なんとなく勢いで、物好きにも、お江本を3冊購入。
『お江 戦国の世を生きぬいて』by国松俊英 画 十々夜 岩崎書店 フォア文庫
児童書の棚にある。
二男の国松を手ずから育ててひいきしたと書いてある点は残念だけど、おおむねまともな内容であり、無理やりな教訓づけなどはしていない。
『お江 信長の系譜』 島崎譲 PHP研究所 B6
表紙見て、まつざきあけみの絵みたいだと思った。茶々は、激しくウェーブ入りの髪のせいで、葉月陽子の清明ものの「虫愛づる姫君」に見えてしかたない。 この作家読むのは初めてだけど、デビューは少女誌だったのか。
浅井長政たちの髑髏の杯の件、あれは呪術的(?)な意味合いに解釈する説もあるときいたことはあるが、このマンガでも、自分を散々悩ませた「名将」たちへの敬意だと演説している。傍若無人で傲慢で、並みはずれた、この信長像は納得のいくものだ。
それにしても、長政の髑髏を手に取り、「賢く若々しく美々しい・・・・・・勇猛なる武将よ・・・・・・ わしはーーそなたを愛していた!!」--などと公然と言ってのけるのは創作の中でも前代未聞だろう。
江戸へ嫁いだところまでで終わっているので唐突に見えるが、「権力争いやら女の戦いやら、そんなドロドロしたことは「私のお江」には不向きです。少女期で物語を終えられたことを少し感謝する作者でありました」と作者はコメントしている。
『江 姫たちの戦国 1』 暁かおり 講談社 KCDXデザート B6
タイトルのとおり、現大河の少女マンガバージョン。あっさりしてかわいい、オーソドックスな少女マンガ絵。お江の父長政のほか、一人目の夫、三人目の夫は絵として美形(少女マンガの場合、絵としてきれいでも設定上そうなっていることとは別物なので)。1巻は佐治与九郎と別れさせられたところまでなので、二人目はまだわからん。
史実としてわかっている範囲を超えて、お江の性格を勝気にしてはいるが、噂にきいている大河でのような出しゃばりぶりではない。失笑をかったらしい、本能寺でのお江の「生霊」も、このマンガの描き方ならばさほどヘンには見えない。
結局、三冊とも、(さんざんネットその他で目にする評判で判断する限りの)大河ドラマよりもずっとマトモな出来だと推測する。
さて、歴史ものの感想を書く場合、それが創作物ならば「本」「マンガ」のカテゴリーに入れることを原則としており、こういうのはどうするのか困る。でも今回はまた「歴史」の扱い。
某お江ヨイショ本で、「日本のマリア・テレジア」と書いてあったらしい。--そりゃないだろ、とつっこみたい。お江をくさす意図はないけれど、強固な意志・行動力をもって戦争をも辞さずに粘り、改革もおおいに行った、受け身でなく能動的に戦った事実上の女帝を同列にはできないだろう。 むしろヴィクトリア女王あたりのほうが違和感ない。(私は特にヴィクトリアに知識があるわけでないので、あまり断定はできないけど)本人がどんどん政治行動をとったというよりも、家庭をしっかり保って世に模範を示し、子孫をあちこちにばらまいて血筋を広げた、ということで。
日本でマリア・テレジアとダブるのは、私にとっては北条政子。激しく夫LOVE、(夫はわりに浮気者?)正しい夫婦関係を世に示そうと熱心だった、子供運が必ずしも良くない。
「日本のマリア・テレジア」という言葉から、関ヶ原か大坂の陣にあたって、息子抱えて大名たちに訴えるシーンをつい想像してしまったけど、あいにくそれに手頃な年頃の息子はいないんだな。家光は関ヶ原の翌年生まれてるし。
『お江』を本屋で買おうとして見当たらなかったので、店員に尋ねた。「これ(『お江』を指して)と同じ題材の、島崎譲の最近出たコミックスの『江』はないですか」 店の奥に引っ込んでしばらくたって、わかりませんと言った。「ゴウって英語のGOですか?」
大河のムチャぶりからすると、おGO!のほうが案外はまっているかもしれないな。
『お江 戦国の世を生きぬいて』by国松俊英 画 十々夜 岩崎書店 フォア文庫
児童書の棚にある。
二男の国松を手ずから育ててひいきしたと書いてある点は残念だけど、おおむねまともな内容であり、無理やりな教訓づけなどはしていない。
『お江 信長の系譜』 島崎譲 PHP研究所 B6
表紙見て、まつざきあけみの絵みたいだと思った。茶々は、激しくウェーブ入りの髪のせいで、葉月陽子の清明ものの「虫愛づる姫君」に見えてしかたない。 この作家読むのは初めてだけど、デビューは少女誌だったのか。
浅井長政たちの髑髏の杯の件、あれは呪術的(?)な意味合いに解釈する説もあるときいたことはあるが、このマンガでも、自分を散々悩ませた「名将」たちへの敬意だと演説している。傍若無人で傲慢で、並みはずれた、この信長像は納得のいくものだ。
それにしても、長政の髑髏を手に取り、「賢く若々しく美々しい・・・・・・勇猛なる武将よ・・・・・・ わしはーーそなたを愛していた!!」--などと公然と言ってのけるのは創作の中でも前代未聞だろう。
江戸へ嫁いだところまでで終わっているので唐突に見えるが、「権力争いやら女の戦いやら、そんなドロドロしたことは「私のお江」には不向きです。少女期で物語を終えられたことを少し感謝する作者でありました」と作者はコメントしている。
『江 姫たちの戦国 1』 暁かおり 講談社 KCDXデザート B6
タイトルのとおり、現大河の少女マンガバージョン。あっさりしてかわいい、オーソドックスな少女マンガ絵。お江の父長政のほか、一人目の夫、三人目の夫は絵として美形(少女マンガの場合、絵としてきれいでも設定上そうなっていることとは別物なので)。1巻は佐治与九郎と別れさせられたところまでなので、二人目はまだわからん。
史実としてわかっている範囲を超えて、お江の性格を勝気にしてはいるが、噂にきいている大河でのような出しゃばりぶりではない。失笑をかったらしい、本能寺でのお江の「生霊」も、このマンガの描き方ならばさほどヘンには見えない。
結局、三冊とも、(さんざんネットその他で目にする評判で判断する限りの)大河ドラマよりもずっとマトモな出来だと推測する。
さて、歴史ものの感想を書く場合、それが創作物ならば「本」「マンガ」のカテゴリーに入れることを原則としており、こういうのはどうするのか困る。でも今回はまた「歴史」の扱い。
某お江ヨイショ本で、「日本のマリア・テレジア」と書いてあったらしい。--そりゃないだろ、とつっこみたい。お江をくさす意図はないけれど、強固な意志・行動力をもって戦争をも辞さずに粘り、改革もおおいに行った、受け身でなく能動的に戦った事実上の女帝を同列にはできないだろう。 むしろヴィクトリア女王あたりのほうが違和感ない。(私は特にヴィクトリアに知識があるわけでないので、あまり断定はできないけど)本人がどんどん政治行動をとったというよりも、家庭をしっかり保って世に模範を示し、子孫をあちこちにばらまいて血筋を広げた、ということで。
日本でマリア・テレジアとダブるのは、私にとっては北条政子。激しく夫LOVE、(夫はわりに浮気者?)正しい夫婦関係を世に示そうと熱心だった、子供運が必ずしも良くない。
「日本のマリア・テレジア」という言葉から、関ヶ原か大坂の陣にあたって、息子抱えて大名たちに訴えるシーンをつい想像してしまったけど、あいにくそれに手頃な年頃の息子はいないんだな。家光は関ヶ原の翌年生まれてるし。
『お江』を本屋で買おうとして見当たらなかったので、店員に尋ねた。「これ(『お江』を指して)と同じ題材の、島崎譲の最近出たコミックスの『江』はないですか」 店の奥に引っ込んでしばらくたって、わかりませんと言った。「ゴウって英語のGOですか?」
大河のムチャぶりからすると、おGO!のほうが案外はまっているかもしれないな。