レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『更級日記』と『燃えよ剣』

2006-04-08 16:52:09 | 新選組
この両者になんの関係があるのか?私にとっては大有りなんです。

 『燃えよ剣』は何度か映像化されていて、最高傑作として定評のあるのは、昭和45年(1970)放映の連続テレビ映画である。結束信二脚本、栗塚旭主演。私の母(やその姉や母)は、これの熱狂的ファンだった。本放送当時は私はまだ小さかったので、テレビ鑑賞のジャマしかしていなかった(いまにして思えば)。私が小学生のころに「東京12チャンネル」(現「テレビ東京」)で再放送しており、ウチは当時千葉県K市に住んでいたのでそれを母は見ていた。私にも見せたがっていたが、11時代は遅かったので中々その機会はなかった。冬休みにほんの数回だけ見ることになったのだが、前後をあまりわかっていなかった。それにも関わらず、死期も近い沖田を、これから北へと向かう土方が別れに訪れる月夜、ーーあれに私は泣いた。明朝、医者が訪れると沖田の命は既になかった。それまで音をたててまわっていた水車が止まっているという心憎い演出。
 私はテレビ局に投書をしまくった。見たい!の一心で。それから約1年、転勤でウチは東京に引っ越した。相変わらず投書は続けていた。新選組書籍をたくさん出している「新人物往来社」にもなにかの投書、本のリクエストでもしたのだろう、新刊案内が来るようになった。そして、中学3年のある日、届いた葉書の片隅に、『新選組血風録』上映会の案内があった。この『血風録』は、『燃えよ剣』の5年前に、似た配役・スタッフで作られた作品で、モノクロゆえに放映が難しく、「幻の名作」と呼ばれていた。それが、奇特な有志によって上映会が行われるというのだ。私はもちろん行った(母も)。期待以上の圧倒的な、震えのくるほどの感動だった。(これについてはまたいずれ)
 それからひと月もたっていないある朝。新聞のテレビ欄の片隅、12chの夜に(新)燃えよ剣 という文字を見つけたときの私の心臓の状態をどう表現したものか。ぬか喜びはしたくないので、電話して確認した。あの 『燃えよ剣』だった。 当時まだビデオは出てきて間もなかったので、カセットは高価なものだった。それでも、これをパスするなんて問題外だ。高校受験勉強に励みつつ、昼寝して夜起きて、CMカットして味わった。ようやく野望は果たされたのであるが、遺憾ながら、このときの放送は不完全であった。つまり、ところどころカットされていたのである。
 そして、高校生になってからの夏。今度は「テレビ神奈川」で放映された、しかもノーカットで、予告編までついて!

 さて、『更級日記』。母がかつてお世話になった国文学のM木先生が当時教育テレビの「古典」に出てらしたので、私もそれを見ていた。これらの講義の中に『更級』が、あの有名な、物語への傾倒ぶりを示す部分が含まれていたのである。父の任地である東国で、母たちの語る「物語」という世界に魅了されて、読みたい読みたいと焦がれる筆者。仏像をつくってもらって、「都へあがって、物語をありったけ読みたい」と祈る。そして13才で都へ。やがて、太っ腹なおばさんのはからいで、『源氏物語』全巻を入手して没頭する。--わかる、痛いほど、わかる!「この物語、あの物語、光源氏のあるやうなど」→「燃えよ剣、俺は用心棒、栗塚旭のあるやうなど」 もちろん『燃えよ剣』等々は『源氏』よりもはるかに殺伐としてはいるけれど。

 なお、いまでは『燃えよ剣』も『血風録』も、ビデオやDVDになっている。今昔の感ありである。しか私自身は、この『燃えよ剣』をレンタルで目にしたことがない。同じ栗塚主演の劇場用映画(メロドラマと思えばそれなりにまとまってはいる)か、役所版のテレビドラマ(4巻もの)はあるのに。遺憾なことである。
コメント
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