ここでのオクタは女性関係には潔癖で理想が高いというように描いてあります。
市民のまえで演説するまえの場面で、ルキウス・アントニウスが「三本目の脚」がどーこーとワイセツなことを言うのに対して、「知りません、私はunberuehrtですから」とそっけなく答えるので、ルキアントがぎょぎょっとします。この形容詞は、「触れられていない」「純潔の、処女の」です。(原書ではvirginだそうです) 「それは、三本目の脚を試したいということなのか?ならば喜んでいいところを教えてやるが」「結構です。私は好みがうるさいと言いたかったのです」 あとで義理の姉フルヴィアと話したとき、「どうして彼はそんなことを言ったのかしら。たいていの若者は、そんなこと知られるよりはだほうがましでしょうに」「男色の気がないと言いたかったのだろう。あれだけ美しいなら、どんな男もそう思うだろうから」 ここで、「思う」内容があいまひとつ具体的でありません。
オクタがヴァティア・イサルウリクス に、娘が成長したら結婚できるだろうかと持ちかけてます。「それまでにはまだ数年ある、その間に状況は変わるだろう」 「ではセルヴィーリア・ヴァティアと結婚するつもりはないのですか」「僕は、愛に捕らえられるまで誰とも結婚する気はない、マエケナス」--というやりとりがあります。ところで、このヴァティアの妻がセルウィーリアの長女だと書いてあるので、ということは、やはりここで出てきている娘とはあのセルウィーリアの孫なのでしょうか。史実ではもっと早い時期に婚約してるんですよね。 彼女は暗殺犯とも身内なので、解消が当然の成り行きだろうと思っていたのですが、この小説でこういう展開が出てくるということは、身内でも一枚岩ではないということなのでしょうか。
三頭政治の粛正なのでかなり重苦しい章の終わりごろで、最初の妻クラウディアが出ていますが、史実と違って18歳の設定なので、事実上の婚姻は不可能ではない。クラウディアはきれいで、オクタの好みでないこともないのですが(「初めて会ったときは、愛せるかもしれないと思った」)、フルヴィアのキケロに対するあまりに残忍な仕打ちに嫌悪を感じて、その血をひく子などつくりたくなくて、同じ屋敷の中で離れて暮らしてます。クラウディアは、家に戻りたいと母に訴えるけどとりあってくれない。「若さとはたくましいものだ」、クラウディアは、自分のまわりにつけられたゲルマン女のごつい奴隷たちと友好を結び、夫にほっとかれながらもそれなりに楽しく暮らすようになります。
その間オクタは独り寝していたのではなくて、マエケナスが「そろそろ頃合だと思って」よこした女を気に入って愛人にしてます。キリキア人の美しく気立てのよい女奴隷サッポー、20歳、3歳の男児あり。「サッポーがいなければ、三頭政治の初期はかなり淋しいものになっていただろう」
(なお、マッシー版でもマエケナスはオクタに女の世話をしています。こちらでは、アントニウスとの対立の初期、カエサルの愛人説やヒルティウスへの身売り説の噂をまかれるので、男色説を打ち消すためということで。)
あとでスクリボニアが出てくるならばこのサッポーはひまを出さざるをえませんね。出番はここだけですがその後がちょっと気になる存在です。こちらでも庶子ができていたりして・・・(きれいな子だろうな)
たくましく男らしいアグリッパに対してオクタがアコガレ眼を向けていることにカエサルが危惧して、男色の噂は不利だから距離をおくようにと忠告します。 「早く結婚して、誠実な夫という評判をとることだ。退屈な男と思う者もいるだろうがそれは役に立つ。一番悪いのは、冒険心がないとか、妻に仕切られてるとか思われることだ。家庭の平和を共にできる妻を求めなさい。そして、妻が家の女主人だと思わせること」 ここで簡単に「冒険心」とした語はAbenteuerlust で、Abenteuerは「アドベンチャー」「アバンチュール」です。情事の意味も多分に含みます。外での遊びはしても 妻との和平は重んじなさいということ?カエサルが言うと説得力があるようなないような。
これらの場面を頭におくと、この先のリウィアとの経緯が描かれるならばどうなるのでしょうね。リウィアの前夫は無能な役でちらっと出てます、もし、カエサルへの悪感情を、その後継者に対してもひきずるとすると、三角関係がもつれそうです。
ところで『十月の馬』では実際カエサルは、カルプルニアに対して横着してるのではなさそうです。マティウスへの手紙で「理想的な妻」と言ってるし、カルプルニアは「(女王が来てからでも)私への態度は変わってない」ということだし。 この小説ではパトラはぜんぜん美人じゃないので、(比べてるわけじゃないけど)カルプルニアのほうがずっときれいなくらいです。オクタは言うにおよばず。ここでも、オクタヴィア&オクタヴィアヌスはそっくりの美貌設定です。
マクロウは、塩野さんとは違ったキャラながらカエサルへの思いいれはかなり強いと見えます。作中でのモテまくりぶりもたぶんその反映。セルウィーリア、カルプルニア、クレオパトラ、オクタヴィアヌス、とファンクラブメンバーは多数。イトコのルキウス(バカなマルクス・アントニウスのおじ。アントの気丈な母ユリアの度胸で助かった人)は結構仲の良い友達として出ていて、この人が暗殺のあと遺体の引き取りに行ってます。ここでのカエサルはほかの作家に比べて喜怒哀楽が普通に表現されています。
マクロウは、登場人物への好き嫌いがはっきりと出るタイプのようです、そして、好きな男キャラは美男に描いてしまうタチかもしれません。アグリッパもやたらハンサムということは、アグも気に入っているのでしょう。
なお、マクロウのほかの作品は、トロイア戦争を扱った『トロイアの歌』と、初期の『ただ、「あなた」だけで美しい』『ソーン・バーズ』(後者2作は「コリーン・マッカラ」と表記)が邦訳で出ています。『ただ~』は、原題は単に男主人公の名前である『ティム』、子孤独な中年女性と、知恵遅れの青年の変わった恋愛。『ソーン・バーズ』は、オーストラリアの農場の娘と、だいぶ年長の神父の秘めた恋。――どちらも、男主人公の美男ぶりをこれでもかとばかりに強調してます、カエサルはあれでも控えめだったんだ・・・。
マクロウ紹介はこれで 一応 終わりにしておきます。
市民のまえで演説するまえの場面で、ルキウス・アントニウスが「三本目の脚」がどーこーとワイセツなことを言うのに対して、「知りません、私はunberuehrtですから」とそっけなく答えるので、ルキアントがぎょぎょっとします。この形容詞は、「触れられていない」「純潔の、処女の」です。(原書ではvirginだそうです) 「それは、三本目の脚を試したいということなのか?ならば喜んでいいところを教えてやるが」「結構です。私は好みがうるさいと言いたかったのです」 あとで義理の姉フルヴィアと話したとき、「どうして彼はそんなことを言ったのかしら。たいていの若者は、そんなこと知られるよりはだほうがましでしょうに」「男色の気がないと言いたかったのだろう。あれだけ美しいなら、どんな男もそう思うだろうから」 ここで、「思う」内容があいまひとつ具体的でありません。
オクタがヴァティア・イサルウリクス に、娘が成長したら結婚できるだろうかと持ちかけてます。「それまでにはまだ数年ある、その間に状況は変わるだろう」 「ではセルヴィーリア・ヴァティアと結婚するつもりはないのですか」「僕は、愛に捕らえられるまで誰とも結婚する気はない、マエケナス」--というやりとりがあります。ところで、このヴァティアの妻がセルウィーリアの長女だと書いてあるので、ということは、やはりここで出てきている娘とはあのセルウィーリアの孫なのでしょうか。史実ではもっと早い時期に婚約してるんですよね。 彼女は暗殺犯とも身内なので、解消が当然の成り行きだろうと思っていたのですが、この小説でこういう展開が出てくるということは、身内でも一枚岩ではないということなのでしょうか。
三頭政治の粛正なのでかなり重苦しい章の終わりごろで、最初の妻クラウディアが出ていますが、史実と違って18歳の設定なので、事実上の婚姻は不可能ではない。クラウディアはきれいで、オクタの好みでないこともないのですが(「初めて会ったときは、愛せるかもしれないと思った」)、フルヴィアのキケロに対するあまりに残忍な仕打ちに嫌悪を感じて、その血をひく子などつくりたくなくて、同じ屋敷の中で離れて暮らしてます。クラウディアは、家に戻りたいと母に訴えるけどとりあってくれない。「若さとはたくましいものだ」、クラウディアは、自分のまわりにつけられたゲルマン女のごつい奴隷たちと友好を結び、夫にほっとかれながらもそれなりに楽しく暮らすようになります。
その間オクタは独り寝していたのではなくて、マエケナスが「そろそろ頃合だと思って」よこした女を気に入って愛人にしてます。キリキア人の美しく気立てのよい女奴隷サッポー、20歳、3歳の男児あり。「サッポーがいなければ、三頭政治の初期はかなり淋しいものになっていただろう」
(なお、マッシー版でもマエケナスはオクタに女の世話をしています。こちらでは、アントニウスとの対立の初期、カエサルの愛人説やヒルティウスへの身売り説の噂をまかれるので、男色説を打ち消すためということで。)
あとでスクリボニアが出てくるならばこのサッポーはひまを出さざるをえませんね。出番はここだけですがその後がちょっと気になる存在です。こちらでも庶子ができていたりして・・・(きれいな子だろうな)
たくましく男らしいアグリッパに対してオクタがアコガレ眼を向けていることにカエサルが危惧して、男色の噂は不利だから距離をおくようにと忠告します。 「早く結婚して、誠実な夫という評判をとることだ。退屈な男と思う者もいるだろうがそれは役に立つ。一番悪いのは、冒険心がないとか、妻に仕切られてるとか思われることだ。家庭の平和を共にできる妻を求めなさい。そして、妻が家の女主人だと思わせること」 ここで簡単に「冒険心」とした語はAbenteuerlust で、Abenteuerは「アドベンチャー」「アバンチュール」です。情事の意味も多分に含みます。外での遊びはしても 妻との和平は重んじなさいということ?カエサルが言うと説得力があるようなないような。
これらの場面を頭におくと、この先のリウィアとの経緯が描かれるならばどうなるのでしょうね。リウィアの前夫は無能な役でちらっと出てます、もし、カエサルへの悪感情を、その後継者に対してもひきずるとすると、三角関係がもつれそうです。
ところで『十月の馬』では実際カエサルは、カルプルニアに対して横着してるのではなさそうです。マティウスへの手紙で「理想的な妻」と言ってるし、カルプルニアは「(女王が来てからでも)私への態度は変わってない」ということだし。 この小説ではパトラはぜんぜん美人じゃないので、(比べてるわけじゃないけど)カルプルニアのほうがずっときれいなくらいです。オクタは言うにおよばず。ここでも、オクタヴィア&オクタヴィアヌスはそっくりの美貌設定です。
マクロウは、塩野さんとは違ったキャラながらカエサルへの思いいれはかなり強いと見えます。作中でのモテまくりぶりもたぶんその反映。セルウィーリア、カルプルニア、クレオパトラ、オクタヴィアヌス、とファンクラブメンバーは多数。イトコのルキウス(バカなマルクス・アントニウスのおじ。アントの気丈な母ユリアの度胸で助かった人)は結構仲の良い友達として出ていて、この人が暗殺のあと遺体の引き取りに行ってます。ここでのカエサルはほかの作家に比べて喜怒哀楽が普通に表現されています。
マクロウは、登場人物への好き嫌いがはっきりと出るタイプのようです、そして、好きな男キャラは美男に描いてしまうタチかもしれません。アグリッパもやたらハンサムということは、アグも気に入っているのでしょう。
なお、マクロウのほかの作品は、トロイア戦争を扱った『トロイアの歌』と、初期の『ただ、「あなた」だけで美しい』『ソーン・バーズ』(後者2作は「コリーン・マッカラ」と表記)が邦訳で出ています。『ただ~』は、原題は単に男主人公の名前である『ティム』、子孤独な中年女性と、知恵遅れの青年の変わった恋愛。『ソーン・バーズ』は、オーストラリアの農場の娘と、だいぶ年長の神父の秘めた恋。――どちらも、男主人公の美男ぶりをこれでもかとばかりに強調してます、カエサルはあれでも控えめだったんだ・・・。
マクロウ紹介はこれで 一応 終わりにしておきます。