レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

カゴの字だけが同じ

2007-03-30 14:41:21 | ローマ
テレビや本で間違いを見つければ、それを言いたくなる。だれにでも間違いはあるので、あげつらうのは良くない、それは心しておかなければなるまい。しかし、公共の場で誤りを流されると多くの人が迷惑もしかねないし、テストの失点にもつながる。思いいれのある事柄についての間違いにはファンは怒りを覚える。

 偉そうに前置きをつけてみたけど、きのう発見したものがあまりに凄まじいものだったので報告せずにはいられないのだ。

 『古代文明ビジュアルファイル』という雑誌ーーというには割合立派ーーがこのごろ出ている。いまの最新号にはネロが大きく出ていて、その前の号はクレオパトラがクローズアップ。例によって手に取る。
 彼女の最期については、オクタヴィアヌスを誘惑しようとして失敗したという品のない俗説がよく言われるが、これも例外ではなかった。ただしそこで出てきた言葉が普通でなかった。「この新しい権力者も手篭めにできると思っていたのだろう」。

 ーー手篭め?

 そりゃまぁ、手篭めにされることにさほど縁遠い人でもなかったような感じではあるけど、この美貌の権力者は。(たとえばマッシーの小説ではアントニウスからそういう被害にあってるけど。)
 執筆者よ、この言葉を辞書で調べ直したほうがいいぞ。
 「篭絡」と混同してるんだろう。「篭」の字しか合ってないぞ。

 クレオパトラはオクタヴィアヌスを襲おうとしてたのか。
 カエサルやアントニウスも彼女が襲ったのか。(マクロウの小説ではパトラがカエサルに迫り倒していたようなものだが。)
 怒りでなく笑いを招くミス。
 本屋で見たらぜひご覧下さい。
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全自動洗濯機

2007-03-28 14:52:20 | 雑記
 すでに30年以上昔、「小学五年生」で望月あきらの『ドカドカドッカン先生』という学園コメディが連載されていた。これの番外編で『桃太郎』をやっていた。「おばあさんは、洗濯物を全自動洗濯機にまとめて入れなければなりません お皿を全自動皿洗い機に並べていれなくてはなりません ほんとうにおばあさんは忙しい。 だからおじいさんは 疲れたおばあさんのためにお風呂を沸かし」云々。このころ(昭和の40年代)に「全自動洗濯機」というものはあったのか私は知らんが、なにを隠そうウチではほんの数年前まで旧式を使っていた。まえのが壊れて替えたのは21世紀になってからだった。
 本来、最初にスイッチを押せばあとは終了までほっといていいはずのこの機械、途中で何度もピーピーと異常を知らせる音がする。また押せば作業は続行されるのだが、耳の遠い父しかいないような状態だとそのまま停滞しているだけである。
 そういえば、前の旧式のころには、父はしばしば、洗濯の間じっと立ってそれを見ていた。ヒマを絵に描いたような光景だった。--いまもいっそ見ていてもらいたいものだ。寝転がって殺人事件のドラマを見ているよりは有意義だろうに。
 機械に弱いから説明書も読んでおらず、本当はあれこれ書いてあるのだろうが、わかっていないからむしろあの全自動はーー上記のようにたびたび飛んでいかなければならないならばーー不便だ。昔のタイプなら、洗う時間、脱水時間を好きに調節できたし、途中で入れたり出したりも簡単で、いまどの過程なのかも見て明らかだった。目の前で物事が進行していることが感じられた。
 たびたび滞る全自動洗濯機にさほど意義は感じられない。
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「切り抜き」

2007-03-26 06:42:54 |   ことばや名前
 私は、マンガ雑誌は長いこととっておかない。特に好きな作品だけ残す。小学生のときにこれを始めたころは、雑誌を根元からバラバラにすることを思いつかなかったので、カッターでノドから切って、反対側をホチキスで閉じていた。そのうち、根こそぎはずして閉じるようになった。
 いまは、「プリンセスgold」はまるごと友だちにあげてしまってるが、「さくら」は北村夏のみとっておく。
 ここで疑問なのは、こういう、本の根元から分解したものをなんと呼ぶのが適切なのだろうか?ということだ。私のマンガまわし仲間のひとりは「切り抜き」と言っている。しかし、私の感覚では、「切り抜き」というと、ハサミかカッターを使ってする作業に思えるのだ。1枚や2枚ならともかく、しばしば足で押えてえいっと引き裂いてホチキスで閉じたものを「切り抜き」と、私はどうも言いたくない。とりあえず、「雑誌バラ」なんて書いてはいるが。なにかいい表現がないものだろうか。
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若菜とすばるさん

2007-03-26 06:38:30 | マンガ
 3月のコミックス新刊で買ったのは復刊ばかり3冊。里中さんの「マンガ名作オペラ」は単行本の時点で読んでなかったけど、あとの2冊は懐かしい作品。

 やまざき貴子『きょうはアラシ』
 「ララ」掲載だけど小学館文庫。「若菜&紫野シリーズ」。表題作は、私の記憶ではデビュー作だった。ふつうの女子高生若菜のところに、同級生の財閥お嬢様紫野(ゆかりの)が家出したといっておしかけてくる。天然ボケにふりまわされつつ友情をはぐくんでいくコメディ・・・といえば陳腐なのだけど、可愛い絵だなーと気に入ったものである。86年ー91年のシリーズ。
 ヤマラキのいちばんポピュラーな作品は『っポイ!』。キャラたちが中学2年生で始まって、3年になって、高校受験の直前で読者には何年経ったのだろう。個々の話を読めばそれなりに面白いとはいえ、いかんせん長引きすぎだ。

 碧ゆかこ『すばるさんの事件簿』 
 「プリンセス」掲載だけどソノラマコミック文庫。
 『エロイカ』目当てでP誌を購読していたころ、ほかに気に入ったのが碧さん(そして「ビバプリンセス」では河村恵利さんを発見)。もう20年以上まえのシリーズだ。
 りりしい美人刑事すばるさんが宝石のショーのガードを努める際、モデルに紛れ込んだ窃盗団の一味の陰謀でモデルの代役をさせられる展開は、私が妄想しまくった『エロイカ』ヴァリエーション世界ともだぶって楽しかったものである。上司に護衛を命じられる際の「そんなものすごい宝石類ケースから出すほうがまちがってるんじゃないですか?まるで「狙え!」「盗れ!」と言わんばかりですがね」のセリフは、『グラス・ターゲット』で少佐が宝冠の護衛に協力を求められたときの「そんなにだいじなものなら持ってこなきゃいいじゃないか」を連想した。出費がかさむと上司にぼやかれてもいるし。
 いまは碧さんはレディス寄りで、ハーレクインコミックスが時々出る。

 この二つのシリーズ、ものすごく面白いとか万人に勧めまくりたいとかいうのではないけれど、すっきりした可愛い絵が好みで、元気な女(の子)が活躍する少女マンガのある意味での基本で、心地よく楽しい。

4月2日付記。
「若菜&紫野シリーズ」は、単行本未収録があるらしい。『雨天ケッコー!』というタイトルに記憶はある。立ち読みですませたのだろう。・・・おい、収録漏れはいかんぞ!やまさき作品の文庫化はまだ続くようだが、これもなんとかせい。
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きのう本屋で

2007-03-25 10:54:56 | 
 このごろ、某デパートの中の書店がリニューアルした。配置は変わったけど、ぐっと広くなったのでモンクを言う気もしない。(大きくなってないのに場所だけの変更はムダだと思う)
 片隅に、ただで持っていける冊子ーー出版社のPR誌と称するらしいーーのコーナーがある。集英社の「青春と読書」はまえから知ってたけど、文芸春秋の「本の話」、講談社の「本」は知らなかった。ほかに、情報誌というよりは短編集、幻冬舎の「ポンツーン」、小学館の「きらら」。こういうの、いちおう値段がついてるけど、売ってるのを見たことない。掲載作品を読んで、これ単行本が出たら買おう、と思うこともあるから宣伝にはなってると思うが。

 いま手元にある新しい本は、『これが佐藤愛子だ 3』、『色男の研究』。今日新聞に載ってた広告で買いたい・読みたいのは、『ヴァンダル興亡史』、『新古今和歌集』、オーケンのエッセイ、ジャック・ヒギンズの新刊。
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『マンガ ローマ帝国の歴史』1巻

2007-03-25 10:51:21 | ローマ
 私の買った大型書店では歴史のコーナーに置いてあった。講談社、ソフトカバー、byさかもと未明。結論から言うならば、思ってたより悪くない。少女マンガ慣れした目にとってはさほどうつくしい絵ではないが、『ギリシア神話』のときに比べるとはるかに見やすくなっていると思う。
 グラックス兄弟の挫折、マリウスとスッラの対立などをさっと説明して、カエサルの台頭と暗殺までがこの巻。
 セルウィーリアがクレオパトラよりも出番が多いあたり、塩野流の継承だろうか。
 マリウス、スッラ、ポンペイウスのキャラデザインは肖像に似ていてわかりやすい。
 幼少のカエサルはそれなりにかわいく、老ける過程は無理なく無難。
 ウェルキンゲトリクスが割合美青年ぽく描かれている。実際にはヒゲあったろうけどね。

 さて肝心の(私には!)オクタヴィアヌスは、--ちゃんと、美少年らしく描かれている。スペイン遠征に参加したおりにカエサルが天幕で政治を語る場面があるのだが、このとき膝枕(※)させているのがなんだかアヤシく見える。このぶんだと、アントニウスたちの中傷はきっと出てくるだろうな。
 アントニウスといえば、いかにもマッチョ(慣用誤用)ふうの風貌で笑いがこみあげる。
「私の留守中ローマを頼む」「はっ」、でも内心「でもこいつは本当にアテにならんからなあ」とカエサルも思ってる、あははは。

 来月、2巻「アウグストクス、揺るぎなき帝国の礎」、たぶん5月に3巻『カリグラ、ネロ、ユリウス朝の崩壊』で全3巻。--長々と続いても困るけど、ローマ史のごく一部だなぁ。確かに、最も華やかな部分ではある。

 ところで、「ひざまくら」するのは、寝るほう寝かせるほうのどちらを指すのだろうか。ここでは、カエサルの膝にオクタが頭を乗せているのだが。
 
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グリゼルダは女のクズ

2007-03-23 05:44:25 | 
『カンタベリー物語』の「学僧の話」は、伯爵ワルテルが、妻グリゼルダの従順と忍耐を試す話である。「グリゼルダ」の話はあちこちの作品に使われているらしいが(ペトラルカとかペローとか歌劇とか)、ここではチョーサーに基づいて書く。
 名望高い伯爵は、周囲のたっての勧めで妻を得る決心をして、貧しい農夫の美しい娘を選ぶ。美しく賢明なグリゼルダは申し分のない妻となり、まず一女を産む。伯爵は彼女を試そうとする。家来たちが自分たちの結婚を快く思っておらず、それをなだめなければならないと告げて、家来をよこす。その家来は、赤ん坊を殺そうとしているかのようなそぶりを見せる。「わたしの子供もわたしもすべてあなたのものでございます。あなたはご自身のものを生かすも殺すも自由になさることができます」 -- 正気を疑うセリフだと思う。おとなしく子供を引き渡し、その後夫に対して相変わらず嫌な顔など見せない。 その後男児を産み(※)、2才のときにまたも夫は同じことをする。
 もちろん殺したりはしておらず、姉のもとに送って養育させている。(こんな愚かなことに協力する姉も姉だ) 
 娘が12歳のとき、伯爵は部下を教皇庁に送り、離婚・再婚の許可書を偽造させる。グリゼルダに離縁を申し渡しで追い出し、さらに、再婚相手のための支度を命じて呼びつける。再婚相手と思わせたのは実の娘であり、ようやく真相が明かされた。
 これで大団円ーー
ーーでいいのかいっ?!
 そもそも、妻に過剰に従順さを求めるということからして気に入らん。試すなどという傲慢さも許し難い。せめて、高僧でも現われて、人の身でありながら人を試す行為の不遜さを叱ってくれるくらいしてもよかろう。それに教皇庁の許可の偽造なんてかなりの罪ではないのか?
 グリゼルダもグリゼルダだ。夫への従順の誓いのために、わが子を護る母の使命を放棄している、こんなのは女の風上にもおけん。「この子を殺すならば私を殺してから!」とタンカきるのが正しい在り方ではないのか。夫を殺したってかまわん。(夫の浮気を許すとか姑のいびりに耐えるのとはレベルが違うぞ!)
 こんな話がハッピーエンドなんで許せん。
 子供を殺したことが民の怒りを招き、暴動がおきて伯爵が殺されるとか。
 真相を知らないままグリゼルダが死んで伯爵が後悔して自殺するとか。
 教皇庁から破門されるとか。
 娘は、母を理不尽に苦しめた父を憎み、謀反を起こして追い出すとか。
ーーあんな横暴な男がなにも罰を受けないままなんて我慢ならーーん!
こんな話が美徳物語で通るなんて世の中間違ってる。
 

※ 『緋色い剣』のリューの母スワンヒルドは、わが子を捨てた夫を許さず、二度と触れさせぬまま世を去った。それにひきかえグリゼルダは・・・なんて情けない腹立たしい女。
 グリゼルダなんかよりも、クリュタイムネストラーー戦のため娘を生贄にした夫を殺害したーーのほうがはるかに納得できる。

2020.09.28
タイトルは「~~女失格」から「女のクズ」に変更した。
 同じ話は『デカメロン』にもある。『ペロー童話集』の『グリゼリディス』ではあまり腹は立たない、怒りは夫側にだけ感じる。ペトラルカ版は読んでいないので知らん。
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『詩人とその仲間』

2007-03-21 05:46:53 | ドイツ
 吉田国臣訳、沖積舎、3800円

 ドイツロマン派の詩人ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフは長編小説を2本残している。1815年発表の『予感と現在』と、1834年の『詩人とその仲間』。前者は『フリードリヒの遍歴』という題で集英社の文学全集に収められていた。後者はこれが初の邦訳である。
 『予感と現在』は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(主人公の成長を描く「教養小説」と呼ばれるジャンルの代表作)をロマンチックにしたような作品、という評価もある。そして、『詩人とその仲間』でもそれは言える。そもそも、ゲーテのこの作品で「マイスター」は主人公の姓であるが、「親方」「名人」の意味を持つ。ドイツの誇る職人制度の頭となる地位である。徒弟が、親方の下で修行を積み、そしてほうぼうをさすらってさらに修行を重ねる。『修行時代』の続編が『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』なのも、それとひっかけたシャレなのだ。そしてアイヒェンドルフの『詩人とその仲間』の原題は Dichter und ihre Gesellen 、「ゲゼレ」は、徒弟と親方の間
の存在であり、これもまた上記の作品との縁を匂わせている。同じ名前の登場人物もいるし。

 タイトルの通り、主要人物は詩人たちである。男爵フォルトゥナートは旅の途上(この作家のキャラたちはしじゅう旅をしている)、かつての学友のもとを訪問し、その近くに尊敬する詩人ヴィクトール伯爵の城があるときいて、一緒に訪ねていく。主は留守だが、管理人夫妻に迎えられる。彼らの甥のオットーが大学から帰省するので、華やかな出迎えがある(作者自身の体験だな)。オットーは法律の勉強そっちのけで詩の世界に耽溺していることを咎められて激昂するが、彼らの言い分の正しさがわかってもいる。この城を後にしたフォルトゥナートは、旅の芝居の一座と近づきになり、そこで風変わりな座付き作者ロターリオと出会う。
 このあとも、フォルトゥナートはローマで恋をして誤解からまた出ていって、紆余曲折の末に結ばれるとか、オットーは挫折を繰り返してついには故郷を見下ろしながら淋しく永遠の眠りにつくとか、ヴィクトール伯爵とロターリオと隠者ヴィターリスが同一人物だとか、キャラたちの転変は実に激しい。誤解や変装といった芝居のお約束はたびたび出てきて、少々ごちゃついた点はある。リリカルな中にも風刺の要素は混じっている。
 出番がすぐに終わるのに印象が強いのは、スペインの伯爵令嬢ユアンナ(スペインふうには「ファナ」)である。没落した貴族の家に生まれたユアンナは、この世を支配する男たちをうらやみ、その男たちを支配しようと願う。ゲリラを率いてフランス軍と闘う彼女は炎の中に姿を消しーーフォルトゥナートやロターリオの前に現れたのだった。
 アイヒェンドルフ作品には、女性キャラに、ヴェヌス型、ディアナ型、マリア型という3つの系列がはっきりとあり、猛々しいユアンナはディアナ型。たいていは黒髪巻き毛の美女で、しばしば騎馬姿で現れる。男たちを惑わすが、冷ややかに拒絶して破滅に追いやる。物語の上では必ずしも肯定的な役どころとは言えないが、たぶん読者にとっては、マリアタイプよりも魅力的ではなかろうか。
 このユアンナは 早々に退場するけどその鮮烈な面影はなお物語のそこここに反映し続ける。
 華やかで激しい美女に可憐な娘は、この詩人の毎度お馴染みパターンであるし、男性陣にもそれは言える。中心人物の一人であるフォルトゥナートは、どちらかといえば狂言回しに近い役どころである。晴れやかで落ち着いたこの詩人は、名が態を表しており、幸せになることはあらかじめわかっている。代表作(?)『のらくら者』の名無しの主人公に近い要素があるが、あのキャラを繊細でインテリにした感じである。最も行動的でヒロイックなロターリオ、本名ヴィクトールは、傲慢なまでの名誉心ゆえに危うさはあるが、最終的には葛藤を乗り切り、己に打ち勝つ。勝利」は名前でも約束されている。このタイプもまた繰り返し登場している。そして、彼らと違ってついには淋しい最期を迎えるオットー。もろく情緒不安定で、ポエジーへののめりこみで身を滅ぼす。こういう破滅型もまた、アイヒェンドルフ作品に重要な存在なのだ。
 そして、さすらい、故郷への想い、リアリティに欠けるが情感あふれる自然の背景、まさにアイヒェンドルフ調満載。これらリリカルな道具だてと、己の作品を含んだ同時代の文学への批評要素。クールな目も伴いながら、ドイツ・ロマン派への挽歌が奏でられている。
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義経と頼朝

2007-03-19 06:06:50 | 歴史
私の立てた物好きな投票
「マニアの選ぶ歴史美男」(2018.6.8 リンク切れを発見したので削除)
この投票は、史的根拠のある人を選ぼうという趣旨である。
源氏兄弟は共に名が挙がっている。
しかし正直私は義経が出てきたことに抵抗を感じている。

 大塚ひかり『美男の立身 ブ男の逆襲』(文春新書。日本の文学・歴史の中での美男・ブ男観の変遷。お勧めである)によると、『保元物語』において、義経は、美男の父には似ていないけどみめよい若者、と記されているという。
 しかし、『平家物語』では、--これは割合知られているだろうーー色白の小男、出っ歯、との記述がある。両方をすり合わせるならば、出っ歯だけど全体としてはそれがそう致命的欠点には見えず、好感の持てる容貌だったということなのだろうか? それにしても、出っ歯記述のインパクトは大きい・・・。
『源平盛衰記』では「容貌優美」が加わり、室町時代の『義経記』では、楊貴妃に例えられるまでに美少年設定がエスカレートしてしまったということだ。(※)
 まぁつまり、義経美男説は、根拠がゼロとまではいかないが、それを否定する材料もまた存在するし、後世の誇張も激しいということか。
 なお頼朝は、『平家物語』で、背は低いが容貌優美、と描かれているという。おお、まるで某初代皇帝尊厳者のようだ。有名な「肖像」は実は違うという説が大きいが、美男と思われていたからこそあの絵が頼朝だと思われてきたのだろうな。

 モンクつけてるけど、義経を出っ歯の男優に演らせたいと言いたいのではない。まあそこそこではあったほうがよかろう。でも、あんまり「貴公子」然としてるのは違うんじゃないかと思う。

※ そして、この義経美少年化には、「大男の弁慶とのカップリング」が影響したとこの本は説く。華奢な美少年とそれに仕える逞しい大男ーーというと、オクタヴィアヌスとアグリッパが私の念頭に浮かばずにはいない。
 同じ本に、ヤマトタケルとクマソタケルを例に挙げて、ひ弱げな美少年には雄々しいライバルがいて、その間にはホモ的な香りが漂う、--とも書いてある。これはマッシー描くところの、オクタヴィアヌスとアントニウスにもろにあてはまっている。
 しかし、「女とみまごう」なんてのも若いうちしか通用しないので、このテの英雄は必然的に短命だという。・・・その点、元々、腕力体力がダメなオクタヴィアヌスは、頭脳勝負で長生きしたなぁ、と、私の発想はやはりこの方向に行くのであった。
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市川ジュンとTONOの新刊

2007-03-18 07:08:00 | マンガ
 市川ジュン『天の黒 地の赤 海の青』
 表題作は1話の読みきりで、あとはシリーズ『十二月の光輝』で看板に偽りみたいな気もするけど、よほどこのタイトルに思いいれがあるのでしょうね。内容の順番としては、表題作が戦争末期から終戦直後、『光輝』が昭和20年の12月なので並べ方は妥当。
 戦争を生き延びた若夫婦が、子供を亡くして、職も失くして、でも新しい子供が出来て希望を持つという結末だけならばありがちかもしれないけど、「替わりじゃないのよ」「もちろん」「子供がいなかったとしてもそれはそれでいいのよ」という会話が非凡。幸せの元を子供だけにすがらない。
 「十二月」とは、婦人参政権が認められた時を指している。正直なところ私は投票にはりきって行くわけではないけど、こういうの読むと、先人たちがようやく勝ち取った選挙権おろそかにしてはいけないなぁと思う。
 ああそれにしても、「嫁」に負担負わせてあたりまえの顔した連中、食事の量を男優先にしていた慣習、そりゃどこの星の話だよ、って言いたくなるけどありがちだったことを思うと怒りがこみあげる・・・。

 TONO『砂の下の夢』2巻
 先月出た。ユーレイやバケモノもあたりまえのように出るからFTと言っていいのだろう。
 砂漠でオアシスの管理を司るジャグロ族は、若いうちは性別がわかりにくい。--この設定で思い出すのは、いにしえの『七つの黄金郷(エルドラド)』。エリザベス1世に仕える海賊家系のレッドフォード侯爵家の人々は、結婚するまで世間に性別を明かさない。「男だからと優位にたつこともなく 女だからと自由を制限されることもなく」男装女装を使い分けている。こういう性別越境は少女マンガという世界の普遍テーマだ。もっとも、『エルド』の場合、根はけっこう保守的なものを感じる。少なくとも、恋は男女間と限定していることは(70年代少女マンガでは無理ないけどね)。その点『砂下』はアバウト。フェイスとチャルは1巻時点では「性別不明のカップル」とされていたけど2巻ではフェイスは男、「チャル」は二人いて男女の双子だと明かされている(でもよその人々にはやはりわかってない)。しかし、フェイスとカップルなのが男女のどちらかなのかは相変わらず不明のまま。こういうさりげないジェンダーレスぶりも、まさしく少女マンガというもので頼もしい。
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