レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

井上靖『氷壁』その他

2006-04-30 19:44:11 | 
 私が猛然と読書するようになったのは都立高に行っていた1年の時期であるが、このころに読んだ中に『氷壁』があった。登山中にザイルが切れた事件を元にした話だときいたことがあったので、なんとなく手にとったのだと思う。
 アマチュア登山家の魚津とその親友小坂が冬の前穂高を登頂中、命綱のザイルが切れて小坂が墜死する。自殺説を含めた世間の憶測の中で、魚津は、小坂が想いを寄せていた人妻美那子にやはり惹かれていく。それを振り切るべく、魚津はまた山へ挑みーー。
 
 今年、これを「原案」としたテレビドラマがあったので、それを機会にまた読んでみた。この現代日本で、生死を共にするような間柄とは中々なさそうだが、山仲間というのは狙い目かもしれない、とか、年の離れた夫妻の独特の緊張感が上手い、この調子でオクタヴィアヌスとリウィアとクラウディウス・ネロの三角関係描いたらどんなもんだろ、とか、なにかと不純な感想も抱きながらやはり面白い。美那子が、死んだ小坂の妹かおる(魚津に惹かれていることになんの後ろ暗さもない立場)と会って、その清潔さに嫉妬する心理(自分は不純だと思っているので)は結構リアルだ。かおるが自分から魚津に結婚を申し込むのは中々大胆か。
 私は井上作品はあらかた読んでいるが、恋愛小説分野での最大ヒット作はたぶんこれだろう。特色は随所に出ている。友情モチーフのうまさ。美女の神秘性。ツンとした人妻と清楚な娘の対比。太っ腹な上司。こういった要素はこの作家のオハコである。--有体に言えばかなりワンパターンである。しかしそれを好きな読者も多いのだし、作者も好きなのだろう。
 ドラマの件であるが、「原作」ではなく「原案」という言葉を使っていることからも、かなり変わるだろうと予想はしていた。登場人物の名前も、同じなのは「八代美那子」だけだった。原作では美那子は単に奥様であるが、ドラマでは「専務」で、ヤシログループのネイルサロンを任されている。小坂から美那子への手紙がほとんどメールだ、ううむ、いまひとつ風情がなぁ・・・。携帯電話が当然のように使われている。なにしろ小説は50年まえのものなので、そのままの風俗では時代劇になってしまうだろう。単に奥様のヒロインでは馴染みにくいと判断されたのか。原作では、57歳の夫と30歳の妻で、かなりトシくった夫という感じに描かれているのだか、昨今、57歳程度ではまだまだだろう。それにこの夫役が石坂浩二なので、親子ほどの年齢差には見えなかった。
 最大の差といえばもちろん、小説では、魚津は美那子に、直接的な言葉ではなく気持ちを伝え、それで決別してしまうのに対して、ドラマでは、美那子が一時家を出て彼 奥寺(魚津に当たる役)と共に暮らす。そしてやがてまたもとの鞘に納まる。夫「お帰り」。そしてまた山へ向かう奥寺。こちらでは死にそうにない。そう、小説は悲劇である。
 そもそも、井上靖の恋愛小説はたいていが人妻であり、しかも、想いを告げたらそれで終わってしまう。即物的なフリンにはしらないのが常である。このへんの変更が最大の違いだろう。

 今年の1月に、同じ井上原作の『風林火山』のドラマもあった。こちらは話が別物というほどではなかったが、なんといっても・・・とびきりの美女でなければならない諏訪御前が不足だった・・・。
 もちろん、原作と離れることが必ずしも悪いとは言わない。私の熱愛する結束脚本・栗塚主演の『燃えよ剣』も、原作からも史実からも結構遠い。しかし、美しいことが必須の役どころならば、それに見合った人をあててほしいと思うことはしかたないではないか。来年の大河も『風林火山』、配役のほかに長さも気になる。50回もするほどの長編ではないのだが。これまた別物になりそうだ。戦国ものの短編はけっこうあるが、これらを上手く取り入れたら脚本家を尊敬する。
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『ファルコ』新刊

2006-04-29 13:25:37 | ローマ
 リンゼイ・デイヴィスの『密偵ファルコ』の12冊め、『亡者を哀れむ詩』、今月の新刊。1世紀のローマ、ウェスパシアヌス帝の時代、密偵といいつつその実は結構なんでも屋に見えるマルクス・ディディウス・ファルコが、ケチな皇帝に使われて東奔西走するミステリー。ファルコは最初の巻で30才になり、この巻12巻で35才と言っている。親父は昔家出して商売やっていて時々登場する。たくましい母や姉妹たち、山ほどいる甥姪たちに悩まされつつ貧乏暮らしするファルコが、元老院議員のお嬢様で出戻り未亡人ヘレナ・ユスティナと恋におちて、いろいろあっていまは一女もあり。むこうが身分を落として結婚したけど、今回ファルコが騎士階級に昇格したということなのでとりあえずめでたいのだろうな。ヘレナの父上がボロ家を訪ねたとき、娘が自らペンキ塗りしてるので仰天するけど本人はけろりとしているシーンは楽しい。きれいで勝気なヘレナと毒舌の応酬することをファルコは楽しんでいて、そしてメロメロなのもよくわかるのは微笑ましい。
 フィクションに描かれるローマというと、とかく退廃・悪徳のほうが誇張されがちだけど、特権階級だけでなく市井の人々の生活も出てくる点がいい。出番少ないけど皇帝も働いている感じがあるし。
 この巻、物書きのシュミもあるファルコに自費出版の話が持ちかけられるけど、その業者が殺されてしまい、作家たちが容疑者にあがっているーーという話。本作りの様子や、原稿を関係者が批評する場面など興味深かった。
 マエケナスの名前は出てきましたよ、「倒錯者」ともろに言われている・・・。史的根拠はあったのでしょうかね、それとも単にフィクションでのデフォルトなのか。リウィアも言及されます、50ページです。

 ところでこのタイトル、私はいまだに「密偵」より先に「修道士」と出てきてしまう。青池保子ファンでもないのに、シャクだ。
『密偵ファルコ』 1世紀ローマ
『修道士ファルコ』 14世紀ドイツ
『修道士カドフェル』 11世紀イングランド
混乱する人はきっといるだろうな。
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コーヒーと紅茶

2006-04-27 17:09:32 | ドイツ
 コーヒー党か紅茶党かといえば、私は紅茶党である。目覚ましのため、または満腹感を感じたいためにコーヒーを飲むことはたびたびあるが、カフェインに弱いタチなので朝以外は飲まないことにしている。(実は紅茶のほうがカフェインは強いのだともきくが、なぜか私にはコーヒーが強烈に効く)
  ドイツはコーヒーが美味い、ドイツ人の紅茶の入れ方は無礼に近い、とドイツ文学者の小塩節さんが書いていたことがある。私は特に味にうるさいほうではないが、せっかくの機会だからと、ドイツでホテルに泊まるときには朝食ではコーヒーを選んでいた。パンが美味い、ソーセージが美味い、それにコーヒーの組み合わせは確かに絶品である。ただでさえ大食いで、かつ寝起きもよい私は、いつも朝食が楽しみだった。ホテルの値段の高低に関わらず(といっても高いホテルなど使ったことはない、日本円にして1万円以下、ユースならば3千円程度だった)、パンに不満を持ったことはなかった。
 「ムービック」で出していた、海外旅行エッセイコミックのシリーズの「ドイツ」で、イギリスとドイツへ続けて行った人が書いていた:イギリスのはマズイってきいてたけどそうでもないじゃんと思っていた、しかしドイツへ移動して、駅の売店でホットドッグを食べた瞬間に、イギリスはゲロマズだったんだとわかった、それくらいそのホットドッグは美味しかったーーと。そうだろうとも。パンだってソーセージだって世界に冠たるものなんだから! ほかにも散々、イギリスはマズイ!という話はある。紅茶とかスコーンは美味いらしいけど。
 で、ドイツの紅茶の話である。ガイドブックに、あるカフェの推薦で「ここは紅茶をお茶っ葉から出している」と書いてあってそれが不思議だったが、それがわかった。カフェで紅茶を注文すると、ティーバッグで出てくるのだ、もろに!日本だったら、本当はインスタントであってもそれは隠そうとするだろー?どうもわからんドイツ人の感覚、正直なのかズボラと言うべきか。
(日本でもティーバッグで出てきて、好みの濃さに応じて出しなさいという店はあるらしい。しかしなぁ、やはり興ざめでないかい?)
 まぁ、ドイツといいイギリス(行ったことないが)といい、グルメ国のイメージはあるまい。その点日本はグルメ度高いだろう。そういえば、1990年の夏に慶応を会場として催された「ドイツ語学文学国際学会(IVG)」で参加者に配布された日本ガイドの冊子には、「日本はグルメ天国」だと断言していた。私も、日本の食文化は誇るに足るものと思っている。一方、非グルメの文化にも、私は決して悪意を持たない。食べ物にモンク言うなんて軟弱だ!という感覚もむしろ好きだ。 
 オシャレでグルメなゲルマン人なんてヤだ!知人がアイスランドの印象を、「清潔だけど趣味はダサい」と書いていたけれど、そう、健全でヤボでなくちゃ!ーー異邦人の勝手な感傷です。
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マンガ遍歴

2006-04-26 13:26:57 | マンガ
 小学生のころ(というと1970年代)は、まず学年誌のマンガに夢中になった。当時はまだ「てんとうむしコミックス」なんてものがなく、「小学○年生」から単行本化なんてまずされない時代。だから、お気に入りは切り取っていた。雑誌をバラバラにすることを思いつかなかったので、カッターでノドから切り、ホチキスで反対側を閉じていた。
 友だちの家で「りぼん」を読む時期があり、その後「別冊マーガレット」を自分で買うようになった。70年代前半。当時は、美内すずえ、和田慎二が2大看板。この二人はじきに「花とゆめ」(創刊74年)とともにあちらへ移ることになる。私の一番贔屓は、河あきら、市川ジュン。このころには、雑誌を根元から分解することを覚え、好きな作家ごとにまとめてボンドでくっつけ、色画用紙で表紙をつけて単行本の真似事をした。貸本屋もどきに遊んでいた。
 小学校高学年のころには『ベルばら』(72-73連載、74年から宝塚で上演)にノメる。クラスの女子ほとんどがファン、そういう時代だった。
 なんとはなしに「別マ」から離れて、中2の頃からは『あさぎ色の伝説』目当てに「ララ」(76年創刊)を買うようになる。私にとって70年代は小中学校時代と重なるが、あのころの少女マンガは元気いっぱいだった。そして80年代は高校以降で、少女マンガが全盛であったような気がする。
 「ララ」はかなり長いこと買っていた。山岸涼子、大島弓子、坂田靖子、森川久美、木原敏江、青池保子、成田美名子、ひかわきょうこ(私の一番贔屓だった)、篠有紀子、かわみなみ、樹なつみ、・・・思えばたいへんなメンバーだった。
 高校時代の半ばに『エロイカより愛をこめて』にハマる。
 大学時代の終わりに、あずみ椋作品との出会いがあり、2年後に『緋色い剣(あかいつるぎ)』に本格的に傾倒する。
 88年、佐々木倫子『動物のお医者さん』が始まったことから、それまで時々買っていた「花とゆめ」を毎号買うようになる。6年の連載のあと、中々佐々木さんが再登場しないこと、久々に期待した『天上の愛 地上の恋』がすぐ終わってしまったことからやめた。その『天上~』が再開したので「メロディ」を買っていた時期もしばらくあった。「別冊花とゆめ」は月刊化したときから購読し始めて、2004年始めにやめた。
 
 『うれし恥ずかしなつかしの少女マンガ』という本が去年出た。「鈴木めぐみの情熱的マンガ生活」というサイトの主催者の著書。「なつかし」の対象は私が現役「少女」であったころのマンガだ。この本に、雑誌別の分析がある。「別マ」読者は優等生タイプ。「花とゆめ」読者はオタクの気あり。あのころの「ララ」読者は、いまでもマンガを読んでいる。「フレンド」「なかよし」の人は、マンガから離れている。--私は優等生タイプではなかったのだか、そのほかの点ではあたっている。「フレンド」「なかよし」とはなんとなく縁がなかった。めぐみさん凄いぞ!
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「女性」という言葉

2006-04-24 11:32:33 |   ことばや名前
 実を言うと私は「女性」という言葉を好きでない。
 理由その1.「女」を差別用語と勘違いしているかのような気取りを感じることがあるから。極端な例だと、「子供を産まなくなった女性は用なし」などという、尊重した意図などまったくない文脈では、「女性」がかえって不愉快である。「女性」と言っておけばとりあえず紳士、のような錯覚があるのかもしれない。メロドラマや演歌ならば、「女」のほうが風情がある。「性」がつくことでかえってセクシーでなくなってしまう。アクションものならば、戦う「女」のほうがかっこよい。これは男で考えるともっとわかりやすい。映画『グラディエーター』の説明に「新皇帝の陰謀で妻子を殺され剣闘士に身をやつした男性の復讐」と書かれていたときには気が抜けた。ここはどうしても「男」でないとしまらない。
 もう一つの理由、「女性」は、性別以外の情報を伝えない。
つい先日、ドラマの筋の紹介でこう書いてあった、「今回のメインは、セレブの御曹司と女性との結婚」--あのー、御曹司は男だから結婚するなら相手はたいてい女でしょ。「庶民の女性」みたいに、なにか説明がついてないと意味ないでしょ。
 映画『王妃マルゴ』で「宗教戦争のさなか、政略結婚を強いられた貴族の女性」--貴族が政略結婚はあたりまえだ、というツッコミはおいといてーー貴婦人とか令嬢のほうが言葉としてきれいだと思う。私ならばここは「美貌の王女」と書く。
映画『エマ』も、「世間知らずの若い女性」だった。これもお嬢様の話(ジェーン・オースティンの小説はみんなそう)なので、「令嬢」とでもしたほうがわかりやすい。
 若いならば、女の子、少女、娘、おねえさん、その上の年代ならば、おばさん(単に中年女性というだけの意味で使うならばこの言葉は別にきらいではない)、おばあさん、老婦人。年齢層や立場や職業などの言葉で、そして性別を伴っているほうが望ましい。もっとも、たいていの職業名は男のほうに印象が傾いているので、区別するなら「女性」なんとかになってしまいがちではあるけど。
 石坂洋次郎の『石中先生行状記』、昭和の初めごろが舞台だったろうか、ある田舎のおばさんが「近頃女性女性といってるのは、若くてきれいな女の子のことかと思ってた」と言う。大正あたりならば、多少きどった言葉はむしろ「婦人」だろう。「女性」の登場したころには現代よりもずっと洒落た感じに思われていたことをうかがわせる。
 あと、コドモが「女性」なんて言ってたらなんだかナマイキに見えるだろう。「女」では生々しくて行儀が悪いとなると、「女のひと」くらいが無難か・・・と、あくまでも主観ではある。
 要するに、なんでも「女性」「女性」ですませずに、文脈にふさわしい言葉を選ぼう、と言いたいのである。
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石田寺ノート

2006-04-23 13:02:40 | 新選組
私は中学生になるあたりから新選組にはまり始め、2年の春(’78年)に東京に引越し、そのころから新人物往来社の新選組本をせっせと読むようになった。その中の『土方歳三の世界』という本に、「石田寺ノート」という章があった。歳三の生家は東京都下日野市の石田、その近くの石田寺(せきでんじ)に(お骨はなくても)お墓がある。その墓前ノートに、訪れたファンたちが思いをつづっていくのであり、そういうノートから一部が本に収録されていた。私はそれにたいへん興味を持ち、自分でも出かけていった。お墓の傍らに小さな本棚が置かれ、そこには数十冊のノートがあった。めいめいが自分のノートを置き、そこで、情報交換や作品発表、交流がなされていた。自分で描いた作品、サークル活動の本もあった(当時はまだ、同人誌という言い方はさほど定着していなかった)。私も、自分のノートを置いたり、ほかのノートにせっせと書いたりして、様々な新選組語りに熱をあげていた。(これ、いまネットでしてることと変わらんな) そうやってできた友人でいまもお付き合いのある人もいる。
 しかし数年後、台風で墓前の本棚が壊れてノート類が飛散した。これをきっかけに、そろそろ収拾がつかなくなっていたこともあり、ノートは一度に1冊だけ、と決められ、ひところのような百花繚乱のありさまはなくなった。
 確かに、お墓はそもそもお参りをするところであり、長々と居座ることは場違いであろう。社交の場になるのも不謹慎かもしれない。しかし、やはりあの様々な、持ち主の個性も現れたノートの世界は楽しかった。
 もう長いこと石田寺には行っていないが、いまも1冊は墓前ノートがあるのだろうか。訪れる人々は代替わりしているに違いないが、気質は変わっているだろうか。
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歴史を変えた美女

2006-04-22 18:51:24 | 歴史
去年まで、「週刊100人」という雑誌があり、世界史上の重要人物を取り上げていた。当時そのHPがあり、何回か読者による投票が行われていた。第1回目のテーマが「歴史を変えた美女」。私が見たとき既に「シシィ」の名があったので私はまずこれに票を入れた。あとで知ったが、これはすべて読者サイドの投票で成っていて、一人は一回しか入れられない、そして編集部は介入しないそうだ。--そうと知っていれば、半分冗談で「アウグストゥス」の名を加えていただろうに。
 3ヶ月の投票の結果は、1、ジャンヌ・ダルク 2、クレオパトラ 3、マリー・アントワネット。どうも信憑性いまひとつのメンバーではないか。ダイアナ妃やモンローがはいってることは問題ない。しかし、マザー・テレサはどうなのか。ナイチンゲールは、実際に美人でもあったというからヘンではないが、そこまで知ったうえで入れているとは思えないのだ。「白衣の天使」→優しそう→キレイそう というイメージのほうが大きいのに違いない。紫式部だの、エカテリーナだの、「美女」の信憑性どころか元々そういうイメージさえない人々の名前も混じっている。功績のある人、有名な人、それらをみな「美女」の中にひっくるめてしまっているという印象だ。そもそも、写真がある現代の人も、数千年昔の人も同じに扱うことに無理がある。たまには、信憑性を考慮しつつ、時代や地域を分けて、マジメに考察する機会があってほしい。・・・そんなランキングしたところで自分が美人になるわけじゃなし、とか、どうでもいいよオレの彼女じゃないんだから、と思う人のほうが多いのだろうけど、私はものすごく興味があるのだ。
 なんのかんの言っても、これらの投票の中でこの「美女」が一番盛況であったようだ。「政治家」「発明家」「日本が世界に誇る偉人」よりも、全体での得票数が多かった。「歴史を変えた美男」もやってくれ、と私はリクエストしたが、応じてもらえなかった。
 どこかの個人サイトで以前やっていた「歴史人物美形コンテスト」投票では、1、チェーザレ 2、シシィ 3、土方 という結果だった。

 似たような投票を、2001年の秋に出た集英社の「学習漫画世界の歴史」のhpでもやっている。こちらは、編集部でノミネートしてあって、一人何回でも入れられる。上位は1、ジャンヌ 2、マリア・テレジア 3、クレオパトラ。 まだ
やっているので、興味のある方はご覧下さい。私はマリア・テレジアに何度か入れた。並んでいるメンバーのうち、私が好きで、キレイと認められるのがこの人だけなもので。


 メンクイ話はこの先も、あちこちのカテゴリーでします、悪しからず。
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三浦しをんさん

2006-04-20 14:24:37 | 
作家に対する好き嫌いは一筋縄ではいかない。作品が面白くないからといって作者を嫌いになるとは限らないし、逆も然り。そして、作品以外の点で好感を持つこともある。これは本人にとっていいのか悪いのかわからないが、作品以前の点で好意を感じている作家の一人が、三浦しをんである。

 作家の名前が呼び捨てたったり「さん」づけだったりすることに特に意味はありません。

 最初に知ったのは、マンガ誌「ウィングス」のエッセイ『シュミじゃないんだ』だと思う。このタイトルは、自分にとって本・マンガを読むことはシュミの域をこえた生きがいなのだ、という意味だそうだ。内容はといえば、ボーイズラブ作品のお勧め作品紹介。
 エッセイ集『妄想炸裂』がその新書館の文庫で出たので買って読んだ。古本屋でアルバイトしていて、同僚との会話で好きな俳優の話になり、長谷川一夫だの三船敏郎だの、あげく笠智衆に森繁なんて渋すぎる名前がぞろぞろ出てくる展開がやたらとおかしかった。よその古本屋に、出張という名目で出かけて過去の名作を漁って喜んでいる様は、マンガへの心からの愛に満ちていて好ましい。別のエッセイで、清水玲子の『秘密』を白泉社自身が「少女マンガの枠を超えた」とかなんとかアオリをつけていることに対して批判していた。ステレオタイプのキラキラ世界ではなくて骨太の作品だと言いたいことはわかるが、「少女まんがの白泉社」がそういう少女マンガをなめたようなことを言っていいのか、という言い分。そーだ、よく言ってくれた。
 「百合姫」という、ユリまんが雑誌があり、そこでしをんさんは、ユリ作品のお勧め紹介を書いている。ホモものは好きなくせに、「レズ」--ホモもレズも差別用語と見られることがあるので要注意ーーは気持ち悪がる女に私は腹が立つが、この点でも頼もしい。おまけに、前号では『セーラームーン』をよいしょしていた。「あたしにはもう、命を捧げたたった一人の人がいるわ」「そう、だからあたしたち男なんかお呼びじゃないのよ」。某2chで、「原作ではうさぎマンセー、あれではほかのセーラー戦士は一生独身でいなきゃいけない」とマンガ版への批判を読んだことがあるだけに、上記のセリフを賞賛してくれたことが嬉しかったのだ。
 その嬉しさの勢いで、そのころ新潮文庫から出た出世作『格闘する者に○』を買った。いい家の娘だが家を継ぐ気など皆無で、マンガ好きなのでそういう出版社に勤めることを希望して就職活動中の大学生が主人公。やはり作者のマンガ愛が感じられた。
 そのほかに読んだのは、小説『ロマンス小説の7日間』と、エッセイ集『人生激情』。前者は、ロマンス小説の翻訳をしている主人公が、つきあってる男へのイライラをその作品にぶつけてしまい、訳ではなくてどんどん自分のシュミで書き変えていってしまい・・・というもの。ハーレクインヒストリカルな世界へのツッコミに満ちていて楽しかった。
 後者の本で印象に残ったのは、毒入りカレー事件の犯人はなぜ「真須美被告」と呼ばれるのだ、夫のほうが従犯らしいならこちらを下の名前で呼べばいいだろう、私的な性格の強い下の名前を使うということは、女には公の生活がないと言ってるのか、という部分。これは私も常々感じていることだ。
 このように、三浦しをんという作家を、まとまった本はあわせて4冊しか読んでいないのだが、少女マンガ好き、やおい好きかつユリも尊重、そしてフェミニストの意識もある、ーー私が親しみを感じる理由はたっぷりある。応援したい。
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椿は椿

2006-04-19 16:03:16 | 雑記
 初冬に目の保養になってくれるのは山茶花だ。つやつやした濃い緑の葉と、白またはピンク・紅色の花との組み合わせがたまらない。
 季節のだいぶ遅い椿も見た目は似ている。花の大きさや葉の形に違いがあるらしいがよく把握していない。わかりやすいのは、花の散り方ではないだろうか。
 先週、母が椿をもらってきて、洗面所の花瓶にさした。開いた花とつぼみと合わせて三輪あった。鮮やかな濃いピンクの花は、数日後に、まるごと落ちていた。江戸時代、椿のこのような落ち方が、首切りを連想させるというので武家では忌まれたというが、それが納得できてしまう。その点、山茶花は花びらが散っていく。これなら武家でも問題なかったろうか。
 昨日、花瓶に残っていた一つの蕾も落ちていた。これまた、もののみごとにまるごと。ううむ、蕾のうちから椿は椿なのかと妙に感心してしまった。「栴檀は双葉より芳し」という言葉はこういう時に使うものではないだろうが、雰囲気としては合っていると思う。ついでに連想するのは、宗教画によくある幼児イエスと洗礼者ヨハネ。ヨハネといえば、毛皮をまとったワイルドな姿がトレードマークであるが、幼児として描かれるときにもやはりその格好なのだ。リアリズムからすれば無茶で笑ってしまうが、それでないとヨハネと思ってもらえないのだろう。
 「栴檀は」のことわざは、「偉い人は幼少のころから優れている」という意味だそうだが、なんとなく、美しい人についても合いそうな言葉に見える。
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「すてきな主婦たち」5月号

2006-04-17 13:39:43 | マンガ
双葉社の月刊誌。
ふだん買う雑誌ではないです。今月は「さくら」を買わないのでその代わり、というわけでもなく、ほかでもないあずみさんの再録があるから手にしました。その作品は前にも買っていたからどうしようかと思ったけど、ほかに結構好きな作家たちが載っていたので買いました。

あずみ椋『ライオンの牙』
シングルマザーの由加は、見合いパーティーで出会った美青年柊也と即座に惹かれあって結婚、しかし彼には秘めた残忍性があった。雄ライオンは、奪った雌ライオンに自分の子を産ませるために前の雄の子を殺すと語り、それを実行してみせる。
 遠い昔の戦士たちの世界でならば、多少の野蛮さも強引に納得させられないでもないが、現代日本の話での異常心理は恐ろしさが引き立つ。そうロコツな描写があるわけではなくても、いわゆる耽美型の絵でなくてもセクシーさを感じさせる。
 それにしても、後妻または妾が自分の子を跡継ぎにしようと画策する設定は多いが、男にも自分の血に執着する心理はあるというテーマにはある種の安心感を覚える。

名香智子『マダム・ジョーカー』
初めて読んだシリーズ。財閥の長(ハンサムで貞節)の妻の蘭子は、知人のバザーで知り合った人に不倫の相談を受けて逆恨みされる。もののわかった知人曰く、不倫でヒロイン気分を味わっていて自慢したいのがああいう人の本音、答えなんか自分で出してるからそれと違うことを言ったら気を悪くされるのだと。
 結局、その不倫妻は、夫でないほうの子でもいいから子供を産んでしまおうと思っているのだった。しかしその浮気相手は明らかにガイジン、それじゃバレるだろーー!?ってオチ。
 私としては、子の父がどちらになるかよりも、そんな浅はかな女が親になることが怖ろしい・・・。
 ところで、蘭子さんの容姿は『シャルトルシリーズ』のレオポルディーネのような、いかにも名香さんらしい(日本人に見えん)ゴージャス美人だけど、知人杉浦さんというのがはっきり言ってゴリラのようなおばさん、そしてそれが意外に浮いてない。名香さんはキラキラ絵のわりに美形の描き分けも豊富だと思っていたけど、ふーん、こういうブサイクキャラもいけるのか。

神坂智子『白の花嫁』
東京の大学生綾子は、結婚の約束をした先輩ケイとともに彼の実家に来る。地方の旧家であるその家には花嫁姿の亡霊が現れる。
 かつて、そこに嫁いだ菊乃は夫に省みられず、夫は女中の桜子と蔵で忍びあい、子を産ませた。菊乃は桜子を惨殺し自殺、跡を継いだ桜子の息子の嫁は変死し、妾で子を成した。そうして代々、どの嫁も早死にし、妾腹の子で継がれてきたという。
 そもそも悪いのは夫なのに、妻の殺意が愛人のほうに向いたことがやりきれない。正妻をなだめる器量もない男に浮気する資格なんかない!

 偶然、上記の3作とも、女=産む ということが多少なりと意識された話であった。
 ほかに、この号で好きな作家といえば、河あきら、魔木子。これらはほのぼの路線。前者は犬の活躍するホームドラマ、後者は霊能者が人助けする時代劇。
 全体として、悪くない手ごたえの雑誌だった。また買うことになってもイヤじゃない。
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