レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

美形

2007-05-30 05:59:43 |   ことばや名前
「美形」という言葉を初めて目にしたのは、30年以上まえの「別冊マーガレット」でだった。あまり耳慣れないものだったので最近の言葉のように感じたのだが、そのうち時代劇できいて意外に思った。しかし同じころ、『新選組始末記』(土方役は古谷一行)を見ていた友人が、『燃えよ剣』の栗塚トシについて「あの人もいいけどね、美形すぎる」と評した(彼女は史実認識を誤っていたのだ)ことを母に言うと、中学生が「美形」なんて古い言葉を使うことにいささか驚いていた。そう、あのころには、本来時代劇のような言葉である「美形」が、むしろミーハーっぽい感覚で使われ出していたのだろう。
 似たような例。70年代終わりごろのコバルトの小説で、野球をやりたくて男子高に潜入する女の子(ムチャな設定だよな)が男装した姿を見て祖父が「中々の美少女、いや美少年じゃ」--「おじいちゃんの言うことはいちいち古い」 そうか、「美少年」は年寄りの使うような言葉だったのか。そのころ「JUNE」など出ていて、その世界では「美少年」とはアヤシゲなニュアンスを持っていた。いまはまた結構ふつうの言葉になっているだろうか。(「美少女」もなんだか安っぽくなってしまったな。)

 「ハンサム」は古いことにされているらしい。「ハンサムっていつの言葉だよ、アラン・ドロンか」なんてセリフが小説にあった。
 だからといって「イケメン」なんて私は使いたくない。これもいずれはみっともないようになるだろう。流行ものは、盛りを少しでも過ぎたらもうブザマになるものだ。一部は定着していくけど。もしかして「イケメン」も普通の言葉になるのだろうか?
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今月買った新刊

2007-05-25 05:54:17 | 
『カエサルの魔剣』
宮部みゆき『ドリームバスター4』
『ドレスデン、運命の日』(映画ノベライズ)
清水義範『独断流「読書」必勝法』
    『偽史世界伝』
佐藤愛子『今は昔のこんなこと』
三浦しをん『きみはポラリス』
さくらももこ『さくら横丁』
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『白のフィオレンティーナ』文庫化

2007-05-23 15:17:27 | マンガ
「冬水社」は、同人誌から出来たらしい出版社、昔BLでいまは少女マンガを出しているけど、でもBLの色は残っている・・・と思う。私が読んでるのは専ら戸川視友さんばかりなので、ほかのは1回雑誌「いちラキ」を買っただけ。
 戸川さんはこの数年、コスプレものばかり手がけているようで、いちばんの大作である『白のフィオレンティーナ』は、コミックス23巻(もっとも、1冊あたりは連載3回ぶんでわりに薄い)、それがいまは文庫で出つつある。
 ルネサンスのフィレンツェ、絵の才能のある少女フィオレンティーナのサクセス&ラブストーリー。男主人公である実業家アルフォンスは実はロレンツォ豪華公の庶子で、目下はフィレンツェを追放中のメディチ家の再興を目指す身である。そのアルフォンソはフィオレンティーナの才能を発見し、まずはラファエロに弟子入りさせる。
 物語のお約束として、この二人(おまけに美男美女)は恋におちてゆくけど、互いの身を案じながら長いこと自制していて、告白したのが(たしか)12巻、結ばれたのが15巻、内密に結婚したのが20巻。昨今のある種のマンガの見境のなさを嘆いている身としては、このけなげな悠長さが感動ものである。(昔の少女マンガの男はガマンしていたものだ、アンドレを筆頭に。)
 実在人物はぞろぞろ出てくるが、最も創作設定の激しいのはジョバンニ・ディ・メディチ。話の序盤では、アルフォンスの婚約者の美女がたまに訪問してくるが、これが実はローマで枢機卿やってるジョバンニ(のちのレオ10世)の変装。暗殺よけにわざとブサイクな肖像を出回らせているということになっている。
 かのように、ところどころ荒唐無稽な点はあるが、怒るのでなく笑える人、少女マンガ~!で歴史ロマンを楽しめる人にはぜひお勧め。

 戸川さんのいまの連載『海の綺士団』は、16世紀、マルタ騎士団に入隊を許された男装の美女剣士が主人公。
 最新刊の6巻のトークによると、『白フィ』のあとの連載として、アウグストゥスも有力候補であったそうだ。読みきりでもいいから実現してほしー。
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ワルシャワ

2007-05-21 06:11:06 | 歴史
「探検ロマン世界遺産」で、「ワルシャワ旧市街」をやっていた。
ポーランドには99年の3月に少し行ったことがあるが(前項「ポーランドばなし断片」参照、ただし「ドイツ」カテゴリー)、西部のシュレジエン(シロンスク)の数箇所だけで、首都ワルシャワは知らない。大戦末期の「ワルシャワ蜂起」でナチスドイツ軍に破壊され、戦後、市民たちの感嘆すべき執念で復元されたことは名高い(似たようなことはドイツ・ドレスデンのフラウエン教会でも言えることだ)。
 番組では、ほかに「旧宮殿」の再興もとりあげていた。中世以来の城で、芸術的価値だけでなく、ポーランド人にとっては民族の自由の印でもあるという。ソ連の支配下では、社会主義以前の時代の存在などは知らしめたくないので、修復は許されず、東西緊張の緩和の始まった71年にようやく許可されたそうだ。当時は教科書でもポーランドの歴史を1945年から始めていたというのは呆れ果てる。
 宮殿修復に尽力した学者の娘婿がアンジェイ・ワイダーー私は見たことないけど、ポーランド映画を代表する監督だということくらい知っている。いま手がけているのは「カチンの森」事件が題材だそうだ。1940年、ソ連西部のカチンの森でポーランド軍将兵約4千人の射殺死体が発見され、ドイツの仕業とされていたが実はソ連が犯人、公式に認めたのは「ソ連」崩壊間近にようやくだった。この問題もタブーだった。

 大国にはさまれて散々蹂躙された歴史があるけれど、かといって同情されるばかりでは嫌であるらしい。『ドイツの歴史教科書』という番組で、ポーランドと共同制作教科書の過程を扱っていて、その時、抵抗運動のことも記述するように求めていたことが印象に残っている。

 硬派な作品ばかりでなく通俗ドラマだってもちろんポーランドにもあるはずだ。--見たいな、ポーランドのメロドラマ。さぞかし美男美女が出るだろう。
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ポーランドばなし断片

2007-05-19 06:29:26 | ドイツ
 ドイツの東の国境は、大戦後西にズレた。
 ロマン派の詩人ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの故郷は、いまはポーランドになっている。シュレジエン(ポーランド名はシロンスク)という名前で、マリア・テレジアとフリードリヒ2世の争いを思い出す人も多いだろう。ポーランドといえば、大国に挟まれて 散々な目にあってきた過去を持つ。しかし、かの悪名高い、ロシアとプロイセンとオーストリアによる「分割」のまえから、シュレジエンは(広い意味での)ドイツだった。国境がずれないでいてくれたら、私がアイヒェンドルフ詣でをするのもずっとたやすかったのに、と若干グチりたくなる。
 99年の3月、フライブルクに留学中に1週間弱、上記シュレジエンに、詩人の縁の地を訪問したが、これについてはいまは割愛。断片的なことを若干書いておくことにする。

 結局、何語を使ったことになるのかよくわからない。ポーランド語の文法書を買ってきて勉強は少しばかりしたのだが、いま覚えているのは「はい」「いいえ」「こんにちは」「ありがとう」(そして「本」)だけである、ほとんど。
 ホテルのフロントや観光案内所ではドイツ語で足りた。タクシーで「駅まで」なんていうのは会話の本に載ってるのをマネで。切符を買うのはおおごとなので紙に書いた。

 私が訪ねたのは、アイヒェンドルフの生誕地と終焉の地と、大学に通った町。そのうちで最も大きいのは大学のあるブレスラウ(ポーランド名ヴロツワフ)で、ここだけは「地球の歩き方」に載っている。初日、ドイツ東部のドレスデンからここに入り、1泊してから移動し、ほかの旅程のあとでまたここに戻って2泊し、そのあとドイツへ(ドレスデンに入り、ベルリンの友だちのところへ行った)。
 建物は、本来は立派だけど古くて手入れしていないのでボロっと見えるという感じのものが目についた。風景を鑑賞するという楽しみはドイツにだいぶひけをとるという印象。ではなにが目に楽しかったかといえば、道行く若い人々。青年男女、少年少女は、「あっ可愛い」「わーハンサム」「美人!」の連続。「名曲アルバム」や紀行番組で、『乙女の祈り』やショパンの曲を流すときに画面にキレイな人がたくさん映るが、あれはたいして物色しなくてもてきとーにそのへんの人にカメラを向ければ足りてるのではと思わされた。のちに、2002年のW杯の際にドイツチームのクローゼがポーランド出身ときいて妙に納得してしまった。
 
 ホテルのレストラン(メニューはドイツ語も併記)に、「ヴァレフスカ夫人」という名前のステーキがあった。結局はマリー・ルイーズよりも健気だったナポレオンのポーランド妻。こういうところで歴史上の人物の名前が出てくるのは楽しい。

 テレビは、地域によってはドイツの番組も映っていた。日本製のアニメグリム童話もやっていた。あの国では、外国の番組を放映するときに、無声映画時代の「弁士」のように、一人がすべてのセリフを演じていて、その後ろにかすかに元の声がきこえているという状態。つまり、日本のニュースなどで外国人の語るのを字幕でなく伝えるときのような感じ、ただし人ごとに分けないで。せめて老若男女くらいの区別はしたらいいのに。
(これは99年でのことなので、いまはどうか知らない)

 ホテルの部屋には聖書があるもので、ドイツのはドイツ語・英語・フランス語、ポーランドではポーランド語・ドイツ語・英語だった。もしかしてポーランド国内でも違いがあったりするのだろうか。
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本棚の整理

2007-05-17 15:05:40 | 
 ここしばらく、部屋の、特に本棚のものを減らすことに腐心している。焼け石に水ではあるけど。プリント類をどしどし処分したので、クリアファイルがだいぶ浮いてしまった。
 論文集も、テーマからいって読みそうにないものなど思いっきり減らした。もう一度読んでから手放そうという予定の本も分類した。さて、いつ減らせるものか。

 買っておいてツン読状態だったものもいーかげん読まないと。そういうわけで、『奪われた才能』を少しずつ読んでいる。文豪ゲーテの妹コルネリアについて。裕福な家に生まれ、途中までは高い教育を授けられながら、女であるがために自己主張の道を閉ざされて不幸のうちに若死にした存在。
 平井正『ドイツ鉄道の旅』その他、これも数年まえに買っていた。文学や映画の中の鉄道の生かし方の章が興味深い。かつては風情のないもの、ロマンの敵だった鉄道が、いまでは郷愁の対象なのだから時代とはおそろしい。

 図書館で借りているのは『ヘルマン・ヘッセ全集2』、期限があるのでこれがいちばん急ぐはず。

 ほとんど電車の中で読んだのが清水義範『スタァ』、まえに借りて読んだはずだけど覚えてない。文庫で出たので購入。18才でアイドル歌手としてデビューしていまは「バラドル」その他をしながら「崖っぷち」を感じている30才。筆致にリアリティと暖かさを感じる。
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オクタとアグ、出会いの巻

2007-05-15 05:39:55 | ローマ
 まえによそのサイト掲示板に書いたことの再録。

 「少女マンガのお約束」に、「ヒロインとヒーローは幼いころに会っている」があるらしい。ーーすると、オクタヴィアヌスとアグリッパでもやってみたくなる。 アグが、なにかの用で父や兄と共に ローマに来ているという状況もありえないこともない。一方オクタ(8,9才)は、姉オクタヴィアの嫁入りが近く、今日は久々に母も来るし、相手の家族も客に来ることになっていて、家の中はなんとなく華やいでいる、でもオクタの心中には 寂しさがある。アグが、どこか木の上にでも上って見晴らしを楽しんでいると、先客がいたのに気がつく。泣いてたのを見られて焦ったオクタ、慌てて落ちて、しばらく気絶してたりする。(「かわいい・・・」とアグは当然のように思ってドギマギしたりする)気がついたオクタと言葉をかわす。「もうすぐ姉上がお嫁にいくんだ」「それが淋しいのか(この子の姉さんならさぞキレイなんだろうな~)」
「・・・」見知らぬ相手なので、人見知りするオクタもかえって素直に話せるかもしれない。「それで今日はお客があるんだ」「じゃあ早いとこ戻らないと。ほら」と背を向けてしゃがみこむアグ。(さすがにこの年ではお姫様だっこというわけにも行かないでしょう、残念ながら) 家に近づくと、乳母などが心配して探しに来てる。「もういいよ、おろしてくれ。--寄っていかないか」「いや、おれももう行かなきゃ」「そう。--ありがとう」と、頬にキス。そしてちょっと乳母にもたれるようにして家にはいっていくオクタ(その後、義理の兄などお客様にもきちんと挨拶して、花嫁の弟としても役目(?)は無事果たすのでした)。 至福の思いで、そもそもの待ち合わせ場所へかなり遅れて行ったアグは、「初めての町でどこへ行ってたんだ、探しただろうっ!!」と父や兄に大目玉をくらいました、ガツン

ガツンーーと目をさましたのは、それから約10年後、初年兵のアグ。大木にもたれて居眠りしていた。この木が、あのときのことを思い出させたので昔の夢を見ていたらしい。目の前には先輩兵がいて、「おきろ。インペラトールがお呼びだぞ」 そしてカエサルの天幕へ行ったアグ、--『男の肖像』のあの場面へと(少なくともあのテの場面へと)つながります。

 私は木登りという状況設定好きですな。オクタにできるのかという疑問もわいてくるが、簡単に登れる場所もあったとしておこう。
 いや、それ以前に、「オクタヴィアヌスはヒロインなのかい!」というツッコミがあるか。
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バトンの狙い

2007-05-13 17:30:24 | 雑記
「愛の傾きバトン」、私から先は中々広がっているようです。
「サイトやブログであまりタネにしていない」キャラ、というのは、私のところで加えた条件なもので、そのまま定着してつながっているのはなんだか恐縮です・・・。

 これは、二次創作系の方はその対象にしているのではなくて「愛読」してる作品から、あるいはブログで「カテゴリー」になってしまっているくらいいつも語りまくっているのとは別のメンバーを、ということを言いたかったのです。
 私が、コミケで二次本を買いまくっていたころ、ああいう本では描き手の(同人誌ダネにするのではなく)愛読しているマンガはあんがいわからないものだな、と思いました。描き手の個人的シュミは必ずしも読者の関心対象ではないけれど、重なりを発見すればやはり嬉しいもの。
 だから、ふだんサイト・ブログにあまり反映されていないシュミを主張してみてほしかったわけです。いつもとは方向性の違う回答にもその人の個性が表れているのはそれはそれで良いものですし、意外な接点が見つかるのもよし。

 タイトルからすると、回答からその人の好みを割り出してみよう、という狙いで始まったのでしょうね。
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5月11日

2007-05-11 05:41:35 | 新選組
 5月11日といえば、土方歳三命日としてかれこれ30年忘れようがない。
 もっとも、年季いりのわりには知識じたいはけっこうあやしいのではないかという不安はある。自分の抱いている人物・事件の像は、創作からきていて根拠はないのではなかろうかという。最もポピュラーな『燃えよ剣』からして相当部分が虚構であるし、でも、だからといってその鮮烈さは損なわれるものでもないのだが。新選組に関心を持った人間が真っ先に手を出す本はまずアレだろう。そしてその段階では、史実と虚構の区別がまだついていないのではなかろうか。そのあといろいろ比べてみて見分けがついていく、私が中学時代に読んだときにはそうだった。さすがに、お雪とか七里なんて架空だろうと思ったけど。
 しかしまぁ、『燃えよ剣』の場合は小説というワクがある。困るのは、『新選組始末記』のようなドキュメントの内容に、近年の研究で異議が唱えられてしまうことだ。子母澤氏は、『新選組血風録』『燃えよ剣』脚本の結束信二さんに、八木老人の思い出話は「私の創作」だと言ったそうだし。本当に創作なのかはまだ断じたくないのが本音であるけど。ほかの資料と食い違う点はあるそうだし。
 著者を責めたいのとは違うけど、困ったことだとは思う。
 
 もう10年以上まえ、『みぶな畑』という同人誌があり、人気を博していた(私もファンだった)。そのころ、どこかのアンケートの「新選組を好きになったきっかけ」に「『みぶな畑』を読んで」という回答があったそうだ。それをきいて私はなにかヘンな感じがした。それはなぜかといえば:たとえば『燃えよ剣』の場合は、読者の対象が広く、新選組について特に知らなくても読めるように書いてある(はずだ)。しかし多くの新選組同人誌・FC本は、読者の知識が前提であり、説明などは最小限ですませるもの。--それでもファンをつくってしまうのだからスゴイ。

 新選組語りとも言えないけど、5月11日なのでその周辺の話題。
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お天道様万歳

2007-05-09 19:39:00 | 雑記
 きのう今日は暑かった。
 今年になって初めて、コートなしで外出、日傘を使い出した。
 きのう大学まで、いつもと違う道を登った。途中で何軒も、布団干しをしているのを見た。お天道様万歳!砂漠の国の民ならば異論もあろうが、ヒノモトの住人としては拝んでしまいたくなるというものだ。
 春と秋の風情はどちらが優れているかなどとは、古典の話題としてよくあるが、太陽と月の優劣論は見たことない。わかりきっているからだろうか。私は月を賛美し、太陽を敬う。

 明日は雨だという。ほんとにこの時期も天気は不安定だ。そしてそのうち梅雨になり台風になる。でも、バラの季節は楽しみだ。そういえば、今朝近所に、ピンクのバラのアーチができていることに気がついた。フライブルクで通学路の公園のバラを楽しんでいたことを思い出すのも初夏の常である。

 10日午後に付記。
 天気予報の通り、朝方は晴れていたが、いまは空がゴロゴロ鳴っている。こういうときに家にいられることに幸せを感じるが、外を見て気分は明るくなるものではない。やはりお日さまはエライ。
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