新聞のテレビ欄で、放映される映画の紹介によくある、「~~
三浦しをんのエッセイで、友達の使う「自分語」が話題になっていたことがある。これについてはまえに書いている。「自分語り」ではなく、自分とその周囲くらいでしか使っていない勝手な造語のこと。私にもそういう「自分語」がある。
『めんつゆひとり飯』に出てくる、主人公の上司(?)
教科書へ「書き込む」
その考えのついでに、ネット上で掲示板やブログコメントを「
「はいる」と「はいりこむ」を比べると、後者は、
しかしこの仮説にはすぐに別の見解が出てくる。テストで、
つまり、「書き込む」という言い方が合っているのは、
もっとも、ヘンに思うか思わないかは単に主観であるので、
引用は終わり。
「入り込む」は、「玄関から」「正門から」には続かない、「窓から」「塀の割れ目から」ならおかしくない。「主人が」「客人が」はおかしい、「泥棒が」「スパイが」ならば合う。
つまり、正当でないというニュアンス。
もう一つー-ここが新しい点、
「広場に」「原っぱに」入り込むはヘンだ。「路地裏に」「柵の中に」入り込むはおかしくない。
狭いところ、囲われたところにというニュアンス。
上記の解答用紙のケースで用紙にいろいろ書いてあってその空欄に記入するなら「書き込む」でも馴染む、と言っているのは後者の囲われたところにあてはまる。
このことを思いついたので加筆した次第である。
まあたぶん、外から中への動きを意識した言い方というのが「入り込む」の一番ふつうの使い方だろうけど。
YouTubeで「スカっと系」動画をよく見ているとはすでに言及した。
そこで気になることの一つは「浮気」という言葉の使い方である。
夫の浮気を扱った話で、相手の女が妻に離婚を求めるなどケンカ売ってくるという始まり方はよくある。そういう際、「あなたは旦那と浮気しているということですか」なんてセリフが出てくるけど・・・、「浮気」とは、決まった相手がいることが前提で、それ以外の人によそ見すること、不適切な関係になることのはずではないのか?夫の立場では明らかに浮気であるが、女がフリーであれば、彼女が「浮気」しているというのはおかしいのじゃないか?「浮気女」と「浮気相手の女」は違うだろ?
「不倫」とは本来ならば人倫に反することを指すもので、虐待して子供を死なせるとか、
保険金かけて人殺しするとか、軍隊が民間人に発砲するとか、そういう行為も不倫の範囲のはずであろう。
私の記憶では、70年代にはまだ「浮気」がふつうの言葉で、「不倫の恋」なんてのはきどった言い方だった。 いわゆる「不倫」ブーム(?)のあたりで「フリン」がものすごくカルい表現になってしまったのだろう。
深い関係にある二人のうち少なくともどちらかが既婚者(またはそれに近い)である場合、それを「不倫」と称する、これが現在浸透している使い方といってよかろう。
(情けないと思う。セコい!)
既婚者Aと独身者Bがホテルへ行ったというケースで、AもBも「不倫」しているというのはわかる。AはBと浮気している、これもいい。しかし、B(独身)がAと浮気しているというのはへんじゃないか!?
「不倫」と「浮気」の違いについて、検索すればたくさん出てくる、しかし、上記のような私の疑問に答えてくれる説明は見つかっていない。
もう一つ。「予想」という言葉の使い方。
スカっと系でもよくあるが、いま思いつく実例は某まる子に関する話題から。永沢の家の火事は放火なのでは?という話で「あくまでも楽しく予想している都市伝説的な」と言っている。なんで「予想」?すでにあったことなのに「予想」?想像とか推測とか言うべきであろうところでまで「予想」といっているのをたびたび目にする。
すると、先日『英雄たちの選択』で、ツタンカーメンの回でのこと。黄金を重要視していた理由を「どう予想しますか?」 なんで現代人が古代エジプト人の考えを「予想」するんだよ!? YouTube動画より厳密さが求められ期待されるであろうNHKの教養番組で。
こういうの、昨今の傾向なのか?
ついでに言えば、「違和感」もな、はっきりと反感、嫌悪感まで感じているレベルなのに「違和感」でひっくるめてしまうことも私は拒否したい。
妊娠「発覚」もやめんか!不義の子や未婚未成年者の困った状況でないならば。
今年は「破天荒」が含まれていた。
これは中国由来で、「天荒」とは未開の土地を意味していて、唐の時代の荊州は科挙の合格者が100年以上現れないので「天荒」と呼ばれていた、しかし、ある年初めて合格者が出て,ついに「天荒を破った」,この故事から,「誰もできなかったことを初めて成し遂げること」という意味で「破天荒」という言葉は使われ,それが転じて,「これまでにはなかったこと。未曽有のこと」という意味になった。
豪快なという使い方は誤りで、「未曽有」の意味だとは知っていたけど、科挙がかかわっていたとは初耳だった。
誤用だとなんだか脳筋男みたいなイメージだけど、由来はむしろ頭いい奴。
でも、豪快で型破りな奴がだれもしなかったことをやってのけるのもありそうだし、完全に違うとは言えないかもしれない。
誤解されることもまあ理解できるし、中国の歴史において「科挙」というものが少なからぬ役割を果たしていることがうかがえて興味深い話である。
この記事はこれで3回目だ。再掲載が悪いと言う気はまったくないが、それならそうと明記すればいいのに。(レディコミ誌でもそう思った)
NHKの『美の壺』という番組は、BSプレミアムで金曜夜7時のが本放送、Eテレで日曜夜11時が『美の壺・選』、こちらは再放送。再放送を合わせて週に4回。金曜7時のも時々再放送である。
タイトルの中に「選」とあれば、番組表で「再」をつけなくていいルールなのだろうか。なんとか「セレクション」とか「アンコール」とか。
(「相棒セレクション」の「セレクション」は「順不同再放送」の意味である)
まあいずれにせよ、いつが初放送だったのかは明らかにしておいてもらいたい。多くの番組ではそうなっていると思うけど。
紀行番組でマスクをしていないと古いものだろうと思う。
クロスワードで初めて知った言葉、「後生楽」。
「なにも苦にせず、のんきだ。太平楽とも」というヒントで、ほかの問題からすると「後生楽」になるが、読み方がわからんのでネットでこのまま検索してみた。「ごしょうらく」。