告白


Z9 + TECHART TZM-02 + LEITZ SUMMICRON-M 50mm f2

大きな画像

オタクという呼び名が、一般に定着してずいぶんと経つ。
最初は少なからず悪いイメージが伴っていた。
まあ今でもあまりいいイメージは無いだろうが、以前のように忌み嫌われることは無くなった。
ある程度、市民権を得たと言っていいだろう。

当初オタクというのは、サブカルチャー愛好家の男性たちのあだ名であった。
彼らがお互いを「お宅」と呼び合っていたことを起源としているという。
外観はむさ苦しくて女性にはモテない。
その生態を誰かが揶揄して、1980年頃、彼らをオタクと命名したようだ。

何でもお宅という呼び方は、1950年代の学生運動の頃から、若者の間では使われていたようだ。
「君」より少し距離を置く呼び方として流行っていたのだという。
恐らくその距離感が、マニアックな趣味をもつ者同士の人間関係にちょうど適合しており、好んで使われたのだろう。

・・・と、まるで他人ごとのように書いた。
1980年代というと、ちょうど僕が大学生になった頃だ。
すなわち、僕はオタク世代の先頭にいたと言える。
分類を見ると「オタク第一世代」は1960年前後に生まれた人だと書かれている。
1962年生まれの僕は、オタク第一世代に属していると言えるだろう。

という訳で、告白しなければならない。
学生時代、友人とお互いのことを、確かに「お宅」と呼び合っていた。
「お宅はどうするの?」なんていう感じで、日常的に会話をしていた。
つまり実際に、オタクが誕生した時代を体験した世代であり、その当事者でもあったのだ。

別に黒歴史として隠していたわけではない・・・いや、やはり少し隠していたかな?
その当時は、まだ「オタク」などという呼び名で、自分たちが分類されるとは思ってもみなかった。
普段の会話の中で、そう呼び合うことに、何の違和感もなかったのだ。

何でそんな呼び方をし合っていたんだろう・・・と考えてみる。
確かにそれは、程よい距離感を保てる呼び方であり、とても使いやすいワードであった。
もちろん「君」とか「お前」などと呼ぶ事もあったが、趣味の話をする時は、自然に「お宅」を使った。
オタクと呼ばれる人たちは、友人同士でも、必要以上にベタベタした関係になることを嫌うものなのだ。

今にして思うと、自分が「お宅」という呼び方を使い始めたのは、確かに1980年頃の話だ。
僕より先に、友人が僕のことをお宅と呼び、僕もそれに倣って使うようになった・・・という記憶がある。
まさに大学生活の自由な日々が始まった頃である。
あの当時、お宅と呼び合った友人と、どのような日々を過ごしていたか・・・

毎日のように秋葉原に行き、アルバイトで得たお金はすべてオーディオにつぎ込んでいた。
カメラはF3と単焦点レンズ数本を愛用し、国内、海外を撮影して回った。
映画館には、ほぼ毎週のように通っていた。

オーディオ三昧、カメラ三昧、映画三昧・・・
・・・やっぱりオタクそのものじゃないか。
ていうか、今とそれ程変わっていないな。

アニメが入っていないが、実はアニメはそれ以前の高校生の時にピークを迎えていた。
高校入学と同時にコマ撮りの出来る8mmカメラを買い、ひとりでセル画を描いてアニメーションを作っていた。
音響監督をしていた叔父にお願いして、アニメーション会社の打ち合わせについて行ったりもした。

岡田斗司夫氏が、ご自身のことをオタキングと呼ばれている。
僕も多分近い環境にいたと思うのだが、そこまでディープにこの世界にどっぷり浸かるのは躊躇してしまった。
中途半端に「普通の人」の道を歩んでしまった感がある。

だが今や、世界規模でオタクが社会の主流になりつつあるのは、ご存じの通りだ。
恐らくIT企業のトップの大半はオタク系の人たちであろう。
それどころか、欧州各国の首相クラスまでが、日本のアニメで育ち強い影響を受けているという。

つまり一流の人たちは、総じてオタクだと言っていいだろう。
特定の分野に異常なほどの知識と情熱、それに才能を持つ人でないと、務まらない仕事なのだ。
まあ今でこそオタクと呼ばれるようになったが、もともとそういう過剰で少々偏ったエネルギーを持つ人たちが、世界を動かしてきたのだろう。
これからの若者は、オタクと呼ばれることに誇りを持ち、迷うことなくその道を邁進していただきたいものである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )