レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

長いナイフの夜

2006-06-30 06:03:28 | ドイツ
 1934年6月30日といえば、ドイツの歴史の中での血なまぐさい日の一つである。33年にヒトラーが政権を取り、名実ともにナチスドイツの時代になっていくのだが、旧友エルンスト・レームの率いる「突撃隊」と、国防軍との対立が目立ってきて、ついに突撃隊の幹部たちが親衛隊の手で粛清されることとなる。(そして漁夫の利を得たのもまた親衛隊であった) ヴィスコンティの映画『地獄に堕ちた勇者ども』に出てくる事件である。(女装にホモにロリコンに母子相姦、なんて変態だらけの世界・・・) これを「長いナイフの夜」と称する。38年11月9日の各地で起きたユダヤ人たちへの迫害行動は「水晶の夜」「砕け散るガラスの夜」なんて言うし、どうも彼らのネーミングセンスにはグロテスクなロマンチシズムがある。 ナチ幹部をネタにしたジョークでは、レームはその男色が揶揄の対象にされていた。上記の粛清も、それが理由かと世間では思われた。これに憤慨したある作家は、「同性愛は柔弱なものではなく、むしろ男らしさの賛美である。ギャラントなフランス人と違って、ドイツ人は本質的に同性愛好みの国民なのだ」と、フォン・デム・エーベルバッハ少佐がきいたら憤死しそうなことを日記に書いている。ノーベル賞作家のトーマス・マンである。10年以上まえだったか、学会で、マンの男色疑惑についての発表があった。実践してたかはともかく、傾向は明らかにある、という説であった。(ウソだと思うならば独文学会に問い合わせて下さい) 『ヴェニスに死す』の作者であることを思い出せばある程度納得する人は少なからずいるに違いない。作者自身が客船の旅で見知らぬ美少年に関心を持ったことがモトネタになっていることは、独文学者の池内紀さんがエッセイでとりあげていた。 そういえば映画『ベニスに死す』いまだに見てない。これと『地獄に~』『ルートヴィヒ』をヴィスコンティのドイツ三部作というそうだが、ドイツ語しゃべる作品がゼロなのってヤだ。
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クレオパトラものチェックポイント

2006-06-29 16:07:07 | ローマ
 ローマカテゴリーに入れることに抵抗を感じる。

 もし私がヒマと権威を兼ね備えた歴史学者ならば、歴史上の人物の美貌の評判の信憑性を検証する企画をたてたい。そして、時代や地域で区分した美形ランキングなんてものをやってみる。
 メンクイを自認する藤本ひとみさんは、マルグリット・ド・ヴァロアの容姿レベルについてこまごまと検証を加えていたことがある。(こういう人が、オクタヴィアヌスを「知的でハンサム」と言い切ってくれたことは妙に嬉しい) 永井路子さんは、伝説に捕らわれずにシビアなので、こういう人が美人と断言していると信用がおける。おまけに塩野さんも加えて、世界史上の美形の品定め対談なんて企画はないもんだろうか。男性作家がいてもいいけど。

 また飽きもせずこんなことを考えてしまうのは、先日の『超歴史ミステリー!! 女王クレオパトラの墓を探せ!!古代エジプト最後の謎に米倉涼子が挑む』とかなんとかいう番組のせい。クレオパトラの墓のありかに対して私は良くも悪くも興味ない。謎であるほうがロマンチックじゃないかとも思う。だから、番組の本筋は実のところどうでもよくて、ローマサイドがどう説明されるかーーバカなこと言ったらツッコミいれてやるぞーーという点を専ら見ていた。まぁ、たいしてつっこんだことも言わず、私が腹をたてるような結果にはならなかった。
 クレオパトラものに対して、私が目を光らせるのは次の点である。
1、パトラの容姿について。
「絶世の美女」と賞賛してると×  容姿じたいでなく教養がポイント ○
2、オクタヴィアヌスの容姿
美貌と記している ○  みっともないかのように描いていると×
3、カエサルの後継者
カエサリオンこそ当然後継者、遺言状は偽者!またはずっと前に書かれたもの、なんて調子 ×
オクタは遺言状の定めた正当な後継者 ○
4、最後のパトラに対してのオクタの態度
彼まで彼女に気があったように描く ×
あくまで冷静  ○

・・・正直、パトラを絶世の美女として持ち上げていると私はムカムカするのだが、映画や小説などフィクションの枠でしているならば、そういう設定なのだとして我慢もできる。しかし、歴史や伝記、つまり読者は本当のことだと思って接するジャンルでだとモンクも言いたい。
 この点について上記の番組は、プルタークを紹介はするが、「しかしプルタークはクレオパトラを見たわけではない」と言っていて、どうも、美女という幻想を守り続けていたい態度がありありと伺えた。こういうのは腹は立たないです。史料にこう書いてあることは知ってる、でも夢は見ていたい、という思いいれは否定しない。地元民の感情だってあるし。
 ギリシアの現代の「クレオパトラ」(という名の持ち主)さんたちはきれいでした。引用されていた『レジェンド・オブ・エジプト』(なんてぱっとしないタイトル!)のレオノラ・ヴァレラよりもずっと。

 この際一言。
いま発売中の「ほんとうに怖い童話」というレディスコミック雑誌に、さいとう邦子『クレオパトラ』が載ってます。男主人公がオリキャラで、カエサルとの接触までで終わってるので、オクタなどの出番はないです。女王としての使命をわきまえた態度は好感が持てます。
 「中世拷問史」なんてアオリ文句がついてて手に取りにくいですが、関心のある方はご覧下さい。表紙にタイトル載ってません。


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私的つけたし (サラ) 2006-07-08 21:17:57

チェックポイントに、私的な意見を述べると、
「カルプルニアが不当に貶められていないこと」が追加されます。
一歩譲って、パトラ自身がカルプルニアを「石女!」と蔑むのはよしとします。(彼女の立場では、それが、カルプルニアに対する最大の優位点でしょうし) でも、作者の側から何のフォローもなく、カエサルまでが、尻馬にのって、カルプルニアをないがしろにしたように描くのは、品性が低いと思います。 と、書くと、クレオパトラものって、ほとんどが、特に小説は、「品性が低い」にあてはまっちゃうんですよね。


こういう点でマッシーは (レーヌス) 2006-07-09 14:12:09

マッシーの場合、カルプルニアのキャラは決して良くはない、むしろ悪妻なんですが(彼女なりに夫を案じてはいるのですが)、それに対して私があまり不快に思わないのは、「石女」としてさげすむことをだれもしていないから(語り手のデキ・ブルもカエサルも。本人も卑屈ではなく高飛車、むしろ夫側に原因ありだと言っている)、そしてクレオパトラを持ち上げる目的ではないから、です。  エセックス版でどうだったか記憶にありません。
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クインビー・アテナ

2006-06-29 15:51:10 | 歴史
 神話も「歴史」カテゴリーに入れてしまおう。

 旧約聖書に登場するエフタの娘。父が戦勝祈願で、最初に出迎えたものを神に捧げると誓いをたて、それは彼の愛娘であった。彼女はただ、2ヶ月の猶予をもらっただけでそれに従ったという。--本人が許しても私は許せない。親子の情愛も犠牲にさせる神など・・・。せめてキサマも腹切って死ねエフタ、私が妻ならば絶対に殺している!ヨブの妻よろしく「神を呪って死になさい」と言って。
 戦のために娘を犠牲にしたという点では、ギリシア神話のアガメムノン、トロイア戦争のギリシア軍の総大将も同じなのだが、こちらに私がそうムキにならないのは、イピゲネイアが女神のはからいで助かったという続きがつくことと、恨んだ妻クリュタイムネストラに殺されてしっかり報いをうけていることが理由である。たぶん、元々はイピゲネイアは殺されていたのが、あとの時代の人が展開を和らげたのだろうと阿刀田高は解釈している。あんまりだと思った(たぶん)ギリシア人の感覚のほうが私にはマトモに思える。
 夫殺しのクリュタイムネストラは、父を慕う娘エレクトラの執念で、息子オレステスに討たれる。そして、母殺しの罪を神々に裁かれることになるが、これはアイスキュロスの悲劇の題材になっている。父の敵である母を殺すことは是か非か?母権対父権、ひいては男と女の問題でもある。白黒は伯仲するが、「父からのみ産まれたのですべてに男性に味方する」アテナの票により、オレステスは無罪となる。--おい、アテナの母メティスの立場は?手前勝手な理由でゼウスに飲み込まれた母の存在はどうなるんだ!?
 
 読売新聞の夕刊に、「ルーブル美術館展 古代ギリシア芸術・神々の遺産」という記事がこのごろ載っている。その第1回めがアテナ像だった。「女性らしい体つきは厚い衣に包まれ、胸のふくらみはよろいで覆われる。それゆえに逆にりりしさが強調される。脱線気味の連想ながら、現代日本の漫画・アニメでは「戦闘美少女」と呼ばれるキャラクターが大活躍している。女性の美と力を融合させた姿は、ひょっとしたらその源流なのかもしれない」と結ばれている。しかし、女に優しくない女であるアテナは、戦う女が共鳴できる女神だろうかとはなはだ疑問だ。
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ドイツのきれいな町の比率

2006-06-29 15:35:24 | ドイツ
フライブルクの語学学校の授業で、生徒たち(日本人)がドイツの美しさを賞賛すると、「でもドイツ中がフライブルクみたいなわけじゃない」とある先生が言っていた。例えばルール地方などが、美しくない地域の例として挙がっていた。「ルール工業地帯」という名前は、地理の授業で聞き覚えがある。映画『ベルンの奇蹟』は、それに属するエッセンが中心舞台だった。脇役の記者の住まいのミュンヘンや、試合場所のスイスの湖畔が小奇麗なので、炭鉱の町の見栄えはいっそう冴えなく見えた。(そういう場所でも人々の生活はきちんと営まれていて、子供たちは健全に外遊びしている。いかにも素人の粗末な手作り品のボールを蹴っている姿は、あぁなんて健康なんだ!と感動した) もちろん映画に出てきたことだけで判断してはいけないし、ドイツ人の間でも美しからぬ町と思われているDuisburgドゥイスブルクにもきれいなところはあるという報告を読んだことはある。そして、なにをキレイ、洒落てると感じるかという問題もあるし。
(私の歩いた限りでは、旧東ではボロい建物がけっこう目に付いた。いまドイツ旅行中の「脳幹倶楽部」のこまむさんの日記(現地レポ)でも、ライプチヒに廃墟みたいな建物が多いと書いてある。) それでもやはり、全国でのきれいな町の占める率、ひとつの町でのきれいな場所率は、・・・日本よりも高いような気がする。まずお役所。ドイツだと市庁舎(市役所とは厳密に言えば違うそうだけど)はたいてい、立派とか可愛いとかキレイという言葉がふさわしい、絵葉書になっていい建物である。そして教会。お寺さんだってそれ相応の立派なところはあるのだし、雰囲気もあるに違いない。でも、ロマンチック(ここでは通俗な意味で言う)なキレイさならば教会のほうがある。そして決定的なことは、町並みの調和だろう。景観を守ることについて彼らは熱心だ。壁の色は様々であっても、高いところから見ると屋根の色調が統一されていることがわかる。ライン河畔は黒が多いと思った。 そういう統一感を、モノトーンで退屈だ、アジア的混沌はエネルギッシュでいい、と評する声も「ドイツ語講座」などできいたことはあるけど。 
90年の秋、語学講習で2ヶ月を過ごすボッパルトに行く前に、知人の紹介でデュッセルドルフで2泊した。ボッパルトなんて小さい町では絵葉書なんてないだろうと思ってデュッセルでも買いこんだのだが、とんでもない思い違いだった。ボッパルトにもきれいな絵葉書はたっぷりとあった。 さらに小さな町でも、有名観光地でもないくせにどうしてこんなにキレイなんだよ~~~!?と叫びたい町は複数見た。絵葉書くらい作らんともったいないと異邦人は思う。
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ミュージアムグッズ

2006-06-28 17:04:55 | 趣味・娯楽
先日映画館に行ったとき、『ダ・ヴィンチコード』のグッズとしてクリアファイルセットがあった。レオナルド作品を使った品。こんなの使用料たいへんだろうに、2枚で500円なんて安い。たくさん売れる自信がないとできないな。--私みたいに、見る予定もないのに買うようなヤツもいるくらいだから充分売れるんだろう。
 展覧会や博物館に行ったあとでは、グッズを買うのも楽しみだ。気軽に買えるのはポストカードや便箋、思い切りがいるのはトートバッグ(去年「ベルリン博物館島展」で買った黒い縦長の品はシックで良い)、いちばん好きなのはクリアファイルだ。
 ドイツで山ほど博物館・美術館へ行ったが、概してミュージアムショップはあまり充実していないらしい。確かに、ポストカードくらいはあるが、グッズの種類はあまりなかったような印象だ。クリアファイルはなかった(あれば山ほど買いこんでいたはず)。よそで話題に出たことがあるが、どうもフランスでも一般的ではないようだった。そういえば、ドイツの文房具屋で普通の品を探してみたときも、日本のものよりもペラペラでただカラー分けしたものしか見なかった。クリアファイルに凝るのは日本的なんだろうか?
 ことあるごとに買いこんでいるので、未使用品がたっぷりある。

 2001年に八王子の美術館で買った下敷き、表に絵画(ピンクのドレスの貴婦人が鏡の前でスカーフを巻いている図)、裏に2001~05年のカレンダーが載っている。もう過ぎてしまったとは早いものだ(まだ使ってるけどね)。いまは2006~2010の品を売っているのだろうか、行ってみたい気がする。
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『ポテト時代』

2006-06-26 14:33:52 | マンガ
83~84年、「週刊マーガレット」連載(そう、あのころは週刊だった)。
BY川崎苑子(現・北村夏)私が単行本を全部所持しているただ二人の漫画家の一人。ありがたいことに、ソノラマから今月復刊してくれた。

就職浪人の川風そよ子さん18才は、おさんどん生活にウツになっていたところ、ゆきずりの青年に家事の腕を賞賛されたことから「お手伝いさん」を天職と見定め、まずは自宅で姉たちから給料をもらって働くようになる。大工の父、熱血教師の姉1サラ、漫画家の姉2スウ、幼稚園児の妹ふう子、そして、そよ子さんに惚れて押しかけ、そよ子さんも「女の見栄」でなしくずしにつきあい始めた沢くん。どこかボケてたり、それなりに変人だったりする人々のささやかな日常を、時にシビアに、時に優しく描き出す。たくましさと無垢さの同居する世界、お天道様に顔を向けて笑う時も、足元の草木に心を和ます時もある。それが苑子ワールド。
 併録の『野葡萄』はシリアス読みきり。母の再婚を受け入れられない少女が、両親の旧友の経営する山のホテルを訪問する。この夏に閉鎖するので最後に昔の仲間で集まったという人々に、彼女はたいそう優しく迎えられるが、彼らには秘密があったーー。
 イントロ(正確には4ページめ)はこう:その日あたしは泣きたい気分で列車にのっていて それでも 気分とは別にお腹がしっかりすいてきていて 高原弁当を買おうとしたのですが 前の席の人がふたつも買ってお弁当はそれで売り切れで ますます泣きたい気分になって ティッシュペーパーをさがしたらさっき鼻をかみすぎてもう在庫がなく 一番いいハンカチで鼻をかみいよいよ泣きたい気分になっていた時ーー彼が声をかけたのでした

 シリアスな中にもどこかおとぼけ風味、これも苑子テイスト。

「ポテト時代」
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ローマものミステリー

2006-06-26 14:30:30 | ローマ
『ファルコ』のほかにもちらちらとある。

 川田弥一郎『ローマを殺した刺客』  主人公の「私」の正体が途中で見当つくけど、それで興趣がそがれるというわけでもないです。一番の腹黒はやはりあの男ということでモンクはあるまい。
 同じ川田『アテナイの惨劇』所収の『ローマ詩人の死』 「私」は医者で、第二次三頭政治の初期。ここで少し出てくるアントニウスもやはりバカっぽい。アントニウスを「陽気な残酷さ」、オクタを「陰気な残酷さ」と評していることは言いえて妙かも。 表題作は、アテナイで産婆(若いけど)をする「私」が、ある名家の殺人事件の真相を探る。ほかに、大戦前夜の欧州(ドイツだったか?)で日本人青年が知人の娘の失踪を追う話、19世紀の英国で、ガヴァネス(住み込みの家庭教師。当時の、ある程度いい家の教育のある娘の代表的職業)が雇い主の家の醜聞に巻き込まれる話、計4編。時代背景が大なり小なり影を落としてます。語り手が女性であると、当時の女の置かれた立場の不平等への批判がそれとなく反映されている点が面白い。
 (歴史上の人物が登場するとき、名前が出てくるまえにそれが誰だか当ててみせるというのは実に快感)

 ジョン・オヘイガン『若きローマ人の死』早川書房 
共和制末期、挙式間近の青年が殺される。見てくれ以外には甚だ感心しない男だったので、花嫁の身内は反対しており、母親が毒殺の疑いをかけられる。キケロが探偵役です。 犯人は見当ついたですけど。

 ジョン・マドックス・ロバーツ『古代都市ローマの殺人』『青年貴族デキウスの捜査』  ハヤカワ文庫SPQRシリーズとして総称されるけど、この邦題あんまりだ、入れ替えたって同じじゃないか~!どちらも、青年貴族デキウスが古代都市ローマの殺人を捜査するんだから。実は筋をまったく覚えていません。デキウスの一族では、彼の父と彼以外の男はみ~んな「クウィントゥス」という名前で、「デキウス」は神々のお告げによるというエピソードだけ。2作目はカティリーナの陰謀が背景にあるけど、その年の検察委員の「ガイウス・オクタヴィウス」なる人が、あのオクタパパなのかがたいへん気になります。続きが訳されたならばそのへんがはっきりしたのだろうか。 少し出てくるアントニウスがやたらと美形設定なのが、むっ、ナマイキな・・・。
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川崎苑子復刊プッシュ!

2006-06-25 16:11:47 | たのみこむ・復刊ドットコム
私自身は去年これらの投票を知ったけど、先日やっと思い出して、一気に入れました、既に「連絡済み」と、復刊の決まってるもの以外。もし、あっ懐かしい、好きだった!という方がーーもちろんいま「あおば」系列の雑誌で「北村夏」を好きな場合でもーーいらっしゃればお願いします。

「川崎苑子 復刊特集ページ」

ソノラマコミック文庫から、先日『ポテト時代』発売。来月・再来月にその続編『いちご時代』登場。これらについてはいずれ書きます。
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ハーレクインヒストリカル

2006-06-24 17:02:37 | 
ハーレクインロマンスもいくつものレーベルが出ており、「ハーレクインヒストリカル」もその一つ。最初に出たときの2冊を買って読んだけど、歴史的事件や人物と関わるわけでなく単に時代劇ロマンスというだけなので関心を失くした。出ていたら手にとってみはしていたけれど。
 そして現在、今年になって数冊読んだ。「エリザベサン・シーズン」というシリーズ(4冊)が出ている。エリザベス1世の治世の始まりからその死までの時代の宮廷が舞台の恋と陰謀。本筋はたいして目新しくもないが、メアリを擁する一派やら女王の性格づけなど史劇としての楽しみがあって結構面白かった。こういうのがマンガ版で出たら買う。 基本的に、実在の人物が出ていたり、特に関心のある時代だったりしたら手を出してみる。このHQHの中の区分として「中世」があるのはわかるとしても、regencyという区分が不可解だ。英和辞典には「摂政政治。英国ではジョージ3世の治世末期に皇太子(のちの4世)が摂政を務めた時期 1811~20。 フランスでは、ルイ15世の幼少期にオルレアン公フィリップが摂政を務めた時期 1715~23」と書いてあるのだが、圧倒的に前者であるようだ、いや、1冊も読んでないから本当にその時代なのか知らない。そんな短い時代をわざわざ選ぶメリットがあるのだろうか?ヴィクトリア朝というならばなんとなくわかるけど。
 HQはマンガ化もどんどん出ていて、雑誌もコミックスもある。「ヒストリカル」オンリーの雑誌があれば、そして好きな絵の作家が多ければ買ってもいい。単なる時代劇でも、ビジュアルならばコスプレを見る楽しみもあるし。
 こういうのは大人のライトノベルと言えるのではないか。違うのは絵。映画の看板のような表紙は気に入らない。男女がひっついているとなるとなおさらだ。(その点、人物を使わない「ハーレクインイマージュ」のほうがいい感じだ)

 古代ものはいまのところ見たことがない。むしろ中世よりも古代の衣装のほうが私は好みなんだがな。
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戦いの季節到来?

2006-06-22 14:58:05 | 雑記
 清水義範の短編で、手紙の書き方教室のような感じのものがある。書き出しの言葉は季節感が大事だけど、それは好ましいものでなければならず、ゴキブリやカビではいかんという。では、蚊はどうだろう。
 きのう夜中に目を覚ました時、あの不愉快なウ~~ンという羽音が度々降りてきた。元気があれば、がばと起き出して追求するのだが、めんどくさくてただ布団をかぶってすませた。朝になってから、しまってあった蚊取り線香を出してつけた。案外あっけなく、部屋で1匹バチンと仕留めた。
 私は、家の中で小さいクモやアリなど発見した場合ならば情けをかけて外へ放り出すこともあるが、蚊には容赦がない。かなり情熱をかけて抹殺を計る。思うに、血を吸われたあとがキモチよくなるとか、せめてなんとも不快を感じないのであればこうまで嫌がられないのではないか。自分では栄養を得ているくせに、その代わりにかゆみを残していく、恩を仇で返すけしからん奴らだ。

 「プリンセスGOLD」の連載、『キウイケツキ ドラキウイラ』、変身後の姿がキウイのようなヘンな吸血鬼の話。けっこう好きだ。今月号で、彼が、ホタルには優しいが蚊は許さん、「同類だからか?」と描かれていた。私の場合はこの執念はなんだろう。
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