レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

源氏もの2種 田辺聖子・柴田よしき

2011-05-30 15:40:53 | 
 文春文庫の新刊、田辺聖子『私本・源氏物語』
 田辺聖子さんは日本古典のアレンジ本が多く、特に源氏はたくさん書いている。これは、源氏に仕える40男の視点で描かれている。まだ十代の若者である「ウチの大将」のあれこれ厄介な、優雅なだけに気もはる恋愛沙汰を眺めながら、自分はもっとくだけた女たちと楽しんでいるそれなりに結構な身の上で、そういう観察が大阪弁(都なんだけど)でのんきに語られる。既に訳知りの目から見れば、まだまだ青い、という感じである。  そしておなじみの物語が展開されるけど、必ずしも一般的な設定ではなく、例えば「末摘花」は二人いたなんて「真相」が出てくる。 田辺聖子節の、リラックスしたオトナの裏源氏。

 同じく文春文庫で、新刊ではないけど増刷で並べて売られていた『小袖日記』by柴田よしき。
(やはり源氏からみで『千年の黙』という本も並んでいた。)
 不倫相手にふられてヤケになってた女が雷に打たれて、気がついたら平安時代にタイムスリップ、どうやら紫式部とのちに呼ばれる女官香子(こうし)に仕える「小袖」と体が入れ替わっていた。小袖は『源氏物語』のネタになりそうな事件を香子に提供していたので、彼女もその役目を果たし続ける。現代人で『源氏』の知識は一通りあるので、出くわす事件にはどの話のモデルなのか見当がだいたいつくけど、それらの真相は少しずつ違うのだった。 こちらでも末摘花の話はあるけど、たいへん痛快なアレンジである。

 6月にはテンプレートに紫を使うことにしている。この記事投下はちょうどいい。まだ5月だけどもう梅雨入り宣言もあったし。

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イシュタル 江 漱石 孔明

2011-05-26 05:25:43 | マンガ
来月出るコミックスのリストをまだ見ていないけど、わかっているのは
桑田乃梨子『だめっこどうぶつ』4巻が7月。

 このごろ買った新刊に関して断片的に。

大和和紀『イシュタルの娘』3巻 
 戦国時代の実在人物で、多くの有力者や知識人に重んじられたという才色兼備の小野於通の物語。時の人(?)である浅野三姉妹ももちろん登場している。傲慢で奇矯な信長、お調子者かつしたたかな秀吉、太っ腹の正妻北政所於ね(私個人としては「ねね」のほうが人名らしくて抵抗ないのだけど)、勝気な側室たち、豊かにキャラが描き分けられている。
 本命男である幼馴染に関してはまったく予備知識がないし、主人公格のカップルの行く末はわからないーーけど、脇に目を引く人々がたくさんいるので、ちょっと二人の影が薄いという感じはする。

わたなべ志穂『お江ものがたり』
 『華の姫  茶々ものがたり』を長く描いている作家が、やはりというのかその姉妹編(文字通り)でも登場。
 それぞれの夫と愛を持っていたというのはいいのだけど、秀忠が家康に対して、千姫を政略の駒にすることを拒絶するなんてことはさすがにダメだろう。

香日ゆら『先生と僕 夏目漱石を囲む人々』2巻 メディアファクトリー A5サイズ
 Web誌「コミックヒストリア」が休刊のあとは「コミックフラッパー」に引っ越した。
 タイトルのとおりの実話4コマ。
 弟子の中でも別格である、のちの物理学者で随筆家の寺田寅彦(『猫』の寒月君のモデルとして知られる)の高校時代、試験前に、「学校の勉強なんて嫌いだけど 嫌いだからころ授業中だけで覚えるようにするんだよ そうすれば授業以外で勉強しなくていいじゃないか 毎度試験前に勉強している君らのほうがよっぽど勉強好きだよ」  似たようなことをハムテルも言っていたけどハムテルだって授業中だけで覚えていたわけではあるまい・・・。
 (試験勉強なんてする必要を感じていなかったらしい話は別の同人誌でも見たことがある)
 「漱石」という名前の故事は当時の子供はみんな知っているテキストに載っていてありがちな名前だったという解説に驚いた。「常識」というものは変わるものだなぁ。

 ひらのあゆ『ラディカル・ホスピタル』は、単行本が出るまえに「ひらのあゆスペシャル」として雑誌にまとめて掲載されることが常である。今月出たそのスペシャル(半分は他作家の作品が再録される)の社康潤『孔明のヨメ』が可愛い。浮世離れした二人は似たもの夫婦で仲良くいきそうだ。「まんがホーム」で連載中だというので、コミックスを期待しよう。
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大王という呼称から雑談

2011-05-22 05:35:48 | 歴史
 書店のコミックス新刊コーナーで目につく、赤石路代『アレクサンダー大王 天上の王国』(小学館から全3巻?)。同作家の同題の作品でかつて「歴史ロマンDX」でやっていたものがあまり面白くはなかったので、今のところ手を出してはいない。
 作品評価はここではおいて、カバー裏の説明で「あまたの王の中で唯一「大王」と呼ばれる」は大いにひっかかる。「大帝」に比べると確かに少ないようだけど「唯一」ではないだろう、フリードリヒ2世という有名人を忘れるなよ。カメハメハ大王なんて人もいるし。

 「王」よりも「帝」のほうが概して格が上のようだけど、「大帝」のほうが多く挙げられるのは不思議だ。ローマだけでもコンスタンティヌス、テオドシウス、ユスティニアヌス。フランクのカール、ロシアではピョートル、エカテリーナ。ムガルのアクバル、オスマントルコのスレイマン。フランクのカールは、「シャルルマーニュ」とも書かれるけど、これを「チャールズ」にされるのはイヤだ、ぐっと有難味がなくなってしまう。ミカエルがマイケルにされるような感じ。

 アレクサンドロスに関して最初に読んだのは、中学の図書室にあった『若き英雄』by河津千代。「マケドニアは春であった」の書き出しが印象に残っていた。
 ライトノベルで、講談社ホワイトハートの榛名しおり作品で「アレクサンドロス伝奇(ロマンス)」と副題でまとめられた長編があり、副ヒーローで出ていた。藤本ひとみ『テーヌ・フォレーヌ 愛と戦いの物語』はついに未完のままらしい(面白さはいま一つだと思った)。阿刀田高『獅子王アレクサンドロス』もあった。
 青池保子の40年くらいまえのフレンド時代の作品『テオドラ』は、亡国の王女が敵国の王子に侍女として仕えながら慕っている、しかし生き別れの兄と再会し、仇として王子殺害を強いられるーーと連載1回目だけ偶然読んだことがある。この王子というのがアレクサンドロスであったらしい。まとめて読んでみたい。
 安彦良和にも描きおろし単行本であった。
 コリン・ファースの映画はつまらなかった。

 たぶんフリードリヒ2世のほうが為政者として優秀であったろうけど、アレクサンドロスにはスター性で負けてるな。少なくとも、少女マンガにはしにくいだろう。女っ気が少ないという点はアレクサンドロスもそうなのだけど、フリードリヒの場合ははっきり女蔑視だし、ロマンスをでっちあげることに抵抗がある。美男という事実もないし。心理的には興味深いけど、ビジュアルは別だし。同じ時代ならばマリア・テレジアをメインにすえて脇に置くくらいが妥当か。(若いころのカッツとの家出失敗の事件あたりはBLで描けそうではある)

 今日のドイツ人の子供の名前で、「アレクサンダー」は上位にあってポピュラーだけど、フリードリヒはベスト10で見たことない。
なんだか年寄りくさいと私は感じる。

 24日に付記。
 「大王」で、だれか忘れてる・・・と思っていたが、そうだ、イングランドのアルフレッド大王がいた!『神の槍』byあずみ椋 で、重要脇役として出演。中公文庫に『アルフレッド大王伝』byアッサー あり。 イングランド王に関しては、ノルマン王朝よりもまえの時代にあまりなじみがないのだ。思えばあの国の王様も相当に昔からよそものだ。

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白アスパラガス

2011-05-19 06:08:00 | ドイツ
「あいつらソースもなんもかけないアスパラガスのぶっといやつをそのままゆでたものを 旬の味とかなんとか言いながら食うんだぜ」
 これは、『ヘタリア』のCD(『羊でおやすみシリーズ』のvol.1イタリア)に出てきた、南イタリアがドイツの悪口として並べたセリフの一部。
 日本での「初カツオ」にたとえられるドイツの初夏の食べ物はアスパラガスであることは事実。白くて太くて大きいものを、皮むき器でむいてゆでる。そのままでも充分食べられるけど、オランダソースといってチーズから成るソースが一般的だろうか。ハムを巻くという食べ方もあるな。
 99年の初夏、フライブルクにいたころ、アパートでほかの学生たちにふるまわれたことがある。そしてそのお返しのような感じで次は日本人が日本料理をつくることになり、私は肉じゃが、ほかの二人はすき焼きと巻き寿司だった。日本料理は淡白だと思ったに違いない。
 先日、デュッセルドルフのF田さんがお土産に立派な白アスパラを下さって久しぶりに食べたので一言。

 そういえば、ふだん私はお弁当の定番として、冷凍グリーンアスパラとチーズちくわが必需品。アスパラとチーズを合わせることをいつ始めたのだろうか。

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カーキ色

2011-05-15 05:17:28 |   ことばや名前
 講談社文庫でムーミングッズのフェアをやっている。連動してるのか、文庫10冊でもらえるブックカバーのうち3種類がムーミンキャラのデザインつきになっている。私も2、3年の間にたまっていたのでその3種類を応募して、届いた。「レザー風・赤 ミイ」は、これまでと同じ、渋めの赤。「レザー風・茶 ムーミン」は、茶色は茶色でもラクダかオレンジに近いかな。白人がこういう色の髪をしていたら赤毛と呼ばれるだろうなという感じの色である。「デニム地・カーキ スナフキン」、この「カーキ色」は中々わかりにくい。
「カーキ色 」
「国防色」
 カーキとか国防色とか言われても、こういう茶色系統のほかに、黒がかった緑、つまりオリーブ色のほうを連想することもあるのではなかろうか。
 いずれにせよ、このたびの文庫ブックカバーの色は、もっと単純に「ブラウン」ですませたほうが混乱しないですむのではないかと私は思う。

 色の名前といえば、「チェリーピンク」も一定していない。私の見た色見本の多くでは、白のたっぷり含まれているピンク、ごくふつうのピンクを表しているのだけど、通販カタログの化粧品や衣類においてはむしろ濃いピンクに使ってあることが多い。今回検索して出てきた色見本でも紫に近い色を指していた。

 慎重を期するときには、ややこしい色の名前は使わないほうが無難だ。
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皇帝ブロマイドの顔ぶれ

2011-05-13 15:50:11 | ローマ
 きのう発売された「コミックビーム」の付録、「皇帝ブロマイド」はどういう顔ぶれなのだろうと一部で話題になっていた。
 答、いままで登場していた二人+一人。「ハドやん」と後の「哲人皇帝」と、即位しないで死んだケイオニウス。裏に解説つき、わりにシリアス。
 誰が出ているのはか雑誌の表紙でだいたい見当がつく点、良心的かもしれない。--いや、もっと歴代皇帝たちがずらっと出てくるのかと期待したマニアがいるはずで、あいにく違うようだと推測しやすいかな、ということで。まあいいやと私は買ったわけだけどね。
 今月号の内容は、--史実通り、ケイオニウス死亡。予想にたがわず、最期にも笑わせてくれた。次回、ルシウスにとっても少しは色気のある展開になるのか? 私としてはそのへん抑えめであったもらいたいが。

 読者欄の「コマンタレビーマー」は、有名人の紹介コーナー。これまでには、メアリ・スチュアート、キアラ(塩野さんの『愛の年代記』の登場人物、これフィクションではないのか?)など出てきた。今回はティトゥス。

 いつかまた、もっと多数の皇帝たちを描いてくれる企画を切に望む。
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おごる・割り勘・おごられる

2011-05-11 05:16:40 | 地理
 数年前にけっこう話題になっていた本『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ 早坂隆)を、最近BOで買った。
 『ヘタリア』にも引用されていた以下の話:
 『レストランにて』
 ドイツ人と日本人とイタリア人が一緒に食事へ行った。食後、三人はそれぞれこう考えていた。
 ドイツ人は、割り勘にするといくらか考えていた。
 日本人は、三人分払うといくらか考えていた。
 イタリア人は、おごってくれた人になんと例を言うか考えていた。

 この話を私は『パタリロ!』の中で読んだことがある。ただしそこでは日本人同士で、全部払う→東京人 割り勘→大阪人 おごってもらう→名古屋人 だった。
 このバージョンでは、名古屋=ケチという意味で出しているのだろうけど、上記のイタリア人だと、ケチというよりもむしろノーテンキに感じられるのは私の気のせいだろうか。
 どちらも私は行ったことがない。濃い!というイメージがあることは共通している。名古屋出身の作家清水義範の代表作の一つ『蕎麦ときしめん』は、東京から名古屋に転勤になったサラリーマンが驚きあきれて書いた名古屋論という体裁をとっている。そのタイトルに倣うならば、『きしめんとパスタ』? 天下人を出したという共通点もあるか。
 ドイツと大阪はダブるかと言えば、これはどうもしっくりこない。大阪といえば美味いものの本場だそうだし。いや、ドイツ料理私は好きだけど。でも日本のほうが美味いよ。お笑いの面でもドイツが強いとも思えないし。(大阪=美味いものとお笑いというステレオタイプの連想ですまんです)
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店頭になければ取り寄せてみよう

2011-05-08 05:47:57 | 雑記
 外国宛て郵便も、本は安くできる。「印刷物扱い」は、かつては国内の「冊子」と同様、封筒の一部を切って中が本だとわかる状態でよかったけど、いまは、完全に開封できる状態でなければならない。だから、フタ(?)の上下に丸がついていてそれをヒモでくるくるして閉じる、ああもうなんて言ったらいいのかわからんが、そういう種類の封筒が便利なのだ。(それがなければ、穴あけてモールで閉じる手もある) 
 その封筒のA4くらいはよく見るけど、それよりひとまわり小さいサイズが、近所の文具店に去年はあったけど見かけなくなっていた。店できいてみたら、あるにはあるので取り寄せてもらった。

 ポストイット、2,3センチくらいの長さの小さい短い品がまた欲しいと思ったが、店で見かけない。だから上記の店できいてみた。商品カタログを探して見つかったので、注文して手に入れた。

 店頭になくても製品が存在するということはあるので、少なくとも、かつてそういう品があったことが確かならば、店で尋ねてみることは有益だと思った。

 欲しいものを欲しいと主張しておくことは重要であることをほかの機会にも感じるけど、上記の文房具でもそれに似たものがある。需要がなくなったら生産じたいがなくなるだろうし。

 上記の主張は、書籍についても同様であることは言うまでもない。店に置いてないからといって簡単にあきらめてはいかん!
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ニーベルンゲン

2011-05-04 05:27:01 | 
 関連記事『ヴォルムス』が2006.7.10に投下済みなので、関心がおありの方はご覧ください。 

 ドラゴンの血を浴びて不死身になった英雄ジークフリートの物語は、ゲルマン人の間に伝播していた。
 ドイツ中世文学の代表作の一つである英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』は、1200年ごろにオーストリア(なんて国はもちろん当時ないけど)の詩人によるとされている。
 一方、北欧バージョン。9~12世紀のアイスランドの歌謡集『エッダ』には神話エピソードと共に英雄物語も含まれており、シグルズ(谷口幸男訳だとこう表記される)も登場している。散文物語であるサガの中で『ヴォルスンガ・サガ』は1260年ごろの作品で、ここにもまとまった形でシグルズが登場している。
 その後も19世紀のドイツでロマン派のフーケや写実主義時代のヘッベル(シュティフターを酷評した人)が作品にしている。
 しかし最も有名なものはやはりリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』ということになるだろう。
 これは第4部が『歌』の前半と重なっているが、それよりもむしろ北欧バージョンから多くを取り入れている。

 『ニーベルンゲンの歌』は岩波文庫上下巻に入っているが、このほど新訳でちくま文庫も出た。岩波版とは違う写本に基づいており、こちらのほうが、ジークフリートを潔白さを強調して、夫ジークフリートの敵討をするクリームヒルトに味方して描かれており、そのぶんハーゲンが悪くなっている。
 --いずれにせよ理不尽な悲惨な物語であることには変わりない。
 『指環』では、ジークフリートの妻となったグートルーネの影が薄いが、『歌』では、後半のブリュンヒルトが事件のあとでどうしたのやら気になる。そもそも、アイスランドの女王などという設定からしてありえないのだが。北欧版では、先にシグルズと恋仲であったのは彼女なのだけど、それを彼は薬で忘れさせられてグズルーンを娶る。シグルズの死後、ブリュンヒルドは彼に殉じて、寡婦のグズルーンは夫殺しの恨みは薬で忘れさせられた状態で再婚、この夫アトリが財産目当てでグズルーンの兄弟たちを殺害するのでそれに対して復讐し、入水自殺をはかるけどまだ死なずに話が続く。
 血なまぐささは、 北欧版 > 中世ドイツ版 > 『指環』 。

 『ニーベルンゲンの歌』に話を戻すが、私が習った中世文学の先生によると、この話は「絶対の悪役」の不在が特徴であるという。しいて言えば悪役はハーゲンであるが、彼には彼の立場があり、ヴォルムスの宮廷の秩序がジークフリートの登場によって崩されてしまい、それを除くのは忠臣の務めである。 確かに、主要人物たちは、完全に潔白な人もいないし、同時に、まったく魅力や同情の余地のない人もいないのだ。子供向けの話ではないが。
 だいぶまえに、少し子供向けの世界文学全集にこれが載っているのを見たことがある。凄惨さ以外にも子供向けでない部分、それは、グンターとブリュンヒルトの初夜の真相(最初の夜にブリュンヒルトがグンターに従わずに朝まで壁に下げておいたので、次の夜はジークフリートが彼女と格闘して取り押さえたうえでグンターとバトンタッチした)なので、そこはいったいどうしたのかと確かめた。するとそのへんはカットしてあり、のちにブリュンヒルトとクリームヒルトが喧嘩したときにクリームヒルトが暴露したのは上記の件ではなく、求婚試合(膂力優れたブリュンヒルトは、求婚者たちと槍投げなどの競技をして、負けた者は殺すというトゥーランドットみたいなことをしていた)がイカサマだった(ジークフリートが隠れ蓑で助力していた)ことにされていた。確かにこのほうが説明しやすくはあるけど・・・。この話を上記の先生の授業あとの雑談のときにしたら、先輩の一人が、「でも、そこまでして子供に読ませなきゃいけない話かなぁ?」--同感である。

 ちくま文庫の解説では、いろいろある『ニーベルンゲン』作品化の中にマンガも取り上げられていて、名前だけだけど、松本零士、あずみ椋、里中満智子、池田理代子と全員出てきている。
 これらの名前が並んだところで脱線する。
 あずみ版の『指環』は、最初に新書館から豪華装丁4巻本で出て、そのあと角川文庫上下で出た。その後も講談社プラスアルファ文庫で復刊と決まってから、なにやらずるずると延びまくっていた。その間に里中さんの「マンガ名作オペラ」シリーズ刊行が始まり、第1弾が『指環』だった、2003年10月と12月。あのときはものすごく悔しかった。先を越されたじゃないかバカヤローー!!と講談社に怒鳴りたい気持ちだった。あずみ版が出たのは2004年8月だった。(その後、里中版の文庫化は2006年から) 
 それとは関係なく、あずみ版の『旧約聖書』全3巻は「日本聖書協会」から2008~10に描き下ろしで出ている。
 そして先日、里中さんの『旧約聖書』が描き下ろしで中央公論社から出た。隔月で3巻出る。
 前者は、1巻280ページくらいでオールカラー、1000円+税。後者は、230ページくらい、モノクロ、表紙ハードカバー、1500円+税。--素朴に見て、後者のほうがだいぶ高いじゃないか。
 私は里中さんに悪意を持つわけではまったくないけど、あずみ版支持者としてなんだか愚痴りたい。こちらは、よほど大型書店でないと置いてないだろう。その点、中央公論社のほうがメジャーだ、ほどほどの書店ならば置いてあるはず。誰のせいでもないけど、悔しい。
 
 ところで里中さんは、ここ数年、『天上の虹』の描き下ろし以外にふつうのマンガは描いているのだろうか。「ギリシア神話」、「名作オペラ」しか私は目にしていないけど。ああいうマンガこそ翻訳紹介されていいと思っている。これら原典の故郷であるヨーロッパで描くよりもはるかに美しくまとまっているに違いないし。『ベルばら』でフランス革命の歴史に接するフランス人もいるそうだし。
 
 --ヤマザキマリさんが『ローマの歴史』、『ルネサンスの歴史』なんて描いてくれたら大歓迎である。


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皇帝ブロマイドが楽しみだ

2011-05-01 06:31:09 | ローマ
 先月は、言わずと知れた『テルマエ・ロマエ』の3巻が出た。
 山賊たちも圧倒して風呂づくりに情熱を燃やすルシウス。この男はきっと、多くの建造物を遺した働き者のアグリッパを尊敬しているに違いない。 風呂のためなら骨身を惜しまない。任務命の「鉄のクラウス」にも誉められそうだ。こういう人材に会ったら少佐の「ぐうたらなイタ公」という偏見も緩和されるのだろう。逆に、ルシウスが『ヘタリア』のイタリアに会ったら、当初のドイツ同様、これがローマ帝国の子孫か!?と愕然とすることは目に見えている。
  紙幣の野口英世の皇帝姿も笑いのツボである。(この人がいいとこの出であったらあそこまで「偉人伝」の定番にはならなかっただろう) 
 フランス文学者の鹿島茂氏の『乳房とサルトル』によると、胸の大小に対する好みは時代で変化しており、「文明人」のローマ人は小ぶりを良しとして、巨乳は野蛮人のようだと思っていたそうである。まあ実際のところはわからんけど。
 金閣寺Tシャツ姿のルシウスも笑える。
 ところで、カバーのシャンプーハットの彫刻は、「バルベリニのファウヌス神」だと思っていた。お行儀悪く脚開いて、「豊穣のシンボル」を堂々見せまくっているポーズの。両腕を上げているので似て見える。「ラオコーン」だと言われれば確かにあのねじり具合。
(『ラオコーン』といえば18世紀ドイツのレッシングがこれを例にして視覚芸術と文学の性格の差を述べた論文があって、院試の定番で私が受けたときにも出たなあという懐かしさがある)
 次号の「ビーム」の付録、「皇帝ブロマイド」が楽しみなので必ず買う! 登場メンバーについてはマニアな夫も大いに意見してくるのだろうな。

白線社『拳奴死闘伝セスタス』1巻 技来静也
 前編の『拳闘暗黒伝セスタス』が終わって、その続きは本当に出るのかと危ぶんでいたけど、出てよかった。
 奴隷の身からの脱出を求めて、強敵と、己と戦っていくーーという王道。

 しかし。
 この巻では専らセスタス側の話で、主人公の片割れ、皇帝ネロの「衛帝隊」メンバーのルスカ側が全く出てこないのだ。そこがなんとも物足りないのが私の本音。もっとも、前作の終盤はほとんどルスカ側だったので、セスタス側のバトルをより好む読者がじりじりしていたのかも。
 
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