レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

謙信に似た人

2007-11-29 05:41:13 | 歴史
 大河ドラマ『風林火山』は終わりに近づいている。主役級に美形のいないドラマであった。いちばんの正統派美男は、今川義元の谷原章介だったと思う。
 謙信に美男説はないはずなのに歌手のGacktを起用しての「ビジュアル系謙信」っていったいどうなるんだ、と思っていたが、いろいろな意味でぶっとんだキャラになっていたので、案外あれで合っていたのかもしれない。(これまで女っ気なしで通してきたのに、いまさら相手役の美女キャラなんて出したことには抵抗があるけど。)
 ここしばらく見ていて、アレクサンドロスと重なると思った。けっこうブチ切れる性格、神がかり的要素、「英雄」だけど好色でないことなど。領土野心が最大の違いか。
 もっと渋くとらえるならば、エルヴィン・ロンメル将軍も出てくる。フェアプレイを重んじる、暗殺者を許したエピソード、「英雄色を好む」にあてはまらない点(ロンメルが貞男の愛妻家だったことは有名)。
 潔癖で偏屈な人間嫌い、ということで甥の景勝と合わせて、ローマ2代目皇帝ティベリウスもアリだ。(既に言及したので詳しくは略)

 こういう、誰と誰が似ているなんて話は、しようと思えばいくらでも出てくるし、あまりムキになっても仕方ない。でも、思わぬところで好きな人物同士に発見するとなんとなく嬉しい(?)。
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『だめっこどうぶつ』

2007-11-27 05:43:48 | マンガ
 もともと白泉社の少女誌で執筆していた桑田乃梨子は、いまはむしろ青年誌のほうがメインになっているようだ。私は、単行本が出たら買って楽しむライトなファン。「別冊花とゆめ」で描いてるころにはいまひとつだったけど、そのあとのほうが盛り返しているというのが私の感想。
 『だめっこどうぶつ』は、竹書房「まんがライフ」連載の4コマ。狩りのできないダメ狼の「うる野」(名前)がたどりついたのは、どこかヘンな動物たちの集まった森。乱暴ものの与太者ウサギ「うさ原」、自称森の主、イベント企画好きではすっぱな女が好みのユニコーン「ゆに彦」(ユニコーンとは本来、キヨラカな乙女しか近づけない生き物)などにツッコミをいれられ、とろいチータの「ちーこ」に片想いして、ダメ仲間のペガサス「ぺがの助」と慰めあい、うる野のダメライフはぼーっとにぎやかに過ぎていく。

 副題が「桑田着ぐるみ劇場」、3頭身キャラが動物の着ぐるみを着た感じの絵である。こんなの、と見本を示すために、もう数年前のものだけど、アニメのほうのHPを紹介がわりに貼っておく。(私は見たことない)
「だめっこどうぶつ」
 まず素朴に言って、--かわいい。上手いとかキレイとかいうタイプの絵ではないけど可愛い。それでころっとした動物なのだからもちろん可愛い。
 単純明快なネーミングもいい。大昔、茶色いクマのぬいぐるみに「ちゃくま」というシンプルすぎる名前をつけていた過去を持つ私は他人事と思えない。
 ギャグのなかにもときどきリリカルさが混じる。「雨天ピクニック」などという物好きなイベントの終わりに泥を落としに海へ行ってのやりとり、「雨のしずくが海面に落ちるのを見ていたよ 冠や花みたいできれいなんだ」「空を見てごらん」「水の花火みたいだね」  海は長いこと行ってないし、予定も当分ないけど、行ったらこれを思い出そう。
 うる野が、書いて出せなかったラブレターを見てやるせない気持ちになってると、ゆに彦がいきなり現われて「やるせないゴミの日は第2第4金曜だよ」、「さいしょから出す気がなかった自己満足な日記のかわり」は「ゆるせないゴミの日に出すといいよ」--この「やるせないゴミの日」「ゆるせないゴミの日」が笑いのツボだった。 メールもゴミにできるならば、迷惑メールの群も「ゆるせないゴミ」に出したい・・・。
 季節感豊かな内容でもあるし、カレンダーにするのに合うなぁ。
 現在、単行本3巻まで。A5サイズ。
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このごろ買った本

2007-11-27 05:39:37 | 
井上靖『淀どの日記』
夏目漱石『虞美人草』『草枕』
三浦しをん『仏果を得ず』
酒井順子『携帯の無い青春』
小谷野敦『リチャード三世は悪人か』
中村桃子『<性>と日本語 ことばがつくる男と女』
『マリと三匹の子犬たち ポストカードブック』
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ドイツの世界遺産

2007-11-25 06:52:55 | ドイツ
 NHKの「探検ロマン世界遺産」の特番として、プロが選んだベスト30が発表されていた。
1 ペルーの「マチュピチュ」 2南米のイグアス国立公園 3 カンボジアのアンコール遺跡
 
 30位以内にはいったうちで私も関心のあるところは、ローマ歴史地区、ヴェネチア、モン・サン・ミシェル、エルサレムなど。
 それにしても、・・・ドイツがまったくないっ!

 ドイツの世界遺産で私が行ったことのあるのは(当時まだなってなかったものも含めて)、ケルンの大聖堂、バンベルク旧市街、ヴァルトブルク城 ライン渓谷 マウルブロンの修道院 ヴュルツブルクのレジデンツ ドレスデンのエルベ河畔 ベルリン博物館島。名前を並べてみるだけでは読まされる側は面白くもなんともないとわかってはいるし、感想やコメントだってよほどの腕がないと読み応えは中々あるものではない。でもなんとなく並べてみたくなるのも人情。上記8つのうち、すでに話題にしたことのあるものも多い。愛着や関心が最大なのはラインだ。圧倒的だったのはケルンの大聖堂。駅を出るなり、前にどーんとそびえているあの巨大な雄姿はやはり一見の価値があると思った。おおっ、少佐と「白クマ」が会見したところだ!という感慨も。周囲に博物館が多いこともポイントアップ。
 この大聖堂、TBSの「世界遺産」ではとうに取り上げたけど、NHKの「探検ロマン」では12月8日に放映だ、楽しみ。
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『カサノヴァの帰還』

2007-11-22 14:27:58 | 
「カサノヴァ」といえば、「ドン・ファン」と並ぶ「女たらし」の代名詞である。カサノヴァはロココ時代の実在の人物で、出身はヴェネチア。単なる放蕩者ではなく、大胆な冒険者でもあった。
 アルトゥール・シュニッツラーの小説『カサノヴァの帰還』は、すでに五十男になった、若くはない色男が故郷に帰る途中で旧知の夫妻に男に会って招待され、彼の若い姪に惑わされる顛末を扱っている(フィクションである)。美しいマルコリーナは学問好きな才気ある娘で、カサノヴァと対等の議論もできるインテリ。自分の過去の名声に関心も示さない堅い娘にますます執着を感じるが相手にされない。おまけに、ヴェネチア政府は、帰郷を受け入れる代わりに反体制派をスパイする役割を負わせようとしていることに屈辱を感じる。そして、マルコリーナが自室に若い士官を招きいれていることを知る。
  
 シュニッツラーは、ウィーンで活躍したユダヤ系の劇作家・小説家。1862-1931。黄昏のウィーンのデカダンでアンニュイな雰囲気をたたえた作品が看板である。女のことしか頭になさそうな男、そんな男のために破滅する女、基本的に硬派好みである私からすると、ええい軟弱者!とどやしつけてやりたくなるのもやまやまであるが、もちろんいろいろな傾向の作品があるから上記のような説明は必ずしもあてはまらない。面白いかと問われれば、面白いと答えるだろう。精神分析のフロイトが出てくる街にふさわしく、屈折した心理の綾、わけのわからん状況のあやしさなど、巧みに表現する。岩波文庫の『夢小説 闇への逃走』、『闇への逃走』は、友人の発狂に怯えを感じた男が、医者である兄に、もしも自分が狂ったら殺してくれと無理に頼み込んで証書まで書かせるが、その後、もし自分は正気なのに兄のほうが狂ってしまったらどうなる、と新たな恐怖にとりつかれて・・・という話で面白い。『夢小説』は、かなりいかがわしげな冒険の一夜。『アイズ ワイド シャット』という手抜きタイトルの映画はこれを原作としていたそうだ(未見)。

 『カサノヴァの帰還』は、アラン・ドロンで映画化(『カサノヴァ 最後の恋』)されたらしい。
 この小説の邦訳はまえに単行本で出ており、それがこのほど、ちくま文庫で復活したのでこの際紹介した次第である。
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きのうの日記

2007-11-19 13:41:05 | 雑記
 目覚ましをかけてはあったけど、そのまえに気持ちよく目覚めた。8時間の睡眠。 
 前日に、「エクセルシオールカフェ」で買ってあったパニーニを朝食にした。
 
 この季節の恒例である「ドイツ俘虜慰霊祭」に行った。(詳しくは去年の11月19日の記事参照) 津田沼の駅前から、通常ならばバスで15分程度なのに、デモがあったとかでひどい渋滞、30分以上かかり、霊園に着いたときにはもう始まっていた。挨拶、献花、ご焼香など、いつもと同じ。そして自衛隊の一室で仕出し弁当を食する。デモで混むかもということで、いつもよりも早くお開き。でも帰りのバスは普通に走れた。
 往復の電車の中で、『されど、われらが日々ーー』と『若きウェルテルの悩み』を読了できた。帰りは神保町で途中下車して、久しぶりに書泉グランデへ。この店は袋やカバーが凝ってて好きなのだ。シルエットからするとコスモスの絵、でも色は渋めのグリーン系というしゃれた袋をもらえた。次の機会はいつのことだろう。
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ドイツ「書簡文化」と女性

2007-11-16 05:42:30 | 歴史
『ドイツ「書簡文化」と女性ーーゾフィー・フォン・ラロシュからベッティーナへーー』 渡邉洋子  同学社  3000円+税

 18世紀半ばから19世紀半ばは、ドイツの精神文化の最盛期であった。この時代を生きた、作家ゾフィー・フォン・ラロシュ、その娘マクシミリアーネ、そのまた娘ベッティーナの母娘三代を通して、時代の変遷を映し出す本。
 18世紀後半、啓蒙主義により市民層が力を持ち、女性にも「教養」を求めるようになってきた。そして、出版サイドでも女性読者たちは無視できないようになる。「自然らしさ」が賞賛される時代の傾向の中で、女性の感性豊かな手紙というものがもてはやされて、多くの女性たちが手紙を書くことに熱中し、そこに自己表現を求めた。そしてラロシュは、書簡体小説で一躍流行作家となったが、まもなく、若いゲーテの『若きウェルテルの悩み』の大ヒットに押されて、ラロシュの影は薄くなってしまう。今日では、ただの通俗作家としてしかほとんどその名の挙がらないラロシュであるが、そこには、単に作品レベルの違いに留まらず、求められる女性像ーー恋するヒロインから、恋され崇拝されるヒロインへーーの変化もまた反映されていたのだった。
 時代に妥協しながらでも表現をやめようとしなかったラロシュ、『ウェルテル』のロッテのモデルとなり、その面影を文学史上に少なからず残しながらも一主婦に留まったマクシミリアーネ、ロマン派の一人として積極的に文壇その他で活動したベッティーナ・ブレンターノ。大河ドラマにもなりそうな題材である。
 女性史好きの方にもお勧めの本。
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ファルコ『たった一人の法廷』

2007-11-14 05:49:01 | ローマ
『密偵ファルコ』の新刊『たった一人の法廷』。
 元老院議員が収賄で訴えられて有罪判決がおり、当人が自殺した。こういう場合、遺族は財産没収されずにすむ。ファルコは原告から、本当に自殺であったかの調査を依頼される。どうやら怪しいとはすぐに判明するが、それから訴訟が次々に生じてきて、当事者一族の秘密が明かされていくのだった。
 ファルコの愛妻ヘレナの弟たちは目下無職なので助手をしている。このボンボンたちもそれなりに役に立つようになっている様子がちょっと微笑ましい。
「娘に胸に飛びつかれて床に転がりながら、おれは訊いた。最近、新しい飛び道具としてユリアを軍に売り込もうかと思案中だ」 可愛い幼児を抱っこしたまま物騒な仕事の話をしているのは、笑えるような楽しいような。

 「出生に疑問があったってそれで押し通せばよかったじゃないか。父親がはっきりしない人間なんてローマにはごまんといる。アウグストゥス帝だって、噂ではーー」というセリフがあるけど、どう続いたのだろう。アウちゃん自身の出生は別に怪しいものではないだろう、アポロ神殿の蛇の話はむしろ「神性」ハクつけだろうし。やはりドルススの実父では?という件か。
 
 覚悟の自決というものがむしろ名誉とされていたらしいローマ時代、キリスト教の時代とは自殺に対する感覚がかなり違っていたのだな、と改めて思う。
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『白のフィオレンティーナ』文庫化で再読

2007-11-08 13:25:32 | マンガ
 コミックスで23巻、文庫で14巻。1998-05の連載。
 ここでは既に言及済みだけど、再読したのでまた触れる。
 主人公カップルは架空、脇に実在有名どころがぞろぞろ。ミケランジェロとジョバンニ・ディ・メディチ(のちのレオ10世)については相当にフィクション化してる。
 ルクレチア・ボルジアといえば、「色気ムンムン型」と薄幸のヒロイン型が多いらしいけど、ここではむしろ、けろっとして天然。父や兄との近親相姦は心無いウワサという感じで、彼女自身は、愛された娘として自覚している。強い男に護られることが女の幸せと思っていたのが、己の絵の才能で生きていこうとするフィオレンティーナに出会って驚きを感じる。もっとも、彼女はその後、3度目の夫アルフォンソ・デステと誤解が解けてらぶらぶになる(川原泉『空色の革命』をちょっと連想)。フィオレンティーナのほうでも、自分とは違った人生態度を否定してはいない。
 アルフォンソ・デステの姉イザベッラも、女傑として有名人だ。「女流画家」としてのデビューをかけてマントヴァの宮廷に来たフィオレンティーナを侮る男の言葉を、「わらわも女ぞ」とピシャリとやっつけるのは痛快。「この世は女に生きにくくできておる だからせめて女同士助け合わねば」--史実のイザベッラがどうかは知らないが、こういうのは作者の理想が託されているのだろう。
 作品のエピローグで、現代、フィオレンティーナの絵が発見されて興奮している女性学者がいるのだが、冒頭で彼女が、フィレンツェで観光客のガイドを努めて、「いつの世にも女は男と同じ数いたのです」と語る部分、ーー私の記憶にはない。文庫化で描き足したのか、それとも単に私が忘れただけなのか。
 (付記:BOで見直したら、コミックスで既にあった。忘れていただけだった。)

 男主人公であるアルフォンソは、ロレンツォ豪華公の庶子、メディチ再興という大望を抱く身で、そしてフィオレンティーナのパトロンであり、恋人のちに夫。らぶらぶでありながら、それぞれの使命のために中々一緒にいられない。このへん結構現代的かもしれない。フィオレンティーナの庇護者である現法皇ユリウス2世が重病になったとき、メディチのためには、異母兄ジョバンニ(のちのレオ10世)が早く法皇になったほうがいい=現法皇は死んでくれたほうがいい、のであるけど、彼女が悲しむのでそこで敢えて助けることにする。この法皇がいると、彼らの恋路にとってはジャマが入りやすいのだけど。でもそれも画家の道にとってはやむをえない。  「昔の少女マンガの男は忍耐力があった!」と(アンドレを筆頭に)しばしば指摘されるけど、このアルフォンソもそれを思い出させる。

 いろいろな意味で、古き良き少女マンガの味わいがある世界。
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肌色

2007-11-06 05:46:19 |   ことばや名前
 本屋に置いてある集英社のPR冊子「青春と読書」の11月号に、山崎ナオコーラ『ああ、懐かしの肌色クレヨン』という短編が載っていた。パンの工場に勤める鈴木は、いわゆるアルビノらしく、白すぎる肌の持ち主。
「理想の肌色というものを、誰もが頭の中に持っている。
 昔、鈴木が子どもの頃の色鉛筆がクレヨンには「肌色」という名の一本が入っていた。鈴木は特に気にしないようにしていて、図工の時間には、理想の肌色として、その「肌色」を使って女の子の絵を描いていた。そのとき、違和感がなかったとは、全然傷付いていなかったとは、さすがに言えない。「でも、世の中ってこんなものだ」と思っていた。
 鈴木が「肌色」と呼んでいたクレヨンは、今の子どもたちの持っているクレヨンケースの中で「ペールオレンジ」だの「うすだいだい」だのと名前を変えているらしい。「肌の色は個人差があるから、『肌色』という言葉で統一するのは差別的」というわけで、その色名は消滅してしまったのだ。
 確かにその方が、鈴木は傷付かない。でも、「肌色」という言葉があった世界のことも、鈴木は嫌いではなかったのだ。」

 私が学校で「図工」の授業を受けていたころは「肌色」は存在した。先生によっては、その「肌色」で済ますことは手抜きと考えて、ほかの色を混ぜて創るように指導していた。差別とまで気をまわしていたかはわからない。
 鏡のまえでファンデーションなど塗っているとき、しばしば思う。ーー医者が患者の体調を診る際、顔色は重要なものだろうけど、黒人の場合はどうするのだろう?ーーいろいろな肌の人のいる国では、そのぶん化粧品の種類も多いのだろうか?
 そして、「肌色」なんてアメリカではありそうもないな、と思っていたが、上記の小説で現状を知った。先日、色鉛筆の売り場で見てみたら、なるほど、「うすオレンジ」と書いてあった。
 ファンデーションやストッキングの色も、肌の色との組み合わせが微妙なものだ。「焼き増ししても同じ」(注)日本人の間でも厳密にはこれほど開きがあるのだから、ましてやアメリカやフランスならたいへんなものだろう。

注 アメリカが戦時中につくった『汝の敵日本を知れ』というフィルムで言っていた、「どの兵士も瓜二つで、写真を焼き増ししても同じである」

 ところで、引用した小説の「鈴木」は、下の名前がとうとう出てこない。早々に、フォークダンスで男子に手をにぎってもらえなかったという描写で女かと見当がつき、デートにワンピースを着ていく場面で決定的になる。女の登場人物は下の名前で呼ばれることが圧倒的に多いので、「鈴木」が意図的ならば面白い。

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