レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「黒髪の乙女」その他

2009-01-30 05:51:41 | 
 さほど深い動機はなく、角川文庫に入った森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を読み、三部作とされる『太陽の塔』『四畳半神話体系』も読んだ。京都の男子大学生のうるおいに欠けた日々のドタバタ。
 『夜は~』は、作者によると、『不思議の国のアリス』だそうだ。なるほどヘンな連中の中を天然ボケの女の子「黒髪の乙女」がヒョコヒョコと動き回る。
 大学の学園祭が舞台の話を読んでいて、なんとなくノスタルジーを感じた。私は大学でサークル活動はしておらず、学園祭期間は単なる休み、ふらっと遊んでくるだけであったけど、あのがやがやした空気は確かに、バケモノじみた連中がうごめいていてもよさそうな感じがする。
 (これのマンガ化の単行本の4巻が先日新刊コーナーに並んでいて、オビに、次の巻で終わりだと書いてあること、絵が中々かわいいことで、買ってしまった。)
 

『雨にもまけず粗茶一服』by松村栄子
 続編が「ウフ」に連載中。
 ピュアフル文庫から上下巻。イラストがなんだか気になる(いい意味で)と思ったら、のんきな感じで「しばわんこ」とちょっと似てるのだ、あれの人間キャラと。いまヒットしている畠中恵の時代劇と同じ人。
 茶道の家元の長男の遊馬(あすま いま浪人)は、家を継ぐの継がないのでもめて家出して、行きたくなかった京都で暮らすはめになる、そこで出会ったおかしな人々、京都の「本家」のお家事情。
 続編では寺で修養中。 遊馬の養育係だった弟子のカンナは袴姿のりりしいおねえさんで、和服姿で教鞭をとる変人青年となぜか結婚(予定)、「東男に京女」の逆「東女に京男」。遊馬の弟は本家の娘に婿入り予定だし、遊馬自身もGFいるし、けっこう何組もカップルが出ているけどあつくるしくない、ほんわかした世界。

『警視庁幽霊係』by天野笙子
 本屋の新刊スペースで、TONOさんの絵が目にはいったので購入。
 幽霊と話ができる体質のお人好しの刑事と、その守護霊(?)の美少女のほのぼのミステリーシリーズ。すでにノベルスで4冊出ていて、親本ではイラストが坂田靖子さん。
 続刊で出てくる、ごついアゴ割れ中年だけどオカマの同僚とか、死体好き解剖好きのヘンな医者とか、すご~くTONOさん向きのキャラだ!
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二畳の日々

2009-01-27 05:55:32 | 雑記
『四畳半神話体系』を読んでいて思い出した。
 私の今の部屋は四畳半か六畳なのか把握していない。なにをかくそう二畳に住んでいたこともある。社宅にいた時期の終わりごろ。そのまえは八畳だったのが、なにかの理由で一時的の予定で移ったけど、動くのがめんどくさくて、まるごと引っ越す(いまのマンションに)までそのままにしていたのだった。もっとも、押入れ部分の襖をはずしてそこに本棚等を置いていたので、実際には二畳半くらいだった。一畳は万年床で、残りの片隅に本棚、中央に机を兼ねたコタツ、そして物入れの紙箱。空いたスペースなどなかった。もっとも、私みたいな奴はいくら空きがあってもあるだけ散らかすのだ、寝るとこと本棚と机があれば充分というものだ。いまはPCを使うので、やや大きい机が必要だけど。
 その二畳は外に近かったので、隣の家にたびたび夜間宅配ピザが来ていて、私も食べたくなったことを思い出す。
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文庫マジック

2009-01-25 07:02:42 | 
「ユザワヤマジック」という言葉は、さくらももこ編集の雑誌「富士山」に出てきたのだったか、それともエッセイだったか。ユザワヤに行くとついついいろいろ買ってしまいたくなるということだった。私は「コミケハイ」という語があってもいいと思う。コミケは行くのに思い切りがいるし、着いて入場するまでに時間がかかるし、だったら買い物もたっぷりしないとモトがとれない!(?)という気分になって財布のヒモが緩む・・・のではないのかな。私自身はかれこれ5年行ってないけど。

 「文庫マジック」なる言葉があるかどうか知らない。文庫になったらお得感が出て、この際だから買ってしまおうという気になること。(マンガの場合は、通常コミックスが既に安価なので、ほんとは値段のうえでたいしてトクなわけでもないのだけど。)
 私はこのところ、なんだかどさどさと買ってしまっている。三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、清水義範『インパクトの瞬間』、トーマス・マン『すげかえられた首』などの新刊に加えて、さほど理由はなくドストエフスキーにモームにディケンズを何冊も。部屋にあっても落ち着かないので、当座のぶん以外は外の物置へ。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』も欲しいのだけど、新潮文庫の装丁は気に入らないな、トルストイの顔なんて楽しくないっ! 岩波文庫のほうがいい。 今年中に読み終わるのだろうか。腐るものではないし、気長にいこう。
 --と書いてから数日経った。上記のとおり、岩波文庫で『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』を買った。これで、文庫本買いたい熱はひとまず収まった、やれやれ。
 それにしても、新潮文庫の『アンナ・カレーニナ』は、カバー表のデザインは全く同じじゃないか、「上」「中」「下」しか違わない。せめて色くらい変えろよ。
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ありがちな(?)たわごと

2009-01-22 05:56:09 | 歴史
 文庫新刊のコーナーで、よくある歴史雑学の本を手にする。ツッコミ入れが主な目的だというヤな客(立ち読みでは客と呼ぶのもおこがましいか)。
 で、その中の一節「男の中の男というイメージは虚像? 英雄・西郷隆盛には男色趣味があった?」
 男色の真相はこの際どうでもよい。(薩摩はそもそも男色の盛んな土地柄だが)
 私がなんとも不愉快なのは、「男」らしさと「男色」とが相反するものであるかのように(接続法Ⅱ式、非現実話法)書いていること。トーマス・マンが怒るぞ(注1)。ホモセクシャルといえば、化粧や女装でクネクネ、というイメージしか持っていないのか。(そういうタイプを非難する意図はない、念のため) マッスル型でも普通っぽい人でもなんでもいるだろうに。男色家(または両刀)の「英雄」、「天才」なんていくらでもいるだろうに(カエサルあたりがその筆頭なのだが)。
異性愛者も、自分と違ったタイプに惹かれる人、似たタイプとつきあいたがる人の両方がいるだろう、同性愛者だってそれでもおかしくあるまい。「男らしい」人が、男性性と女性性のどちらを好むかは人それぞれだろう。
 「男らしい」男ならば女色を好むという決めつけは偏狭である。

 私は男色礼賛に組したいのではないが(しばしば男尊女卑と結びついているし。「ホモ」(注2)は喜ぶくせに「レズ」はきもちわるいなどとぬかす女は大嫌いだ)、それが史実なのに捻じ曲げることには腹が立つ。百歩譲って、自分の性癖に悩んでいた人について見て見ぬふりするケースならば惻隠の情といえなくもないが、カエサルやハドリアヌス、信長や信玄、罪でも恥でもなかった時代の人々に関して、それを言うのがまるで冒涜であるかのように扱っていると、・・・嘆息を禁じえない。
 (この「・・・」の部分は、もっときつい言葉をいろいろと考えた痕跡である。)
注1 06,06、30の記事「長いナイフの夜」参照。
注2 この言葉は昨今では差別語扱いもされるのだけど、私は「ゲイ」という語感がキライなので、選んでこちらを使うことが多い。なお、「レズ」も嫌がられる。略するならばむしろ「ビアン」らしい。
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「こちらのエレベーターは」

2009-01-20 05:46:46 |   ことばや名前
 私のよく行く某デパートのエレベーターでは、「こちらのエレベーターは、車椅子・ベビーカーのお客様優先とさせて頂きます」とひっきりなしにアナウンスしている。「こちらの」? では「どちらの」エレベーターは無差別なんだ?「あちら」には優先ではないエレベーターがあるのか?と思う。 もちろん、店内を確かめるなんてことはしていないけど、同じ場所に二つのエレベーターがあり、その両方にこの「優先」はあてはまっている。では「当店のエレベーターは」が正しいのでないかい?それとも、あの「こちらの」には「ウチの」の含みがあるというのだろうか。
 角川文庫『日本語教室Q&A』の
「レストランで食事の後、店員がやってきて言う。「コップのほう、お下げしてよろしいでしょうか」 テーブルにはコップしか残っていない。「コップのほうって、ほかに何があるの?」と聞きたいところだ。」と同様のひっかかりを感じる。
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冬はホカロン

2009-01-18 06:29:37 | 雑記
 ホカロンに限ったことではない、ホッカイロでも同じ。商品名を超えた普通名詞に転じてしまっているだけのこと、意味はない。
 私は寝るとき、足元に電気アンカ、お腹のあたりにホカロン、そしてこのごろ、背中の下にも「はらないカイロ」を置く。これがあるほうが寝付きがいいような気がする。ところで、持続時間は20時間と書いてあるわりに、一晩たったらもう冷めているなぁ?と思ったら、使用期限が「2002」・・・。押入れにしまってあったぶんから出してきたといってもなんでそこまで古い品が・・・。 でも、数時間は暖かく、眠りを安らかにする役には充分にたっているのだ。もうかった気持ちで使おう。
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トーマ、くわたん、類似品

2009-01-15 06:02:57 | マンガ
 萩尾望都『トーマの心臓』(1974)は既に古典に属する。ある世代は、このマンガで「ギムナジウム」という言葉を覚えるので、現実よりもみょーに繊細耽美なイメージを抱いてしまうきらいがあるに違いない。私は特別な愛着を持っているというわけではないが、少女マンガの世界とドイツ文学との深い関連を示す作品でもあるので、これはぜひドイツに出してもらいたいと思う。(一般論としても、メディアミックスに縁がなくても、古典名作をもっと出してくれ!と叫びたい)
 これは他の作家への影響も大きいようで、高口里純の『黒(ニグレード)』だったか、作者が『トーマ』の影響で描いたことは明記されていた。途中で雑誌をやめたのでどうなったか私は知らない。
 『1999年の夏休み』という映画は、『トーマ』の翻案で、許可も得て製作されたという。
 深い関わりのあった相手にそっくりな人間が現れる、という部分で、唐突にも私は川原泉『Intolerance・・・--あるいは暮林助教授の逆説(パラドックス)』が頭に浮かぶ。
 加藤知子『天上の愛 地上の恋』で、敬虔な青少年が冒涜的な目にあわされて心を閉ざすという部分が重なった。
 これら二つはたぶん意識したわけではあるまい、私が似てると思っただけのこと。
 
 桑田乃梨子『豪放ライラック』。
 ブラコン少女りらは、兄の結婚宣言にむくれて、寮のある女子高に進む。--これ、『トーマ』で、マザコンのエーリクが、母の再婚しそうなことに腹をたてて寮のある学校に転校してくる事態と重なるなぁ。くわたんは『ウは鵜飼のウ』(このタイトルがまた『ウは宇宙船のウ』だし)で、「ボンの神学校」「ユリスモール君」「ギーセンでは八角メガネに気をつけよう」なんて言葉を出していることからしても、「トーマ」をもちろん知っているし、もしかするとちょっと思い出したかもしれない。
 もっと言えば、桑田『ほとんど以上絶対未満』は、旧友の少年がヘンな薬のせいで女になって帰ってきたというシチュエーション、これは大島弓子『ジョカへ・・・』を彷彿させる。くわたんはコメディだけど。これの中にも、フロルとタダの名前が出てくる。
 『豪ライ』で「女子高生がおにいさんに書く手紙はね、「おにいさまへ・・・」で始めなきゃ」、「えーでもうちの学校ソロリティもないし、縦ロールのすてきな先輩もいないし」という会話があるし、『男の華園』では『アラベスク』ごっこをしていたり。
 現代的な中にも、古典名作へのオマージュ・パロディが見え隠れしている点を、私は楽しく受けとめている。

 もっと言えば、『豪ライ』で、りらの同室の楓ちゃんは男に見える外見の持ち主。異性に見える同室者、兄の結婚で寮生活というあたり、『ここはグリーンウッド』とも共通している。『G.W.』は主人公がわりにマトモで周囲に振り回されるのに対し、『豪ライ』は、りら自身がハタ迷惑だという点が大きな違い。
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「原作」の意味・無意味

2009-01-13 05:43:18 | 
 このごろ、創作物の類似品について考える機会があるので、そのつながりでぼつぼつと。

 「原作」や「原案」と掲げることについて、法的な規制・取り決めはあるのだろうか。クレジットに名前が載る場合とか、パンフなどにちょこっと載せるだけの場合とか、使用料が要るかいらないか、云々。法律の問題と、製作者のプライド・良心の問題ともまた別だし。
 
 40年以上まえ、東映の映画で『新選組血風録』があった。(私は見たわけではなく、本で採り上げてあったことなどしか知らないけど、いちいち「・・・らしい」「・・・だそうだ」と書くのも煩わしいのでなるべくそれは省略する) 連作の中の『油小路の決闘』を扱っている。伊東甲子太郎一派の篠原泰之進が主人公である。しかしこの映画は原作とは相当に違った描き方をしてあって、原作者もおおいにおかんむりであった。おかげで、テレビ映画での『血風録』企画のときにも、東映ときいたときにダメだと言ったくらいである。
 どの程度に違っていたのか私は知らないが、史実が題材なのだから、オリジナルとしてつくればそもそも好き放題だろうに、それとも、司馬遼独自の設定(篠原にはたびたび耳をざぶざぶと洗うクセがあり、それで中耳炎で死んだとか)でぜひ使いたい部分があったのだろうか? 意地悪くとるならば、ネームバリューか?
人気作家の名に頼るのは、人目をひく反面、原作ファンの厳しい目が集まるという問題もあるので諸刃の剣だ。

 大昔、シラーの『オルレアンの処女』を原作としたマンガを見たことがある。全部読んだわけではないのだが、ラストが史実通りジャンヌ・ダルクの火刑だった。
 『紅一点論』by斎藤美奈子 の注釈によれば、シラーのこの戯曲は史実の改竄が激しいのでフランスでは人気がないという。 しかし、歴史家でもあったシラーは、はっきりとした主張をこめて、精神的にはハッピーエンドのようなラスト、味方に見守られて、思いいれの深い旗に覆われて死ぬという最期(%)を描いたはずだ。それを「曲げて」、史実に戻してしまうのでは、「シラー」の名を出す意義があるのか。だったらオリジナル歴史ものとして描けばよかろうに。

 『あさきゆめみし』のアニメ化の話があったけど、監督出崎統があまりに改変するので作者が怒って『あさき~』ではなくなったーーという話を2chで見た。正確なところは知らないけど、ありそうではある。『源氏物語』だって、だれが描いてもOKなのだから、主張の激しい監督ならばほかの作家の名前なんて出さないで作ったほうがいいだろう。

 2、3年まえに井上靖『氷壁』を「原案」としたドラマがあった。大枠しか同じではなく、ほとんどのキャラづけも結末も違った。「原作」でなく「原案」にしたのも顰蹙避けのためなのだろう。使用料に違いはあるのだろうか、と下世話なことが気になる。

 宝塚に関して二つ。
1 『天使の微笑 悪魔の涙』は、老学者が悪魔との契約で若返って、清らかな娘と恋をする話ーーといえばもちろん『ファウスト』だ。(世紀末ウィーンに移してあるけど) 私はこれを、さいとうちほのマンガ版でしか読んでないけど、その文庫版に限っていえば、ゲーテの名はどこにもない。たしかにファウストは実在+伝説化された人物であり、だれにも描く権利はある、しかし、「マルガレーテ」なんてヒロインはどう見てもゲーテだろう。上演当時のプログラムなどにはその旨記載があったと思おう。
2 『誠の群像』
 プログラムには、司馬遼太郎『新選組血風録』からエピソードを借用し、許可を得ている旨が書いてあった。しかし。その『血風録』の連続テレビ映画でのオリジナル部分、結束信二脚本から真似た部分のほうがもっと多かったぞ。司馬遼太郎サイドだけでなく、結束さんとこにもお伺いをたてたのか? 

% 結束脚本の 『燃えよ剣』21『波の入り日』のラスト、山崎の最期は、史実、というよりも子母澤本とは大違いで、大坂で死ぬ。この場面がシラーのジャンヌとそっくり。結束信二さんの弟三郎さんはドイツ文学専攻だったので、もしかすると、弟さんの本棚にあるシラーを読んだことがあった・・・かもしれない。

 あ、「原作」と掲げるべきか否かなんて問題を超越した一件を。
 先日買った新潮文庫の『桜の園 三人姉妹』のオビには、「映画公開で話題 11月8日全国ロードショー 櫻の園』(これは去年の夏に出ている本)
ーーその映画は、吉田秋生原作だろう~~! 念のため説明を加えれば、もう10年以上まえに「ララ」に掲載された、少女マンガの有名作品。女子高が舞台で、そこでは毎年『桜の園』を上演することになっている設定なので、そりゃ、稽古場面やセリフは出てくるけど。 チェーホフの映画化があったわけではないだろ。このオビのせいで誤解した人はめったにいないだろうけど。
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1月が3分の1過ぎた

2009-01-11 08:05:50 | 雑記
 小学校時代に、4月、9月、1月、学期が始まる月は長く感じる、と思った。いまはどうだろう、もう1月は3分の1過ぎてしまった。9月もすぐには休み明けになるわけではないので条件が違う。大学はそれぞれ日程が違うし。1月は先日また授業が始まった。ほんの数回しかないけど。

 「成人の日」が月曜にされてからだいぶ経つ。変換すると「星人」、「聖人」も出てくる。カトリックならばほぼ毎日がなんらかの「聖人の日」だ。「星人の日」なら、ウルトラマンでも見るのだろうか。

 CDラジカセの新しい品を買った。まえのは、カセットが使えなくなっていたのだ。品質に関してうるさいわけではないし、結局まえのと似たような、割に安い品を買った。一緒に、卓上スタンドも。ないならないでかまわないのだけど。

 通常は朝5時半に起床する、日曜は目覚ましなしでゆっくり寝ることにしている。しかしどうも昨夜は寝つきが悪かった・・・。今朝目が覚めたのは7時。並の大人ならば充分な睡眠時間だろうけど私は文字通りのロングスリーパーなのでちょっと不満だ。ところで「ロングスリーパー」という言葉は「朝寝坊」と書いてあったが(ドイツ語講座に出てきたときは)、それは違うのではないかと思う。私は、長く眠りたがるけど、「朝寝坊」ではない、早々~と床に就いたうえでまともな朝に起きることが好きなのだ。 今夜の寝つきに期待しよう。
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『ベルばら』よりむしろ『アンジェリク』を連想

2009-01-08 16:01:27 | 
 池上永一『テンペスト』は、去年出たベストセラー。オビのアオリに『ベルばら』琉球版か?とあるので気になったうえに、ヨイショコメントの顔ぶれに三浦しをんさんもいたので大いに食指が動いたのだった。
 幕末の琉球、主人公は男装の美少女・真鶴(まづる)。
 生まれたとき、息子でなかったので父は甥を養子に迎えるが、この義理の兄・嗣勇(しゆう)はあまりのスパルタに耐えかねて家出する。たいへん頭脳明晰で向学心に溢れた真鶴は、自分が男装して(宦官ということにして)試験を受け、みごとパスして王宮に仕えるようになる。
 よきライバルであるマジメ秀才の朝薫(ちょうくん)、遊び人ボンボンの儀間なんとか、おまけに王宮には、女装の踊子として出世した兄までいる。妹が男装してて兄が女装(これはれっきとしたお役目であってヘンタイではない)というシチュエーション、タイプとりどり美男もてんこもりの設定、おおっ少女マンガ~~! もっとも、儀間は予想に反して恋の鞘当には加わらなかったけど。イメージは、煌如星のセクハラ上司淑人や、『北宋風雲伝』の「ビジュアル系侠客」玉堂かな。朝薫は真鶴に惹かれるけど(女と気がつかないうちに)、彼女が恋するのは薩摩武士の青年。この男は、女装(?)の真鶴に出逢って、正体に気づかぬまま恋におちる・・・『リボンの騎士』かい!
 3回くらい投獄されて、そのたびにまた逆転あり、『アンジェリク』なみの激しい浮き沈み。
 後半で活躍する真鶴の友、王の側室真美那(まみな)もさばけて楽しいキャラ。そして、宮廷で権力をふるう「王族神」(巫女みたいなものか)の真牛(モウシ)がすごい。ただの憎々しいおばさんのように出てきたけど、そのうちそれなりに可愛げも出てくるし、宮廷を追われても追われても懲りずに這い上がるし、彼女のために死んでくれる男までいたりして、間違いなくこのキャラは影のヒロインだ。

 たぶんいつかマンガにもなると思うけど、少女マンガに向いているよなぁ。


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