レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

コンサート

2006-07-31 15:15:52 | 趣味・娯楽
 私はたまに、アマチュア楽団のクラシックコンサートに行く。一つ行けばパンフレットにチラシがはさんであるので物色するのも楽しいが、決め手になるのは、近くて行きやすいこと、その時私が取り込み中でないこと。昨日は、ほぼ毎回行っている管弦楽団で、会場は電車で20分程度の場所。
  R.シュトラウス『オーボエ協奏曲』はわりにゆったりの印象、ブルックナー『交響曲第3番』はワーグナーに捧げられたというだけあってドカドカとハデ。リクエストのバッハ『主よ、人の世の望みの喜びよ』はぐっと静か。
 ところで、ああいう舞台ではなぜ、最後に指揮者は何度も出たりはいったりするものなんでしょう。そのたびに演奏者たちもやはり立ったり座ったり。なにか由来でもあるのだろうか。

 駅とその会場の市民ホールの間に、「居酒屋 きちんと」「くいもの屋 淡菜房」という店がある。居酒屋はわかるけど「くいもの屋」っていったいなんだろう。
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佐々木倫子

2006-07-30 09:35:04 | マンガ
 今日変更したテンプレートは「フレンチ風」だそうだ。

 私には年子の弟がいて、数年前に結婚して近所のマンションに住んでいる。私の買ったマンガの一部を貸しているが、返却ははなはだズボラで、順番がめちゃくちゃだったり、半年くらいためこんだり。この5巻は、3年前に出ているというのに今年の春に返ってきた。とっくにまわしよみして手放したと思ってたよ。
 フレンチレストランで働く、マジメだけど愛想がなくて浮いていた伊賀観は、なぞの女・黒須仮名子に勧誘されて、彼女がオーナーをする新しい店に引き抜かれる。しかしこのオーナーが傍若無人でデタラメで、 あちこちでテキ
トーなこと言って勧誘してきたサービス係は、伊賀を除いてフレンチ初心者、店の立地は最悪、商店街からも住宅地からも遠く、隣が葬儀場で窓からお墓が見える~という状況、どうなるんだ!?--という具合に始まるコメディ。
 この5巻に、伊賀君がつきあい・成り行き上ソムリエ試験を受ける話がある。その講習会で知り合った寿司屋のじいさん。本来はその倅が受けるはずだったけど父子ケンカしてやめたので、「70の俺が取ってやる!」ということになった。その「倅」が、「ほんとは板前なんかなりたくねえんだ!やめてやる!」(バリバリバリ とバイクの音たてて飛び出す。「あんた!」「とうちゃん!」と妻子。その息子がモヒカン頭・・・。本来、捨て台詞吐いてバイクで出ていくなんてのは、こういうヤツなら違和感もないのだ、しかしここではいいトシしたおっさんがそんな反抗期みたいなことして、しかも明らかに出前用のバイク。「親父」でなく「とうちゃん」という素朴な言葉であることもミスマッチで良い。
 このマンガで私がいちばん笑ったシーンがこれである。おかしさを説明するのもヤボだけど、思いがけずまた目にしたもので書きたくなった。

 佐々木倫子は、ヒット作『動物のお医者さん』が「花とゆめ」で終わってから小学館の青年誌で描くようになり、『おたんこナース』に次いで2本目がこれ。全7巻で終わって、そのあと綾辻行人原作でミステリー『月館の殺人』。単行本の下巻がやっと出たのでまとめて読んだ。私はこういうところで感想を書く際にあまりネタバレ配慮しないほうなんだけど、さすがにミステリーは遠慮する。鉄道マニアっていろいろいるんだな、及び、シュミにこれだけ金かけられるなんて羨ましい・・・という二言にとどめておきましょう。

 佐々木倫子は、最初に読んだのは『ペパミント・スパイ』だった。「現役を退いたスパイのための福祉村」が笑いを誘った。
 次に、「花とゆめ」本誌の『代名詞の迷宮』。人の顔・名前を覚えるのが苦手だという男子高校生勝久の悩みを他人事と思えない読者は結構多いのではと思うが、私もそうだ。この『忘却シリーズ』には1本、『ペパミント・スパイ』には2本くらいは単行本未収録作品がある。こういうのこそ文庫で出してくれないものかね白泉社よ。終わったばかりの、または終わってさえいないものよりも過去の名作優先せい!
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ハンスの林檎、林檎の樹

2006-07-28 15:12:14 | 
『ハンスの林檎』潮出版社 村上政彦

『バルトの楽園』の関連作品・・・と言ってしまうとナンだけど、第一次大戦のドイツ捕虜との交流を扱っているということは事実。場所も同じ徳島の板東収容所だし松江所長も出てくるし。
 こちらは、捕虜側にもっと戦闘性があるというか、戦闘には負けたけど文化の力で新たな戦いを!という意気込みがある。ドイツ側にサッカーの指導を求めたり、一方大工のマイスターに地元の校舎つくりを手伝ってもらうにあたっては日本側の棟梁が模型つくりの勝負に勝ったのでボスになったり。
 音楽をやっているドイツ青年が地元のお嬢さんと恋におちて、日本にとどまろうとまで決意するけど、猛威をふるったスペイン風邪で死亡。その親友は感慨をこめて記念に林檎の木を植えていく。「たとえ明日世界が滅びるとしても、私は今日一本の林檎の木を植える」というルターの言葉が出てきた。

 イギリス文学で『林檎の木』という小説がある。ゴールズワージ。都会の青年が田舎で素朴な娘と恋におちて結婚の約束をするが、結局捨ててしまい、彼女がその後(たぶん)自殺したことを25年後(?)に知る。筋だけだとミもフタもない。こういう話を映画化でもするならばよくよく演出などが優れていなければならないだろう。私の中学時代には「中一時代」の読書ガイドに載っていた。大学1年のときの英語の時間のテキストにも使われていた。母が女子大のときにも習ったそうで、そのときのテストに出たのと同じ箇所が私の受けた期末テストにも出題されたことには驚いた。元文学青年の好みは不変なのか?

 それとは無関係に同じ題のドイツ映画があった。社会主義時代の東独が舞台。たいして面白い作品ではなかったが。これのキャッチコピーのように上記セリフが使われていて、えーとこれは確かルターの言葉だったはず?と思ったけど作中で説明はなかった。ドイツ人にとっての常識なのだろうか。
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むやみに使いたくない言葉

2006-07-26 12:37:03 |   ことばや名前
「傷つく」
私の考えでは、ひとの言動に「傷つく」のは、悪意のない時こそである。悪意があるならば、傷つけようというつもりでしたことならば、その通りに「傷つく」などシャクだ、そういう時はむしろ怒るのが筋(?)だ。そうではなくて、例えば、喜ばせようとしてしたことが迷惑だったとか、好意を汲み取ってもらえなかったとか。先方でも攻撃の意図までなかったらしい時、そういう時に私は「傷つく」。その感情が恨みにまで転化するかどうか、それはそのときそのときである。
 マイナスの感情は表現が難しい。ひとの行為に対してマイナスの感情を持った場合、それに「腹たった!」「ムカついた!」と言えば、それをきいた第三者は話者を「気が短い」と思うかもしれない。これが「傷ついた」だとニュアンスが違ってくる。前者の場合、腹たった側に問題があるんでないか?と思う余地があるのに対して、「傷ついた」といえば、問答無用に傷つけた側が悪いようにきこえないだろうか。一見しおらしい、その実、被害者ヅラして相手を悪者にしている、そういう卑怯さを私は感じる。第一、ほんと~~に傷が深いと口にすることすらできないものではないのか、少なくとも、「傷つきました!」なんてすぐに吠えてくるのはたいして深くないと思う(#)。
 そういうわけで、私は「傷ついた」なんて言葉は軽々しく使いたくない。
(もっとも、「傷つく」の意味にも個人差があって、不快な感情を持つことをひっくるめてこういう人もいるだろうから決めつけられないけどね)

 対象が人間である場合、「嫌い」を「苦手」でごまかすことをしたくない。その話をする相手に対して遠慮がある(その人の身内・友人である)とか、嫌いと言ってしまうと後悔することになりそうだとか、いろいろと事情は考えられるけど。本来、「嫌い」と「苦手」は別のことのはず。私の場合、こちらでは嫌っていないけど先方で嫌がっていそうな気がするとか、タイプが違ってどう接していいか勝手がわからないとか、なんとなく鬱陶しいとか、そんな場合に「苦手」を使う。「嫌い」ほど敵意がない。
 「嫌ってるわけじゃない 苦手なだけだ!」とは、なつかしの『南京路に花吹雪』、お母さんの来訪から逃げていた本郷さんの言ったセリフ。奇しくも、『エロイカより愛をこめて』の第11話『9月の7日間』のラストでの少佐の行動(父上が来るので休日出勤して逃げた)と同じで嬉しくなったものだ。(『エロイカ』があそこで中断していたならばそれなりに納得できたろうに)

 「批判」という言葉に対しては私は少々構える。ただの「悪口」とは違って、論理的理性的、公平で冷静な態度で、必ずしも悪意・敵意はないーーという解釈でだいたい合っているはず。ドイツ語原書の全集ものなどで出てくるkritische Ausgabeと
いえば、大独和には「厳密な本文批判を経た校訂版」であると書いてある。ここでの「批判」とは、入念に検討を加えることで、難癖つけることではない。こういった使用例が頭にあるので、単なる愚痴、ぶーたれ(「ぶーたれる」という言葉は通じるのだろうか)、不平不満のレベルのものを「批判」なんて言いたくはないのだ。

#今月、ソノラマコミック文庫になった川崎苑子『いちご時代』にも、「人間て変なものでね ほんとうにみじめだったり衝撃をうけたりすると そのことつらくて口には出せないものらしいんだ」とあるから、私のこの感覚もそう珍しいものではないのだろう。
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『詩人と皇帝』リクエスト

2006-07-24 12:38:52 | たのみこむ・復刊ドットコム
 この際(?)だから、『詩人と皇帝』復刊投票を貼ってみる。

「詩人と皇帝 復刊リクエスト」
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お題「アウグストゥス」

2006-07-24 12:35:17 | ローマ
リンク先の「パンとサーカス」のまっち~さんから「お題バトン」というものがまわってきまして、「アウグストゥス」がそのお題です。では謹んで。

1.パソコンまたは本棚に入っている「アウグストゥス」に関するものは?
本棚には、『皇帝伝』やら『ローマ人の物語 パクス・ロマーナ』やら一般的な本、若干の同人誌。PCには、数人のローマ友だちとの妄想メールが山とはいってます・・・。

2.今妄想している「アウグストゥス」に関する事は?
このところ新たなネタを開拓していないです。彼を女に移し変えてみたバージョンとか、彼にそっくりな庶子たちの人生模様恋愛風景とか、そういうのはもう私の心の中でしっかり世界になってしまってます。

3.最初に出会った「アウグストゥス」は?
世界史の一般的な知識を別にすれば、「歴史ロマンDX」に載った黒田かすみの『クレオパトラ』が、印象の強かった最初の作品かもしれない。単行本の後書きで、悪役のわりに作者は好きなのか、と。 次に、史劇映画を見まくったときの『アントニーとクレオパトラ』だろうか、アントニーのヘストンよりも敵役のほうがキレイじゃないか?と、先入観なしでも思った。

4.特別な思い入れのある「アウグストゥス」に関するものは?
ハマるきっかけになったのは2001年夏のコミケで出会った本の短編(アグリッパxオクタ)。(そのあとまもなくデラさんのサイトへのお誘いで深みへずぶずぶと。)
 プロ作家ではAllan Massieの諸作品。
みなさーん、「たのみこむ」への投票よろしく~~!

5.「アウグストゥス」についてどう思いますか?
歴史的な意義なんてことはさておいても、こんな劇的な人がなぜもっとメジャーでないんだ?と心底不思議に思った。メジャーになったらなったで嫌がるかもしれないけど。

6.「アウグストゥス」のいいところ
偽善者と言われようとも、結局のところ公人としての意識は強く、己を律していたところ。芸術品のような容姿で中身はヤボテンなところ。
「美貌、友情、恋」と少女マンガの三要素(?)そろったところ。

7.「アウグストゥス」の悪いところ
自分の義務感を身内にも当然のように(たぶん)強いたところ。いちばん迷惑したのは娘ユリアと継子ティベリウスでしょう。このヒトを父や夫には持ちたくないなぁ。
あと、スエトニウスの伝えているロリ趣味。もっとも、まるっきり鵜呑みにしているわけではなくて、しかし全く無視するのも面白くないので、実はこんな事情!という想像もすでにしている。そのうち書きます。

8.「アウグストゥス」に一言
好き勝手な妄想のタネにしてすみませんね、私異教徒だからたたらないで下さいね。

9.「アウグストゥス」というお題を出されたことにどう思われますか?
光栄です。意外性はない出題です。

10.最後にバトンを渡したい人5人とそれぞれのお題を

「猫姫七変化」のぶち猫さんに「少女マンガ」
「全部お前の妄想だ!」のHAYAさんに「ギリシア神話」

「恋恋花吹雪」の かなさんに「ローマの人々」または「新選組」

「逃避シェルタ」のmakibinnさんに「史劇映画・ドラマ」

「愛浪」の菅田春菜さんに『燃えよ剣』(またはほかのに替えてもいいです)

ということでお願いします。気乗りしなければほっといても、あるいは忘れたころにひょっこりでもかまいません。
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『マジカル・ダイナマイト・ツアー』2巻

2006-07-23 15:18:47 | マンガ
 ソノラマコミック文庫から。「別冊花とゆめ」で読んだころにはもっと長かったような気はがしていたけど、この巻で終わり。タイムトラベルの旅行会社で、依頼人(多くは現代有名人のパロ)とガイドが過去へ行き、歴史上の人物に会うという設定で嘘八百の珍説をでっちあげるマンガ。この巻に出てくるのは、平賀源内、マリー・アントワネット、一休、チャイコフスキー、ネロ、エジソン、ジャンヌ・ダルク、ノストラダムス、小野小町。
 待望のネロの話がやっと再読できた。依頼人は「ロックバンドもののけのヴォーカルメラニー」・・・もとネタ知らない。
「1世紀 ローマ帝国」と書くべきところが「7世紀」に見えるんだけど、1が7に見間違えられたんでしょうな。(こういうミスは『地球の歩き方』でも見た) もっとも、「64年」とはっきり書いてあるから注意深い読者はわかると期待しよう。
 歌にサクラを用意していたとか、女装して男と式をあげたとか、そんなまさに「マンガのような」ことが(スエトニウスを信じれば)史実なんだよなぁ・・・と、いま読むといっそう爆笑もの。
 「鈴木式その子」が小野小町に美白対決を挑みに行く話で、蹴鞠に夢中になって日焼けしてしまったという小町のキャラがいい感じだ。シャノンが百日通って白粉をこねてくれたおかげで勝ったので、一晩つきあう約束をちゃんと守るつもりだった点も(お歯黒のキライなシャノンが辞退した)。

 ところで、これ完全な収録ではない。野村サッチーとミッチーのケンカをネタにした話もあったのだ。 ミッチー(をモデルにしたおばさん)が、サッチーの学歴詐称をあばこうとして、過去のコロンビアならぬコロビアン大学に行ってみる。そこに確かにサッチーはいるが、学生ではないのに出入りしているだけ、しかも他の学生たちは、教室で会ったことはまったくないと言うのだった、そういう話。
 しかし・・・サッチーって歴史上の人物なのか?
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花と神話

2006-07-23 15:13:24 | 歴史
ギリシア神話で花になる話といえば、ナルキッソス、アドニス、ヒュアキントス、有名どころでは美少年が占める。ミュラ、ダフネ、少女はむしろ木だと指摘される。その点でヒマワリはけっこう珍しいほうだろう。(でもポピュラーさは上記の三人に劣るなぁ。)
 たいてい、明るいイメージが付せられるヒマワリ、しかし、太陽神に捨てられた娘が化身した花という物語を念頭におけば、なにやら物哀しくもある。太陽というものを自主的な存在、帝王の象徴とすれば、それをあがめてやまない役どころも、よく言えば健気、、悪く描けば卑屈になりうる。アニメ『ベルばら』で、ルイ15世が重病のときに愛妾デュ・バリーが、「陛下が太陽なら私はヒマワリ」と励ましていたことを思い出す。
 このテの話といえばオウィディウスの『変身物語』が欠かせない。アウグストゥスファンにとってはなにかと無視できない存在の詩人(マッシーとジョンストンで全く扱いが違う)であるが、やはりこの語りは上手い。なめらかで官能的かつ詩的。アポロンとダフネの話は、これ以前はメジャーでなかったというが、白眉の一つだと思う。
 ところで。
 ダフネは、アポロンの抱擁を逃れることを願って木に変わった。
 ほかに、どこかの民話で、若い娘がガマンのきかなくなった男に押し倒されたら、彼女の下半身が木に変わっていた、という話を読んだことがある(あとで戻ったんだろうな!?)。
 ある王女かだれか、純潔の誓いをたてていたのにある王から強引に求愛されて、それを逃れたくて祈りを捧げたらヒゲがはえてきたという話もあった(怒った王に処刑されてしまうという腹立たしい展開!)。
 これらの話に共通していること:男の側のムチャな行為が原因なのに、女の身のほうに(好ましくない)変化が起きること。まるで、男がふらつくのは女の罪だと言わんばかりだ。襲った男の下半身が丸太にでもなるのが筋だろうに。(ヒゲの話で、その王がそれにも関わらずになお口説き続けたらけっこう美談になるだろうに。)
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『ディズニーランドという聖地』

2006-07-22 20:25:52 | 
『ディズニーランドという聖地』1990 能登路雅子 岩波新書

「手放すまえに再読したので一言書こう」シリーズ(?)。

印象に残った点:
ディズニーの育ったアメリカ中西部は、夏は暑く冬は寒く、厳しい気候。当然、自然とは脅威であり敵と見做される。ディズニーランドでは徹底的に自然は人工化され、その極めつけがミッキーマウス、不潔で人に嫌がられるネズミさえも清潔な人間の友にしてしまっているキャラクターである。

 私は有体に言って、ディズニーアニメの絵は嫌いである。特に、白雪姫のあの髪型とドレス。しかし「白雪姫」のコスプレといえばあれでないと納得してくれないほど(クレオパトラといえば黒髪オカッパみたいに)浸透している。シャクだ。

 しかし、それはそれとして、アメリカを象徴する存在となっていくディズニーランドの性質は興味深いし、自分の子供時代に欲しくて得られなかったものを詰めこんだという話にはほろりときてしまうのも事実だ。
 とことん創られた自然(矛盾しとる)は、マリー・アントワネットの「プチ・トリアノン」などの誤解した「自然に帰れ」趣味(とどこかできいたような気がする)との結びつきはないのだろうか、とふと思った。

 ディズニーを好きな人にも嫌いな人にもお勧めできる面白い本。
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八王子駅のテーマ曲

2006-07-22 19:29:01 | 雑記
 今日、NHKの「みんなの童謡」で「夕焼け小焼け」が出てきた。作者の中村雨紅が八王子の出身だというのでーーああ、だから八王子の駅では発車メロディがこの曲なのか?と思い、検索してみたらやはりそういうことだった。
「八王子」
このブログの最初に書いた「不適切な選曲」はそれがテーマだったのだが、それで納得がいった。
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