レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

小説『十月の馬』 2

2006-05-26 06:35:06 | Colleen McCullough
 ここでのオクタは女性関係には潔癖で理想が高いというように描いてあります。
 市民のまえで演説するまえの場面で、ルキウス・アントニウスが「三本目の脚」がどーこーとワイセツなことを言うのに対して、「知りません、私はunberuehrtですから」とそっけなく答えるので、ルキアントがぎょぎょっとします。この形容詞は、「触れられていない」「純潔の、処女の」です。(原書ではvirginだそうです) 「それは、三本目の脚を試したいということなのか?ならば喜んでいいところを教えてやるが」「結構です。私は好みがうるさいと言いたかったのです」   あとで義理の姉フルヴィアと話したとき、「どうして彼はそんなことを言ったのかしら。たいていの若者は、そんなこと知られるよりはだほうがましでしょうに」「男色の気がないと言いたかったのだろう。あれだけ美しいなら、どんな男もそう思うだろうから」 ここで、「思う」内容があいまひとつ具体的でありません。
 オクタがヴァティア・イサルウリクス に、娘が成長したら結婚できるだろうかと持ちかけてます。「それまでにはまだ数年ある、その間に状況は変わるだろう」 「ではセルヴィーリア・ヴァティアと結婚するつもりはないのですか」「僕は、愛に捕らえられるまで誰とも結婚する気はない、マエケナス」--というやりとりがあります。ところで、このヴァティアの妻がセルウィーリアの長女だと書いてあるので、ということは、やはりここで出てきている娘とはあのセルウィーリアの孫なのでしょうか。史実ではもっと早い時期に婚約してるんですよね。 彼女は暗殺犯とも身内なので、解消が当然の成り行きだろうと思っていたのですが、この小説でこういう展開が出てくるということは、身内でも一枚岩ではないということなのでしょうか。
 三頭政治の粛正なのでかなり重苦しい章の終わりごろで、最初の妻クラウディアが出ていますが、史実と違って18歳の設定なので、事実上の婚姻は不可能ではない。クラウディアはきれいで、オクタの好みでないこともないのですが(「初めて会ったときは、愛せるかもしれないと思った」)、フルヴィアのキケロに対するあまりに残忍な仕打ちに嫌悪を感じて、その血をひく子などつくりたくなくて、同じ屋敷の中で離れて暮らしてます。クラウディアは、家に戻りたいと母に訴えるけどとりあってくれない。「若さとはたくましいものだ」、クラウディアは、自分のまわりにつけられたゲルマン女のごつい奴隷たちと友好を結び、夫にほっとかれながらもそれなりに楽しく暮らすようになります。
 その間オクタは独り寝していたのではなくて、マエケナスが「そろそろ頃合だと思って」よこした女を気に入って愛人にしてます。キリキア人の美しく気立てのよい女奴隷サッポー、20歳、3歳の男児あり。「サッポーがいなければ、三頭政治の初期はかなり淋しいものになっていただろう」
(なお、マッシー版でもマエケナスはオクタに女の世話をしています。こちらでは、アントニウスとの対立の初期、カエサルの愛人説やヒルティウスへの身売り説の噂をまかれるので、男色説を打ち消すためということで。)
 あとでスクリボニアが出てくるならばこのサッポーはひまを出さざるをえませんね。出番はここだけですがその後がちょっと気になる存在です。こちらでも庶子ができていたりして・・・(きれいな子だろうな)
 たくましく男らしいアグリッパに対してオクタがアコガレ眼を向けていることにカエサルが危惧して、男色の噂は不利だから距離をおくようにと忠告します。 「早く結婚して、誠実な夫という評判をとることだ。退屈な男と思う者もいるだろうがそれは役に立つ。一番悪いのは、冒険心がないとか、妻に仕切られてるとか思われることだ。家庭の平和を共にできる妻を求めなさい。そして、妻が家の女主人だと思わせること」 ここで簡単に「冒険心」とした語はAbenteuerlust で、Abenteuerは「アドベンチャー」「アバンチュール」です。情事の意味も多分に含みます。外での遊びはしても 妻との和平は重んじなさいということ?カエサルが言うと説得力があるようなないような。
 これらの場面を頭におくと、この先のリウィアとの経緯が描かれるならばどうなるのでしょうね。リウィアの前夫は無能な役でちらっと出てます、もし、カエサルへの悪感情を、その後継者に対してもひきずるとすると、三角関係がもつれそうです。
 ところで『十月の馬』では実際カエサルは、カルプルニアに対して横着してるのではなさそうです。マティウスへの手紙で「理想的な妻」と言ってるし、カルプルニアは「(女王が来てからでも)私への態度は変わってない」ということだし。 この小説ではパトラはぜんぜん美人じゃないので、(比べてるわけじゃないけど)カルプルニアのほうがずっときれいなくらいです。オクタは言うにおよばず。ここでも、オクタヴィア&オクタヴィアヌスはそっくりの美貌設定です。

 マクロウは、塩野さんとは違ったキャラながらカエサルへの思いいれはかなり強いと見えます。作中でのモテまくりぶりもたぶんその反映。セルウィーリア、カルプルニア、クレオパトラ、オクタヴィアヌス、とファンクラブメンバーは多数。イトコのルキウス(バカなマルクス・アントニウスのおじ。アントの気丈な母ユリアの度胸で助かった人)は結構仲の良い友達として出ていて、この人が暗殺のあと遺体の引き取りに行ってます。ここでのカエサルはほかの作家に比べて喜怒哀楽が普通に表現されています。
 マクロウは、登場人物への好き嫌いがはっきりと出るタイプのようです、そして、好きな男キャラは美男に描いてしまうタチかもしれません。アグリッパもやたらハンサムということは、アグも気に入っているのでしょう。
 
 なお、マクロウのほかの作品は、トロイア戦争を扱った『トロイアの歌』と、初期の『ただ、「あなた」だけで美しい』『ソーン・バーズ』(後者2作は「コリーン・マッカラ」と表記)が邦訳で出ています。『ただ~』は、原題は単に男主人公の名前である『ティム』、子孤独な中年女性と、知恵遅れの青年の変わった恋愛。『ソーン・バーズ』は、オーストラリアの農場の娘と、だいぶ年長の神父の秘めた恋。――どちらも、男主人公の美男ぶりをこれでもかとばかりに強調してます、カエサルはあれでも控えめだったんだ・・・。

マクロウ紹介はこれで 一応 終わりにしておきます。
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小説『十月の馬』 1

2006-05-26 06:25:06 | Colleen McCullough
副題が『カエサルとクレオパトラの物語』になっているのは看板に偽りあり、パトラの出番はそんなにはありません。エジプトにポンペイウスを追ってきたカエサル、しかし彼の首を見せられて嘆き、犯人たちへ怒る。
 パトラはカエサルに、神々の意志を盾にして迫ります。カエサルはロリ趣味ないので、やせっぽちの体を抱くことは正直苦痛、なんて描写があります。たいていクレオパトラは小柄で豊満なイメージがあると思うのですが、マクロウのこの設定はけっこう意外。
 荒れた街を見て、神殿を再建しようと熱心に言うパトラに対して、まず市民の食と住まいが先だ、とアドバイスするカエサル。根っからの王族でどこか感覚のずれたクレオパトラ、こういう描き方は私は嫌いじゃありません。ここではカエサルxパトラというよりも、パトラ→カエサルといった感じで、彼女のほうが断然のぼせています。簡単にカエサリオンをつくってしまって、あとで彼女は妹をつくってめあわせなければと思うけど、ローマ人のカエサルにとっては、自分の子同士の結婚なんておぞましいからつくらないように留意します(どうやって?)。暗殺のあと、念願かなわず身ごもらなかったパトラは、プトレマイオスかユリウスの血の男を捕まえて子を産もうと計画。オクタヴィアヌスに狙いをつけて招待しようとするが、物見遊山の旅をする気はないと拒否される。まー朴念仁!と思ってほかを考えるのでした。・・・・・・なるほど、これがあとでアントニウスにはしる動機に結びつくのですな。あれだってユリウスの血縁者だし。

 この本の半ばでカエサルは暗殺されて、後半はオクタヴィアヌスが主人公となります。バカのくせにしゃしゃり出てくるアントニウスと張り合いながら、見かけと遠いしたたかさで立場を固めていく。暗殺犯たちを一掃して、アントニウスとの次の戦いを腹におさめている時点で幕。後書きで、「ここで終わらないと永遠に終われない」と書いてますが、塩野さんのように対アント&パトラ戦の勝利までやってくれてもよかったのに。
 美貌の描写は相変わらずです。
、「そして彼の華やかな髪の房!「豊かな髪」を意味する「カエサル」なんて名前の男にとって、頭の薄くなっていくことは良からぬ運命だ。彼は髪を失わないだろう、父親のたてがみを受け継いでいるならば。彼の父と私はいい友だちだった、だから、オクタヴィウスが私の姪と結婚したときは嬉しかったものだ」     
 「豊かな、軽く波打った黄金の髪を少し長くして、唯一の欠点である耳を隠している」 「眉毛と睫毛は濃い色」 「明るい輝く灰色の目」は温かみがあるが、心のうちをのぞかせていない、とか、胸板や肩の細さに不安を感じて、エジプトから連れてきた医者に相談しようとかカエサルは思ってます。情事相手の女たちに対して根が薄情らしいですが、少なくともオクタに対しての心遣いは本物に思えます。そしてここでは、オクタの側からもカエサルへの崇拝は激しいです。だからこそ、暗殺犯たちへの憎悪も激しくなるのですが。そしてクレオパトラに対しても、カエサルを取られたみたいに感じて嫉妬する。エジプトの神々が動物の頭をしていることにひっかけて「獣の女王」なんて呼んでます。
 心配性な母アティアの反対を押し切って、スペイン遠征中のカエサルのもとに赴いたオクタは、ここで受付(?)にいたアグリッパと対面する。(意訳)男らしくて軍人らしくてカッコイイ!と思うオクタ、アグのほうでは「アレクサンドロスタイプだ」と思う、「彼の語彙では、男に美しいという表現はなかった」。この作品でも、アグは世話焼きな役どころです。あとで、対ブルートゥスの時期、船酔いで弱ってる状態のオクタを、兵たちに対して、「彼が災いを身に引き受けているから我々は酔わずにすんでいるんだ」とうまいことだまくらかしてくれたりする。頼もしい奴です。
 この話で一番のかわいそう大賞は、ペディウスでしょう。二十歳にもなっていないのに強引に執政官になったオクタ、身内のペディウスを同僚に選ぶけど、彼はそもそも気乗りしてなかった。粛清の企てに怯えて反対するけど逆に脅されて自殺する。そしてキケロを始めとする多くの犠牲者。こういう展開のあとなので、上流夫人たちからの税の取立て案が、ホルテンシア率いる婦人たちのデモンストレーションによってつぶされたというエピソード(塩野さんの『ローマ人への20の質問』で紹介されてる話ですね)はむしろ息抜きに見えます。
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小説『ルビコン』その2

2006-05-25 10:01:14 | Colleen McCullough
<ガリアの庶子>

 『十月の馬』で、カエサルがガリアでの子供をちらっと思い出す場面がありますが、これが登場しています。ヘルウェティ族長の娘で、夫に理不尽に離縁された女がカエサルのもとにいついた感じで、彼女を夫は石女と罵ったけど、さっさと身篭って男児を産んでしまいます。
 リアノン(本名は違うけど発音しにくいのでカエサルはこう呼ぶ)は、息子をオルゲトリクスと自分の父から名づけるけど、あとでローマでもカエサルの勢力を知って、その跡継ぎにしたいと言い出す―――という、つまり、多くのクレオパトラものにおける彼女と同じ過ちを犯しています。カエサルはこれを拒否し、いずれ息子は母の国に帰して、そこの王となるように勧めます。「おまえはローマ人でもなくカエサルの妻でもない」と言って。
 でも彼女はそれが納得できません。 「私は王の娘なのに」 「ガリアでは、跡継ぎ息子を得るために複数の妻を持つのに」
 それで、よりにもよってセルウィーリアに手紙を書いて説明を求めるんですよ。するとセルウィーリアは望みに応じて教えます。ローマ人にとってはローマの血こそ重要で、蛮族の王女だろうと意味ない。実の息子がいなくたって養子をもらえばすむこと、という説明がなされます。「私は彼の娘を産んだのよ、別の男の妻だったからやはりカエサルの名前を名乗れなかったけど」と書く彼女の心には「息子を産んだからっていい気にならないことね」という気持ちがあるに違いありません。「あなたはただの間に合わせでそれ以上でも以下でもないわ」―――こういうことは、カルプルニアがクレオパトラにも言ってやれることですね(ところでこの辛辣な手紙にリアノンは、「セルウィーリア、呪ってやる!」と激怒してました)。
 のちに、カエサルと敵対するガリア人によって、彼女は殺されて、息子(当時5才)は連れ去られてしまいます。彼らはこの子を奴隷の身分に堕としてやって報復すると言っています。以後、カエサルは一切追及せず、消息不明です。

<おばコンのカエサル>
 ところでこの庶子オルゲトリクスの容姿は、カエサルのおばユリア(マリウスの妻)に似ているという設定になっています。「これはカエサルの心を溶かすに充分だった」
 『十月馬』で、カエサルはオクタヴィアを見て、おばユリアを思い出して優しい気持ちを刺激されています。マザコンだけでなくておばコンでもあるようです。『ルビコン』では、姪アティアもこのユリアに似てると描かれています。アティアは金髪碧眼の美人設定。オクタヴィアの目は「アクアマリン」、こういう設定考えるのをきっと作者は楽しんでますね。
 私は、オクタの金髪設定を特権的なものと感じているので、あまり使ってほしくありません。母や姉はいいけど、カエサルの金髪は抵抗あります。カエサルは血縁ではあるけれど、スエトニウスの「黒い目」描写があるので、髪もダークと私は思っておきます。

<熱い女たち>
 マクロウさんのこの作品群、激しい女がたくさん出てきます、そして、熱い夫婦も多いです。意外なことに、カトー×マルキアもで、ほとんど一目惚れで燃えあがってしまう。カトーは、自分があまりにマルキアを愛しすぎていることを恐れるがために(彼女なしでは生きていけないということを否定したくて)、ホルテンシウスの求めに応じて譲った、というふうに描いてあります。で、ホルテンシウスの死後、せめて、法の定めた10ヶ月待てというフィリップスを強引に説き伏せて(その10ヶ月に間にカエサルとの戦闘になってしまうかもしれない、いまのこの時期を逃せないと言って)即座に再婚してしまうという、かなりヘンなヤツです。カルプルニアとマルキアは仲良しで、しかもそれぞれ夫をたいへん愛しているという、これまた奇妙な人間関係です。この交際について、カトーも「男の世界と女の世界は違う。カルプルニアは立派な婦人だ」と全然とがめてません。
 猛女のフルヴィアも、この巻ではクリオとクロディウスに死別しています、でもその都度たいへん愛し合ってます。アッティクスは、「不貞の願望のない珍しい女」と賞賛していますよ(そんなに珍しいんかい…)。
 結婚したのは『十月の馬』でですが、マルクス・ブルートゥス×ポルキアもたいへん熱烈です。ヨメをグーで殴り倒すセルウィーリア、そして殴り返すポルキア、並じゃない。シリーズ後半のヒロインは、最も印象の強い女をヒロインというのなら、たぶんセルウィーリアでしょう。カエサルも彼女を、性格の悪い女だと思ってますが、でも相性がいいんですよね。
 もし、『十月の馬』のあとまで描かれたら、オクタ×リウィア、アントニウス×オクタヴィアはどう描かれたのだろうと気になります。
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小説『ルビコン』その1

2006-05-24 17:23:33 | Colleen McCullough
 オーストラリアの作家、Colleen McCullough(以下、「コリーン・マクロウ」と表記します)には、『Masters of Rome』と総称される6部作があります。共和制末期のローマを舞台とした大作で、たぶんその前半はマリウスやスッラが中心になっているのでしょう。そして4作目である『Ceasar's Women』からはカエサルが主人公。そして私はドイツの知人のおかげで、5冊目と6冊目の独訳を入手しまた。
5冊目『Caesar--Let the dice fly』の独訳の題はわかりやすく、『Rubikon』です。だから、ここでの通称も『ルビコン』にいたします。(6冊目の『The Otober Horse』は、『十月の馬』と直訳しておきます) 原書は97年、独訳は98年、そしてペーパーバッグが2000年です(なお、『十月の馬』は原書2002年、独訳04年、まだハードカバー)。
 いずれも、私の読んだのは大長編の中のごくごく一部の拾い読みです、でもそこから報告です。

<クレオパトラ>

 5巻目の内容は、BC54年11月ブリタニアから始まり、エジプトでポンペイウスが殺されるとこまでです。いろいろな点で、ああ続刊へのヒキなのか、と思える点があります。クレオパトラはちらちらと出ていて、ファラオたる自分とつりあう男などいないと思っているけど、「西から来る神」の存在を予言されています。なお、ビブルスの息子マルクスがパトラと会見していて、それについてカトーに手紙で報告していて、彼女の鼻に言及。「男の顔にあるなら立派な鼻だが、女にはナンですな」という感想です。
 マクロウ版では、クレオパトラは はっきり言って不器量、プルタルコスの評価よりも点が辛いです。それでも少なからず人を惹きつけているので、これはこれでたいしたものです。

<オクタヴィアヌス>

 彼の出番はこの巻ではちらちらという程度です、直接の登場は3回、言及されるのが3回。いずれも、たいへん美しく賢い子であることが強調されています。
 最初のは、カエサルへのセルウィーリアの手紙。フィリップスの館でアティアに息子(当時9才)を紹介されたとき。

「美しさに息をのむほど」
うちのブルートゥスがこんな容姿だったら、ユリアはポンペイウスに嫁ぐことを承知しなかったことでしょうね」(※)
「あなたが、自分の息子だと言っても信用されるでしょう」

 マクロウさんは、カエサルの容姿についても美化150%なので、この二人の容姿もけっこう似てる描写になっても無理がないのです。
 ほかの2箇所は、

・フィリップスのところで彼の娘、マルキアがカトーと話す場面で、父の後妻アティアの連れ子たちを話題にする場面。当時オクタ6才、でも「知恵は60歳」(ほんとは「16才」の間違いってことはないでしょうか)で、たいへんきれいな子だとマルキアが言います。
・カエサルが、ルキウス・カエサル(アントニウスの伯父。アントの母ユリアの度胸で助かる人。マクロウ版ではカエサルとけっこう仲が良い)に対して、姪の息子を、たいそう賢い子だと評します。

 で、実際にカエサルと 会ってるのが2回。継父のところでほかの客たちがカエサルを話題にしている場面で一回、ここが初登場です。
 カエサルの関係者(?)が集まっていて、オクタが落ち着き払ってカエサル賛美の意見を述べるので、ピソが、13才の子供が教師のような口をきいて生意気なっ、と思います。そのあと、「彼は美しい、美しすぎる!こんなに気取っていても、彼はたぶん1年後には愛人を持っているだろう」と思ってます。「愛人」が(独訳では)男性形であるところがなんとも~(ただし、この予言は的中しません、念のため!)。 原書をお持ちの方は確認してみて下さい。
 カエサルと会った場面では、
「思い出したぞ、おまえは私の姪孫だ。大きくなったな。まえに会ったときにはまだやっと歩けるくらいだった」
「むしろ貴方の息子でありたいです」
「私の息子になりたいか?それではおまえの継父が気を悪くしないかな」
「そうですか、ルキウス・マルキウス?」
「かまわんよ、私には実の息子が二人いる。おまえは喜んでカエサルにあげよう」
 なんて会話がなされます。このとき13才です。

 ※マクロウのこのシリーズでは、マルクス・ブルートゥスはカエサルの娘ユリアに夢中で婚約までするのですが、ユリアは彼に気がなく、結局政略、ゆえに解消。このことをマルクス・ブルートゥスは深く恨んでいるという設定です。
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