河原で手籠めにされる高橋靖子(仮名)、職業O.L。安田清美・青山涼子・笹木ルミの三人が、本クレに於いては“襲はれたひと”の一纏め。話の流れで構成要件的な議論にも触れ、グレーゾーンの紹介に用立てられる泥酔中、係長(手も足も出ないんだつてば)にヤラれてしまふこちらもO.Lのモリヤマ君は峰瀨里加。といふか要はこの件、後述する夏陽子パートと実は同工異曲。とまれ係長がモリヤマ君を形だけ介抱する往来のロングから、跨ぎで“605 赤坂”のドアプレートに繋げる鮮やかな編集がさりげなく出色。量産型裸映画にのみ許された、この清々しいスピード感よ。今度は準強姦(現:準強制性交)の解説で、覗きからの痴漢に及ぶある暴行魔を、寝惚けて配偶者と勘違ひする若妻は夏陽子。若旦那は無理、知らん。最後に竜谷誠と堺勝朗は、ルミとヨーコの二人が卒論指導コンパに繰り出す―ユカは彼氏・シゲオ(にも白旗)との逢瀬を優先―後藤教授と助教授。居酒屋の画面手前に、荒井晴彦がシレッと見切れる。連れの、パッと見南ゆき似の女は岩崎宏子?忘れてた、映画館の客席に、馬津天三(a.k.a.掛川正幸)潜り込んでないかな。
 中村幻児昭和51年第五作は、女子学生のSEXに関するレポートでこそあれ、別に実地研究する訳ではないマイルドあるいはハーフ有名無実。ピンクの公開題に於いて、極めてまゝ見られる恒例ではある、それをいふては実も蓋もない。詰まるところ、頭にセミを載せたり尻にポルノを敷いてみたりする所謂ドキュメント系の、最低限統一的ではあるテーマを追求―今回の場合は強姦―する体で、単発的な濡れ場を漫然と連ねるに明け暮れるルーズな裸映画。全員脱いで絡む頭数を、驚く勿れ三割増しどころか三倍増の九番手まで並べてみせる、豪奢な女優部がそれなり以上面子にも恵まれる一方、三重竜や堺勝朗らオッサン連が芳醇な気を吐く反面、シゲオを筆頭にタカシ・コーイチ辺りのヤング隊が役不足の青二才ぶりを遺憾なく発揮する、男優部の脆弱性は如何せん否み難い。この際面白くない詰まらないは面白ければ寧ろ儲けもの、くらゐに割り切るか開き直つてみせるにせよ、ビリング頭三人を五十分の長きに亘り温存する、箆棒な匙加減には流石に肝を冷やした。結局、ユカとシゲオが漸く結ばれる絡みと、酔ひ潰れたプリテンドで三番手が堺勝朗を、二番手はトメを篭絡する乱交にはハッテンしない4P。を、カットバックの乱撃で並走させるですらないまゝに、小川恵は不在のラストがあつけらかんと底を抜く空気のやうな一作、屁かも。煮え切らない踏み込んで来ないシゲオに業を煮やしたユカが、「男だつたら奪ひなさいよ」とぞんざいなミソジニーを振りかざし詰つた挙句、“性行為において、男が女に対して主体性を確立し得るのは、男が女を強姦する場合である”。オーラスには懐かしのエオン・エキスを引いてのけるに至つては、現在の鑑賞に堪へ得る得るかボケ以前に、タイム・ゴーズ・バイの渦の藻屑と消えるに如くはない積もれば山も成す塵。たゞその消費上等レッツ・ファゲット、グルグル何周かすると最早色即是空と紙一重の無常観さへ漂ふ姿勢は、ポップ・カルチャーの極北たる量産型娯楽映画にとつて一種のらしさなり、潔さと強弁出来なくも決してない、のではなからうか。どうなんだろ、堅白同異も度を越すと歯切れが悪い。

 戯れにググッてみて、古城を模したシャンティ赤坂(昭和48年開業)が一旦の営業停止(2012年頃らしい)と改築を経て2015年に再オープン、今なほランドマークとして現存する息の長さには軽く吃驚した。空白期間を挿んでゐるゆゑ、今年が半世紀の節目にはあたらないのかも知れないけれど。


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