レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

キーホルダーを壊したので

2012-01-29 15:19:43 | 雑記
 今年になってからだったか去年のことだったかもう記憶があやしいが、長年使っていたキーホルダーを、踏んで壊してしまった。(正確に言えば、ホルダーじたいではなくてそれにつける飾り部分か) 新しく使う候補としては、北欧土産であるシンプルな騎馬像、ヘタリアグッズのヘアゴムなどがあったが、結局、デザインの点で格別魅力力的というわけではないけどこれまでの品と形・手触りの似た品を無難に選んだ。  ほかにもまだ未使用品はある。出番はいつになるのだろうか。
 キーホルダー、ハンカチ、テレホンカード(いまはあまり売ってないだろうけど)など、自ら買ったことがほとんどないけど、なんだか余ってるほどある。カレンダーは、私ははっきりとした嗜好のもとに選ぶ(私の嫌いな使い方の「こだわり」)けど、そうでない人でももらいもので充分ということが多いのだろう。
 逆に、明らかに買いまくるからたくさん持っているのは、トートバッグ、買い物袋。「タンタン」2種、柴犬柄、未使用が3つはある。日頃よく使っているのは、「SUICAペンギン」と『ヘタリア』イギリス(選べるならばドイツか日本にしたけどこれしか店になかった)。クリアファイルはたびたび買っているのでいつも未使用品がたっぷりとある。困りもしないけど。
 マグカップ、数年前に頂いたデュッセルドルフのクリスマス市の品はすっかり手になじんでいて使いやすい。今回頂いた同じく市のカップは、長靴型で、雪だるまとクマが手をつないでいるというメルヘンな絵。ベーカリーでもらった品は「スノーマン」。これらは冬でないと「みっともない」のでいまのうちせっせと使っている。飲む量が多いとき少ないときで分けている。マグカップはこれらのほかに、『っポイ!』(これも長く使っている・・・)、コミケで買った花道&流川の大幅アレンジ二頭身キャラ(これはふだんは大学の講師室で使用)。  まったく未使用のままのヘタリアものも2つ。 マグカップというものはなんとなく暖かい感じで好きである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先生と僕 しろまん その他

2012-01-27 14:29:11 | マンガ
『先生と僕 夏目漱石を囲む人々』3 香日ゆら メディアファクトリー A5版
 Web誌連載で、それが休刊になってから一般誌へ移って続行、めでたく3巻が出てくれた。まえのぶんを知らない読者を想定して、扱う時代が遡っているので題材は重複がある。ぬぼっとした感じで頭のいい寺田寅彦は、出番がそれほどないわりに大きな顔をしているような印象を受ける。
 世界が違っても友達である是公、喧嘩しても意見対立しても友達の子規、こういうのいいなあと感動する。

『しろまん』1巻 松志ぐら  マッグガーデン
 新刊棚で目にして数日後に購入。
 戦国ものゲームにハマり、その監修者である教授のゼミに入門希望の男子学生、しかし、ゼミの主である院生にミーハーお断りとしごかれ、あちこちの城に突撃してゆく日々。
 きっかけなんかなんでもいい、これから勉強する!新入り、フィクションと史実の区別もつかないレポートに怒髪天つく先輩、ーーそれぞれわかる。
 実は私も日本の城に関しては、(人のエピソードはともかく城じたいは)さほど知識がないので、講釈部分は勉強になる。

秋田書店系の話
・プリンセスGOLDはもう購読やめてるけど、コミックスにはさまっていたチラシによると、木原さんの新作は19世紀英国が舞台で詩人バイロンが登場しているらしい。さほど詳しくはないけどこれもすごぶる話題の多い人ではある。華麗な絵が必要なので木原さんならば期待できる。
・ 上記プリGO(私が勝手にそう略称を作っている)をぱら見する機会にミステリーボニータかなにかの広告が目に入った。岩崎陽子さんがホームズを描いているらしい。あの絵は好みなので、コミックス出たら買う。

 「ダ・ヴィンチ」を書店でパラ見したら、男の戦いマンガの特集があって、『壬生義士伝』や『セスタス』のほかに、『アド・アストラ スキピオとハンニバル』byカガノミハチ という作品が載っていたので、その場でコミックス棚へ行って買った。B6版。まだ読んでないのだけど、あっさり風味劇画調の絵。集英社、ウルトラジャンプ掲載。
  「SP19」にウェルキンゲトリクス、「ウルトラ」にスキピオ、ーー集英社あなどれん。
 私は、人気作品が引き伸ばしされてレベルが落ちていく現状を心から憎んでいるけど、もしも、そういう金ヅルのおかげでマイナーネタの意欲作が続けられるならば、・・・我慢しなければいけないのだろうかと、ちょっとは思う。
 コミックビームにハドリアヌス、講談社のどこの雑誌か知らんけど『秘身譚』ではヘリオガバルス(いずれは)、「ヤングアニマル」(でいい?)『セスタス』ではネロ。こうして見ると、けっこうあちこちローマもの出ているではないか。  それなのに朝日の「偉人」マンガではクレオパトラかい! いや、「偉人」と言えない有名人は多いけど。少なくとも、アレクサンドロスやチンギス・ハーンを挙げているならばカエサルが入ってもいいはずだがね。
(なにを「偉人」と見なすかはややこしい問題。「英雄」もまた論議になりそうだし。)

2月に買う新刊予定
『江』5 
『ちびさんデイト』2 日丸屋秀和
『セスタス』2
『王のいばら』6 戸川視友

3月予定
『教師諸君!』2 駒倉葛尾
『マダム・ジョーカー』10 名香智子

 ふと思いついて、コミックス書いしている連載・シリーズを書き出してみた。20本ほどのうち、歴史もの・コスプレ要素の皆無なものは『チャンネルはそのまま!』『だめっこどうぶつ』『ラディカル・ホスピタル』など2割くらいだ。いや、ヤマザキマリ作品の多くも歴史というわけではないけど、少なくとも「半径50メートル」ではないし、別世界を見せてくれるという要素があるのでここで挙げるのにしっくりこない。それを言うなら『マダム・ジョーカー』もゴージャスだし、『ちびさんデイト』は数十年昔のアメリカだし、『チャンまま』(病院が舞台の『ラディ・ホス』も?)は業界ものだし。『だめどう』はある意味ファンタジーだし。  だからなんだというわけでもないけど。 「半径50メートル」でも面白ければいいのだ。昔のひかわさんなどそれで充分読ませたのだし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫁さん婿さん

2012-01-24 06:03:25 |   ことばや名前
 清水義範『ザ・勝負』に、「東京vs大阪」という章がある。東京の女と大阪の男が交際していて、それぞれの異なった習慣を知っていく。それでケンカのとき、相手の習慣の悪口にもなる。その時、東京女が大阪男に、(大阪側の習慣で)自分の妻を「嫁」と言うのはおかしい、「家」のものだと見なしていて嫌だ、と攻撃している。 
 でも昨今、東西を問わず、「妻」「奥さん」の代わりに「嫁(さん)」ということは多くなっているような気がする。
 私個人の感覚では、上記の発言で正しい使い方として挙げていた、息子の妻を指しての「うちの嫁」のような言い方のほうが不快である。「妻」の代わりに言う「嫁さん」は嫌いではない。会話レベルで「妻」は気恥ずかしいけど「嫁」のほうがラク、という心理もあるだろうか。

 サイト「starback」のマンガで、アウグストゥスがアグリッパに対して「婿になってほしい」と発言して、言われた側は困惑するギャグ(?)があった。 この二人の場合、年が同じなので奇妙になるのだが、常識的に「娘の夫」の意味である。
 もっともわかりにくいのは、若い独身息子を持つやもめの男が若い女に「嫁になってほしい」という場合だろう、息子と結婚してくれと言っているのか、それとも自分となのか両方ありうるので。(もちろんこれで性別逆のケースもありうるが)

 大昔、あるいは今でもあるのか、女の子が「大きくなったら何になりたい?」ときかれて「お嫁さん」、ーーこういうのは決して「家の女」になりたいと言ってるのではあるまいが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスティ数冊+他1冊

2012-01-22 06:03:56 | 
アガサ・クリスティを数冊読んだ。「ハヤカワ文庫の100冊」、清水義範『読書必勝法』、ここでのコメントなど、なんらかのお勧めのあったものなどから。
『そして誰もいなくなった』
 タイトルは誰もが知っている有名作。謎の人物の招きにより孤島に集められた10人の男女、彼らの過去の罪が告発され、「10人のインディアン」の歌に倣って一人一人殺されていく。
 後続の作品にも大いに影響を与えたし、綾辻行人『十角館の殺人』もたぶんこれの系譜だ(でもあれは、犯人の動機に納得いかなかった!)。
 犯人の考える、10人の間の罪の軽重がいささか腑に落ちないものはある。私は、妻の不貞の相手である部下を死地に追いやった老将軍がいちばん同情の余地ありだと思うし、「敬虔」な老婦人が身持ちの悪い女中をクビにしたことじたいは悪くないにしても、その後女中が身投げしたことに憐れみを感じないことには、信仰を履き違えてないかと腹立たしかった。

『ナイルに死す』
 大富豪の若い美女と夫の新婚旅行に、夫の元婚約者がストーカーしてくる。客船にはほかにもいろいろと怪しい人々がいる。
 脇役の一人である善良な娘が、玉の輿をけって、自分が人の役にたてる道を選択する展開が心地よい。
 ところで、このタイトルでローマ好きが連想するのはアンティノウスだな。同じ題でそちらの題材を扱った作品があっても驚かないぞ。

『死が最後にやってくる』
 古代エジプトが舞台。墓所守りで実業家の家、家長と長男とその妻、次男とその妻、若い出戻り娘、知恵者の老母。
 家長は若い美貌の愛妾を迎えて、不和の種が巻かれ、彼女が不審な死を遂げる。
  インパクトは老母が一番だけど、一応ヒロインは出戻り娘だろう、その再婚相手として、やはりそうなるだろうとは思うけど、振られた男もちょっと気の毒な気がする。
 解説者によると、どこが舞台でもよかった(作者談)話をわざわざ古代エジプトにしたのは考古学者である夫とのノロケだという。なんとなく私の頭には、某マンガ家のケースが浮かんでくる。

『アクロイド殺し』
 これはヨシノリンのお勧め作。
 語り手である村の医者の姉である、詮索好きな老嬢にリアリティがある。昔の作品だと、「ミス」か「ミセス」が単純に未婚既婚で分かれているので時代を感じる。

『春にして君を離れ』
 狭義のミステリーには当たらない。成功した夫と立派に成長した子供たちを持ち、恵まれた境遇にあると思ってきた主婦が、かつての学友に再会したことから過去を振り返り、実は誤解も欺瞞もあったことに気づいていく。
 ーーもっとも、帰宅したらまたその疑問は忘れた様子でいて、決してノラのようにはなっていないことがリアルだ。
 川崎苑子さん=北村夏さんの作品(例えば『私に似た人』第2話)に出てくるしっかり者主婦の心理を連想した。(この人はクリスティのファンである)

『アクナーテン』
 これは書店の棚で発見。ファラオ・アメンホテプ4世を主人公とした戯曲。『ナイルのほとりの物語』でも出てきたなと思いながら選択した。あまりに理想にとらわれすぎて人心を失ってしまう王の悲劇。美女として名高い妃ネフェルティティは、ここではそれほどしっかり者という感じはしない。王に対する忠誠を持ちながらも結果として背いてしまうホレムヘブがいちばんかっこいいキャラではないか。


皆川博子『倒立する塔の殺人』
 PHP文芸文庫の新刊の棚で目についた。女学校が舞台の殺人事件で、推薦が三浦しをん ということで決定。
 戦中戦後のたいへんな時代に、生き抜くことに向き合いながらもひそやかな愛憎を育まずにいられない少女たちの繊細な怖さが迫る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しくないクレオパトラ

2012-01-19 05:31:42 | ローマ
 ローマ話題3つ。

 90年代のコバルトで『アレキサンドリア物語』という小説があった。by山崎晴哉 挿絵が『聖闘士星矢』アニメで知られる姫野美智だったので、そちらのファンが手にとっていたのではないだろうか。私はこの小説に対して、あちこちで悪口を書いてきたが、自分のところではしていないので、ここらでまとめておく。
 くれぐれも誤解してほしくないのであるけど、私は決して、悪意の構えでこれを読んだのではない。どうせ読むならば面白いほうがよい。しかし、面白くなかったのである。男主人公たちは架空の人物で、なにか出生の秘密があり、どこぞの王族らしく、やたらと「神の子」なんて設定が出てきた。しかし未完で、謎は明かされていなかった。女主人公がクレオパトラで、教養も高くひたすら心優しい美貌の女王様、美化しまくり。
「 クレオパトラものチェックポイント」 かつて私が上記の記事で書いたポイントに照らせば、「その1」は大いにバツ。このへんは、作者はエリザベス・テーラーの映画で印象づいたということだから無理もないことではある。たいして罪のあることではない。
 その2、オクタの容姿、これは直接の出番がないので問題外。
 その3、遺言状。カエサリオンのはずなのにおかしい、カルプルニアの陰謀?としてある、大バツ!
 その4.物語はそこまで進んでいない、しかし、1巻のあとがきで、「オクタヴィアヌスさえもふらつかせた女王」と書いている・・・。物語の中でそういう描き方をするほうがまだましというものだ、あたりまえの史実であるかのように書きおって・・・。大バツ!!!
 とにかく、ローマサイドの読者の逆鱗に触れまくる話である。
 そして、ローマサイド以外の視点でもひどい。この話では、クレオパトラが架空キャラの二人の若者に想いをよせていて、カエサルの口説きをとことん退けている。それでカエサルはパトラの侍女に手をつけて、それで生まれたのがカエサリオン。ーーなんでそれを自分の子にしてしまう!? プトレマイオス王家の血と無縁の子を王子と偽るなど、神々と王家に対する冒涜もいいとこだろうに。これと比べれば、ドラマ『ローマ』で、カエサル以外のタネで産んだ子をカエサリオンにしてしまうほうがはるかに納得がいくというものだ、少なくとも女王の子だからエジプトの王にする理由はある。 『アレキ~』のこの設定は、クレオパトラファンでも怒っていいのではないかと思う。
 作家当人に対して石を投げる気なんかない。しかし、私の読んだ2作品がどうしようもなくつまらなかったのだ、運が悪い。
 ちなみに、もう一つは『総司!』。本筋が面白くないことに加えて、総司を「美剣士」と連呼していること、文体の異常さとで頭を抱えた。『アレキ~』は文体は普通だったが。
 (このタイトルで検索すると、同じ題の映画のほうが多く出てくる。)

 
 去年出た本について、アマゾンその他での宣伝文を引用。
『クレオパトラ』 早川書房 ステイシー・シフ著 近藤二郎・監修 仁木めぐみ訳 予価 \2,730<税込>
 全米70万部突破、アンジェリーナ・ジョリー主演映画化原作! ニューヨーク・タイムズ・ベスト・ブックス選出をはじめ、有力各紙誌が総絶賛! PEN/ジャクリーン・ボグラド・ウェルド賞(評伝部門)受賞。ピュリッツァー賞作家が描き出す、『ローマ人の物語』に匹敵する傑作!カエサル、アントニウス、オクタウィアヌ、キケロ、ヘロデ――古代ローマの巨星たちの心をときに激しくとらえ、ときに震わせた稀代の女王の実像!史上もっとも有名な女性クレオパトラ7世(紀元前69年~前30年)。数限りない小説や戯曲、絵画やコミックの題材となってきたこの女王の実像を、われわれはどのくらい知っているだろうか? じつは彼女はギリシア人の血を引いていた? 名高い美貌の実際は? カエサル、アントニウスへの愛は本物だったのか? プルタルコスからシェイクスピア、エリザベス・テイラーにいたる後世の虚飾にまみれ、彼女の真実の姿は、ほとんど顧みられることがなかった。2000年の時をへて、評伝では右に出る者のないピュリッツァー賞作家が、誤解に満ちたオリエントの妖婦像を一新。たぐいまれな戦略家、かつタフな外交官であり、また愛情深い母として、強国ローマの権力者たちと対峙し、陰謀と戦乱渦巻く時代を駆け抜けた、稀代の女性の素顔を浮かび上がらせる。骨太かつ絢爛に展開する、壮大な歴史絵巻の一大傑作!

 この本、わりに大きい書店3軒をあたったけどいまだに目にしていない。でも上記の文章だけでも大いに言いたいことはある。
>カエサル、アントニウス、オクタウィアヌ、キケロ、ヘロデ――古代ローマの巨星たちの心をときに激しくとらえ、ときに震わせた
 「震わせる」とは必ずしもプラスの意味ではないにしても、こうやって並べ立てると、このメンバーをことごとく虜にしたと錯覚させたいと見える。
>じつは彼女はギリシア人の血を引いていた?
  プトレマイオス王朝がマケドニア由来だってことは歴史の常識。 
>名高い美貌の実際は?
  プルタルコスの報告や肖像くらい少なくない人が知ってる。
>カエサル、アントニウスへの愛は本物だったのか?
  所詮、推測の域を出ないでしょうに。正解なんてない。
>彼女の真実の姿は、ほとんど顧みられることがなかった
  これまでの多くの作家・研究者を無視するか?
>誤解に満ちたオリエントの妖婦像を一新
  多少なりと考える、歴史知識のある人ならば、当時のローマサイドのプロパガンダを今さら鵜呑みにしてやしない。そして、お色気妖婦のイメージで事足りている人ならばこういう本をわざわざ手にとろうとも思わないだろう。
>一新
 結局、こういう言葉で宣伝したがることに無理があると思う。カレン・エセックスの小説の後書きでも、「これまでローマ側の宣伝で貶められてきた」云々と、もう聞き飽きた言葉が書かれていたけど、そしてあの小説は力のこもったものだけど、クレオパトラをまじめに追求したらこうなるだろうという印象で、よかれあしかれ、目新しい人物像だとは思えなかった。
 だから、「新しい」クレオパトラ像、ではなく、「正調」! 「正統派」! と主張すればいいのではないか? 少なくとも私はそのほうが抵抗ない。 うん、確かにこういうのが正調だろうなと思える。 「新しい」と称することと、「正しい」とはどちらのほうが偉そうなのかは議論の余地があるけど。
 「新しい」と持ち上げるから、ウソつけ! またかよ! と思うのだ。 「正調」ならば、似たようなのが出てきても当然だと思える。このへん少し関係者は考えてみてほしい。

集英社の冊子「青春と読書」で連載されていた『ローマ人に学ぶ』by本村凌二 がこのほど、集英社新書で出た。オビにルシウスのカットが引用されている。(1巻のときの絵)  手頃な値段で持ち運びもしやすいのでお得感あり。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ2冊、愛子さん、サカジュン

2012-01-17 14:40:06 | 
佐藤愛子『これでおしまい』
 『我が老後』シリーズの最終巻らしい。
 そこから抜粋:
「電車で痴漢に何かされた女子大生がこんな投書をしていた。
「・・・・・・私はとても傷つきました。なぜ私がこんな目にあわなければならないのか。その男性は面白半分にやっているのかもしれませんが、そんなことをされた方はどれだけ心が傷ついたか。女のキモチをわかってほしいと思います」
 たかがお尻をさわられたくらいで「心が傷つく」とは少々オーバーではないか。「腹が立ってたまらない」「不愉快だ」といってすむところを「傷つけられた」といって加害者と被害者の構図にしてしまい、そして勝手にますます傷を深くしている」
  佐藤愛子さんもたぶん私と同様、「傷つく」とはもっとずっと深く重いことに使う言葉だと認識していらっしゃるのだろう。しかし現状を見ると、不快感をなんでも「傷つく」という言葉で表していることが少なくないようで、私は抵抗がある。

酒井順子『昔は、よかった?』
 去年の夏に出ていたのに今ごろ気がついた。
 『元祖サンリオ? 鳥獣戯画』
 私は長いこと京都へ行ってないけど、「鳥獣戯画」のグッズがたくさんあって、三十代独身女性にウケているらしい。筆者の見解では、キャラクターを愛でたい気持ちはずっとあっても、いいトシになるとサンリオやディズニーではみっともない、その点「鳥獣戯画」は可愛さと和風のシックさで抵抗がないのでは、ということである。ーークリアファイルならば私も欲しいかな。
 『諦めるという才能』 不妊治療の発達により、「諦める」時期がどんどん先延ばしにされていく風潮への違和感で締められた、わりあい重いテーマの章。「ちゃんと諦められるということも一つの才能であり、同時に神様からのお恵みの一つなのではないかと思うのでした」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲーテ話題で「森の静けさ」は抵抗あるぞ

2012-01-15 06:02:45 | ドイツ
 ドイツの知人に送ってもらった、ドイツの風景のカレンダー、1月24日ぶんは、冬の森。怖いほどたっぷりと木が生い茂った森、それを抜けた所で雪の平面の中に小屋がぽつんと立っている。「フライブルクの東、シュヴァルツヴァルト地域ブライトナウBreitnauの近くに、文豪ゲーテは既に1779年に宿泊所をつくっていた。森の端の無垢な自然の中にある静かな小屋で、時は当時から止まっているかのように見える」  タイトルはWaldeinsamkeitとなっている。Wald(森)と Einsamkeit(孤独、静けさ)をつなげたWaldeinsamkeitという言葉は、ドイツ語の造語としてもいささか無理のあるものであるらしいけど、これを作ったのは初期ロマン派のルートヴィヒ・ティーク、そしてティーク以上に使いまくったのが後期ロマン派のヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフで、これが出てきたらもう、お~~っアイヒェンドルフ節~~!というものである。  だから、ゲーテの話でこのタイトルってなんだかなぁ。それをわかってて敢えて書いてるのかこの編集者は?

 この流れと関係ないが、
 1996年ごろだと思う、『世界悠々 父なる大河ライン』という紀行番組がBS2で6月20・21・22と3日に渡って放映された。合わせて10時間を充分超えていた。ライン河の水源はスイス、北上してオランダから海へと出て行く。そのかなりの部分をゆっくりと中継している、見るにもかなり時間をくう番組だった。その録画が、保管が悪くてついに捨てざるをえなくなったのは結構残念だ。私の愛着のあるボッパルトBoppardも出てきたのに。 検索してみたところ、書籍化もされた様子がない。DVDなど出てくれたら嬉しいのに。でもその場合、かなり細かいチャプター分けが必要だろう。船の中での会話部分と、周辺の町をまわっている人々のパートと混じっているし。
 DVD化希望といえば、『ヨーロッパ城物語』、25分X全26回も。似たような主旨のDVDは持ってるけど。『城 王たちの物語』という番組ももっと見たい。
 「スターリングラードのマドンナ」のエピソードを含む、『人間のこえ 日米独ソ兵士たちの遺稿』(1985)の番組もぜひ見たい。それに基づいた本『塹壕のマドンナ』も復刊希望。
 この際だから、復刊希望の本(ある程度ドイツ関連で)を挙げてみる:
『クリスマス どうやって日本に定着したか』 クラウス・クラハト 99
『ヨーロッパの森から ドイツ民俗誌』 谷口幸男他 菩提樹、樫、クマ、狼、様々な動植物の文化的な意味。
『メルヘンの履歴書』 宮下啓三 
  元々、『メルヘン案内  グリム以前・グリム以後』の題で出ていた本の改訂版。ひとに貸してそれっきりになってしまったのが悔しい。元本はあるけど。 『メルヘン案内』は私が独文へ進んだ遠因となった本でもある。
『ウィリアム・テル伝説 ある英雄の虚実』 同  図書館で借りて丸々コピーはしたんだけどね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜型ではない奴のグチ

2012-01-13 15:06:01 | 雑記
 『テルマエ・ロマエ』のアニメの放映が、確か1月12日からだと知ってはいた。いちおうテレビ欄にも目をやったが、その日には気付かず、今日見直したらちゃんと深夜に「新」マークつきで、『テルマエ・ロマエ』「時をかけるローマ人」と書いてあるではないか。28日のBSフジでの放送に期待することにしよう。

 そこで思い出すこと。90年に始まった『炎の蜃気楼(ミラージュ)』に私がハマった日々がある。イメージアルバムやCDドラマも出ており、メディアミックス特に音声によるものには興味があるので私はこれらも買っていた。 ラジオドラマ化があるときいたけど、それが11時台の番組、早寝の私にとってはかなり気にいらない時間だった。背に腹はかえられないので、眠いのを我慢して、CDラジカセをつけて待っていた。番組表の中にミラージュの名はなくて、バラエティ的な番組の中の一部としての放送というふうにきいていたのだが、本当にあるのかとイライラしながら、おまけに音の状態も悪いことに耐えていた。そして、実際ドラマはあったことはあったが・・・。 あまりにもお粗末。登場人物を思いっきり削っていたので、セリフとして不自然な点が出てくるし、時間枠のうちキャストトークに割きすぎていて、こんな調子で進めるのなら駆け足どころではないだろうよ、作者が「ノーコメント」と書いていたのも納得だと思った。  本来は連続ものになるはずだったのに、結局この1回きりで終わってしまった、私の知っている限りでは。
 だいたい、番組表の中に全く名前がないってことからして、扱いの軽さに腹がたっていたのだ。

 ーーそのことを思えば、今回の『テルマエ・ロマエ』はちゃんと新聞に載っているのでずっとましだろう。でも、世間での騒ぎぐあいに比べると、ほかに紹介記事は(うちでとっている読売には)ないことがなんだか物足りない。 深夜枠アニメの扱いなんてそんなものなのだろうか。

 『ミラージュ』を検索したところ、ウィキペディアには、「ラジオドラマ  1998年10月にニッポン放送で放送された。」としか書いてない。  98年10月では私は日本にいなかった時期なので、上記の番組ではない。私の知らない間にそういうものがあったのか、記載ミスか。  2002年に「キッズステーション」でアニメもあったが未だに見ていない。レンタルにあれば見たくはある。

 テレビの中で放映時間を確保するのは製作側にとってものすごくたいへんなことなのだろうけど、深夜枠にされるとリアルタイムで見ることをはなっから放棄してしまう、録画頼りになるお子様時間な視聴者もたまにはいるんだぞ、とちょっと愚痴りたい。 いや、時間帯に問題なくても、長時間だとやはり録画してチビチビとになるから、テレビとの付き合いの個人差なんだけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本2冊 暴言 不肖の息子

2012-01-12 06:00:50 | 歴史
『暴言で読む日本史』 清水義範  メディアファクトリー新書
 先月の新刊。暴言あるいは迷言、信憑性の怪しいものも含めて、その背景や心理を検討してみる本である。
 道長の「この世をば」の歌を、単なる自慢ではなく、昇つめての別れの歌、自分への褒美、とする解釈が心優しくていい感じである。
 名前だけは知られていてもあまりぴんとこない後醍醐天皇の親政宣言について触れてあるのは興味深く読んだ。ふつうは死後につけられる「諡」を、この人は自分でつけておいたという、それからして破天荒だそうである。
 「朕の新儀は未来の先例たるべし」 そのころ「新儀」とは悪い意味であったという。
 「今、伝統的なやり方で正しいと思っていることも、初めは新儀だったのだ。新儀だが、理にかなったやり方だったので伝統になったのだ。朕は今、新儀なことをやろうとしているが、それはそっちのほうが正しいからであり、未来には、正しい伝統だなあ、ということになるだろう。新しいやり方だからけしからん、と考えるのは誤っている」
 (なんだかクラウディウス帝の演説も思い出すね)
 ーー結果からすると、後醍醐という人もたいして高く評価はされていないようだけど、この言葉はたいへんに痛快、いや、全く理にかなっている。「前例がございません」をふりかざすバカどもにきかせてやりたい。
 「鎌倉幕府滅亡の時に、この後醍醐天皇がいなかったら歴史は単調で、ちっとも面白くなかったであろう。後醍醐は時代の中で極彩色に踊り狂って見せてくれたのだ」
 「極彩色に踊り狂う」、この言葉の似合う人は歴史上ときどきいるし、もっと渋い色の舞の人々もいる。そういう有様が見られるので歴史は楽しい。研究者はもっと地道な目のつけどころがあるだろうけど、ロマンを求める読者としてはそれが実感。

 こういう本、「世界編」をするならば、「パンがなければお菓子を」、「朕は国家なり」なんか出てくるのだろうか。


『偉人の残念な息子たち』 森下賢一  朝日文庫
 『不肖の息子』改題。まえに読んだはずだけど、確かにあったと記憶していたのはチャーチルの件だけだった。
 実業家のケネディ一家のエドワード、発明王の息子たち、アル・カポネのせこい息子、など。
 不肖の息子というならば、親がうんと有名でエライのでなければならないと思うのだけど、ゴーギャンなんて充分に父親自身がダメじゃないのか?とか、バイエルンのマクシミリアン2世と息子ルートヴィヒ2世の場合は息子のほうがはるかに有名じゃないのか?とか、フランツ・ヨーゼフとルドルフの場合は出来の悪い子とは言えないだろう、とか(悪意のない)ツッコミどころは多々あるけど、面白く読める本。 
 この本以外で、「国家一つ統治することは、4人の子を教育するよりもたやすい」というチャーチルの言葉を読んだことがある。マリア・テレジアやアウグストゥスも大きく首肯するであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『LEGAの13』完結

2012-01-10 15:39:38 | マンガ
 やまざき貴子は「ララ」でデビューしたときから知っていた。かわいい絵で元気な女の子たちの暴れまわる学園もの「若菜&紫野シリーズ」が大好きで、SF(?)の「ムシ」シリーズの中の一編『マリー・ブランシュに伝えて』とその続編『ディアシェアラ』は薔薇戦争時代の甘美な悲恋物語で、これこそ少女マンガの花道!と呼びたくなる佳作であった。(このブログでも言及済み)
 いまは小学館に移っているようだ。
 数年前から「フラワーズ」でやっていた『LEGAの13』は、16世紀のヴェネチアが舞台で、薬師の息子レガーレが錬金術に取り組んだり、元首の令嬢と恋に落ちたり、怪しい奴らに狙われたりしながら、出生の秘密がちらついている物語だった。それが今月出た6巻で完結したので、改めてここで取り上げている。
 読み直してみて、脇筋のエピソードで印象深いものを選ぶとすれば、
・ 海賊にさらわれて肝っ玉女将になったドンナ・テウタ
・ 嫁ぎ遅れを心配されながらも素朴にふるまい、愛する実家の葡萄畑を守り、恋まで守ってしまったフィオレッタ
 (この結末はサラさん説の「少女マンガの法則」!)
・ 性悪な新元首のやり手夫人として恐れられながら、悲しい過去を秘めたドンナ・カテリーナ
   (多少、カトリーヌ・ド・メディシスも意識してる?)

 「ヒロイン」を一人挙げるならば、元首の長女、学問好きの変わり者アルフォンシーナなんだろうけど、もっと平凡な政略結婚で幸せになった妹も配しているのはバランスが良い。
 レガーレの父が「ゲオルグ」なので、なんで「ジョルジョ」じゃないんだろうと思ったけど、それなりに意味づけが出てきた。それにしても、脇役の「クリストバール・コロン」のネーミングは不可解なままだった。

小学館、新書サイズ、全6巻。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする