映画監督の山田洋次さんのエッセイ『映画館(こや)がはねて』を読んだことがある。よき人々との思い出を大切にした暖かい人柄を感じさせる好著だった。
そこで印象に残っている部分の一つは、呼ばれ方に関するもの。「カントク」と呼ばれるのはいい気持ちではない、「山田さん」でいいから名前を呼んでほしい。学校の先生同士が「先生」と呼び合っているのはヘンだ、という点。
--私も常々そう感じている。
小学校低学年では、生徒に対して先生は一人称として「私は」の代わりに「先生は」だし、先生同士の会話でも「先生」。これに理屈をつけるならば、生徒がそれを真似るように、ということなのだろう。
しかし、成長して生意気になれば、呼び捨てでも○○クンでも○○サンでも好き勝手に言うようになる。面とむかって図々しくなるのは困るが、カゲで「先生」呼びでなくなることなど関知することもないと思う。少なくとも、学生に「先生」と呼ばせるために先生同士が先生と言い合うことなど必要ない。
日本語の習慣として、それほど親しくない相手に「あなた」とは案外使えない。講師室で隣り合って話す程度で名前を覚えていない人に、「あなたは」の代わりに「先生は」ですませてしまいたくなるという面はあるだろう。--私は言われたくないけど。何度でも名前をお尋ねくださってかまわないから「先生」はやめて下さいよ、と言いたい。
私の名前が○○○であることをとっくにご存じの方にはもっとやめて頂きたい。特に年長の方は。
「先生」を使うのは、実際に教室で教えられた間柄だけでけっこうだと思う。
そこで印象に残っている部分の一つは、呼ばれ方に関するもの。「カントク」と呼ばれるのはいい気持ちではない、「山田さん」でいいから名前を呼んでほしい。学校の先生同士が「先生」と呼び合っているのはヘンだ、という点。
--私も常々そう感じている。
小学校低学年では、生徒に対して先生は一人称として「私は」の代わりに「先生は」だし、先生同士の会話でも「先生」。これに理屈をつけるならば、生徒がそれを真似るように、ということなのだろう。
しかし、成長して生意気になれば、呼び捨てでも○○クンでも○○サンでも好き勝手に言うようになる。面とむかって図々しくなるのは困るが、カゲで「先生」呼びでなくなることなど関知することもないと思う。少なくとも、学生に「先生」と呼ばせるために先生同士が先生と言い合うことなど必要ない。
日本語の習慣として、それほど親しくない相手に「あなた」とは案外使えない。講師室で隣り合って話す程度で名前を覚えていない人に、「あなたは」の代わりに「先生は」ですませてしまいたくなるという面はあるだろう。--私は言われたくないけど。何度でも名前をお尋ねくださってかまわないから「先生」はやめて下さいよ、と言いたい。
私の名前が○○○であることをとっくにご存じの方にはもっとやめて頂きたい。特に年長の方は。
「先生」を使うのは、実際に教室で教えられた間柄だけでけっこうだと思う。