レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ローテンブルクでまた一言

2008-06-29 06:41:56 | ドイツ
先日、教育テレビの『テレビでドイツ語!』で、2回にわたってローテンブルクを紹介していた。ロマンチック街道の半ば、観光のメインの町。このブログでもタネにした。(07,2,25日の記事参照)
 改めて思ったが、クリスマスグッズや人形・おもちゃの博物館といった可愛らしさで売る面と、拷問具が目玉である「中世犯罪博物館」のような怖いもの見たさの心理をついた場所とあって、観光客を実にうまくひきつけている。テディベアの店もあったはず。
 (ところで、拷問についての博物館はよそでもあって、フライブルクにも小さいのがある。行ったことないけどリューデスハイムにもあるらしい。
 人形やおもちゃも珍しくない。ニュルンベルクのも有名だし、小さいのはレーゲンスブルク、フライブルクにもある。)
 
 青池保子のエッセイマンガ『暗号名は「ほんのジョーダン」』には、筆者は霊感体質ではないが、たまには気味の悪い思いをすることがある、として、「ドイツのローテンブルクのホテルは薄気味悪かった」、「その道のオーソリティ美内さん」は「いるわよいるわよこの町には あっちにもこっちにもうじゃうじゃいるわよ」 と書いてあった。  そりゃ、「鉄の処女」なんて展示してあるところだし、幽霊なんていて当然だろうな。

 最近になって、下記のようなものも見つけた。
「霊感というものに欠けているのだろう。
 あの『ガラスの仮面』の美内すずえさんなど、ロマンチック街道の「中世犯罪博物館」を見に行ったとき、撮った写真に、空中を飛んでる男の首だの、怪しい影だのが写っていたそうで、そのせいで一時期、描くものまでオカルトの方へ行ってしまった。」

 赤川次郎の『子子家庭は波乱万丈 ドイツ、オーストリア旅物語』より。これはそもそも、本屋にタダで置いてある出版社の冊子、新潮社の『波』に連載されていたので部分的に読んでいた。単行本になったのを知って気になっていたところ、先日図書館で見つけたので借りた。連載時には、エッセイの間に小説が挟まれる形になっていたが、単行本では分けて載せてある。筆者は映画マニアでその話題も多い。ウィーンの関連でシシィの話も出て、そして映画『シシィ』のロミー・シュナイダーについても触れている。しかし、この女優を「愛らしい」と評しているのが私には疑問である。これは世間での一般的な評価なのだろうか? 私はこの人、可愛い雰囲気を出せるけど、顔じたいは可愛くないと思う!

 それにつけても、 ローテンブルク名物の揚げ菓子 「シュネーバル」、全種類試したい!
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『真夏の夜の夢』

2008-06-24 05:29:20 | 
このタイトルを初めて知ったのは、すでに30何年前(検索したら72年の作品だった)、「別冊マーガレット」の美内すずえの読みきりがそういう題だった。私が初めて少女マンガ雑誌の「ストーリーマンガ」を理解できたのがこの時で、読解力がついた!と嬉しかったものである。なお、このマンガの話とシェイクスピアとは関係なし。のちに『ガラスの仮面』で劇中劇にもしていたから、作者にとって愛着があるのだろう。
 「真夏」といっても原題のmidsummerには「夏至」の意味もあり(天文学上の夏至とはズレがある)、その6月24日は「聖ヨハネ祭」、その前夜がmidsummer'night。この日は妖精が跳梁して薬草の効き目が強くなるとか、男女が森に行って恋人に花を捧げるとか将来の幸せを祈る慣わしがあるとか、そういった民間伝承に基づいてのタイトルだと解説されている。(おかしなことに、物語はその夏至でさえなく、「五月祭」のころである) しかし、「なつのよのゆめ」より、「まなつのよのゆめ」のほうがなんとなくリズムがいいと思う。
 「春の夜の夢」といえば、みじかくはかない(そして艶っぽい)雰囲気を漂わせるもので、それが夏ならなおさらのはず。しかしそのわりには『真夏の~』ははかなさとは無縁のドタバタラブコメであるな。作者の旧作(というほど前でもなさそうだけど)『ロミオとジュリエット』を思いっきり茶化した面もあるし。
 4人の男女の、及び妖精の王夫妻のトラブルは収まって、アセンズ(アテネ)の大公夫妻のまえで演じられる芝居の場面、「想像力」という言葉がしきりに出てくる。「芝居とは最高のものでもしょせん実人生の影にすぎぬ、だが最低のものでも影以下ではないのだ、想像力で補えばな」 この時代、舞台装置なんてろくにないので、状況はセリフで説明せざるをえない。太陽のもとで演じていようと、夜だといえば夜、森だといえば森、そのつもりで観客は「心の目で見る」ことが要求される。上記の劇中劇で、「壁」「月」「ライオン」がいちいち自己紹介なんかしてみせるのは、こういう事情を極端に見せてパロっているのだろう。
 昨今のフィクション事情では、やれ特撮だのSFXだの(よくわかってない、かなり偏見も混じっての発言である)とリアルさを追求しているのだろうけど、そのぶん人間の想像力は減退しているのではなかろうか、と年寄りくさいグチを垂れたくなるのだった。
 6月24日なのでこの話題を投下。

 先週教室でこの作品を話題にした際、念のため、『ガラスの仮面』を知っているか読んでいるか学生に尋ねたら、いくらかは挙手があった。なんだかほっとした。
コメント (6)
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ひさしぶりに「ぱふ」を

2008-06-22 07:01:10 | マンガ
T図書館のヤングアダルトコーナーへ久々に行ったら、「ぱふ」最新号が目についた。この雑誌もしばらく手にしていなかった。「プリンセスGOLD」で『薬師アルジャン』連載中の山下友美のインタビューが載っている。あと3巻くらいだと言ってるのが意外。今月号では、そろそろクライマックスか?という急展開なのに。(『聖おにいさん』と『ヘタリア』も小特集で、見つけてよかったこの号。) PGではほかに、『CROWN』と『天使達は闇夜に囁く』が次で終わる。『CROWN』のあとは『カンタレラ』再開だときいているけど、さっさと実現してくれ。同じ題材の他作品にひけをとってるとはいえ、未完はなお問題だろう。いっそFT色を強めるのだろうか。
 『アルカサル』は、本編の完結編のあと、外伝が二つ載った。やはりこの作家は、野郎どものドカドカ暴れる世界が似合っている。これでもうコミックスぶんたまったはず。
 木原さんの『杖と翼』も前号に番外編が載った。これも、あと1作くらい描かれたら1冊出るくらいの量になる。
 まったくの他誌だけど、『ブロンズの天使』は本編完結のすぐあとに番外編があった。近々また、今度はダンテスの昔の話もあるということで楽しみ。こちらも、あと一本くらいで本にまとまる程度になりそうだ。
 本編が「全○巻」として完結のあとで番外編が出たりすると、単行本での扱いがどうなるんだ、と気になる。やはりまとまっていてほしいから。
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『不如帰』

2008-06-21 05:38:06 | 
5月31日に言及したこの小説、読んだ。地の文が文語で会話が口語、さほど長いものではない。岩波文庫1冊。
 薄幸のヒロインの、もう女に生まれたくない、という言葉に対して私は、
>彼女の不幸の元凶の姑だって女ではないか。こいつを恨むほうがスジというものだろう。(小説に書かれているのかもしれないけど
ーーと書いた。そして小説ではどうかといえば、
「心一たびその姑の上に及ぶごとに、われながら恐ろしく苦き一念の抑うれどむらむらと心にわき来たりて、気の怪しく乱れんとするを、浪子はふりはらいふりはらいで、心を他に転ぜしなり。」
と、これだけである。そりゃまぁ、恨んで心を騒がせても空しいものではあるけれど・・・ものたりない。第三者の私が納得できない。
 百歩譲って、人を恨まないのはよしとしても、「女」の身を嘆くのはどうしても納得できない。婿に行った男が病気で離縁だってありうるし、家に縛られているのは男も同様だろうに。でも、実在のモデルがほんとにこういう言葉を吐いているそうだ。そして、多くの読者が違和感もなく受け入れて泣いてきたのだろう。ますますすっきりしない。
 また女に生まれて、こんどはうんと丈夫になって、オニのような姑ならば断固討ち倒してやる!という、そんな意気込みが欲しい・・・。
(嫁になんか行かない、尼になる!というならば共感するんだが)

 夫婦の純愛にほろりはくるけれど、・・・上記セリフに対してはやはり抵抗があるのだった。
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『古代文明ビジュアルファイル』で

2008-06-18 15:47:29 | ローマ
『古代文明ビジュアルファイル』、数週間ぶりに本屋で見たら、少しまえの号にアウグストゥスの記事が載っていた。しかし、間違いが目についたし、美貌の言及がないし、アグリッパとマエケナスの名が出てこないということで、とりあえず買っていない。リウィアはばっちり出ている(塩野準拠)。19世紀の作品でこの二人の描かれている絵画の載っていることが長所か(リウィアの描かれたのは始めて見た)。

 --というわけなので、サラさん、替わりに(?)買っておいて下さい。

 私も気が変わって買うかもしれないけど。
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花の色

2008-06-15 06:16:11 | 雑記
梅雨時用のテンプレートがないのは不思議だ、と思っていたところ、先日4種類加わったので、それを使う。紫陽花はうちの庭にも多少あるし、よそでも見かける。紫系列ならば私は赤紫よりも青紫のほうが好きだ。
 紫といえば、大学のそばの道に花壇がある。ただ見るだけの分際でモンクたれるのも恐縮だが・・・ラベンダー(?)、サルビア、キンセンカ(?)という組み合わせはナンだと思う。そもそも紫は組み合わせが難しい。そのそばにサルビアの色はやはり合わないし、おまけにオレンジや黄色までそばにあるのはどうしても暑苦しい。サルビアのかわりに白い花だとだいぶ涼しくなるだろうに。
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吉村朔実の読書エッセイマンガ

2008-06-13 05:37:00 | 
「本の雑誌」に吉村朔実のエッセイマンガが載っているのは知っていたし、その単行本を図書館で借りて読んだこともある。この作家のマンガはほとんど読んだことはないけど(私の購読雑誌に描いていない・特に気乗りするジャンルというわけでないという理由)。 角川文庫に入っているのを見つけたので、『お父さんは時代小説が大好き』『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』を買った。ほどほど少女マンガの絵であるし、素直に関心を持つ。書評そのものというよりも、読書とその周辺の雑記という感じで親しみが持てる。
 そういえば(?)、角川文庫からいま出ている『アン』はこの人がカバーイラストだ。
 かつて集英社文庫の漱石のカバーもこの人だったのか。(角川のわたせせいぞうよりだいぶ受け入れられる) 中身も好きで引き受けた仕事だとわかるのはいいかんじだ。(坂田靖子に『吾猫』描いてほしいな)
 『いつも本が入っている。』の章は「外出する時はたいていいつも文庫本を持って出ます」と始まる。  私もだいたいそうだ、少なくとも電車に乗っているレベルの外出ならば。大学との間の時間ならわりにまとまってるし、座れることが多いし。ここで考えてしまうのが進み具合。いまの学期の火曜日は3時間くらい電車に乗っている。そして、本を読むのにかかる時間は一様ではない。字が詰まってるとページのわりに進まないとか、スリルで読むタイプならばどんどん行くとか(または、車内で眠くなることもある)。このまえ3冊も持参していたのに、『それから』だけで意外に時間かかって、この1冊だけでよかったと小さな後悔。
 「私はこれを読みきった!自慢」、私はなんだろうか。退屈だったということならばシュティフターの『晩夏』、でも再挑戦したい気もする。 
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「・・・したいと思います」

2008-06-11 05:38:57 |   ことばや名前
 先日、なにかスポーツで勝ったチームの監督が「選手たちに感謝したいと思います」と言ってるのが耳にはいった。

 「したいと思います」はよくある言い方だ。しかし、時々私はヘンに感じる。
 生中継で、レポーターが町へ出て「お話を伺いたいと思います」と言って市井の人々にマイクを向ける。
 環境問題を扱った番組で、最後に「環境に配慮してムダなゴミを出さないように心がけたいと思います」とコメントする。
 こういうのは、「話してもらいたいけど逃げられてうまくいかないかも」、「心がけるべきなんだけど、ほんとに実行できるかはねぇ・・・」という気持ちが隠れてるのかもしれないと解釈して、断定しないことも理解できる。「イン・シャー・アッラー」みたいなもので(アラーが望むなら、というイスラム教徒の決まり文句。これで、できなくてもワシのせいじゃないもんね、という言い訳になるという)。
 しかし、感謝することはそう難しいわけでもあるまい。「感謝します!」くらい言い切ったほうがサワヤカだと思う。

 実際のところは、上記のような理屈でなく、単に、「思います」でもつけたほうがソフトに謙虚そうになるというだけのことなのだろう。ただ私は、やたらと謙遜のポーズをとることに対して苛立ちを覚えるタチなもので、時折気になってしまうのだった。
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花咲か爺さんの紫陽花

2008-06-08 11:49:57 | 雑記
梅雨入りも発表されて、天気予報に雨のマークが多くなってきた。紫陽花の季節だ。うちはマンションの1階で、ささやかな庭がある。
 数年前まで一軒家が隣接していた。花がたくさん咲いていたので、そこの老人を私は勝手に「花咲か爺さん」と呼んでいた。隣家側の、うちの窓のすぐそばに垣根があり、朝顔の蔓がびっしりと生えていたので、曇りガラスの向こうに緑が映ってさわやかだった。朝顔の花が咲けばなおのこと。
 いまはその家はなくなり、駐車場になってしまっている。しかし、花咲か爺さんにもらって母が植えた紫陽花は今年もうちの庭で咲いている。
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アリサへのイライラ

2008-06-06 05:51:03 | 
『狭き門』、読むたびにイライラする小説だと思っていたけど、今回また怒りを新たにした。きっかけは、小谷野敦『昭和の恋愛史』。作者としてはヒロイン・アリサの姿勢を批判して描いていたはずだけど、読者はむしろ彼女に同情して読んでしまっているのではないか、という指摘に興味を持った(小谷野はこの作品に否定的立場)。 06年6月7日の『草の花』感想で一緒に言及しているのでそこから引用。

かつては青少年への読書ガイドの定番だったけどいまはどうなんだろう。ジェロームは従姉アリサを愛しているが、彼女は修道院へはいって若死にする。二人の見ている幸せが根本的に違っているのだと指摘した本もあった。アリサが拒む理由として、もっと表面的なこともあって、①2つ年上 ②母親が身持ちが悪く出奔してしまったのでその贖罪として神に仕えたい ③妹がジェロームを好き --どれを取っても私は腹が立つ。年上がなんだっ! 親が不品行だからって子が幸せを放棄するな!  恋で遠慮なんかするんじゃない!譲るなんて傲慢だ!当人の気持ちはどうなる。(その点私は武者さんの『友情』を支持する!)
 読んだのはだいぶまえなので印象が正確ではないのだが、遠藤周作さんによると、ジェロームはアリサをあまりに聖女のように思ってしまい、それが彼女を追いつめた、ということらしい。これを遠藤さんは「恋愛の結晶作用」と呼んでいる。(美化してしまうことですね) (逆に、その作用ゼロのあまりにドライな女として『テレーズ・デスケールー』を挙げている。『深い河』でも言及されている)

引用終わり。読み返したら、修道院へはいってというのは間違いだった、病気で入院して死んだのだった。考えてみれば作者はプロテスタントだし(『田園交響楽』では改宗した人も出たけど)。
 天上の愛を選ぶことの意義を否定するつもりはないが。彼女の行為は誰をも幸せにしていない。ジェロームを拒絶して、それをうわまわる精神の喜びを得たのなら納得もできるが、苦しみ続けている。死んでからその苦悩がわかる(日記など)のは、バルザック『谷間の百合』と共通しているけど、モルソフ伯爵夫人の場合はなんといっても人妻なので、耐え抜くことに疑問は感じない。しかしアリサにはまったく、妨げなどはないはずなのだ。全くの、頑ななほどの自由意志で拒絶しておいて、それでなおウジウジと・・・。「自己満足」さえもない。 ジェロームに、将来子供にアリサと名づけてと望むに至っては、・・・その場合の「妻」の立場はどうなるんだ、正気か、と言いたくなる。離れることによって、自分への幻想(%)を保たせたままにしたかったのではと勘ぐってしまう。事実、アリサの死から「10年後」もまだジェロームは独身だ。
 多数派の読者はいざ知らず、私はアリサに同情しない。

#その点、木原敏江の『ローエングリン』(『摩利と新吾』外伝の一つ)のヒロイン(名前忘れた)は立派だ。荒んだ人生をおくってきた男にとって、彼女のきよらかな面影は心の支えだった、しかし、実はカタギではない彼女の身の上を知って逆上、だが「勝手に偶像化しないでよ!」と迫り、改めて、自分の真の姿を愛させてしまう(そして駆け落ちし損ねて共に死ぬ)--天晴れだ!
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