レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

サカクモ、寅彦

2010-12-30 05:15:59 | 
 いま読んでいるのは、予定どおり、『坂の上の雲』と『寺田寅彦随筆集』。
 
 前者は、もう後半にはいったが、正岡子規が3巻で死んで、あとは日露戦争に突入して、大半戦争ばなしなのでいささか閉口する。列強の思惑とか、ロシアが圧迫してきたポーランドやフィンランドの勢力を煽る裏工作は中々興味深い。つくづく、ロシアも恨まれてるよなぁと感じる。大国が恨まれずにすむはずもないとはいえ。
 寺田寅彦という名前に関して印象づいたのは、『エッダとサガ』、『緋色い剣』にハマれば多くの人が手にする本が最初だったはず。イントロで、サガの合戦描写に平家物語を連想したという寅彦の随筆が引用してあった。私も『緋色い剣』のチャンバラ場面で、わ~壇ノ浦みたい~という感想を持ったので、自分の感性に自信を持つとともに、寺田寅彦という人物に親しみを感じたのである。   なお、上記の引用は、岩波文庫5巻本の1巻の『春寒』である。
 『一つの思考実験』で、人の心の不安は新聞のいらん情報でつくられてることが多いので、日刊新聞なんてなくしてしまったらどうだろう、すぐに知らなければならないことなんてごくわずかしかないものだし、必要な人々は別に情報入手手段を得るだろうし、云々という意味のことが提案されている。
 これは大正のことであるが、いまは、ネットがそれに当たるだろうか。携帯電話で伝えられている内容も9割がたどうでもいいものであろうと、偏見まじりに私はなんとなく思う。
 ところでこの岩波文庫本は、カバーが木下杢太郎の絵だ。伊東で記念館に行ったことがある。 なぜこの人の絵なのだろう。寺田寅彦の名とこれと一緒に検索しても手掛かりはない。編集した小宮豊隆と並べると、某文学全集で「阿部次郎 小宮豊隆 木下杢太郎」でまとめた本が出てきた。ドイツ文学者ということでいっしょにしてあるのか。(ドイツロマン派でフケーとシャミッソーがフランス系だからと同じ巻にしてあるようなものか) 小宮と木下に交友があったかいまのところ知らんけど。


 先日図書館で借りてきたぶん、
『マリー・アントワネット物語 上』by藤本ひとみ 『北欧悲史 悲劇の国王、女王、王妃の物語』 『リトアニア 小国はいかに生き抜いたか』

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王と王妃、美女たち

2010-12-28 05:59:35 | 歴史
 歴史に絡んだ本を読んだ場合、フィクションの枠ならば「本」カテゴリーで、ノンフィクションは「歴史」カテに入れている。
 まとめて2冊ぶん+アルファ。

『残酷な王と悲しみの王妃』 中野京子  集英社
 ウェブ連載の単行本化。私はメアリ・スチュアートの章しか読んでなかったので、まとまって嬉しい。
 メアリ・スチュアート、マルガリータ・テレサ、イワン雷帝、ゾフィア・ドロテア、アン・ブーリン。
 この中で、波乱万丈ぶりの最も激しいのはメアリに対して、平穏なのがマルガリータだろう。本人は平凡だけどベラスケスの絵画の中で有名だ。有名な作品は子供だからまだいいけど、大きくなって顔が長くなってあのいかにものハプスブルク顔になってからははっきり言って見苦しい・・・と思うのだけど、そんなことは本人の幸せとは関係ないだろうな。 
 イワンの6人目の妻の不貞(冤罪?)のあと、7人目の妃について言及するまえに、
「その前に、実はもうひとり妃がいたとの説もある。新床で処女でなかったとわかり、即、死刑。よって数のうちにカウントされなかった由。 ワシリーサに続き、またもイワンは夫としてまた男としても「名誉を踏みにじられ」、「気の毒」、と同情する後世の男性歴史家がいたのには驚いた」という記述は、著者に対して同性どうしの親愛の情を覚える(「女性の視点」という言葉を安易にふりかざすことは嫌いだが)。  7,8回結婚してだれも幸せになってないって、ヘンリー8世よりもすごい数だ。
 ジョージ1世妃ゾフィア・ドロテア、不貞のかどで幽閉されたまま死んだ彼女の呪いでジョージが急死したというのは伝説だとこの本では書かれていて、私も実のところはなにか報いくらいあってほしいと思う一般人の一人であるけど、こういう冷静さがこの本の良いところだとも思う。  この人々の話は映画などになっていないのだろうか。 つくづくジョージ1世ってヤな奴だと思った。

『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』by木村泰司  光文社新書
先月の新刊。
 中世末期から20世紀まで、西洋史上の有名人の主として美女の肖像を観察しながらの歴史語り本。傾向としては『名画で読み解く~』に近いもの。
 断片的に。
・ティツィアーノのイザベッラ・デステ、意志の強そうなまなざしで、いかにも才女という感じ。
・シャルル7世の寵姫アニエス・ソレルを描いた『ムランの聖母子』はひじょ~に気持ち悪い! 背景の朱色の天使群が不気味。そして、両の乳房がこんなに離れているのは人間の体として不自然極まりないのではないのか。
・『狩の女神のディアーヌ』といい、『ガブリエル・デストレとその姉妹ヴォヤール公爵夫人とみなされる肖像』といい、(同じ「フォンテンヌブロー派の画家」の作品だけど)なんでこんなに寸胴なんだろう、こんなのが時代の好みか。現代人の「ボン・キュッ・ボン」とは程遠い・・・。
・ナティエの絵で見ると、王女アデライードやヴィクトワールは父ルイ15世に似て美しい。『ベルばら』では根性悪のばーさんになってしまってるけど。ロココ絵画は、リアルさがほどほどで、色調がソフトで受け入れやすい。
・シシィの絵が特に有名なヴィンターハルターは、モデルを表面的に美化するだけで内面まで映さないとして美術史上の評価が低いという、そう言われればなるほどと思う。でも、このうつくしさはやはり捨てがたいと私は思うね。


 以下、『ハムレットは太っていた!』で興味をひいた部分の引用。

・ルネサンス演劇では、デンマーク人は、「骨太デンマーク人」だの「息切れデンマーク人」だのと呼ばれていて、太っているとされていた。当時デンマークは、酒呑みと大食で知られていたのだ。

・「ヘラクレスといえば、ギリシア神話中の最大の英雄であり」 
「当時、むずかしい仕事といえば、すぐヘラクレスの十二の功業が連想された。
「ヘラクレスのようになる、ということは、完全無欠な男になるということであった。ルネサンスの理想的男性像は、肉体的強さと精神的強さを兼ね備えたヘラクレスとしてイメージされることが多かったからである。
 
 以上、いつかタネにするつもりだったけどその機会を見つけられなかった。年内に投下をすませてしまう。 しかしなぁ、ローマ史から言えば、ヘラクレスといって連想するのはアントニウスとコモドゥスなんで、どうもバカのイメージになってしまう~。

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しばらくファルコにごぶさた

2010-12-26 07:05:18 | ローマ
 アマゾンで、Caesar und Calpurniaを買ったので、ローマ本の宣伝がたびたび来る。

 Mord im Atrium
 Lindsey Davis

 リンゼイ・デイヴィスということは、『ファルコ』なのか? 来年1月の発売。訳すると『アトリウムの殺人』、これは邦訳されてないぶんだろうか。ドイツでもこのシリーズが出ていることには驚きもしないが。--Colleen McCullough のAntony and Cleopatraの独訳はどうやらまだ出ていない様子。
 ファルコの邦訳がしばらく出てないぞ~。


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あずみ椋版旧約聖書Ⅲ

2010-12-24 14:10:47 | マンガ
 ついに完結、聖書マンガの最高傑作(断言)。

「みんなの聖書 マンガシリーズ」

 
 アマゾンで肩肘はって書いたので、こちらでは気楽に断片的に。

 預言者ヨナが、神の命令を受けたけど中々従いたくなくて逃げて魚に呑まれたりしながら役目を果たし、でも納得できないものがあったりしてだんだんに心からしたがっていく過程は人間味があって説得力を感じた。
 愛していたのに不実をはたらいて逃げた妻ゴメルに苦しむホセア、それを許すように説得する神には、(図々しい言い草だが)いいとこあるじゃねーか、という実感だった(このヤーヴェって相当に横暴なこともすると私は思ってるので)。旧約の神を「忍耐の神」と解釈していたのは三浦綾子さんだったろうか。気がゆるむとすぐ心がけ悪くなる民に対しての神の嘆きと、夫ホセアの苦悩が重ねられているのはたいへん理解しやすかった。
 
 唯一神の側からは邪神とされるバアル、ブレヒトの作品でも出てきた名前だ。私はキリスト教側に立っているわけではないけど、それでも、なんとなく怪しいイメージはある。彼らの側にもいいぶんはあるだろう。
 バビロニアの名高いイシュタル門、あのインパクトのある青はベルリンのペルガモン博物館の目玉のひとつ(私も見た)。きっと、あの世界もまた魅力的なのに違いない。ペルシャザルと炎の文字のエピソードはハイネの詩でもあったっけ。
 旧約聖書の面白さは、エジプトやらバビロニアやら、ユダヤの敵側の存在の大きさにも依っているのではなかろうか。西欧とは別のエキゾチシズムを感じる。

 ああそれにしても、置いてある書店がめったにないことが痛い。
 上に、「アマゾンで」と書いた。ほんとは、あちらへ投稿してからここでと思っていた、しかしアマゾンに中々出てこないので問い合わせ、取り扱い未定で検討中と返事が来てその数日後にやっと「予約受付中」になった(回答を迅速によこしたことはよろしい)。
 諸外国でも翻訳されているという。ノルウェーでも出たそうだ。 どうせなら、このマンガ家はオーラヴ・トリュグヴァソンも描いたんだって! ハラルド美髪王も出したんだって! わっ読みたい!ーーという動きになってもらいたいのだが。
 アイスランドで『緋色い剣』が出てくれたりしたら万々歳なのに。

 1月8日に付記。
 アマゾンにようやく登場。
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バターの発明、パスタのうまさ

2010-12-21 14:41:37 | 地理
 私は生まれつきバターが好きらしい。赤ん坊のころ、ベビーベッドから抜け出して、台所の戸棚の中のバターを自分で発見してなめていたことがあるそうだ。
 ドイツの知人が、フランス製のバターを送って下さったので、ちびちびと使っている。「まる子」ならば花が飛びかいそうな美味である。もっとも、カロリーの問題があるのでそうやたらと使えるものではないのだった。
 
 フランス文学者の鹿島茂氏の『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)によると、マーガリンは19世紀にフランスで発明された。ナポレオン三世がバターに代わる安価な食品の発明を呼びかけて、薬剤師が考案した人造バターだということだ。しかし、おいしいバターになれたフランス人には売れず、「微妙な味にはこだわらないイギリス、オランダなどからは商談が相次いだ」、そしてアメリカで大量生産されるようになって、日本に入ってきたーーそうだ。フランスでウケずにイギリス、オランダというのがたいへん笑える。  ・・・ま、私も別に繊細な舌を誇るわけではなく、通常は並みのマーガリンでいっこうにかまわないのだが。

 味の話ついでに。
 PCをたちあげたときに出てくるニュースの画面、話題として、イタリアのパスタに関して出ていた。イタリアといえばグルメの本場だけど、現地で食べたパスタがおいしくないことが実はけっこうあるらしいというので、記者が確かめに行ったそうだ。その結果、あちこちで食べたが、パスタは日本よりもまずかった、調理の仕方がザツで、日本のほうが繊細である。しかしほかの食べ物は美味い、特にピッツァは絶品ーーという内容だった。(ところで、「パスタ」は総称であるはずだけど、なんだか近頃、「スパゲッティ」と言わずにパスタという名称にしてしまう傾向があるようだ。そういう人々は、「スパゲッティ」という名前を使うことをダサいと感じているのだろうか)
 私はイタリアへ行ったことはない。ドイツではしばしばイタリアンの店にも行った。(いかにもイタリアンな顔の人々がやっていた) 肉や魚の料理となると値段が断然違うので、もっぱらスパゲッティかピザだった。そこでスパゲッティがまずいと思ったことはない、いちど、ペペロンチーノの辛さに閉口したことはあるけど。 ヤマザキマリさんの本に、イタリアでクリスピータイプのピザは見たことないと書いてあったけど、私がドイツで見たのはほぼ全部クリスピーだったと思う。もっとも、そうたくさんの店に行ったのでないけど。
 『映像の世紀』だったろうか、アメリカの宣伝フィルムで、たぶん、うちの軍隊には世界各国のメンバーがいて、それぞれに適切な品を提供してるんですよ、というアピールなのだろう、そこで挙げていたのは、アメリカ人にはコンビーフ、イギリス人には紅茶、フランス人にはワイン、イタリア人にはスパゲッティ、だった。 (もしロシア人と出てきたらウォッカなのかね、ピロシキのほうが腹がふくれそうだと思うけど。)

 イタリアに行く予定などまったくなく、あればいちばんしたいことはエウルの博物館でユリウス=クラウディウス朝の美男美女たちを拝むことであるーーが、もちろん食べ物も欠かせまい。
 教会がドイツよりもハデそうだという印象もある(本で見る限りは)。教会見るのも楽しそうだと思う。
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王子は戦ってない

2010-12-18 05:31:49 | 
 とあるライトノベルで、主人公が『いばらひめ』が大のお気に入りという設定になっていた。同じ姫と王子の話でも、『白雪姫』や『シンデレラ』ではだめ。白雪姫の王子はキスして目覚めさせたからまだマシ、シンデレラの王子なんて家来に探させて待ってるだけなんて最低、その点「いばら姫」の王子は茨と戦って傷つきながら姫を助けたのがステキーーという言い分。
 
 決してその作者に悪意で言うのではないけどツッコミいれたい。
 
 「眠り姫」と言われるメルヘンはいろいろあるし、ペロー版がどう書いてあったのか目下未確認(王子の母が人食いで・・・という後日譚がついてるのは覚えてるけど)。しかし、グリムメルヘンの『いばら姫』に限って言えば、くだんの王子が来たときにたまたま魔法の解ける100年目になっていたから、いばらのほうから道をあけてくれて、王子が苦もなく城に入れた。ぜんぜん、戦ってなどいない。 
 単に運がよかっただけである、実に理不尽な展開だ。
 ついでに言えば、姫が錘に刺されると予言されたからって国じゅうの糸車を没収してしまうという王さまたちもかなりムチャだ、それで食べてた人々はどうするんだ。もとはといえば、皿が足りないとかいうずさんな理由で一人招待しなかったから恨みをかったんだろうに。
 そして、『白雪姫』もグリムメルヘンにおいては王子はキスしていない。棺をかついだ従者がよろけたはずみでのどから毒リンゴのかけらがとれて姫が蘇生しただけのこと。 キスにしたのはディズニーアニメの影響と思われる。
 最近、文庫新刊を物色していて買った『裁判長!桃太郎は「強盗致傷」です!  むかし話を刑法で裁いたら』(永岡書店)でも、勝手にキスした王子が姫に訴えられているので、つくづくディズニー版の浸透の強さを感じる。

 いま、白雪姫でこのブログ内検索したけど、このことは書いたことなかったのか?ではもっと言おう。
 そもそも、お妃の言う「鏡よ鏡」のセリフで、「世界でいちばん美しい」なんてそこまで大きなことは言ってない、「この国でいちばん美しい女は?」である。そして、舞台としてイメージされた中世にはドイツは300以上の小国に分裂していたのだから、「国」のスケールはたいへん小さい。「国いちばんの美女」といっても、「ミス横浜」、「ミス・フランクフルト」なんていうくらいの感じであろう、決してミスドイツ、ミス日本ではない。お妃の望みは案外ささやかだったのである。
 --こういうこと書いた記憶はある、よその掲示板だったのか?
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12月16日は重要な日

2010-12-16 06:49:07 | ドイツ

 これはまえにも書いた気がする。大学1年のときドイツ語会話の時間にクリスマスの話が出たとき、12月6日は聖ニコラウスの日、16日は、「6日ほどではないけど重要な日」--ベートーヴェンの誕生日だと言われた。 そうか、やはりドイツ人にとって誇りになる存在なのか、と思った。 12月17日と書いてあることもあるけど、それは洗礼の日で、たいてい誕生の翌日に洗礼なので逆算して16日が誕生日と推察されているから。洗礼=誕生とする考えもあるので、17日を誕生日としてあっても間違いではない。

 この季節には。ユーハイムなどにシュトレンが出る。Stollenとつづる。ドイツ語では、アクセントのある母音のあとで子音がひとつなら母音は伸ばす、そうでないなら短い、それが原則。そしてこの場合、原則通り、伸ばさないのが正しい。Stollenはシュトレン、伸ばさないんだったら! ユーハイムからしてシュトーレン表記だからな~。言いやすいのかね。
 今年は、ドイツの知人の贈ってくれたものもある。ダルマイヤーって高級店のはず。


 季節と無関係だけど、数か月まえに書いて未投稿のぶん、今年も終わるまえに投下してしまおう。

洗面器

 私が98年秋から1年、ドイツ西南部の都市フライブルクで過ごした際、真っ先に買ったものには、買い物カート、卓上蛍光灯、CDラジカセがある。 概して部屋の照明が(日本人から見て)暗いので、勉強や読書をするならば卓上ランプは必需品だと思う。
 洗面器をデパートで探したが見当たらず、ボウルを代用品にした。これに石鹸やシャンプーやボディブラシをまとめてシャワー室へかかえて行っていた。
 そもそも、シャワーがメインの入浴において、洗面器とは必要と思われるだろうか。日本の一般的な風呂ならば、湯船の外でごしごし体を洗う際に、湯船にためたお湯を洗面器ですくってざっぱんざっぱんと体にかけて流すので必需品である。
 西洋の映画で、古い時代が舞台の話で、身分ある人が、朝、顔を洗うときに召使いが洗面器を持ってくるという場面を見た覚えがある。しかし、バスタブがあってもその中で体洗いも済ませる、流すにはシャワーを使うことが普通ならば、なくても不自由を感じないかもしれない。
 ドイツ歴の長い知人に尋ねたところ、洗面器はあまり見かけない(シャワーは朝浴びるなと、習慣がだいぶ違う)という。
(ドイツ語の辞書に載っている、浴室の様子を表す絵でも、それらしいものは描かれていない)
 ところで、いまウチではシャワーがあるけど、洗面器も並行して使っている。髪を流すときなどはシャワーのほうが便利だけど、ためたお湯もいくらか手元にあるほうが安心だ。シャワーによっては、かたくて出にくいこともあるし、うまい具合に出てくれないこともあるし。たとえシャワーがメインであっても、やはり洗面器も組み合わせて使うほうが水の節約にもいいと思う。 
 

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ツリー、サンタ

2010-12-14 15:27:40 |   ことばや名前
 まえに書いたことと一部重なるけど。

 この季節におなじみで、略称であり、全体の意味からするとヘンな言葉。
「ツリー」は本来「クリスマスツリー」で、「ツリー」だけならば「木」、でもこれで通用してしまっている。「メール」といえば電子メールと同種のものか。「スーパー」がまずスーパーマーケットであることも。
 「サンタ」は、「サンタクロース」(オランダ語の「シンタクラース」がなまったものだとある本で見た)、でも「サンタ」は「聖」で「クロース」が固有名詞なので、「サンタさん」は「聖者さん」、これだと無数に存在する。
 いちいち非難することもないけど、たまには、略称がどんな成り立ちをしてるのか考えてみてもいいと思う。
 高校で、年寄りの古文の先生が「ユートピア」から転じた「ポートピア」という名称をさんざん批判していた。私はもともとの「ユートピア」(どこにもない)という語の成り立ちを知らんけど、文句言う気持ちはわかる。「ハイジャック」が日本では飛行機限定にされ、「バスジャック」だの「シージャック」だの言われることも同じたぐいのデタラメだろう。クロワッサンからなんとかワッサンもたぶんヘン。
 こういうはしょりかたは、日本語の中でだけやってるのだろうか? 日本語もどこかの国で奇妙な言葉に化けているのかもしれない。
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漱石とミステリー

2010-12-10 14:09:15 | 
11月に角川文庫で出た柳広司『贋作「坊ちゃん」殺人事件』『漱石先生の事件簿 猫の巻』 同じ作家の『吾輩はシャーロック・ホームズである』も既に同文庫で出ている。
 私はいずれも再読。

 前者は、『坊ちゃん』の後日譚の設定。事件から3年後、東京で山嵐と再会した「おれ」は、赤シャツが首をつったときく。しかし山嵐はこれを殺人と見て、二人は松山へ捜査に行く。
 原典を知らなくても読めるのはもちろんとしても、知ってる読者なら、元ネタをよく消化していることに感嘆するに違いない。ほかの漱石作品も読んでいればなお笑える要素もある。時代背景をいっそう積極的に取り入れて、しまいには途方もないバケモノじみた真相が悪夢のような奇妙さで押し寄せてきたという印象。
 「おれ」のある意味でのモテっぷりに、いまふいに『魔の山』のハンス・カストルプが頭に浮かんだ。あれも、ボンボンがクセのある奴らに翻弄される話なので。
 後者は、『吾猫』の先生のところに書生を設定し、その「ぼく」が語り手で、原典の中の事件の謎ときをする。隣の雌猫の三毛子はなぜ死んだのかとか、山芋泥棒の真相は、とか。
 漱石絡みのこれらが次々文庫になったのは、『坂の上の雲』のドラマ放映の影響だろうか。
 私はこの冬に、寺田寅彦随筆集とサカクモを読む予定でいる。

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チャンまま、ジーヴス、漱石

2010-12-08 05:39:14 | マンガ
『チャンネルはそのまま!』3巻
 地元テレビ局に、「バカ枠」で採用された新人雪丸花子のお騒がせな仕事ぶりを描くコメディ。
 もしかしてこの人も「バカ枠」では?と思ってしまう情報部長が、漆原教授並みに存在感あり。気ぐるみ状態のときに、優等生の山根君とすれ違って、無反応な山根君に対して「きみ、かわいいものに興味がないな!?」絡むシーン、「かわいいもの?」とツッコミが入っているのはもちろんである、私もあれを見たらむしろこみあげるのは笑いのほうであろう。チョビやしばわんこならば顔がゆるむだろうが。
 小学校時代の雪丸が、冴えないお弁当を気にする男の子の隣でなんの屈託もなく「うちのお米おいしい~~」と喜んで食べている様はたいへんよろしい(ご飯の上に干物1枚びらっと載せてある大雑把なもの。でも米がおいしいならばこういうのもいい。実際私は品数が多いよりも単純なほうが好きだ)

『プリーズ、ジーヴス』2巻 勝田文 P.G. ウッドハウス原作
 英国のユーモア作家の代表シリーズ。たよりなく人のいいボンボンであるバーティが、悪友どもやうるさい伯母さんのせいで窮地に陥り、切れ者執事ジーヴスの知恵で切りぬける話。
 バーティの親族関係に系図がほしくなるけど、ジーヴスの身内もけっこうあちこち散らばっている様子。身内もやはり賢いのだろうか。
  市松模様の背広はやはりヘンだと思う。

『先生と僕』1巻 香日ゆら 
 メディアファクトリーの無料ウェブ誌「コミックヒストリア」の掲載作品の単行本化。
 副題「夏目漱石を囲む人々」、その名のとおり、漱石とその弟子や友人たちのほぼ実話から描かれた四コマ。注もたっぷりついているので学習マンガの意義もある。
 同時に同社から出たコミックスの中で、これがいちばんよく売れているように見える。私の行った書店いくつかでこれが早くなくなっているので。
 芥川龍之介、もっと顔長いほうが似るのではと思うけど(全体に丸っこい画風だ)、それなりに特徴は出ている。これを見てると芥川もかわいくなってくる。
柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』でのオリキャラ、書生の「僕」は、部分的に寺田寅彦のエピソードが入っているのかとこのマンガで覚えたことからわかった。

 今月出るぶんの購入予定は、
大和和紀『イシュタルの娘』2
『聖おにいさん』6

 脈絡なく書いておきたくなったこと。
 かつて「少佐通信」という同人誌(?)があり、『エロイカ』周辺のキャラ人気投票で、
「最も寿命の短かったキャラクター賞    ひとコマ目から死んでいたクルト・ヴェルナー氏」
  『ZⅡ』、「コンピュータおばさん」と言えば読んだことのある人は思いだすかもしれない、その美しい未亡人レナーテの亡夫である。確かに、ひとコマ目で死んでいた。
 『秘身譚』でこれを思い出した、のっけから、暗殺された死体で出てきたカラカラ。もっとも、カバーをめくったら表紙にもマンガが描かれていて(いまはこういう趣向のコミックスがときどきある)こちらにデカイ顔して登場しているのでカラカラのほうがましかもしれない。回想シーンで出てくるかもしれないし。
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