レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

明日から新学期

2006-04-13 13:46:07 | 雑記
明日から授業が始まる。曜日と時限は毎年変わるので当初は慌しさもあるけど、新しい生活のリズムを作っていくことはそれなりに楽しい。
 それにしても、大学の授業期間ってほんとに短い。せめてその間くらい授業に出て来たまえ学生諸君。
 きのう電車で隣の女子高校生たちが、外国語をするならなにがいいかという話をしていた。「イタリア語やスペイン語もいいよね」「イタリア語の番組面白いよ、○○が出てるの」「ドイツ語、難しそうだけど話せたらかっこよさそう」なんてね。 第二外国語を選択するような時期って嬉しいよなぁ、と羨ましい。

 前前夜見た夢。古本屋かあるいは普通の本屋かで、『セーラームーン原画集』を発見している。
 ドイツにいたころ(98~99年)、当地でも出ていて、それとは別に「廉価版」があって、私はこれを買っていた。ハードカバーの代わりに薄い表紙にして、巻末コメントを各ページの隅っこに移すなどでページを減らしているーーだけならいいのだけど、綴じ込みポスターなどカットもあるのでやはり普通のが欲しくて、ブックオフで注意している。5巻のうち3冊は入手したのであと2冊。
 正夢になるといいけどね。
 『セーラームーン』についてはいずれ「マンガ」項目で。
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元「首村」ボン

2006-04-13 13:43:39 | ドイツ
 先日の新聞に、ワールドカップの日本チームのキャンプ地であるボン市で日本人サポーターのために様々な催しが企画されているという記事が載った。結構なことだ。

 ライン河畔のボン。かつてここが「西ドイツ」の首都であったことを知らない世代も出てきている。戦後、東西ドイツに分割されたころに、「仮首都」のつもりで、大都市のフランクフルトをおしのけてこの人口約30万の小さな町が選ばれた。Bonnという名前は、Bundeshauptdorf ohne nennenswertes Nachtleben(ナイトライフと呼べるもののな
い連邦首村)の頭文字だという揶揄があったそうだ。(なお、正しくはラテン語の「ボーヌス(よきところ)」が語源)首都Hauptstadtではなくて「首村」もポイント。ヤボな田舎と言ってるのだろうが、私はこーゆーのはむしろ愛を感じる。
 私は1990年の11月と、1999年2月の二度訪ねている。90年の時にはまだ統一間もない時期だった。「首都はボンに残そう!」という小さな訴えビラを見た。この時に買った絵葉書と同じ写真の絵葉書が、99年にもあった。前者ではBundeshauptstadt
Bonnと書いてある部分に,後者ではただの Bonnと記されていて苦笑を誘う。
 名物はベートーヴェンの生家と大学。・・・それだけあれば立派なものだろう。本当にひっそりと、ベートーヴェンハウスは立っている。知らずにいれば通り過ぎてしまう。ピアノ、楽譜、補聴器など展示品はたぶん同じだろうが、90年のときよりも99年のほうが商売熱心になっていると見えて、けっこうグッズを売っていた。全種類のTシャツを私は買った。
 ミュージアムマイルと呼ばれる通りにはいくつもの博物館があり、「歴史の家Haus
der Geschichte」は盛り沢山。ここで、戦時中に英国で出ていたアンチナチスパロディの絵本(の復刻解説書)を買った。西ドイツにも、戦後のある時期マンガ弾圧があったことも説明されていた。
 (90年しか行ってないけど)駅をはさんで反対側には宮殿、そして市立博物館があり、ここで『我らの祖先ゲルマン人』という絵本を買った。しかしこの絵本はフランス製である。タイトルだけドイツでつけたのか?
 日本でのドイツ観光パックツアーといえば、ライン河クルーズ、ハイデルベルク、ローテンブルク、ノイシュヴァンシュタイン城が4大定番だ。どうせならもすこし足を伸ばして、ボンのベートーヴェンハウスを入れてもいいだろうに。実際日本人はたくさん来るというし。
 99年に一泊したのはユースホステルだった。名前はVenusberg(ヴェーヌスベルク)、つまり「ヴィーナスの山」。ユースのくせに、ボンのくせに、こんな色っぽい名前!もちろんごくカタギの、清潔なところである。そのへんがそういう地名なのだ。タンホイザー伝説と関係あるのだろうか?
 私がボンに対してある種の肩入れがあるのは、「鉄のクラウス」の地元だからである。「鉄のクラウス」って誰?という人には、往年の名作『エロイカより愛をこめて』のヒーローである、とだけいまは説明しておこう。

 愛すべき元首村ボンに光を!
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気になる言葉 「パロディ」

2006-04-13 13:39:54 |   ことばや名前
広辞苑によると「文学作品の一形式。有名な文学作品の文体や韻律を模し全く反する内容を読み込んで滑稽化・風刺化した文学」である。
 かつて、『アニパロコミックス』という雑誌があった。この雑誌が作った言葉かどうかは知らないが、既成のアニメの設定やキャラクターを借りて、描き手が自分の話で動かして描くものを「アニメパロディ」「アニパロ」と呼んでいた。初期のころには、原典がアニメでなくても「アニパロ」と言っていたらしい。やがて、素人マンガ描きの間にこういう「パロディ」が浸透していく。
 上記のように、本来の「パロディ」は、原典に対しての風刺とされており、「批判」が言いすぎならば少なくとも距離を置いたものであろう。しかし、マンガ同人の世界を席巻した「パロディ」には、ほとんどそういう批判精神はない。むしろ原典への激しい思いいれから描かれることが主流であった。
 私は、広辞苑のような本来の意味に固執するつもりはない。しかし、その名で呼ぶのは、せめて原作の特定場面や特定セリフを扱った(たいていはお笑いのタネにした)ものに限定しないか?と思っていた。設定や人物を借りて読者がまったく自分の話で動かしたものをひっくるめて「パロディ」と呼ぶことには抵抗があった。ほかの名称、例えば「レンタル」なんてどうだろう?(「オマージュ」を提唱する人もいた。)
 ーーこのように思っていた。すると、いつのまにか「パロディ」の語は見なくなり、「二次創作」と現在は言っているようだ。このほうが私は落ち着く。
 もっとも、「借り物のくせに「創作」なんて図々しい」と思う人もいるだろう。設定を考えるという楽しいはずのところを放棄するなんてもったいない、という考えもある。それも一理あるとは思う。かつて『編集王』という泥臭い熱血な青年誌マンガがあった(けなして言ってるのではない)。青年マンガ編集者見習いである主人公がコミケを取材するエピソードがあり、「俺だって『あしたのジョー』は好きだけど、原作と違うストーリーなんて読みたくないぜ」と思う。そう、そういう人もいるだろう。原作者の描いたものしか意味ないと思う人々も。しかし、読みたい人もまた少なくないのだ。出てこない部分を想像してみる。前日談や後日談。こんな事件だってありうるかも。あるいは、長い連載の間に変貌してしまった作品世界やキャラに対して、いちばん好きだったころの像で描いてみる。納得いかない結末を描き直して溜飲を下げる。等々。少なくとも私は、そういう世界を偽者として否定する気はない。なにゆえにこのキャラたちを使っているのか?と時々考えてほしいとは思うが。あまりにも別物になっていると首をかしげてしまう。

 なお、私が「注意書き」で書いた「同人パロディのノリ」という言葉は、原作マンガに対して、歴史上の人物に対して、(愛のこもった)想像力を駆使して遊ぶ、お笑いのタネにしてもそれを不謹慎だ低レベルだと見下したりしない、という意味である。
 「同人的」「女性向け」という表記を「ホモセクシャル要素あり」の意味で使うことに私は反対である。「女性向け」の注意書きを見て、「オレ少女マンガもレディコミもOKだから」と 入ってみて気持ち悪くなった
・・・なんて事例はないのだろうか?「女性=ホモ好き」でもないのに。

 「パロディ」って、要するに「もじり」なんだろうけど、この「もじり」という言葉自体あまり使われないだろうか。
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