『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)は、まえにここで言及したこともある、字幕翻訳者太田直子さんのエッセイである。そこで、「許しがたい敵」とされていたのは、「混ぜ書き」。一語の中で漢字とカナが混じった書き方。「だ捕」、「誘かい」、「危ぐ」など、「ほとんど冒涜的」だと主張されている。同感だ。この人の場合、常用漢字に縛られると字数が増えてしまって困るという問題もあるが、そういう事情のない私もしばしば怒りを覚える。
もっと挙げてみるならば、「破たん」、「補てん」、「ら致」、「障がい」(「体の不自由な」人々に配慮して「害」というネガティブな字面をやめようという意図があるそうだが、もうちょっと工夫のしようがあるのではないか)。
「美ぼう」に「復しゅう」となるともう殴りたくなってくる。せっかくの凄みのある言葉がだいなしだ。
たとえ知らない字があったとしても、基本的なところを知っていれば意味を推測できるのが漢字のいいところのはずだ。児童相手の本ならば我慢もするが、大人が主に読む場では、醜い「混ぜ書き」に目くじらを立てずにいられない。
「草なぎ」という書き方を見て改めて感じたので投下。このパソコンでは、「草薙」のほうは出てくるけど弓と前と刀の字は出ない。
もっと挙げてみるならば、「破たん」、「補てん」、「ら致」、「障がい」(「体の不自由な」人々に配慮して「害」というネガティブな字面をやめようという意図があるそうだが、もうちょっと工夫のしようがあるのではないか)。
「美ぼう」に「復しゅう」となるともう殴りたくなってくる。せっかくの凄みのある言葉がだいなしだ。
たとえ知らない字があったとしても、基本的なところを知っていれば意味を推測できるのが漢字のいいところのはずだ。児童相手の本ならば我慢もするが、大人が主に読む場では、醜い「混ぜ書き」に目くじらを立てずにいられない。
「草なぎ」という書き方を見て改めて感じたので投下。このパソコンでは、「草薙」のほうは出てくるけど弓と前と刀の字は出ない。