補足


先日の「硫黄島からの手紙」だが、ネット上では早くも批判的な意見が出ている。
もっともな意見も多く、それを読むのが面白かった。

作品としてはたしかにまとまりが悪かった。
栗林中将を中心とした上層部の話と、一兵卒である西郷の話の、どちらかに絞るべきだ、という意見があった。
もしかしたら二宮和也の存在感が強すぎるのが、製作側にとっては誤算だったかもしれない。

ただし何度も言うが渡辺謙の演技は素晴らしかったと思う。
あの猫背で叫ぶ「天皇陛下万歳」は、映画史上もっとも重みのある万歳だったのではないか。
その愛国心は、皮肉なことにアメリカ人には理解できても、むしろ現代の日本人の方がぎょっとしたかもしれない。

またイーストウッドの作品らしくない、という意見もあった。
ストーリー上絶望的な状況が長く続きすぎるため、どうしても単調になり中だるみが生じているし、イーストウッドらしい「軽快な粘り」が無くて、正面からまともにぶつかってしまったようにも見えた。
イーストウッドは一発撮りの軽さと新鮮さを身上とする人だから、このテーマの持つ極端な重さはマッチしていないように感じた。

本当に彼が監督しているのか?という意見まであった。
それについてはよくわからない。
あの年齢で2本の作品を同時に撮るということが、体力的に可能なのだろうか?という疑問もわく。
以前彼の親友でもあるモーガン・フリーマンがインタビューで、
「多忙なイーストウッドになぜこれほど多くのことをやってのける時間があるのかと不思議に思う。ま、実はなぜだか知ってはいるのだが・・」
と意味深な発言をしていた。
これは彼が自分ではやっていない、という意味ではないと判断している。
こねくり回さずに、スピーディにさっと撮ってさっと終わらせる能力を、もともと才能として持っている人なのだと思う。
また任せるべきところは人に任せる割り切り方も上手いのだろう。
徹底的にこねくり回すタイプの黒沢映画で僕は育っているので(笑)、当初はイーストウッドのその部分に違和感さえ感じていた。

時代考証に関しては、僕の母親は、やはり「もう少し近代的な生活をしていた」と主張している(笑)
あんな形の着物にへこ帯をした格好はしたことが無いというし、庭の無い民家の作りもあれでは街道すじの家のようだと言っていた。
でも総体的にはアメリカ人がよくあれだけのものを作ってくれた・・という意見である。
当時近所に陸軍中将の家があり、よく遊びに行っていたので、非常に身近に感じる話でもあったのだろう。
(非常に質素な暮らしをされていたそうだ)

昨日K師匠にお会いしたら、K師匠の叔父さんも硫黄島で亡くなられたという。
今までなら「そうですか」で終わったが、今はさぞや大変な思いをしたであろうと思いをはせるようになった。
それだけでもこの企画には意味があったと思う。

D2X + SIGMA 10-20mm F4-5.6 EX DC /HSM
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硫黄島からの手紙


「硫黄島からの手紙」を見てきた。
夜遅く始まる回で、終わるのは夜中の12時15分だったが、映画館にはかなりの人数が集まった。

あちこちでこの映画の話を聞くので、それだけ注目度が高いということだろう。
何やかや言っても、ハリウッド最後の伝説の人とも言えるイーストウッドが、日本を描いた作品を製作した事が、最大の理由だろうと思う。
イーストウッドを知らない若い世代が増えたとは言っても、彼らは社会の中心ではない。
あのカリスマ性を持つ大スターが、一定の年齢以上の、現在日本社会の中心にいる人たちの記憶の中に、何らかの形で残っているのだ。

実は僕はイーストウッドが日本のことをあまり好きではないと思っていた。
日本にはあれほど彼を崇拝する人たちがいるのに、それどころか作家としての彼を世界で最初に認めたのは日本だというのに、彼は来日をずっと避けていた。
以前お忍びで来日したという話も伝わってきたが、それとて好きなジャズを聴きたいがため・・という理由だった。
もしかしたら、40年以上前の「用心棒」の盗作問題の時、黒澤とレオーネ側との関係が悪化したことが遠因ではないかとずっと想像していた。
実際黒澤はあの事件を不愉快に思っており、「(荒野の用心棒は)いまだに見ていない」と何回も話していた。
一方イーストウッドの方は、用心棒を見た時に「これはいい西部劇になる」と感じたそうだし、脚本を読んだ時に用心棒のコピーだとすぐに気付いたと言う。
それが世界的にヒットし彼が大スターになるきっかけになるとは、その時点では想像していなかったのだが・・・

かつての一方的な立場から描く戦争映画の手法は世の中で通用しなくなっている。
イーストウッドは「父親たちの星条旗」を作るにあたり、硫黄島の戦いを調べているうちに、栗林中将を初めとする日本側の戦いぶりを無視できなくなったと聞く。
もしかすると、「当初は硫黄島での日本人の行動は全然理解できなかった」と語っていたイーストウッド自身が、この戦いの調査を通じて、何かの影響を受けたのかもしれない。

いずれにしても日本側から見た映画を作らなければ、この話は片手落ちになってしまう。
そのために2本の作品を同時に撮ると言うのは、制作費の点から見ても合理的ではある。
片方の作品を見たら、当然もう一方を見たくなるだろうし・・・(笑)

「父親たちの星条旗」が、生き残った人たちの一種の後遺症を描いた作品であるのに対し、死ぬしかなかった戦いを描いた「硫黄島からの手紙」は、ずっと壮絶な話だ。
戦った兵士たちはどちらも同じだった、と言われても、同じではない、と言いたくなる。
しかし正義のもとに戦ったと信じていたアメリカ側の人間が「同じだった」と言うのは、彼らにとって最大の譲歩かもしれない。
そして敵側の人間、特に謎の多い日本人について知ることは、アメリカ人にとって非常に興味あることだろう。

映画の方は、イーストウッド映画の中でかなり特異な作品に仕上がっているように思える。
日本から見れば、この映画のストレートな内容は、多分にアメリカ的ではあるが、アメリカ映画としてみたら、これは異常なほど日本的な作品だ。

俳優陣は抜群にいい。
アメリカ映画ということでかえって自由な配役が出来たのかもしれない。
渡辺謙の存在感は本当に素晴らしいが、二宮和也の演技が最高で、この映画の主人公と言っていいほど物語進行の中心を担う。
狭い島の中での、この二人の何度かの接点が、映画の主軸になる。
それ以外の俳優も素晴らしく、これならイーストウッド監督もご満悦だろう・・と感じた。
浜辺での伊原剛志と渡辺謙の馬をめぐる会話など、ゾクゾクするほど最高の演技であった。

日本のセットや服装で、時代考証が少し違っているのではないかと思われるシーンがあった。
映画館でいっしょに見た僕の母親は、映画に出てくる着物を着た少女が、ちょうど自分と同じくらいの歳ではないかと言っていたが、その母親があの時はもう洋服だったと言う。
田舎に疎開してもみな洋服だったそうだ。

これはラストサムライの時にも感じたのだが、日本のセットを作るのはあちらの日本研究家の人たちが絡んでいると思われる。
僕は古い写真を集めるのが趣味なのだが、そういう写真を念入りに研究して作られているのがわかる。
だがそれらは机上で行われた研究に過ぎない。
太平洋戦争といえばそう古い話ではないので、まだ空気が生きている。
何か変だな?と感じた方もおられるだろう。

ところで興味深いことに、自身の体験についてインタビューを受けた時、イーストウッドはユニバーサルスタジオでオーディ・マーフィーに会った時の事に触れている。
戦争の英雄でもあったオーディ・マーフィーが、実戦体験についてイーストウッドに語りたがらなかったという。
こういう伝説的なエピソードが出てくると、改めてイーストウッドがハリウッド全盛期の生き残りであることを感じる。
そういえばジョン・ウェインもイーストウッドに対して「君のは西部劇ではない」と苦言を呈していたのを思い出した。

(写真はパンフから)
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ランフラットタイヤ


現在発売されているBMWのほとんどの車はランフラットタイヤを履いている。
ランフラットタイヤというのは、サイドウォールを硬く作ってあり、パンクして空気圧がゼロになっても一定の速度で一定の距離走行できる、というタイヤだ。
BMWはこういう未来志向のものをいち早く取り入れるのが好きで、あっという間に全面的に採用してしまった。
早く飛びつきすぎるので、未完成なこともままあるのだが、他のメーカーとは違うところをアピールするのに役立っているのだろう。

このタイヤの利点として、安全性の向上はもちろんなのだが、スペアタイヤを積む必要がなくなるので、燃費が向上しトランクのスペースも広くなる、ということがあげられる。
実際スペアタイヤのあったスペースは、便利な床下小物入れになっている。

ところが悪い点もあるもので、まず現状では価格がかなり高いということ。
サイズにもよるがエミール(330)クラスの扁平タイヤになると、1本6万円とか5万円とかいわれる。
また当初はサイドウォールを硬くしているため乗り心地にも問題があった。
(これらの問題点はかなり改善されてきている)

我家のエミールは既に手放したが、後に残ったスタッドレスタイヤの付いたアルミホイールは次の車(サイズが共通)にも使用できる・・・と思っていた。
ところがそれが不可能なことが判明した。

まずランフラットタイヤ以外のタイヤは、(スペアを積めないので)もはや怖くて使用できない・・ということ。
ランフラットタイヤの車に普通のタイヤを付けると、万一のことを考えて不安になるという。
どうしてもの時は、やむなくパンク修理用の充填剤スプレーを持つしかない。

それではせめてアルミホイールだけでも・・と思ったのだが、ランフラットタイヤはパンクの際の空気圧センサーが必要なので、ホイールも専用であることがわかった。
パンクしても気付かずに走れてしまうので、検知する仕組みがないとかえって危険なのだ。

ようするに今までのタイヤはまったく使えないということだ(苦笑)

なお3シリーズでも高性能な車種の場合、マフラーが大きくなるので小物入れスペースが一部食われるという。
左右出しマフラーの場合はなおさらで、せっかくのスペースがほとんどなくなる可能性がある。
実は335はまだマフラーの形状がはっきりしない(写真を見ると両タイプがある)ので、その点了承しておいてほしいと言われている。

D2X + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di
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日本橋1-1-1


ふたつ下の木の写真、kokupsy_unさんからGoogleマップで見られるかというお話があったので、早速見てみた(笑)
何といっても東京都中央区日本橋1丁目1番1号に生えている木である。
日本のすべての木の中心にあるといっていいだろう。

上の赤い矢印が写真の木である。
葉が青々としている季節に撮られたものだ。
三越新館がまだ工事中だから、この写真少し古いね(笑)
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冬支度


窓の写真ばかりでゴメン(笑)
東京は殺風景で窓くらいしか撮るものがないのだ。


現在自分の車が無い状態だ。
それで奥さんのピエール号を借りている。

冬が近いのでスタッドレスタイヤを買った。
ホイールはスチールでも1本1万円からするので(穴の位置の関係でプジョー専用になってしまう)、馬鹿々々しいからノーマルタイヤを外して、そのままスタッドレスタイヤに付け替えてもらった。
夏もこのまま行かなければならないが、5年で16000kmしか乗っていない車なので、当分はもつだろう。

今まで履いていたミシュランのグリーンタイヤは、経年変化でひびが入り始めていたので、そのまま廃棄してもらった。
新しく買ったのも同じミシュランのX-ICEというスタッドレスタイヤだ。
ミシュランは値段は高いが性能がいいのと、何よりもフランスの車なのだから、他国のタイヤを付けるような野暮はしたくなかった(笑)
お店でも一番評判がいいのがミシュランで、次がBS、安価なのはヨコハマやグッドイヤーというランク分けが出来ているらしい。

ドライの道を運転してみると、昔のスタッドレスとは違って、いわゆるフワフワ感は非常に少ない。
多少ステアリングフィールがあやふやになったくらいで、乗り心地も満足のいくもの。
最近は他社の製品もドライ路での性能を上げてきているらしい。
高速性能はまだ試していないが、とりあえずは雪が降ってもこれで安心である。
ピエールは粗い運転をするとFFの嫌な癖が出るので、皮肉な話だがエミールよりジェントルな運転になる。
スタッドレスタイヤを履きっぱなしでも特に問題は出ないだろう・・と思う。

長年付き合いのある行きつけの小さなタイヤ屋さんで購入したが、さかんに週末の天気を気にしていた。
雨が降ると下手をすると雪になるので、タイヤ屋さんはパニック状態になるのだ。
この月曜火曜は寒風吹きすさぶ中、夜10時まで作業したという。
ふたりでやっているお店なので、一日中作業しても25組の交換が限度だそうだ。
それを超えたお客さんは、やむなくお断りするという。
今のうちに交換しておいて正解だったかもしれない。

D2X + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
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Tさん


悲しい知らせがあると言われMrs.COLKIDから一枚のはがきを渡された。
それは恩人のTさんが亡くなられたという知らせだった。
久しぶりにお会いしたいと話していた矢先だったので、さすがにがっくりきた。

何年お会いしていないだろう・・・
そう思って計算してみたら、25年近いことがわかった。
何という不義理・・・

25年前、Tさんは秋葉原のオーディオショップで働かれており、ビルの最上階にある試聴室を担当されていた。
大正生まれのTさんは当時すでに60歳を越えられており、もと技術屋さんのまじめで穏やかな方であった。
当然オーディオの知識は非常に豊富で、まだ20歳前の僕を相手に、図解しながら丁寧に教えてくださった。

ゴトーユニットの音・・f0以下でウーファーを使う場合の特性・・球形の完全無指向性スピーカーの設計・・多くのことをTさんから教えていただいた。
藤原真理がお好きで、ふたりでいつもチェロのレコードを聴いた。
マッキンのトーンゾイレスピーカーが初めて日本に入ってきた時も、ふたりでその音に興奮したのを覚えている。

あの時の若い僕は、Tさんの目にどのように映ったのであろう。
毎年年賀状に近況を書いて送っていたが、Tさんからは「すっかりオーディオはご無沙汰です」と書かれたはがきが届くばかりだった。

先日やはり大正生まれの叔父を亡くしたが、考えてみれば僕はこの世代の方々からずいぶんいろいろなことを教えていただいた。
Tさんのように穏やかな方でも、彼らが本質的に筋金入りの「大人」であったのは、やはり生きるか死ぬかの時代を経験してきたからだろう。
その世代が少しずつ消えていくのが、世の定めとはいえ、何とも寂しい。

D2X + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
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ソフトウェア


K師匠がこの音楽製作のフリーソフトを楽しまれている。
すごく多機能ですべて使いこなすのは難しいらしい。

http://www.frieve.com/

オーディオの分野は保守的・・・というよりパソコンに弱い人が多いようだが、このソフトの機能を見ると、オーディオの分野で極めて有用なことは明らかである。
以前は音源に収録されている情報の正確な、あるいはより「いい音」の再生のみに努力してきたわけだが、既にコンピューターを駆使してリスナー側が音の「製造」に積極的に参加する方向に変わってきている。
こういうソフトが今後どういう形でオーディオの世界と融合されていくのか楽しみだ。

いくつかの分野でここしばらく起きている革命は、常にコンピューターがかかわっており、しかもユーザー側に広範囲の対応を要求してくる。
カメラでいえば、以前はシャッターを切れば「趣味は写真です」と言えたものを、今はその後の現像・加工・プリントの領域までを自分で(自宅で)行う必要が出てきた。
人によっては編集作業や文章の作成のように、他の分野の才能まで求められることもある。

この音楽作成ソフトも、作曲の能力以外に、音に対する物理的・数学的な知識、それに当然コンピューターに対する知識が要求されるようだ。
それらをすべてひとりでまかなわなければならない。

それにしてもこういうソフトがフリーで手に入ること自体が、世の中を大きく変える要因になり得るだろう。
才能のある人たちが世界中から集まり、それぞれの知識を出し合って、ソフトをより完成度の高いものにしていく。
お金儲けのためにやるのではなく、自分の能力を発揮すること、ユーザーが感心しながら活用してくれることこそが目的となる。
これは社会そのものが、我々そのものが変化する必要があることを示唆している。

D2X + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
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ツリー


思ったほど寒くはなかった。
日本橋のイタリア料理のお店で夫婦で誕生日の食事をした。
何歳だか忘れていたが、計算してみたら44歳らしい。
mixiのプロフィールの画面を見たら、ちゃんと年齢が44歳になっている。
自分の年齢を忘れた時に便利だ(笑)

人出が多くて驚いた。
12月はどこのレストランも予約でいっぱいのようで、いくつかのレストランから予約を断られたそうだ。
街は既にクリスマスの飾りつけが済んでいた。

D2X + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO

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惜別


さらばエミール・・・というわけで、愛車E46・330iは11月末で引き取られていった。
今はMrs.COLKIDのピエールを借りて乗っている。

何度か書いているが、慣れてしまえばそれほどの不満は無い。
けっこうキビキビ走るし、ピエールの欠点であるアンダーやトルクステアも、無茶な運転をしなければさほど気にならない。
ルパン3世みたいに肩をいからせて、ハンドルをわしづかみにして運転すると、こういう車は楽しめる。
問題は年末に大人4名+荷物で遠出する時だなぁ・・・
雪用タイヤも買わなくてはならない。

ところでルパンで思い出したが、NAVIを買ったらフィアットの輸入をされているKさんのインタビューが載っていた。
ベアのコレクターで有名な方で、10年近く前に遊びに伺ったことがある。
その時は凄いコレクションに感嘆した。
壁に飾ってあるポスターなどのインテリアも凝りに凝っていて、こういう方もおられるのかとカルチャーショックを受けた。
おしゃれでかつ凝り性でないとああはいかないだろう。
(つまり僕には無理ということ・笑)

D2X + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
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